【雑感】主権者であることの意味を問いなおそう -集団的自衛権をめぐる騒動を見て-
安倍政権が集団的自衛権に向けて大きな舵を切ったことが、国内外で様々な反響を及ぼしている。
4月28日号のTimeの表紙を飾った安倍首相だが、おそらく近日中にもう一度、この表紙を飾りそうだ。
■そもそも集団的自衛権とは何か。
集団的自衛権(right of collective self-defence)は、ある国家が武力攻撃を受けたときに、直接攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う権利である。要するに、攻撃を受けている他国を援助し、共同で武力攻撃に対応することだ。
国連憲章では第51条において、集団的自衛権の行使を固有の権利として明記した。
【第51条】この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
(Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security.)
■「安保ただ乗り」論
トーケル・パターソン(Torkel Patarson)は、ブッシュ政権下で国家安全保障会議アジア担当上級部長を勤めた人。鉄道関係に詳しい方ならば、JR東海からリニア技術を持ち出す人物といえばおわかりになるだろう。知日家だそうだ。マイケル・グリーンもそうだが、われわれは「知日家」というと「日本に親近感を持っている」と思いがちだが、知日家は日本人ではない。知日家は日本を知り抜くアメリカ人であり、プライオリティは自国の利益である。自国(つまりアメリカ)の利益を増大させるために「日本を知り抜いている僕の情報を使ってください」という人々が「知日家」なのだ。
その知日家のトータル・パターソンはかつて日米同盟はいずれ崩壊するだろうと述べたことがある。その理由は「平和を維持するための危険な作業はすべて他国におしつけている日本はおかしい」からだ。自衛隊は領土外の危険に対応できない。
アメリカ議会調査局というのは、なかなか面白い報告書を作成する。なにが面白いのかといえば、「アメリカの本音」がそのまま出ているからだ。
たとえば、最近も日米関係に関する報告書を出したが、このなかで安倍総理の靖国神社参拝を批判している。その理由は「日韓関係の冷え込みはアメリカの国益を損ねるから」だ。逆に言えば、アメリカが日韓関係を修復させるほどの力を失ってしまったことを図らずも白状してしまったようなものだが。
このアメリカ議会調査局は、たびたびにわたって「日本の集団的自衛権行使の禁止は、日米同盟の障害になる」との見解を示してきた。
日本は同盟関係にありながら、アメリカばかりに血を流させるつもりなのではないか。都合の良い時だけ同盟を主張しておいて、自分たちはどのような貢献をするつもりなのか。それが全く見えてこないことへのいら立ちが伝わる。
■日本の民主制度は何を基盤においているのか?
もしもあなたがアメリカ人だったとする。あなたは「日本は本当に民主国家なのだろうか」と疑問を持つかもしれない。
「集団的自衛権を認めることは、戦争ができるようになることだ」
「よって、集団的自衛権を認めると、日本は侵略戦争を始める」
と、当の日本人たちが主張しているのだから。
日本は民主制度を導入しているはずだ。日本では選挙という手続きによって選ばれた政治家が国政を運営しているはずだ。また、日本は法治国家のはずだ。文民統制は法によって定められているはずだ。
……にもかかわらず、日本人は自らを
「日本は危険な国だ」
「日本に集団的自衛権を認めると、日本は再び戦争を始める」
と言う。
こんな奇妙な国がどこにある?
日本は本当に民主的な国家なのか?
日本は本当に法治国家なのか?
もしもあなたがアメリカ人なら途方に暮れることだろう。
4月28日号のTimeの表紙を安倍総理が飾ったことは、冒頭紹介したとおりである。
そのヘッドラインには
"The Patriot"
Japan's most powerful leader in years, SHINZO ABE aims to reclaim his country's place on the world stage. That makses many Asians -including some Japanese- uncomfortable.
「愛国者」
近年で最もパワフルなリーダーである安倍晋三は、世界の舞台で日本の地位を再確立することを目指している。しかし、それは多くのアジア人をー日本人も含めてー不愉快にしている。
とあった。
予想通り、「安倍晋三は右翼である」「歴史否定者である」とのレッテル貼りに勤しむ記事であったが、この記事はマイケル・クロウリーというワシントンの記者と、「コバヤシ チエ」なる東京駐在の記者との連盟記事であった。この「コバヤシ チエ」なる人物も、「日本は戦争を起こす危険な国だ」と主張する日本人なのだろう。
■どこまでも主体性がない。
なぜ 日本人は「日本は、集団的自衛権を認めると戦争を始める」などと言い出すのだろう。
その心性は次の言葉に的確に現れている。
このような発言をする人々は徴兵制の本質を見誤っている。
共和政体とはrepublicであり、ラテン語の「Res Publica」を語源にしている。このラテン語の意味は「みんなのもの」。
政体がみんなのものであるから、みなでお金を出し合って維持しよう。これが税金の発想である。政体がみんなのものであるなら、それを守る責務もみんなのものである。だから徴兵制度が発生する。
西欧諸国の中には、現在でも徴兵制度を採る国が少なくない。上記の理由からである。
ルソーは『社会契約論』の中で、民主政体のリーダーを選ぶ方法として最も適しているのは、選挙ではなくてくじ引きであると主張している。これも同様の理屈だ。みんなのものであるならば、市民ひとりひとりは誰がリーダーになっても構わぬよう、日常から知識を備え研鑽に励まねばならぬということなのだろう。
政体はみんなのもの。だからみんなで守る。
共和政体であろうが、民主政体であろうが同じことだ。主権者は国民であることの権利とともに、この国を守るのはわれわれ主権者であるという意識が求められる。主権者である主体者として、この国の防衛を考え行動し、政治を監視する。その意識こそが必要だ。
(ただ、我が国において徴兵制は別の意味で導入する必要はないと考えるが)
「集団的自衛権を認めれば日本は戦争をする」
この発言をする人は、結局のところ、「われわれはどこまで行っても主体者ではない」と白状しているに等しい。
みんなで守るはずの我が国の守りを自衛隊に押し付け、つい最近まで自衛隊を日陰者として礼遇してきた。
みんなで守るはずの我が国の守りを、沖縄の基地群に押し付けてきた。
みんなで守るはずの我が国の守りを、「汚れ仕事はアメリカさんに」とばかりに米国に押し付けてきた。そして、米国は戦争好きの国だ、ヤンキー・ゴホーム!とシュプレヒコール。
そして、挙句に日本人でありながら「集団的自衛権を認めれば日本は戦争をする」と堂々と主張する。
彼らの論理は「国は悪い」からスタートする。国は悪い、政府は汚い。だから、国は国民のことなど考えない。国の代表者が選挙で選ばれようが、国は悪い。だから、戦争をするに違いない。
そんな発想はもうやめよう。
今こそ、議論すべきなのだ。
国防とは何のためにあるのか。日本人を守るための手段をどこまで我々自身が認めるのか。この国の主権者として。主体者として。