なぜ日本には真正のリベラル政党が誕生しないのか ーその2:マルクスの戦略と55年体制ー
前回は、保守主義者とリベラル派の思考について考えてみました。何度も申すように、保守主義とリベラル派は決して対立するものではありません。しかし、日本では対立するものとして扱われてきました。その理由について考えてみましょう。
今回は、次の問題点に尽きます。
「なぜ、今回の衆議院選挙の争点が『アベ政治の打破』しかないのか」
《第2回目:目次》
0.嫁でもわかる5行の要約(涙)
1.マルクスの描いた逆手戦略
2.マルクス戦略の失敗
3.リベラル派は社会の中でこそ輝く
4.55年体制とは保守とリベラルが作り上げた全体主義
5.番外編「外山恒一はどこにいるのか」
■嫁でもわかる5行の要約(涙)
またしても嫁にダメ出しされたので、5行の要約を。
うちの旦那に、お義母さんのことを言うでしょ?
すると、すぐに「まあまあ、それは」とお茶濁すのよ。
なんで?私も感情的なところはあるけどさ。
「この場さえやり過ごせばOK」的な態度がみえみえ。
それが55年体制。
嫁に見せたら、「なんか色んなことを思い出して腹立ってきた」と言われました。
ええ、自爆です(落涙)。
ということで、第二回目はじまります。
今回も最後までお読みいただいて5行要約にお戻りください。趣旨がおわかりになるはずです。
■マルクスの描いた逆手戦略
リベラル派は、社会の中に問題を発見し亀裂や対立を炙り出す。それゆえに、社会の秩序と平安を脅かすものとして疎外される。これが前回のお話でした。
これを逆手にとったのはマルクスです。マルクスは言いました。「プロレタリアートは祖国を持たない」と。見事な「リ・ポジショニング戦略」です。
リ・ポジショニング戦略とは、相手の強みを逆手にとることです。マクドナルドがハッピーセットでファミリー層を狙うのならば、バーガーキングは「マクドナルドは子供のバーガー。わが社は大人のハンバーガーを提供します」と逆張りするような手法を指します。相手の強みは同時に弱みとなりうるとの考え方が、根底にあります。
社会内部の矛盾や対立を主張するために、社会内部にいる必要はなかろう。社会が我々を疎外するならば、我々は社会の外に出て「お前たちの王様は裸だ」と叫べば良いのだ……これがマルクスの戦略の根本にあると、私は考えています。
《図4:マルクスの逆手戦略》
アウトカーストを自ら名乗り賛同者を募るようなもので、実に優秀な戦略です。
■マルクスの戦略の失敗
ただ、マルクスの戦略には致命的な欠陥がありました。
社会(=祖国)の外に出た集団は、社会と語る言葉を持たなくなるのです。
この場合、「社会(=祖国)の外に出る」とは物理的に国外へ出ることを意味しません。社会内部にいながら、実質的に「社会の外にいる集団」を考えてみればよいのです。日本にいながら日本の法を全く無視する宗教カルト集団などは典型例でしょうし。外国人が言語・文化・道徳も異なるコミュニティをつくる場合もそうでしょう。
「話の通じない相手」
「何を考えているのかわからない集団」
そんなアンタッチャブルな集団と話をしようという人間はいません。
そして、社会はそのような集団と「政治」をすることができない。ここがマルクス戦略の致命的な欠陥なのです。
政治とは、言葉(=対話)を用いた意思疎通の中で社会を変革する営みです。そして、言葉(=対話)とは公共性の基盤なのです。
「公共性」とは何でしょうか。
私は、公共性をOS(オペレーティングシステム)のようなものだと考えています。様々なソフトウェアはOSを共有することで動きます。同様に、OSを共有しない限り、我々は社会を営めません。そのOSが公共性であり、マルクスの戦略はその公共性を断絶するものだったのです。
《図5:マルクスの逆手戦略が生む対立》
「政治」ができないならば、もはや「闘争」しか手段はありません。闘争とは、自分が勝つか、相手が勝つかのゼロか100かの勝負です。己が生き延びるためには社会を転覆するより活路は無いと覚悟を決めたとき、その闘争は「革命」となります。
リベラル派の一定の年代層は学園闘争を懐かしみます。ですが、学園闘争は結果として日本の教育界になにも影響を与えませんでした。それは「闘争」をしかけたからです。社会の外に出て、社会を変えようとする試みは畢竟、そのような結果しかもたらしません。自分が倒れるか、相手が死ぬのか。そのような闘争から社会改良という発想は出てこないのです。
はっきり言えば、不毛です。
蛇足ですが……さすが「共産党」を名乗るだけあって、日本共産党はマルクスの戦略を脈々と受け継いでいます。政治の世界に身を置いたものであれば、日本共産党が未だに《図5》の構造の中にあることを直観的に理解できることでしょう。
・自らの正義以外を認めない(一方的に自己の論理だけをまくし立てる)
・決して過ちを認めない(認めると、自分の負け。負けは自己存在の否定)
・こちら側(社会の公共性)の論理は通用しない(義理人情を信用すると、むしろ、それを逆手にとって信じた人間が馬鹿をみる)
・対話ができない
等々の特徴は、日本共産党が未だに持つマルクス戦略の残滓です。
■リベラル派は社会の中でこそ輝く
リベラル派の特徴をもう一度確認しましょう。
リベラル派とは、「社会の内部に、亀裂と対立を見出す」存在です。
実際に、社会は常に諸問題を抱えています。その問題を炙り出す存在としてリベラル派は欠かすことのできない存在でして、その重要性は益々増大していくことでしょう。
なぜなら、現代が「再帰性の増大」を招いているからです。
「再帰性」とは何でしょうか。「第三の道」を提唱したA・ギデンズは、再帰性を「規範を無くした現代人が直面する自己規定」と考えました。
かつての世界は、ある意味、楽な世界だったと言えます。何が正しいのか、何が誤っているのか、それは伝統や宗教が教えてくれました。しかし、ニーチェの言うように「神は死んだ」のです。そして道徳は相対化され社会規範は薄まりました。
そのような社会では、何が正しいのか、何が誤っているのかを個々人がその場で考えるより他にありません。
これは、ある意味辛い社会です。
自分は何のために生まれて、何をして生き、死なねばならないのか。それを個々人が考えよ。社会は何のために存在し、構成員のために何をすべきなのか。それを皆で考えよ……こういう社会は、一見すると自由です。自由ですが、面倒くさいことこの上ありません。
しかし、仕方がないではないか。我々は近代に生きている。迷信や妄想を吹き飛ばした結果がこれなのだ。我々はこの社会で生きていくより他にない……これがギデンズの諦観だと思うのです。
そして、再帰性の高まる社会の中で、ギデンズが何よりも重要視しているのは「対話」です。
規範はない。支えるべき伝統もない。こんな社会では、自分自身の倫理や論理はあなたが自身がつくるしかない。そして、対話を通してこそ、我々はより良い生とより良い社会を作り上げることができる……との趣旨です。
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私自身もそう思います。
再帰性が高まっていることは事実です。そして、公共性を下敷きにして、我々はどのように社会を改良していくのかを語り合わねばなりません。そして、その営みこそが政治なのです。
リベラル派の「社会の中に亀裂や対立を見出す」性質は、社会を良くしていこうとの対話に欠かせない存在です。リベラル派は社会から飛び出てはいけません。リベラル派の性質は、社会の中でこそ輝くのです。
ここは、極めて重要な点なので再度強調しましょう。
保守主義者だけで、世の中は良くなりません。
社会を良くするためには、問題提起者のしてのリベラル派が不可欠で、両者の対話を通じて論点は整理され、政策に昇華され実現されることで、社会は改善されていくのです。
したがって、私はリベラル派を敵だとは認識していません。
ケント・ギルバート氏は、「なぜ反対意見の者にまで寛容なのか」と問われて、次のように回答しました。
その通りです。保守主義者もリベラル派も、共に社会を良くするために活動するのであれば、同一平面上で議論をすることが可能です。
我々の目の前には「敵」がいるのではありません。「問題」があるのです。
問題を解決するために、我々は議論を重ねるのであり、相手を打ち負かすために議論をするのではない。この点だけは強調してもしすぎることはありません。
話を戻しましょう。
「社会内部に対立と亀裂を見出すものは社会の外に出ろ」とのマルクスの逆手戦略を、そのまま実現したのは日本共産党でした。
しかし、リベラル派の多くはそれに反発しました。実際に、社会の中で我々は改革を進めていくしかない……と、かつての社会党は結合したのです。議会制度に則って緩やかに労働者中心の世の中を作ろうとした社会党右派や、マルクス主義に則りながらも社会の中で改革を進めねばならないとした社会党左派がこれに当たります。
しかしながら、保守主義者とリベラル派は妙な構造を作り上げました。
それが55年体制です。
■55年体制とは保守とリベラルが作り上げた全体主義
未だに日本の保守派もリベラル派も55年体制の枠組みから出てきません。この55年体制の枠組みが、我々の健全な議論を蝕んでいるのであって、その病巣は深くなる一方だと私は見ています。
55年体制とは何でしょうか。一般的には、1955年の自由民主党結成に端を発する戦後レジームの総称とされています。私は、ちょっと異なる見方をしておりまして、55年体制は保守主義者とリベラル派の作り出した全体主義だと考えています。
(その全体主義が成功したか否かは別次元の論点です)
まず、全体主義とは何か。それは、
【A】権威主義
【B】国民生活に規制を強いる
この二つのカップリングだと政治学的には説明されます。
私は、この両者を「政治化の有無」を切り口に考えています。「政治化」とは「国民が政治に参加する度合い」と考えてもらえれば結構です。
権威主義とは「徹底的な非政治化」です。
徹底的な非政治化とは、国民は政治に口を出すな、ということです。その結果、国民は政治に口を挟まない。そのかわりに、国はそれ以外のすべての権利を国民に認める……ということになります。言論の自由も、信教の自由も経済活動の自由も認める。ただし、政治に口を出すことだけは許さない。
一見すると酷い話のようにも見えますが、そうでもありません。
例えば、古来より政治の理想の姿として「鼓腹撃壌」があります。あの「井をうがちて飲み、田を耕して食らう。帝力なんぞ我にあらんや」です。日々の生活に満足している。政治が何をやっているのか興味も無ければ関心もない……これが政事(まつりごと)の理想の姿であると考えられてきました。
この「徹底的な非政治化」は、国民の生活を政治が保障する。その代わりに文句を言うなとの、一種の委任関係で成り立っています。
ですから、国民が文句を言うときとは、委任関係が崩れたときになります。大正時代に起きた米騒動は富山の主婦から始まりました。これは「我々はお上を信任して口を出さずにいたのに、お上は我々の生活を守ってくれない」と委任関係を崩した政府に対する抗議活動であり、国民の支持を集めます。
これと、近年のSealdsの抗議デモと比較すると、Sealdsデモは政治デモです。したがって、ごく一部の人の共感を得られても国民的支持は得られません。なぜなら、「徹底的な非政治化」の社会の中では、国民が反旗を翻すのは委任関係を破ったときだけであり、富山の女性はそれを主張できてもSealdsはそれを主張できないからです。
逆に、「徹底的な政治化」を進めると何が起きるのでしょう。
それが【B】の「国民生活に規制を強いる」状態です。「総政治化」と呼んでもいいでしょう。
「総政治化」とは、「すべてが政治化される状態」と言えます。言論や職業、宗教や文化にいたる全てに政治が絡んできます。
その典型例が、中国の文化大革命です。
宗教はアヘンだと否定され、ベートーベン・モーツァルトなどの西洋音楽も否定され、すべてが「政治的に正しいものでなければならない」とされました。
こういった社会の中では、すべての人間は政治的存在と定義されます。したがって、「私は政治に関係ありません」などということは許されません。究極的には一国民全体をひとつの政治思想で統括し、すべては政治的評価の下に置かれる社会です。
すべての対象は否応なく政治的判断の対象にされ、小説・演劇・音楽だけでなく、学問も服装も言葉遣いに至るまで、対象は無限定となります。
【A】の非政治化とは、本来政治問題になるはずの諸問題を政治化させない社会です。
【B】の総政治化とは、本来政治問題でないものまで政治化してしまう社会です。
この両者に共通しているのは、いずれも統制社会だということです。
そして、これら統制社会をミックスさせたものが、「55年体制の全体主義」の枠組みだったと私は考えています。しかし、このミックスの方法は一種独特のものでした。
「非政治化統制社会」と「総政治化統制社会」は、図6のように、本質的にぶつかるものです。
《図6:非政治化統制社会vs総政治化統制社会》
この2つの統制社会を図7のようにミックスさせたのが55年体制でした。非政治化統制社会と総政治化統制社会の対立そのもの飲み込むという荒業でもあります。。
《図7:総政治化統制社会を飲み込む非政治化社会》
図7まで来ると、我々が馴染み深い構造が見えてきます。
①非政治化された統制社会を目指すのが政府与党であり統治集団となる。
②総政治化された統制社会を率いて対抗する勢力が野党として対立する。
③この両者が一定のバランスを取りながら政治を進めていく。
思い返してください。非政治化された社会とは「政治に口を挟まないならば、国は全ての権利を認める」という社会でした。それは「統治集団にとって変わろうなどと思わなければ何をしても良い」との論理です。
55年体制において、社会党は決して政権奪取を目指しませんでした。口では何とでも主張しましたが、最後の最後まで政権を奪取して統治集団になろうなどと考えなかったのです(自社さ連立政権は、相乗りを持ちかけられた結果に過ぎません)。
社会党は「統治集団である自民党にとって変わろうなどと思わなければ、どのような批判をしても構わない」との非政治化統制社会の論理に乗ったのです。
では、55年体制下の政権交代とは何だったのでしょうか。
総政治化された体制を思い返してください。総政治化とは「政治的でないものまで政治化してしまう」体制です。大臣の不倫でも些末な案件でも何でも構いません。粗を探して政治問題に格上げし、統治集団である自由民主党に対して野党は攻勢をしかけます。
その攻勢に対して、自由民主党は与党内での政権交代という形で対応しました。それで総政治化集団は満足したのです。俺たちの攻勢で与党は政権交代した……「与党のチェックをするのが野党の仕事」「政府の暴走を止めるのが我々の仕事」と。
この55年体制の全体主義の枠組みは、現在でも効力を発揮しています。
今回の衆議院選挙で、野党が「アベ1強打倒」しか叫ばないのはなぜでしょうか。有権者の多くは疑問を抱いています。「打倒するのはいいが、その先にどんな社会があるの?」
モリカケ問題は、あれははっきり申し上げるならばデマ以外の何物でもない。「結局何が何だかわからない」というのが国民大多数の率直な感想だと思います。それはそうでしょう。追及している本人たちが「違法性はない」と認めておきながら追及しているのですから。公党の人間が一国の首相に悪魔の証明を延々と仕掛けるなどは、議会制そのものの堕落です。
しかし、55年体制の文脈で言えば、これは正当な主張なのです。政府与党を攻撃できるのであれば何でも構わない、政治的でないものまで政治化して政権を攻撃するのが総政治化体制ですから。
その意味で、野党の論理は、未だに55年体制を抜け出ていません。
さて、このような馴れ合いの全体主義の中で、言論はいよいよ変な方向へ進んでいきます。
もう一度、図3を眺めてみましょう。
《図3:社会の中のリベラル派》
図3の構図は、図7の構図と同じです。
55年体制では、保守主義者を中心とする社会は、非政治化が進み、リベラル派を中心とする社会は総政治化が進みました。
《図7:総政治化統制社会を飲み込む非政治化社会》
結論から申し上げると、55年体制の下で非政治化された統制社会で言論は縮小し、逆に総政治化された統制社会では同調圧力により言論は自壊したと私は考えます。
その辺りを次回で詳しく述べましょう。
■(番外編)外山恒一はどこにいるのか
2007年の東京都知事選挙にて強烈なインパクトを与えた自称「ファシスト」の外山恒一。
ご存じない方のために、東京都知事選挙の政見放送を。
「少数派の諸君!」と語りかける外山恒一の内容を聞いて、「ああ、この人はリベラル派なのだ」と考えると、外山恒一の主張を見誤ります。
外山恒一の主張は、図7の中でこそ意味を持つのです。
《図7:総政治化統制社会を飲み込む非政治化社会》
結論から申し上げると、外山恒一は、図7のどこにも位置していません。55年体制の枠外に外山恒一は自らを置いています。
外山恒一の言う「多数派」とは、端的に言えば非政治化統制社会を運営している多数派です。「お前ら国民は何も考えなくてもいいんだ、俺たちに任せておけばOKなのだ」と言う多数派です。
ここで注目すべきは、外山恒一が言う「息苦しさ」は総政治化統制社会も含んでいる点です。
外山恒一がPC(ポリティカルコレクトネス)に対し猛烈に反発していることは、案外と知られていません。PCとは「政治的な正しさ」を意味し、差別的用語を禁止し人権に配慮した表現を用いる運動を指します。「ビジネスマン⇒ビジネスパーソン」「保母さん⇒保育士さん」のような事例がこれに当たります。
しかし、それは言葉狩りではないのか?人権の名のもとに表現の自由を奪っているのではないか?あたかも文化大革命のようではないか?と外山恒一は反発しています。
外山恒一が反発しているのは、55年体制が作り上げた統制社会そのものです。この中で「何かがおかしい」と感じる少数派の人々に、55年体制の外側から彼は語りかけていたのです。
《次回へ続く》