月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

3つの課題をクリアできるか?そこに「地方創生」の未来がある

地方創生はありがたいのだけれど…

安倍内閣が目玉政策のひとつとして挙げている「地方創生」。その具体的な方針については、首相官邸HPに詳細が掲示されている。

地方に住む我々としては、これはこれでありがたい。だが、本当に「地方創生」メニューは地方を活性化させるのだろうか。そのためには3つの課題をクリアしなければならないと考える。


第一の課題「国は補助金縛りの体質から抜け出せるのか?」


安倍首相が掲げるアベノミクスは、成長戦略の一環として公共投資を拡充する。これは経済政策として正しい。一方で、アベノミクスが地方の成長戦略として正しいかと言われると、これは違う。

先の衆議院選挙では「アベノミクスの効果を地方の隅々にまで」との標語が踊った。アベノミクスはデフレにあえぐ経済に対するカンフル剤であって、地方が経済的に「一息つける」効果をもたらすものの、「一息つける」効果しかないゆえに、その効果は時間軸で限定的にならざるを得ない。地方が一息つけることと、地方が経済的に自立し活性化していくこととは別次元の問題なのだ。

したがって、アベノミクスと地方創生は別物と考えなければならない。

さて、地方創生は地方の自立を目標とする。だが、地方の自立が叫ばれたのは最近のことではない。

高度経済成長以降、地方は常に「均衡ある国土の発展」の対象だった。このテーマを具体的な計画に落とし込んだものが全国総合開発計画(全総)だ。
この全総の歴史は古く、第1次全総が策定されたのは昭和37年、所得倍増をうたった池田内閣の時代である。その第1次全総の基本的課題に「都市の過大化の防止と地域格差の是正」が盛り込まれていることは興味深い。つまり、我が国は半世紀にわたって延々と地域格差の問題に取り組んでいたことになる。

半世紀にわたって地域格差を無くすために何が行われてきたのだろうか。新幹線を引き、高速交通網をめぐらせ、情報インフラを整備するといった手法、すなわち、国が方針を定めて地方の格差を是正するといった手法がこれまでのやり方だった。

これに対して「地方創生」は地方の自主性を重んじている。
ただ、意地の悪い見方をすれば、地方の自主性を重んじるとは「地方でやりたいことを考えてくれ」と丸投げされたようなものだ。どうせ丸投げするなら、完全に丸投げして欲しい。「補助金」であるからには「この補助金は〇〇には使えません」「この補助金の目的に沿わないので認められません」との縛りがかけられているからだ。


国をひとつの人体と考えるならば、地方自治体はいわば個々の細胞である。主要な臓器だけが活発に動きながら、末端の細胞は衰弱し中には壊死しかかっている、これが日本の現状である。どのような栄養素を取り込んで活性化していくのか、それは末端の個々の細胞に任せておいた方が良い。いちいち頭脳が指示できるものではない。

これまで、国は補助金にヒモをつけ縛りをかけることで、末端の自治体にまでその影響力を行使し続けた。その誘惑を断ち切ることができるのだろうか。国も「一括交付金」の制度も視野に入れているようなので、期待はできそうである。

そうなると次なる問題は、各自治体内で生じてくる。「我々が本当に欲しいものは何か?」という問題だ。


第二の課題「自治体は、本当に欲しいものから目をそらせていないか?」

我々地方に住む者は、何が欲しいのだろう。

我々は「金」が欲しいのではない。金が欲しいのであれば、国からの補助金に依存する体制に安穏した方が良い。国からの補助金で箱物を作り、道路を整備し、民間事業者にお金が回る。駅前商店街活性化で補助金をもらい道路を整備し街並みを直して、民間事業者にお金が回る。

ただし、そのお金は一度切りだ。しかも特定の民間事業者の収益という形でそれは自治体内部に入る。つまり、補助金は影響力の及ぶ範囲でも限定されているだけでなく、時間的にも限定的なのだ。

我々地方に住む者が本当に欲しいもの。それは「利益を産むサイクル」である。
林業でも製造業でもサービス業でも良い。利益が地域経済内を循環して更なる利益を産むというサイクルこそが、我々の欲するものだ。


ならば、補助金が「利益を産むサイクル」を育てない理由はどこにあるのか。いくつもの原因がそこにはあるのだが、最も大きな原因の一つは「行政がそもそも利益を考慮していない」点にある。

地方自治体の視線の中で、利益を出すものとは民間事業者を指す。行政は利益を追求すべきでないと考えられている以上、それは致し方のないことなのだろう。しかし、「行政が利益を追求すべきではない」ことと「行政は利益を考慮していない」ことは全く別物である。


政策を打ち立てる行政が利益を考慮していないと、どのようなことが起きるのか。往々にしてあるパターンとしては、政策を立てる際に、民間の意見を聴くとして審議会を持つ。メンバーは商工会議所やJA、観光協会などお馴染みのメンバーばかりである。その会議では「商店街活性化」「農業の活性化」「商店街への誘客」など勇ましい文句が踊るが、肝心の「利益を産むサイクル」の話は一向に出てこない。

市議会議長であった時分に、多くの他市の議長と話し合う機会を得た。少なくとも私が知己を得た全て……文字通り全ての……議長が同じ思いを抱いていた。我々は利益を産むサイクルが欲しいのだ。地方はいつまでも「お恵み」をもらっていてはいけないのだ。だが、政策を立案する行政が、相も変わらず「それは民間事業者が考えることですから」と腰がひけている…と。

国は「地方が考えるべきだ」と投げる。
地方の自治体は「それは民間事業者が考えることですから」と投げる。
しかし、民間事業者に投げているのであれば自治体は「民間事業者からの抜本的なアイデアを募集します」とは言えば良いのに、それは言わずに審議会を開いて民間のアイデアを聞いているふりをする。そして、なぜか政策はいつの間にか出てきて国に提示し補助金が降りてくる。
補助金が降りてきて、自治体は民間事業者に仕事をまわす。
ひどいものになると審議会すら開かずに国・県から予算を引っ張ってきた後で、プロポーザルという美名の下に「予算があるから何か考えて!」と言い始める。

これまで延々と繰り返されてきたこのサイクルをどこかで断ち切らないと、真の「地方創生」は実現されない。

 

 

第三の課題「自治体、民間事業者、そして市民も、本当にすべきことから目をそらせてはいないか?」


ここに勇気ある自治体が現れて、民間事業者に対してこんな提案をしたとしよう。
「地方の活性化は地方経済の活性化を抜きにして考えることはできません。しかし、行政主導で経済活性化を行うことは困難です。民間事業者の皆さんのドラスティックなビジネスモデルをお待ちしています」
「我々は本気です。そのビジネスモデルが優れたものであるならば、行政は全面的なバックアップをお約束します。必要ならば行政内部の機構そのものを変えてもかまいません」
……ここまで主張する自治体が現れたならば、賞賛に値する。しかし、残念ながら地方でそのような自治体が出現したとしても、手を挙げる民間事業者は少ないことだろう。

ここにこそ、「地方の疲弊」の根本があるように思う。

新たにビジネスを立ち上げ制度の仕組みそのものまで変えて「利益を産む構造」を創りだす。それは、まさにイノベーションに他ならない。その人材が都市部へ流出したこと、それが地方の疲弊の根本である。人材がいないのではない。人材を育ててこなかったツケが回ってきただけのことだ。例えるならば、JAに依存してきた農家に「明日から自立せよ」と迫るようなものである。農家に人材がいないわけではない。ただ、自立したくともノウハウもなければOJTもない。

本当に必要なことはイノベーションを起こし得るだけの人材を地域で育て、彼らに機会を与え、結果が出るまで粘り強く待ち続ける。これが、自治体レベルで地方創生を実現するためにやらねばならないことだろう。


地方創生が真に効果を発揮するためには、
 ①国が補助金体質を改めることができるか。
 ②自治体が、自治体主導体質を改めることができるか。
 ③地方に人材が育つまで我慢することができるか。
この3つの課題をクリアしなければならない。各項目は、これまでの「均衡ある発展」における補助金依存体質からの脱却を意味する。自治体、民間事業者、そして市民は意識を変えて取り組まねばならない。たとえ時間がかかろうとも。