月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

【勉強・受験】  基礎力・応用力のお話  ③ネットワーク化を図る方法

ネットワーク化を図る方法


さて、これまでの内容を要約すると、
 ①知識は知識のままでは使えない。
 ②知識はネットワーク化して初めて使えるものになる。

そうなると、次は
「どうやってネットワーク化を図るのか」
との手法の話になります。

結論から申し上げますと、「プロの方にご相談ください」と言うしかありません。身も蓋もない話で恐縮ですが、学力状態や学年、性格など子供により状況は千差万別で対処方法が異なるのです。

ただ、これで終わったのでは、さすがにどうかとも思いますので、「ネットワーク化を図る際に、私が最も重要視すること」をお話ししましょう。


ネットワーク化を図る際に、私が最も重要視するのは「その子が、学んだ内容を自分の言葉で語れるか」との点です。実際に、私は子供たちに頻繁に要求します。
「それはどういうことなの?」
「それじゃ、今やったことを自分の言葉で説明してごらん」

学んだ内容を自分の語る。何度も何度も繰り返して語る過程で、子供たちは二つの力を伸ばします。
①再現力
②論理性



再現力について

ネットワーク化を図る大前提として、知識がちゃんと定着している必要があります。では、知識が定着しているとは、どのような状態を指すのでしょうか。
それは「学んだことを再現できる」状態です。

例えば、「ヨーロッパの地理」の知識が定着したか否か、これを確かめたいとき、私は子供に1枚の白紙を渡します。
「さあ、ここにヨーロッパの地図を書いてみて」
「書けたら、国名を入れていって」
もう1枚わたして、
「同じように、ここにヨーロッパの地図を書いて、国名を入れて、次は言語分布のエリアを入れていって」
と次々と再現させます。

理科ならば、例えば、「大地のしくみ」を勉強した後に
子供に1枚の白紙を渡して、
「岩石の種類を、系統だって書き出してみて」
と求めます。
「岩石は……まずは、火成岩と堆積岩に分かれるでしょ?」
「ええと……次は、火成岩は火山岩と深成岩に分かれるから……」
と子供たちは知識を再現し始めます。

数学ならば、今度は紙すら渡しません。
「二次関数を習ったよね。二次関数で習ったことを順番に言ってみて」



ヨーロッパの地理を習得した子は、当たり前のように白紙に地図を書き、その中に必要事項を埋め込んでいきます。二次関数の理解の低い子は、何を習ったのかすら再現できません。


こういった訓練は、2つの効果を発揮します。

ひとつは、当然のことですが知識の定着率を格段に上げます。
そもそも再現できないような知識は、知識としても使えません。したがって、テストで点を取ることもかないません。
授業は理解できた。教科書の例題も解けた。宿題でワークもこなした。でも、再現しようとしても再現できない。この段階に留まっている子供たちは、皆さんが予想するよりも多いのです。

かくいう大人も(私も含めて)同じようなものでしょう。
本を読んでいて理解しているつもりでも、「たった今読み終えたばかりの本の内容を再現してください」と言われると、案外とできないものです。
下手すると、「ああ、面白かった」と映画館を出たばかりのときに「あれ?そういえば映画の内容ってどんなんだっけ?」と訝しく感じるときすらあります。

知識の再現とは、案外と難しいのです。



効果の二つ目は、子供の心理に与える影響です。
人はゴールが見えないときに、極度の疲労を感じます。山登りでも、山頂が見えれば「あそこがゴールだ」と気持ちを新たにすることができますが、鬱蒼とした森の中を延々と歩くのは苦痛です。
「ぼくは、〇〇単元の知識を全て再現できる」……これは子供たちに達成感と同時に安心感を与えるのです。なぜなら、テストでそれ以上の知識はでないのですから。





論理性について

学んだ内容を自分の言葉で語ることは、子供の思考の論理性を高めます。

この論理性を高める訓練が、知識のネットワーク化に決定的に重要となります。

論理的に語ろうとすると、一般的には演繹的に語るか、帰納的に語るかの2通りの道を通ります。

演繹的に語るとは、最初に一般法則を出しておいて話を進める手法です。

(A)すべての人間は死ぬ(一般法則)
(B)ソクラテスは人間である
(C)だからソクラテスは死ぬ(結論)

前回述べた、数学の関数問題の解き方を例に挙げると、

(A)どうせ、関数なんて①グラフを書くか、②座標を出すか、③式を求めるか。
   それしかやることないよね (道理)
(B)この問題も、同じやり方でやってみよう
(C)ほら、やっぱり解けた(結果)

といった流れになります。最初に一般法則としての道理が存在し、それを問題に当てはめて結果として解答を導き出すプロセスです。


一方、帰納的に語るとは、いくつかの事柄を並べて共通のルール、法則を導き出す手法です。

(A)東京都民の平均年収は高い
(B)名古屋市民の平均年収は高い
(C)大阪府民の平均年収は高い
したがって、
(D)大都市圏の住民の平均年収は高い

この帰納的手法が、「知識と知識を結び、共通項を作る」という道理のレベルの議論であることは、前回の拙稿をお読みの方はピンと来ることでしょう。




学んだ内容を自分の言葉で語る中で、子供たちは演繹的に語ったり帰納的に語ったりと、この2つの道を行ったり来たりする経験を積みます。

その過程の中で、論理性を学んでいくのです。


この手法を具体的に述べることは簡単ではありません。と申すのも、子供ごとに性格や知識の定着状況、論理的能力の段階など、様々ですので、私が出す質問も異なるのです。

ただ、「ああ、この子はそういう説明ができるようになったのか」「ならば、この分野については論理的に語ることができるようになったね」という、ひとつの目安はあります。

その目安とは、「説明が、ストーリーとして聞ける」こと。

その分野を論理的に説明できる人物が語るとき、その話す内容は実にシンプルで、かつ、ストーリーとして聞けるものになっています。

それは大人であろうと、子供であろうと同じことなのです。






例 外

ただし、何事にも例外はあるものです。

これまでのやり方は、
 ①知識と知識を組み合わせる
 ②共通項を探り当てる
 ③それが道理である
とのやり方です。言わば、論理と論理で新しい道を模索する方法です。論理と論理であるならば、質問と問いかけといったやり方で対処することが可能です。対話を繰り返しながら、新しい「知のフレームワーク」を発見する方法ですから。

ところが、対話を重ねてもダメ、自分自身の力で「新しいフレームワーク」を獲得しなければならない分野があります。

それが図形問題です。

図形問題は得意な子と苦手な子がはっきりと分かれる分野です。

苦手な子の特徴。それは図形認識の見方(フレームワーク)がひとつしかないことです。

例えば、下の図を見てください。皆さんは何に見えますか?

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およそ間違いなく「立方体」もしくは「正六面体」と答えるはずです。
しかし、アフリカの特定の部族は、これを立方体と認識しないそうです。これを「12本の線」のある「平面図形」として捉えるのだとか。

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我々が「立方体」と考える図形も、上の三角形も彼らにとっては、「平面図形」として認識されるのです。



図形問題を苦手とする子も同様です。問題として与えられた図形を、別な形で認識できません。

具体例を挙げてみましょう。

私の教えている子供たちには、しばしば「面積迷路」を用いて、その認識パターンを学習してもらいます。



「面積迷路」とは、次のような問題です。

予めルールをお伝えします。
(1)使う知識は小学校3年生までのものとする。
(2)したがって、分数や少数、方程式なども使わない。
(3)使える知識は、せいぜい、(縦×横)=(四角形の面積)程度。


それでは、頭の体操として、次の問題に挑戦してください。
(ちなみに、図の縮尺は敢えて適当にしてあります)

10分以内で正解に辿り着けたら、かなり柔軟な思考の持ち主です。


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ちなみに、私の教えている中学生に解かしてみたところ、鉛筆を持たずに図を眺め、おおよそ2分足らずで正解に辿り着きました。

この問題の特徴は、「答えに必要な数字は全て求めているはずなのに、図形の見方を変えない限り正解に辿り着けない」点にあります。
「あれ?でないぞ?」という人は視点を変えて見てください。
(※正解は後ほど)



さて、2分足らずで正解に辿り着く子の、思考はどのようなものなのか。

先ほどの「アフリカの部族の立方体」と同じで、図形の苦手な子は、問題の図形をそのまま見ているだけです。

しかし、上記のような図形問題を数多く解く中で、子供たちは「レイヤー思考」と呼べる思考様式を身につけて、図形問題を得意にしていきます。

「レイヤー思考」の持ち主は、問題の図形をいくつかの階層に割りふり、全く異なる図形の組み合わせのように考えることができます。

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上記の1階レイヤー、2階レイヤー、3階レイヤーの図形を重ね合わせればひとつの図形が完成する。そういった思考様式を身につけるのです。
(もちろん、これはモデル図でして、実際に子供たちが1階レイヤーなどと割り振るわけではありません。「問題図の図形のこの部分だけ浮かんで見える」といった形で現れます)

こればかりは、「考え方・ものの見方」であり、論理や対話で身に着くものではありません。ですから、図形問題だけは例外であると申し上げました。


しかし、この力も練習により伸ばすことは誰でも可能だと私は確信しています。

2分足らずで解いた中学生も1年前はうんうん唸りながら問題に立ち向かっていました。3か月くらい練習中の中学1年生の子は、今なら前述の問題を6分程度で解けるくらいにまでなりました。

子供の可能性は無限です。
確かに「40分の授業内容を20分で理解できる子」と「40分の授業内容を60分で理解できる子」との間には、理解の速度の違いはあります。
 ややもすれば、私たち大人は「40分の授業内容を何分で理解できるか」との速度競争の観点で子供を評価しがちです。しかし、真に評価すべきは「時間はかかっても、『理解した』というゴールに達した」ことではないでしょうか。

これからも、そういった子供たちをサポートできれば。そんなことを考えています。



あ、そうでした。
先ほどの面積迷路の問題の回答を載せておきます。

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余談をふたつほど

最後に、余談をふたつほど。
これまでの経験の中で、身に染みて分かったことでもあり、保護者の皆さんにご理解いただきたい点でもあります。

ひとつは、皆さんは塾や家庭教師をつける時期を間違っています。

ほとんどの保護者が、お子様を塾や家庭教師につけるのは
・成績が下がってきた
・来年から受験生だ
といった時期でしょう。

中には、
センター試験終わって、後1か月!
・クリスマス前で、高校受験まで2か月!
という時期に来られる保護者もいらっしゃいます。


違うのです。時期が明らかに違う。

私が保護者の立場ならば、
 ・小学校卒業してから中学校入学した後の最初の中間試験まで
 ・中学校卒業してから高校入学した後の最初の中間試験まで
この時期に全ての資本を投入します。

例えば、高校受験生が年末に
「もう駄目だ。家庭教師を雇ってベタ張りで教えてもらおう」
としたときの投下資本と、
「小学校卒業したので、中学入学までに中1の内容を薄くでもいいから総ざらいしておこう。そのために家庭教師を雇ってベタ張りで3週間教えてもらおう」
としたときの投下資本は、全く変わりません。

しかし、子供にとってどちらが有益でしょうか。

中3のドン詰まりになって「どうせ、俺はできねえよ。やる気もないし」といった状態になっている子供の尻を叩いてやる気を起こして無理無理勉強させる。
片や、「これから中学生だ」「中学生になったら新しい勉強が始まる」「不安だけど楽しみだな」という子供を教える。
どちらが学習効果が高まるのか。火を見るよりも明らかです。

本当に多くの保護者の皆さんが、この陥穽に落ちます。



そして、もう1点。これは本当に重要な点です。
何度強調してもしきれないくらい……というか、この業界に身を置いた人間ならば、保護者に向かって怒鳴りたいくらいの衝動に駆られる「事実」です。

それは、「塾や家庭教師をつけたから成績が上がると思わないで欲しい」

大切なことなのでもう一度言います。

塾や家庭教師をつけたから成績が上がると思わないで!

これは、教える側が努力を怠る言い訳ではありません。

考えてみてください。

週2回、ピアノ教室に通わせる。家では一度もピアノに触ることすらない。そんな子供が「私は東京芸大に行って、ピアノで有名になるんです」と言ったならば、周囲はどう思うでしょうか。

野球クラブにプロの選手が来てくれて技術指導をします。「カーブはこう投げるんだよ」「君のバッティングフォームは、ここを強制した方がいいね」……次の日に、いきなりカーブを投げる子はいません。4割バッターになる子もいません。地道な練習を経て、技術を習得し、それで結果が出るのです。

私たちは、子供たちに勉強の仕方を教えます。知識も伝えます。その活用の方法や、道理へ辿り着く道筋も示します。
しかし、その道を進むか進まないか。それは、本人が努力するより他にありません。

そもそも、週2回塾や家庭教師をつけた程度で、スイスイと成績が上がるのであれば、これほど簡単な話もありません。皆が東大京大へと進むことでしょう。

子供たちに勉強をさせてください。

そして、それはごくごく簡単な方法で可能となるのです。


今年の1月2日。
世の中は、まだお屠蘇気分が抜けていない3が日です。
ある塾を覗けば受験生たちが朝の10時から自習をするため机に向かっていました。それも一人や二人ではありません。何十人もの高校受験生、大学受験生が机に向かっているのです。おそらくこの子たちは、朝の10時から自習室が閉まる時刻まで勉強をするのでしょう。毎年の風景とは言え、涙が出そうになります。

なぜ彼らは自習室に来るのか。
独りではモチベーションが上がらないからです。
「僕はひとりじゃない」
「こうやって勉強している同学年の人や先輩たちがいる。私も負けていられない」
そうやって気力を振り絞ります。

ならば、自習室に通えない子はどうすればいいのか。
ご家庭の協力があれば可能なのです。
「あんた、宿題したの?」
「ちゃんと勉強してるの?」
と言いながら、お母さんはTVを見ていませんか?
子供には子供部屋を与えたのだから、そこで勉強すればいい。私は疲れたしTVを見てゆっくりと過ごしたい……その気持ちはよく分かります。心の底からわかります。
しかし、そこで3か月の間、我慢して欲しい。

3か月で結構です。

子供を台所へ呼んでください。理由は何でもいいです。子供を独りにしないで欲しい。
「一緒に勉強しよう」
でも構いません。
「私は本を読んでるから、宿題片付けて」
でもいいでしょう。

TVも消して静謐な空間で、親と一緒に勉強する。
そんな生活を3か月でいいから過ごしてみてください。

そして、時々、お子様に聞いてください。
「何か手伝えることある?」
「私は勉強分からないけど、逆に、私に教えてよ」
それで結構です。私の立場からすれば、これほど有難いこともないのです。





つまらぬ余談を長々と申しました。
しかし、20年やってきた人間の率直な意見として承っていただければ幸いです。