月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

朝日新聞の元旦社説を読んで、平泉澄博士のことを想う

年頭の社説


あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、新聞にとって1月1日の社説は重要なものです。その年をどうとらえるのか。その年をどのように行動すべきか。各紙はそれぞれに工夫を凝らしながら社説を編みます。

というわけで、朝日新聞の1月1日の社説を読んでみました。
さすがに、昨年に福島第一原発の「吉田調書の捏造」と従軍慰安婦の「吉田証言の捏造」の二つを謝罪しただけに、いささかトーンを変えてきました。

これまでは、「日本が悪い!」「植民地支配を謝罪せよ!」といった論調をどのようにシフトさせたのか。まずは1月1日の社説をご覧ください。



グローバル時代の歴史―「自虐」や「自尊」を超えて



歴史の節目を意識する新年を迎えた。

 戦後70年。植民地支配をした日本と、された韓国があらためて関係を結びなおした基本条約から50年という節目でもある。

 しかし今、そこに青空が広がっているわけではない。頭上を覆う雲は流れ去るどころか、近年、厚みを増してきた感さえある。歴史認識という暗雲だ。

 それぞれの国で「自虐」と非難されたり「自尊」の役割を担わされたり。しかし、問題は「虐」や「尊」よりも「自」にあるのではないか。歴史を前にさげすまれていると感じたり、誇りに思ったりする「自分」とはだれか。

■歴史のグローバル化

 過去70年間を振り返るとき、多くの人の頭に浮かぶ歴史的な出来事は何だろうか。

 震災や台風といった災害、オリンピックのような祝祭、あるいはバブル経済政権交代かもしれない。たいていは日本の光景だろう。歴史を考えるときの「自分」とは、ふつう日本人としての「自分」だ。

 しかし今、その「ふつう」が必ずしも「ふつう」ではすまない時代に入っている。グローバル時代だ。

 ヒトやモノ、カネ、情報が軽々と大量に国境を超える。社会が抱える問題も国境では区切られなくなっている。金融危機地球温暖化感染症……。日本だけの問題ではない。被害に遭うのは多くの国の経済弱者だったり、農民だったり、人類全体だったり。解決に取り組む人々のネットワークも日本という枠におさまらない。

 歴史が自分たちの過去を知り、今の課題を乗り越えて未来を切り開くための手がかりだとしたら、国ごとの歴史(ナショナル・ヒストリー)では間に合わない、ということになる。

 では、どんな歴史が必要か。

 米ハーバード大学名誉教授の歴史家、入江昭さんは昨年出版した「歴史家が見る現代世界」の中で「グローバル・ヒストリー」の重要性を訴えている。

 国や文化の枠組みを超えた人々のつながりに注目しながら、歴史を世界全体の動きとしてとらえ、自国中心の各国史から解放する考え方だ。

 現代はどんな国も世界のほかの国や人とつながり、混ざり合って「混血化」「雑種化」していると指摘する。「その流れを止めたり、もともと存在もしなかった『純粋』な過去に戻ろうとしたりするのは歴史を神話にすりかえることである」

■忘れるための歴史

 フランスの思想家、エルネスト・ルナンが1882年、パリ・ソルボンヌ大学で「国民とは何か」という講演をした。国民国家についての古典的な考え方のひとつとされる。

 そこで彼は、国民という社会を築くうえで重要なのは「忘却」あるいは「歴史についての誤り」だという。国民の本質は「すべての人が多くの事柄を共有するとともに、全員が多くのことを忘れていること」とも。だから「歴史研究の進歩はしばしば国民性にとって危険です」とまで語っている。

 どんな国にも、その成り立ちについて暴力的な出来事があるが、なるべく忘れ、問題にしない。史実を明らかにすれば自分たちの社会の結束を揺るがすから――。

 ナショナル・ヒストリーについての身もふたもない認識である。

 そのフランスで昨年、第2次大戦中の対独協力政権(ビシー政権)について「悪いところばかりではなかった」などと書いた本が出版された。批判の矛先は、これまでの歴史研究のほか家族など伝統的な価値観の「破壊」にも向かう。ベストセラーとなった。

 グローバル化でこれまで人々のよりどころとなっていた国民という社会が次第に一体感をなくす中、不安を強める人たちが、正当化しがたい時代について「忘却」や「誤り」に立ち戻ろうとしているかのようだ。

 「一種の歴史修正主義です」とパリ政治学院上級研究員のカロリヌ・ポステルヴィネさん。東アジアの専門家だ。「自虐史観批判は日本だけで見られるわけではありません」

■節目の年の支え

 東アジアに垂れ込めた雲が晴れないのも、日本人や韓国人、中国人としての「自分」の歴史、ナショナル・ヒストリーから離れられないからだろう。日本だけの問題ではない。むしろ隣国はもっとこだわりが強いようにさえ見える。

 しかし、人と人の国境を超えた交流が急速に広がりつつあるグローバル時代にふさわしい歴史を考えようとすれば、歴史は国の数だけあっていい、という考えに同調はできない。

 自国の歴史を相対化し、グローバル・ヒストリーとして過去を振り返る。難しい挑戦だ。だが、節目の年にどうやって実りをもたらすか、考えていく支えにしたい。

 ふむ…一読して何を言いたいのかよくわからない文章です。要するに
 ①人は自国の歴史に誇りを持ちたいのだ。
 ②それは日本だけではない。
 ③しかし、世の中はグローバル化が進んでいる。
 ④したがって、歴史もグローバル時代に相応しいものにすべきだ。
ということを言いたいのでしょう。

どうやら、
 (A)日本は植民地支配で中国や韓国に悪いことをした。
 (B)その歴史を直視すべきだ。
 (C)そして、中国や韓国と歴史観を共有すべきだ。
という従来の主張に「グローバル化」というオブラートをかぶせてきました。でも、歴史観を共有すべきだという看板だけは降ろさないようですが。

この論法では、重要なことがひとつ抜け落ちています。
それは「人はなぜ歴史を学ぶのか」という大問題。

その問題の切り口を探る際に、ひとりの重要な人物が福井県には存在します。

平泉澄……皇国史観の親玉として歴史学会のみならず言論界、否、日本の歴史そのものから抹殺された人物です。

(恐らく、地元の勝山市民ですら、もはや平泉澄博士の名を知る人は少なくなったことでしょう。実に残念なことです)

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平泉澄博士に学ぶ「歴史を学ぶ意義」

近代保守主義は革新主義と同時にこの世に生を受けました。なぜなら、保守主義とは革新主義のアンチテーゼとして誕生したからです。

その意味で、近代最初の保守主義者はE・バーク(1729ー1797)といえます。

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バークを通じて平泉博士にぶち当たった頃、私の中で博士に対するイメージは通俗どおりの「ゴリゴリの皇国史観の親玉」でした。

天皇陛下を天壌無窮の存在として捉えるだけの、神学とも呼ぶべき歴史学。その総帥としてのイメージ。私の持っていたイメージは、まさに通俗的なそれでした。

そのイメージを木端微塵に打ち砕いたのが、この書でした。
(若手研究者による掛け値なしの名著です)

 

丸山眞男と平泉澄?昭和期日本の政治主義

丸山眞男と平泉澄?昭和期日本の政治主義

 

 

人々は言います。「平泉史学は神学だ」と。
確かにそうなのかもしれません。
仮に平泉史学を神学だとするならば、なぜ平泉博士は歴史学を神学にまで高める必要性に駆られたのか。その理由の一端が、この書を読んでわかったような気がしました。

明治期の日本は、西欧より様々なものを貪るように吸収しました。法学、税学といった国家の仕組みそのものから、土木、農学、工学といった実学、物理学、科学等々の自然科学、哲学といった人文科学等、様々なものを吸収しながら、最後まで皿の上に乗らなかったものがあります。それが神学でした。

ここで我々が見落としてはならないことは、神学を克服することで西欧近代思想は始まったことです。
キリスト教の影響力が強い西欧諸国において、理性とは何か。神とは何か。その矛盾を克服する過程の中で、西欧近代思想は強靭な生命力を得ました。
(事実、ドイツ観念論の集大成として知られるヘーゲルも、その出発点を神学に負っている)

そもそも神学とは何でしょうか。
それは神という絶対なる存在者を通して世界を把握する手法です。そして、神学は信仰に強固な理論づけをします。

信仰とは、全人格的なものです。全人格的ということは、ひとりの人の中において結実し完成されねばなりません。そのような信仰の基礎となる神学の代わりをするものがあるならば、それは、やはりひとりの人の中において世界を結実するものでなくてはなりません
ヘーゲルの『個人―社会―国家』のプロセスは、このような下敷きがあったのではないかと私は考える)


さて、西欧より神学を輸入しなかった日本では、西欧近代思想が持つ「理性の強さ」をぶつける相手を持ちえませんでした。西欧人が神学に立ち向かうことによって己の理性を強固なものにしていったのに対し、日本人は理性の産物のみを導入したのです。

理性は自生するものではありません。理性の産物である近代文明の果実のみを輸入する、日本人のそのような態度の内に、確固たる理性が発生するはずもありませんでした。ましてや、西欧知識人が悩んだ「信仰と理性の葛藤」に苦しむ人は少なかったことでしょう。

平泉博士が「歴史とは全人格的なもの」と述べ、自らの史学を神学にまで高めようとしたのは、この葛藤そのものの克服を日本において独自に解決しようとしたのではないか。私はそう思うのです。

つまり、平泉博士は

 ①歴史は全人格的なものとして学ぶべきだ。

 ②その中で必ず葛藤が出てくる。

 ③その葛藤の中で理性は強靭な生命力を持つ。

と考えたのだろうと忖度するのです。


理性と歴史の葛藤とは?

例えば、大東亜戦争における特攻隊を考えてみましょう。
「特攻隊は無駄死にだった」
「特攻隊員は国に騙されていたのだ」
と片づけることは簡単です。
しかし、全人格的に特攻隊員の歴史を我が身に引受けたとき、事態の様相は全く変わります。「仮に私が特攻隊員と同じ立場であったとき、果たしてどのように振る舞うことができただろうか」

果たして上官の命に逆らうことができただろうか。
あの時代の空気に逆らうことができただろうか。
私は何かを守るために、あのような行動を起こすことができただろうか。
その守るべきものとは何なのか。
あの時代の「空気」とは何だったのか。
そもそも「空気」とは何か。
 
想いは千路に乱れ容易に答えはでてきません。様々な葛藤がそこには発生します。その葛藤から導き出される答えは、万人に共通する正解ではありません。A氏にはAの答えが、B氏にはBの答えがあることでしょう。それが全人格的であるということです。人の顔が異なるように、葛藤を経て出た言葉は人によって異なるのが当然なのですから。

そのように考えると、朝日新聞の社説がいかに薄っぺらいものであるかがおわかりになるでしょう。

グローバルな歴史観は、これからの混沌としたグローバル社会の中でいつかは形成されるのかもしれません。しかし、それはナショナルな国民国家の成員として、我々がそれぞれに全人格的に歴史を引き受け、それらの想いを交差させた上で、はじめて成しうるものなのです。

戦後70年の節目に当たる本年は、本来、「歴史を全人格的に引き受け、葛藤を経たうえで各人が結論を導き出す」活動の端緒に位置づけられるべきです。

そして、それこそが平泉澄博士が望んだことだと、私は思うのです。