上の不始末は、常に現場にやってくる
■上の不始末は、常に現場へやってくる
先に「官は強し 民は弱し」を書いた。書いた後で、ひとつ気になることがあったので、追記として拙稿をしたためる。
というのも「あの投稿のせいで、現場で汗をかいている人たちに迷惑がかかるのではないか」との想いがあったからだ。
上の不始末とは、大概、「見込みのない戦略」や「出たとこ勝負の方針」で引き起こされる。計画を立てる上の連中は、往々にして現場を知らない。ならば現場の声を拾い上げれば良さそうなものだが、それをすることもない。
話はいきなり変わるが、太平洋戦争での日本軍の戦死者230万人のうち、6割が餓死者であるとの分析を、故・藤原彰教授(一橋大学)がされていた。兵站を軽視した致命的なミスである。「見込みのない戦略」や「出たとこ勝負の方針」で、現場へシワ寄せが来た最たる例だ。
花月楼の開設に向けて現場で汗をかいてきた人たちがいる。
いずれも私にとっては馴染みの深い人たちばかりだ。
彼らの想いはひとつである。
「これが勝山のためになるのならば」
その想いで頑張っているのだが、世評は彼らに対して極めて厳しい。
「役所とつるんで金儲けしてる」
「どうせ利権目当てなのだろう」
そんな声が私のところにまで届くくらいだ。さぞかし彼らは辛い思いをしているに違いない。
3年前だっただろうか。彼らのひとりと酒を呑んだときのことだ。ピッチもあがり、酔いがまわってきたのだろう。彼は泣きながら私に言った。
「松村さん、ボクはね。勝山のためになればと思って頑張ってるんですよ」
「でもね。わかってもらえないんです」
「なんで、オレだけこんな目に遭わなきゃいけないんです?」
行政は酷いことをするものだ。
勝山のために頑張ろうとする若者を、擦り切れるまで使い続けるのだろうか。
市内には有能な人材があまたいる。
しかし、彼らは行政と距離を置き、ある一線以上に踏み込まない。あからさまに行政から離れていった人たちも多い。その理由は何か。それを行政は考えるべきなのだ。
行政の現場スタッフは薄々感じているだろう。何が問題なのかを。しかし、彼らも行政マンであるがゆえに、組織の人間であるがゆえにその問題を掘り起こそうとはしない。
「分かってはいるんだけどね」
「まあまあ、そう言わずに……」
馴れ合いのなかで、その理由を深掘りすることもなく、行政は都合の良い人材を擦り切れるまで使うのだろう。そして、彼が擦り切れたら別な団体や組織を探すのだろう。それが誰なのかは、おおよそ想像がつく。そして、現実はその通りに動いているようだ。
上のしわ寄せが現場スタッフに来るのは、行政組織内でも同じように起きる。「官は強し 民は弱し」の中でも述べたように、レストハウス長尾山は勝山市の担当課長と交渉を続けていた。その担当課長は、定年に1年を残して退職した。表向きの理由はあったが、交渉疲れの顔を見続けた私には別な理由があるようにしか見えなかった。彼もまた擦り切れるまで使われたひとりだったように思う。
「めずらしく市長と知事の意見が合致した案件ですから。これは何としても成功させないといけないのです」と、私の面前で平然と語った理事者がいた。発言者が誰か、そして何の案件についての発言なのか。それは言わない。言わずとも分かる人は分かる。これを読んでいる市役所職員なら、全ての人間がわかるだろう。
そんなくだらない理由から始まった事業で、勝山の人材を摩耗させるのは止めて欲しい。
累々の屍を踏み越えて進む道などないのだ。
本来、あるべき道とは、「皆が各々の能力を発揮して活性化する社会」ではないのか。勝山にいる人材にアイデアを出させ、それを実現できる権限を与え、彼らが活き活きと活躍できる。市役所の現場スタッフも活躍できる。それこそが勝山の未来の姿であると信じたい。