官は強し 民は弱し
■レストハウス長尾山が建つ
福井県を代表する観光名所になった感のある「福井県立恐竜博物館」。その県立恐竜博物館は、勝山市の長尾山総合公園にある。
その県立恐竜博物館の前に、レストハウス長尾山という建物がある。来館者に飲食を提供し、お土産物の販売等を行う場所だ。
まずは、このレストハウス長尾山の設立経緯について説明したい。
今でこそ、年間90万人を超える来館者が県立恐竜博物館を訪れる。しかし、レストハウス長尾山が誕生した16年前は、年間20万人程度の来館者しかなかったと記憶している。
行政は、観光協会に強く圧力をかけた。
「これから恐竜博物館の来館者をもてなす施設が必要だ」
「観光協会が率先してやって欲しい」
観光協会には苦い記憶があった。
越前大仏である。
30年前の昭和62年5月18日に開眼法要をした越前大仏は、その圧倒的なスケールと規模により大きな集客力が予想された。地元商工会議所の主導により門前市には多数の店舗が入店した。
当初こそ、抜群の集客力を見せ、門前市の店舗は大いに賑わったときく。しかし、その集客力を維持できず、観光客が減少し門前市に出店した店舗主たちは大きな負債を抱いて撤退した。夜逃げ同然に勝山を後にした人もいたと聞く。残された店舗主たちも、負債の返済に多くの時間を費やした。
勝山市内の商工業者がその返済に苦しんでいる、まさにその時期に、行政から「長尾山に誘客施設を作れ」と迫られたのである。観光協会が躊躇するのは十分に理由があった。また、2000年に開催された恐竜エキスポこそ大きな賑わいを見せたものの、それ以降、恐竜博物館は閑散としていた。あの当時、恐竜博物館は海のものとも山のものともわからなかったのだ。
行政の圧力は増すばかりで、
「あんたらがしないのなら、福井から業者を引っ張ってきてもいいんだぞ」
と半ば恫喝をする段階まで行った。一連の発言は、当時の観光協会理事会の議事録に残っていると伺っている。
観光協会は組織として動けない。しかし、行政は強圧的にやってくる。福井から業者を引っ張ってくるとまで言われては地元業者の名折れ。
事ここに至ってはやむなし。
「これからどうなるかわからないが、まずはやってみよう」
観光協会会員の有志が集まって会社を設立し、レストハウス長尾山を建設した。もちろん、設立者たちの個人負担によってである。
観光協会が土地を借りて、会員有志が建物を建てるという形式はこのようにしてできた。
後々、この形式が彼らにとってアダとなる。
■官は強し 民は弱し
レストハウス長尾山が立ち上がってしばらくは何の変化もなかった。恐竜博物館は、徐々に人を増やしてはきたものの、大きな変化はなかった。
2010年を超えたあたりから、少しずつ状況は変化する。福井県が特別展を開催し、PRに力を入れることで県立恐竜博物館の来館者数が劇的に増えていったのだ。
不思議なことに、それまで何の話題にもなっていなかったレストハウス長尾山が、来館者が増加するにつれ問題視されるようになる。
そして、レストハウス長尾山と観光協会に対して、行政から最後通牒が下された。
「次の賃借の更新はしませんから」
この辺りの経過については、別の機会に詳しく述べることもあるだろう。
ただ、当時の私は理不尽さを強く感じていたことは事実だ。なにしろ、行政は要綱を変更してまで更新できない理由を作り上げたのだから。
当時、既に観光協会の理事役員を退任していた方が、私に漏らした一言が未だに忘れられない。
「松村さん、役所はこんなにエゲつないイジメをするんですか」
無論、一度借りたら永代借りられるというものではない。契約法上、更新の都度都度に協議し更新しない場合はある。
しかし、レストハウス長尾山の設立経緯、そしてレストハウス長尾山の経営者たちは、まだ借金の返済途中であったことを考えるならば、酷な話であったことは事実だ。
「苦しい時に助けてくれと言いながら、儲かるようになったらジャマだどけ!と言わんばかりの役所の対応には腹が立つ」
どこを押しても何も変更できない。市議会議員として無力感に苛まれていた当時の私にとって、その言葉は堪えた。
前述したように、レストハウス長尾山の土地は観光協会が市から借りる、そして会員有志で設立した建物がその上に立つという形式で運営されていたのだが、その点がアダとなった。
「観光協会の一部の人間が利益を貪っている」
と付け込まれたのだ。
一寸の虫にも五分の魂という。レストハウス長尾山には彼らなりの理屈がある。彼らは、誰も手を挙げなかったから悲壮な覚悟で店を構えたのだ。儲かる保証も見込みも無い中で地道な努力を重ねて、ようやく軌道に乗ろうかという段階で「お前らだけが利益を貪っている」とは、横槍もいいところだ。
それでも彼らは妥協案を出す。レストハウス長尾山のスペースの一部を開放して、広く出店者を募る。少なくとも私たちだけで利益を独占するつもりはない。
その妥協案は完全に無視された。
「特定の人たちだけが利益を得るという状況は、変更しなければなりません」
徹頭徹尾、それが行政の論理だった。
その論理の下に、建物は勝山市に無償譲渡を余儀なくされた。無論、店舗主が抱えていた借金はそのまま残された。
■やはり官は強いのか
長尾山公園に、新たな誘客施設が建設される。その起工式が行われるそうだ。
観光まちづくり会社とは何ものか。私には未だに理解できない。
ただ、これだけは申し上げておきたい。
「特定の人たちだけが利益を得るという状況は、変更しなければなりません」
という行政の理屈でレストハウス長尾山は立ち退きを余儀なくされた。「建物の借金もようやく返し終えるので、もう少し待ってもらえませんか」との関係者の願いも踏みにじり、行政は半ば強権的に彼らの所有建物を市に無償譲渡させた。
その理由が、「特定の人たちだけに利益を得させない」ことであるならば、観光まちづくり会社は広く利益を分配させるものでなければならない。
本当にそれができるのか。
勝山市民には注視していただきたい。