月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

中学校再編の議論は本質を欠いている

 

1匹と99匹と

政治の限界はどこにあるのか。
政治で救われない人々はどこに救いを求めれば良いのか。

英文学者であった福田恆存は、評論「1匹と99匹と」の中で、この問いについて語りました。

「1匹と99匹」とは、新約聖書ルカによる福音書)の中に現れる話です。
《あなたが100匹の羊を持っていたとしよう。そのうちの1匹を見失ってしまったならば、残りの99匹を野原に置いたままでも探しにいくのではないか。そして見つけ出したならば、友達や近所の人に「見失った羊を見つけた。喜んでくれ」と言うだろう》
ここから「迷える子羊」との言葉が出ました。たった1匹の迷える子羊のために全力を尽くさねばならないとの趣旨です。

政治は100匹の羊のすべてを救うことはできない。だからこそ、善き政治とは己の限界を意識して、見失った1匹の羊の救済を文学に期待するのだ。福田恆存はそう言います。

「1匹のはぐれ者が出ることを認めろ」と福田恆存は主張しているのではありません。100匹の羊を救うことはできないかもしれない。例えそうであったとしても、社会的に定式化されたロジックによって見失われてしまう「最後の一匹」のことを常に気に留めているのか? 99匹の論理では常に正しいとされる人生経路、そこから外れてしまった一人ひとりを見つめているのか?福田恆存は、そう問うているのです。

政治がそうであるように、教育もまた同じではないでしょうか。

教育の限界はどこにあるのでしょうか。
学校教育で救われなかった子供たちはどこに救いを求めれば良いのでしょうか。




中学校再編問題は不毛である

今月24日に、勝山市教育委員会は市内の3中学校の再編に向けた検討委員会を設置しました。来年2月に検討委員会からの答申を受け、来年度中に方針を決定するとのことです。

中学校再編問題を考える上で見落としてならない点は、中学校再編には正解が存在しないという特性です。

中学校再編には正解などありません。
したがって、学校の規模をテーマにする限り、議論は平行線をたどります。
大規模校には大規模校の長所・短所があり、小規模校には小規模校の長所・短所がある以上、再編推進派は「大規模校の長所と小規模校の短所」を、再編反対派は「大規模校の短所と小規模校の長所」を延々と主張するだけです。

その不毛な堂々巡りに加えて、「母校をなくすな」といった感情論が渦巻き、話し合いは錯綜します。行きつく先は、勝山市が提案する再編の素案に賛成するのか反対するのかといった、これまた不毛な二者択一が残されるのみ。どこまで行っても、この議論は不毛なのです。



1匹を救えているのか?

学校再編問題は「100匹の羊をどのように囲い込むか」の問題に過ぎません。100匹の羊を3つの柵で囲むのか、1つの柵に入れてしまうのか。それだけの話です。
羊をどのように囲っても、必ず見失ってしまう羊が出てきます。その羊を私たちは見つけることができるのか?私たちがすべき議論はそこなのです。

現在の3校体制で起きている諸問題は、本当に再編によって解決できるのですか?

市内の事例をあげましょう。すべて実話です。

A君は発達障碍(聴覚過敏)で、すべての音を拾ってしまいます。「補聴器をつけると、すべての音を補聴器が拡大するので頭が痛くて困る」とこぼす高齢者がいますが、まったく同じです。黒板の前でしゃべる先生の声も、同級生の話声も同じレベルで拾ってしまう。頭が痛くて仕方がない……しかし、彼に差し伸べる手はありませんでした。
「落ち着きがない」「集中力に欠ける」と先生から言われ続け、彼はやる気も無くし学力も伸びないまま中学校を卒業しました。

B君は勉強が苦手です。小学校の頃は、まだ何とかついていけましたが、それでも宿題をするのに両親の助けをかりて何時間もかかる状態でした。中学生になり授業についていけず、ただ黙って座っている時間に耐えかねて夏休み明けに学校に行けなくなりました。

C先生は退職された中学校の校長先生でした。既に他界されています。
「松村さん。私が校長していた時分は、成績の悪い生徒を『お客さん』と呼んでたんだよ。毎日学校へ来てくれて、悪ささえしてくれなければそれでいいんだ。お客さんなんだから。黙って座って授業を受けて、給食を食べて、部活動して帰ってくれればそれでいい。ひどいと思うかい?私だってひどいと思うよ。でも、他にどうすればいいんだい?先生は授業だ部活だPTAだと忙しいんだよ。先生たちに何ができるっていうの?」



勉強ができればそれでいい……などと安直な意見に与するつもりはありません。しかし、小学生や中学生の段階で「僕はできないんだ」「私には無理なんだ」と諦めて自分自身を慰めねばならない子供がいる。その現実とどう向き合うのか。



私が学校を再編するのであれば、お願いしたい条件はただひとつだけです。
「1匹の羊を見つけ出して欲しい」

40分の授業を40分で理解できる子は99匹の羊です。40分の授業を60分かけて理解する子や80分かけて理解する子がいます。その1匹の羊に「それじゃ、一緒にこの問題解いてみようよ」「心配しなくても大丈夫、分かるまでつきあってあげるから」と言って欲しい。
なぜ、あの子は授業中に耳をふさぐのだろう。耳をふさぐからには、なにか理由があるはずだ。「なぜ君は耳をふさぐの?」と聞く人がいれば、A君は聴覚過敏が見つかったかもしれません。その言葉が欲しかった。



私は、先生たちを信頼します。
先生たちは子供の健やかな成長を願っています。「できたよ、先生!」とにこやかに笑う子供の笑顔を見たいはずです。

ならば、その先生たちが子供と向き合えない状態、子供を「お客さん」と呼ばねばならない状態を作り上げている要因は何か。それを見極めて、取り除くことこそが喫緊の最重要課題です。


学校の再編よりも、やらねばならないことは山積しています。
それを取り除いた後で、ゆっくりと再編の議論を進めれば良い。
もっとも、その段階にまで教育の質を高めれば、再編する意義も薄れることでしょう。