月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

「勝山市は、その小ささを武器にして発展する」ことの、経済思想的意味 vol.1

勝山市は、その小ささを武器にして発展する」

まずもって、この度の勝山市議会議員選挙におきましては、2位当選という過分の得票をいただいたことに御礼申し上げます。皆様のご期待にそぐわぬよう、邁進する所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて、私は今回の選挙期間で街頭演説を打ってまいりました。7日間の選挙期間中、1日ひとつのテーマをやったので、都合7つのテーマについて街頭で演説を打ちました。
  初日       中心市街地活性化の理念と手法について
  二日目   教育問題について
  三日目   観光に関する諸課題について
  四日目   人口減少問題について
  五日目   あるべき議会の姿と求められる市議会議員像について
  六日目   私の政治信条について
  最終日   勝山市の夢

これらのテーマについて語り続けたわけですが、その根底をなすのは「勝山市は、その小ささを武器にして発展するのだ」という理念です。

……勝山市は人口2万5千人の小さな市だが、その小ささを武器にすることによって、われわれは激動の地方自治体間競争に打ち勝つのだ。
恐竜はその大きさによって滅びたが、恐竜に怯えながら生きていた哺乳類は、その小ささゆえに変化に対応できた。
大きなものが生き延びるのでもなければ、強いものが生き延びるのでもない。変化に対応できた者だけが生き残る。そして、われわれはその小ささを武器にして生き延びようではないか……

という主張ですが、「勝山市は、その小ささを武器にして発展する」という主張には、思想的・戦略的・戦術的に多様な意味が含まれています。


なぜ、思想的な背景までが求められるのか。

よその自治体と同じことをしていたのでは、ダメなことは皆様も重々感じていらっしゃることでしょう。私はよく舞の海を例えに出します。


【技のデパート】 舞の海 好取組集 【 相撲 】 - YouTube


舞の海は、私よりも20cm近く身長が低く体重も私よりも軽かったのですが、その体で250kgを超える小錦に勝つわけです。しかし、舞の海小錦に力勝負を挑みませんでした。なぜなら、相手の得意な土俵で勝負したのでは勝つことがかなわないからです。

舞の海は、その小ささを武器にしてスピード勝負、技の勝負へと持ち込むのですが、動画を見ると、その持ち込み方が惚れ惚れとするくらい「理にかなっている」ことがわかります。

小さいものは、その小ささを活かす。しかしながら、なんでもすれば良い。他の自治体がしないことならば何でも良いというものではありません。「理にかなっている」ことをしない限り、われわれに勝つ機会はありません。

理を求めていくと、そこには必ず思想的背景が見えてきます。

思想的背景が戦略を生み、その戦略が戦術となって具現化する。思想的背景が必要とされる所以です。




シュンペーターの予言「資本主義は自滅する」

ウィーン生まれにしてアメリカ経済学会長まで勤めた、二十世紀を代表する経済学者のひとり、シュンペーターは1936年6月1日に米国農務省で歴史的な講演をします。

Can capitalism surevive?
Ladies and gentleman, the answer is No.
(資本主義は生き延びることができるか。みなさん、答えはノーです)

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シュンペーターは、資本主義の発展を「イノベーション(革新)」に求めました。既存のモノ・サービスが固定化してしまい、凍結されたならば人々の欲望はそこで止まる。しかし、われわれが想像だにしなかったようなモノ・サービスは必ず生みだされ、そこに新しい需要が発生する。そうやって、資本主義は拡大を続けてきたのだ……と。

だが、それゆえに資本主義は生き延びることができないとシュンペーターは主張しました。

イノベーションを担う人々を彼は「企業家(アントレプレナー)」と呼びましたが、この「企業家」の特質は、あえてリスクを引き受けてまったく新しい事業や技術に挑戦するという冒険精神にあります。しかし、この精神は豊かな社会においては衰退するでしょう。なぜなら、豊かな社会において合理的な精神の持ち主であれば、わざわざリスクを背負う必要はないからです。サラリーマンとして安定を求める方が、よほど合理的であることは言うを待ちません。

資本主義を成長させてきたエネルギー自体が、豊かな社会になれば枯渇せざるを得ない。ゆえに、資本主義はその歩みを止める。これがシュンペーターの予言でした。




「豊かな社会」は冒険的精神を枯渇させる…とのシュンペーターの予言は、概括的なものです。われわれには、加えて「地方のパイそのものが縮む」という切実な問題が現前にあります。

経済成長率は、単純に考えるならば、労働人口の増加率と労働生産性によって決まります。地域経済圏をモデル化すれば、人口減少により労働人口が減少傾向にあるわけですから、地域経済圏を成長させるためには労働生産性を上げるよりほかにありません。
そして、その労働生産性に決定的な役割を果たすものこそが技術革新です。
若者たちがサラリーマン化していき、冒険精神が枯渇していくならば、地域経済圏は縮小せざるを得ない。これがわれわれが直面している現実です。




人々の欲望は無限なのか?

1890年代からの4半世紀、当時の大英帝国が低成長期に入っていました。言うなれば、我が国の「失われた10年」と同じような状態になっていたのです。
ここで、盛んに言われたのは「需要の飽和」でした。需要が飽和するとは、とどの詰まり「欲しいものがなくなってしまった」状態です。欲しいものがなければ、人は消費をしない。消費をしなければ、生産者は生産を手控える。したがって、経済成長率は低くなる……という理屈です。
    (この土壌から、ケインズ公共投資政策が出てくることになります)

しかし、実際に需要が飽和するようなことがあるのでしょうか。人々の欲望には限りがあるのでしょうか。

むしろ、人々の欲望は膨らみすぎたように思うのです。
人々が新奇な商品に関心を向けなくなるということはありません。実際に、新機能を備えたスマホやPC、家電、車など、消費対象は続々と商品化されています。むしろ、人々は過剰なまでに新しいものを求めているのではないかとすら思われます。

その結果、二つのことが言えるでしょう。

ひとつめは、マーケットの飽和の速さです。新しいものが出れば人々はそれを求め、すぐにマーケットは飽和してしまいます。人々は、次の新しいもの、さらに次の新しいものと新しいものを見出すことになるでしょう。

その結果として、人々は新奇さそのものに鈍化します。常に新しいものを探す行為は、真の意味での新奇なものへの驚愕・興味を失わせるのです。

そして、人々は退屈し始めます。

我々の周囲を見回してください。実際に、あなたは消費することに退屈していませんか?