【政治】 役所のやることがうまくいかない理由とは (その2)
■前回のまとめ
前回の拙稿のまとめから始めましょう。
①「お役所仕事」の改善は我々の生活を豊かにする。
②「お役所仕事」の改善は、お役所だけにまかせてはいけない。
③「お役所仕事」の張本人は、至極まじめに仕事をしている。
この3点が前回の結論でした。行政の仕事は私達の生活の隅々にまで及んでいます。ならば、それを改善したならば、我々の生活は今よりも素敵なものになるであろうこと。それゆえに「役所の改善は役所に任せておけばよいのだ」と投げ捨てずに、市民の皆さんも力を添えて欲しいこと等々が、その趣旨です。
今回は、「お役所仕事」をもう少し具体的に見ていきます。
前回が「形式的なお役所仕事」ならば、今回は「実質的なお役所仕事」です。
■行政は信頼されていない?
昨年、国の補助金をいただいて広域観光の事業を実験的に行い、県内外の様々な人々に出会う機会を得ました。その中には、デザイナー、プランナー、広告代理店の人たち、マスコミ関係の人たちもいました。
彼らに共通しているのは「行政を信頼していない」ということでした。薄々は感じていたものの、この意識の根深さには正直驚いたものです。彼らが行政の仕事をしていないのか?というと、そうでもありません。彼らは行政が出す仕事をしています。
だからこそ、彼らは行政を信頼していない。
その理由が端的に表れているのが次の記事です。
大阪市交通局が実務経験のあるデザイナーを月額112,600円で募集していることがわかった。同市交通局が6月10に公布した「大阪市交通局非常勤嘱託職員募集要項」の応募要件には、たしかにそう明記されている。Twitterでは、プロとしてデザイン業務こなすユーザーから非難の声が多数あがっている。具体的な職務内容は、「ポスター作製業務、WEBページ運営業務」とあり、さらに、WordやExcelを使用した文書作成や電話応対等の一般事務も含まれている。大阪市交通局非常勤嘱託職員募集要項(PDF)Twitter上で問題とされたのは、その報酬だ。記されている給与月額は、週30時間(1日6時間 週5日)勤務で112,600円。時給に換算すると、800円程度であろうか。さらに金額の下には「昇給・昇格なし」という絶望的な文言が明記されている。さすがに、この金額は低すぎるのではないかと11日未明、Twitter上で本職のデザイナーと名乗るユーザーが苦言を呈した。このツイートにはすでに1000件以上ものリツイートがされている。なお選考には、まず1次試験としてポスター製作を行う必要があるらしい。また、IllustratorやPhotoshopなどの運用に伴う追加費用を、経費でまかなえるかどうかも今のところ不明だ。
デザイナー、広告代理店、プランナー等々の人々が行政を信用していない最大の理由は、「行政が知的労働を評価していない」ことにあります。昇給・昇格なしでプロのデザイナーを月11万円の破格の待遇で雇えると思っている……上記の記事を見ると、そんな思いを更に強くします。
そんな発注を見ていて、「行政は俺たちを軽く見てるのか?」「俺たちの仕事を何だと思ってるのか?」とデザイナーやプランナーたちが考えるのは当然でしょう。
なぜ、こんなことが起きてくるのか。
これにはいくつかの構造的な問題があるように思われます。
「何とかしたい」と思い立ち、真摯に事態に向き合おうとする行政マンたちがぶち当たる、大きな壁でもあります。
■役所は失敗を許されない
まずは次の記事をお読みください。
総務省は、情報通信の分野で世界的に影響を与えるような奇抜なアイデアを持った人材の支援に乗り出す。
今年度の情報通信に関する研究開発の委託事業に、「独創的な人向け特別枠」を設ける。パソコンや携帯電話で革新を成し遂げた一方、ユニークな人格でも知られていた、米アップル創業者の故スティーブ・ジョブズ氏のような人材の育成を目指す。
研究費に加え、著名な技術者やベンチャー起業家などから助言を受けられるなど研究環境も支援する。6月末に募集を始め、面談などの選考を経て10件程度を採用する。
(読売新聞5月25日)
「さすがお役所。300万円でジョブズを作れると思っているあたりが!」
「そもそもジョブズのようなイノベーターを『作ろう』と考えるところが、さすがお役所だ」
という感想を持たれた方もいるでしょう。
そこも重要なポイントなのですが、この記事の最重要ポイントは「失敗も許容するという、中央官庁としては異例の事業となる」←ここです。
そう、行政の仕事は失敗が許されない。ここがとても重要なところなのです。不思議なことに行政の仕事は失敗が許されません。したがって、何らかの成果物がなければいけない。それはもはや強迫観念に近いものがあるように感じます。しかも、「予算を使い切らないといけない」という、これまた困った性向が働くと、やたらめったらに成果物だけが出てくることになります。
(やたらにパンフレット刷りたがるのもここにあるのかもしれません)
■投資の概念
「失敗してもいいじゃないか」と私などは思うのです。失敗しない民間企業が存在しない以上、役所が失敗しても構わないではないかと(もちろん程度にもよりますが)。
ただし、失敗してもいいのですが、あるひとつの条件を満たすならばとの留保はつきます。
それは投資の概念を正しく行政が理解していることです。
行政の予算の中には「投資的予算」と呼ばれるものがあります。人件費や維持管理費などの固定費でないものを指すと理解していただければ結構です。
この投資的予算には、道路建設や体育館建設なども含まれます。なぜなら、これらの建設は将来的な投資行為だからです。
私が申し上げているのは、こういった意味での投資ではありません。
投資の概念そのものです。
投資とは「将来の益を見込んで現時点での支出をなす行為」です。
この「将来の益」は、行政にとっては「公共益」を指します。ここに道路を敷設すれば、現在の住民にとっても便益が向上するのみならず、将来的な居住者増につながる。ここに体育館を建設することは、現在のスポーツ愛好家にとっての便益向上だけでなく、将来に大きな大会を誘致できる等々。
いずれにせよ、将来的な益を見込んで行政が支出するのであれば、それは投資です。
産業政策であろうが、道路建設であろうがそれは同じことです。問題は、「将来的な益」が抜け落ちて、目先の成功に走りがちであるという点なのです。
これも「失敗が許されない」行政マンに課せられた宿命です。
世界的な投資家であるウォーレン・バフェットは、2011年に来日した際に、「投資の極意」として2つの点を挙げましたが、そのひとつは「ビジネスをそれ自体に注目すること」でした。
「ビジネスをそれ自体に注目すること」です。多くのプロの投資家や学者たちが、毎日の株価に一喜一憂しています。しかし、株価やマーケットの動向を、毎日、毎週、毎月追うことで、投資が成功するとは、私は考えていません。株は、そのビジネスの一部分でしかないからです。注目すべきは、株価ではなく、事業そのものでなくてはなりません。常に株券ではなく、ビジネスを買うという投資姿勢が必要です。
企業の実態がマーケットや株価に反映されるまでに、ずいぶんと時間がかかってしまうことがあるかもしれません。しかし、事業の成功が一般に認知されるのにどんなに時間がかかろうとも、その企業が期待通りの高い成長をする限り、問題はありません。むしろ、認知が遅くなったほうが、投資家にとって都合がいい場合が多くあります。投資家にとっての「バーゲン価格」が続くわけですから。
この言葉を次のように置き換えてみましょう。
「ビジネスをそれ自体に注目すること」です。多くの自治体職員たちは、個別の事業に一喜一憂しています。しかし、イベントやPRの動向を毎月、毎年負うことで、投資が成功するとは、私は考えていません。イベントは、そのビジネスの一部分でしかないからです。注目すべきは、イベントの入場者ではなく、産業そのものでなくてはなりません。常にイベントや事業ではなく、ビジネスを買うという投資姿勢が必要です。
行政が行う「投資」とは、投入財により地域経済が活性化し、市民が潤うという循環を描くものでなければなりません。
例えば観光産業に行政が投資するのであれば、その投入財が「人を1,000人呼びました」「5000人の誘客がありました」で終わってしまっては、バフェットが言うところの「目先の株価に一喜一憂する投資家」に過ぎません。そして、プランナーやデザイナーが「所詮、役所の連中が考えることだから」と面従腹背で臨む仕事は、まさしくこういった事業、すなわち、一過性のイベントを並べていくような「お役所仕事」そのものです。
重要なことは、そのビジネスそのものをどのように育てていくのかという視点であり、それはストーリーとして語られる戦略です。
(ちなみに、行政は必ずこういったストーリーを持っています。持っていますが……)
ところが、これが許されない土壌が役所文化にはあるようです。
その理由は、
①そもそも予算をつけられない
②「それは民間がやることだ」という二律背反な姿勢
との2点に集約できるのではないかな?と私は考えています。前者は役所の外因理由、後者は内因理由と申し上げて良いでしょう。
■そもそも予算がつけられない
地方自治と言いながら、自治体が自由に使うことのできる予算規模は実に小さなものです。「国や県の補助メニューに載らねばできない」そんな事業が投資的事業の大半を占めます。
勢い、自治体としては毎年出てくる国・県の補助メニューを見ながら予算を編成するとの作業に追われることになります。要は、自治体サイドからすると「国県の補助金をとってきてから、事業を組み立てる」という習慣が染みついています。
自治体がストーリーを描いて「この産業をこういった具合に発展させていきたい」と考えても、国県の補助金メニューがなければ歩みを進めることができません。
加えて、国の出すメニューとは「各省庁が出すメニュー」に他なりません。農水省が出すメニューは農水省が昌益に基づいて考えたメニューであり、経産省の同様のものとかぶらせるわけにはいかないという事情もあります。
これは由々しき問題なのですが、もはや個々の自治体が解決できるような問題ではありません。
■「それは民間がやることだ」という二律背反な姿勢
観光産業であれ農林業であれ、特定の産業に対し行政が「投資」をする。その投資をする際に、単発のイベント的事業を並べるのではなく、大きなストーリーを描いて産業そのものを育てましょう…といった話をすると、行政からは「もっともな話です」という答えが返ってくることでしょう。
逆に
「そういったストーリーがうまく機能しているのか?」
「民間企業は、行政の投資財に対してちゃんと機能しているのか?」
という問いかけをするならば、
「そうは言っても、民間でできることは民間でやってもらわないと」
「ビジネスは民間が行うものだから」
と行政は防波堤を築くことでしょう。
ここに「それは民間がやることだ」という二律背反な姿勢が見て取れます。
・計画を立てるのは、私たち行政の仕事である。
・行政は公共的な役割を果たす以上、それ以上は手を出せない。
・したがって、その先は民間の仕事であり、我々は関知しない。
理屈としては理に適っているようにも見えますが、「投げっぱなしジャーマン(プロレスファン限定)」の理屈です。
・市民の税金を投入する。それは私たち行政の仕事である。
・行政はそれ以上介入しない。
・したがって、その税金投入の効果については行政は関知しない。
と言っているに等しいからです。
「行政は行政であるが故に、介入する」
「行政は行政であるが故に、その先は知らぬ」
その二律背反がなぜ出現するのか。
次回はもう少し、そのあたりを考えてみたいと思います。