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月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

《前編》神話としての「雇用創出が若者の定住を産む」という定説

 

プロローグ

政策を考えるとき、私が気をつけることが二つあります。
「違和感を大切にすること」
「ゼロベースから組み上げること」

「違和感を大切にすること」とは、常識に従うことです。何やら目の前にうまそうな儲け話がある。しかし、私の中での常識に従えば、これは何かが違う気がする。そんなモヤモヤとした感じを大切にする。これが違和感を大切にすることです。

行政のやることは、一見すると「目の前にある儲け話」に似ています。「この施設を造れば、〇〇人の誘客が見込めます。売り上げ予測は〇〇円です」
おかしい、本当にそれでいいのだろうか。モヤモヤとした感じが沸き起こります。これが違和感です。


これに対して、「ゼロベースから組み上げること」とは、常識を疑うことです。ゼロベースとは、一から組み立てることではありません。文字通りゼロから作り上げます。このゼロの部分にあるものが「常識」です。われわれが当然と思っていることは、本当に当然のことなのだろうか。そこから疑ってかかり、新たな常識をつくり政策化していく。この一連の作業が「ゼロベースから組み上げる作業」です。


これから数回にわたり、いくつかの疑問を皆さんに提示します。
今までの常識を疑うことも多々でてきます。
中には、とても受け入れがたい結論があるかもしれません。

ただ、ひとつだけ確信をもって言えることがあります。新しい仕組みを作らない限り、これからの地方自治体は生き残りを図ることができません。そして、新しい仕組みとは新たな常識から生まれるものなのです。



 

「若者が定着しないのは、雇用の場がないからだ」

 これから「地方出身者が地元を離れるのは、雇用の場がないからだ」という定説に対して、私から疑問を投げかけます。

 これはなかなかに度胸のいることです。と申す理由は、この定説の力強さにあります。あまりにも強力過ぎて、反論すら許してはくれません。
 「若い者が地元を離れるのは、働く場がないからだ」
 「いえ、それは違います」
とでも反論しようものなら
 「なに!お前はなにをいってるんだ!!……(以下省略)……」
とのお𠮟りを喰らうことは確実です。

 その強力さと妥当さゆえに、誰も「若者が地元を離れるのは、働く場がないからだ」との定説に疑問を持つことがありませんでした。
 実際に、自治体職員や地方政治家たちは、積極的に企業誘致を推し進めます。彼らに、なぜあなた方は企業誘致をするのかと尋ねたならば、「若者の定住化を図るためだ」と即答するでしょう。

 
 しかし、この定説は的を射ているのでしょうか。地方出身者が地元を離れるのは、雇用の場がないことが原因なのでしょうか。

 というのも、この定説を逆から見ると奇妙なものになるのです。「地方出身者が地元を離れるのは、雇用の場がないからだ」という定説が正しいのであれば、「雇用の場が確保できれば、若者は都会へ出ずに地元へ定着してくれる」はずです。
ここで実務に携わる人々は困惑します。
 「どのような企業を誘致すれば若者は地元に残ってくれるのか」
 「TOYOTAを呼べば良いのか、SONYを誘致すれば若者は残るのか」
 「どのような業界の企業を何社呼べば若者は定着してくれるのだろうか」
これは悩ましい問題であると同時に、「雇用の場ができれば、若者は都会へ出ずに地元へ定着してくれる」という「定説の裏返し」の不完全さを示しています

 
 誤解しないでいただきたいのですが、私は「雇用の場をつくる必要はない」などと主張したいのでもありませんし、「若者が地元に定着しなくともよい」と言っているわけでもありません。企業誘致を進めることは、雇用の場を確保することであり、縮小する地方経済にとって欠くことのできない政策課題です。同様に、若者の定着を進めることも喫緊の課題です。

 むしろ、私が抱いているのは「地方出身者が地元を離れるのは、雇用の場がないからだ」との定説があまりにも強力すぎて、ひょっとして我々は大切なことを見逃していないか?との根源的な疑問です。
 われわれは何を見逃しているのか。そこを探らない限り、若者の定着率は高まりません。「地方創生」の本質的な議論も始まりません。


そこで、まず、われわれが何を思い込んでいたのか。その点について考えてみましょう。

 

 

消費者は自らの欲望を説明できない。若者たちも……

消費者は自分の欲求に従って行動します。欲しいモノがあるから買い、欲しいサービスがあるから対価を払うわけで、つまり、そこには消費者の欲求・ニーズが明確にあるはずだ……ごくごく自然な発想に思えますが、これに異を唱えるの書が『マーケティングの神話(石井淳蔵著)』です。

著者である石井氏は同書の中で言います。
「消費者は自らの欲望を表現できない。それどころか、消費目的や欲望を十分に認識していないし、それゆえに自覚さえしていない。消費者の欲望は複雑なのだ」

石井氏が挙げる一例が、日立が1987年に発売した洗濯機「静御前」です。
(40代以上の方は覚えていらっしゃるでしょう)

まずは下記の動画をご覧ください。当時の「静御前」のCMです。


HITACHI 洗濯機【静御前】 '87年CM



 『こんなに静かなんです。今まで気になっていた音が、ほら、嘘のよう』とのナレーションがCM中に挿入されてますが、石井氏の指摘によれば、消費者は、静御前の発売前に「洗濯機がうるさい」という認識を持っていませんでした。なぜなら「洗濯機が音を出すのは当然のこと」と考えられていたからです。

 それどころか、日立の開発部門も「静かな洗濯機を作ろう」との目的の下に製品を開発したわけではありません。たまたま出来上がった製品が静かであったので、それをウリしたらヒットしただけなのです。

ウォークマンもそうでしょう。「音楽を持って町へ出たい」というニーズがそもそも存在していませんでした。ところが、ウォークマンという商品自体が、消費者に新しいニーズを提供したのです。。消費者は、ウォークマンという商品を手にして初めて「ああ、そういった行動があるのだ」と消費欲求を見せつけられたのです。


このような事例を通して、石井氏は疑問を投げかけます。
「そもそも、消費者に確固たる消費目的や欲望はあるのか?」
「消費者がその製品やサービスを選んだ理由を、購入後に聞けば答えるだろう。しかし、それは後付けの理由ではないのか」

 洗濯機『静香御前』の例で言えば、「なにか洗濯機にご不満はありませんか?」と尋ねても消費者から明確な答えは返ってきません。「音がうるさいのではありませんか?」と尋ねることによって初めて「そういえば、確かにうるさいかもしれない」と答えます。

消費者は、自らの消費欲望や消費目的を明確に説明できないのです。
なぜなら、人間の心理はあまりにも複雑だからです。



「地元を後にする若者たちも同じではなかろうか」
これが私が抱く疑問のひとつです。

 若者は消費者ではない……との反論もあるでしょう。ここで立ち止まって考えてみましょう。
 消費行動とは何か。それは詰まるところ「選択する」ことに他なりません。われわれは消費行動において、常に選択を迫られます。Aという商品とBという商品を選択してAを購入する場合もあるでしょう。そもそも「モノを買うか/買わないか」という行動を選択する場合もあるでしょう。いずれにせよ、消費行動とは選択行動なのです。
(選択すらできない状況下では、消費はありえません。それはもはや「配給」と呼ぶべきです)

 「地元に帰る/帰らない」という選択をする若者たちの心理のなかにも消費行動と同じ力学が働いているのではないでしょうか。そして、石井氏が指摘するように、「なぜ地元に帰ったのか/帰らなかったのか」との選択を支える欲求を、若者たちは明確に説明できないのではないでしょうか。




「希望する職種がない」とは、後付けの理由

マーケティングの神話』から、興味深い事例をもうひとつ取り上げましょう。


積水ハウスは、納得工房という研究所を持っています。これにまつわるお話で、原文をそのまま抜き出します。

積水ハウスでは、最近、納得工房という名の研究所を京阪奈丘陵に造った。「研究者と顧客とが直接に対話する研究所」というのがその謳い文句である。家を建てようとする消費者がそこにやってきて、キッチンや風呂場や階段等々、さまざまの設備や機械を実際に使い、営業マンや専門家と相談しながら、自分に合った家づくりを考え確かめてもらおうというのである。
 (中略)
なかには「積水ハウスの住宅を買うつもりはないよ」というお客さんも、営業マンの説得に負けて納得工房へやってくる。そういったお客さんの一人は、「積水ハウスの家は壁が薄いので嫌だ」というのである。確かに、積水ハウスの壁は8センチメートルで、ライバル会社のそれは10センチメートル。もちろん、工房の中には壁や窓の防音性を実験する場所がある。その客は、一日、納得工房で過ごした結果、当初の意見を変え、積水ハウスに注文を出したというのである。
 (中略)
当研究所所長の福井専務の意見は、そのお客さんは「入念に実験して壁の薄さが問題にならないことを知ったがゆえに気持ちを変えたのではない」、そして「お客さんの気持ちはそんなに単純ではない」と言うのである。
 その客にとってみれば、「何かうまく表現できないが、積水ハウスは嫌なのだ」という気持ちを、誰もがわかりやすくかつ誰も否定しようもない、「壁の薄さ」という1つのパラメーターに集約させたのではないかというのである。何がお客さんの気持ちを変えさせたのかわからないが、「何か、積水ハウスに対するもやもやとした気持ち」が納得工房で時間を過ごすうちに晴れたのだろう、と専務は考える。そこのところを理解しないで、「”壁が薄い”という不満がお客さんからでています。何とかしましょう」ということで家づくりを進めると、「厚化粧」された家しかできないというのである。

(同書p28-30 赤字強調は松村)



われわれは様々な場面で決断します。もちろん、私も含めて、人は決断をするときに明確な理由に基づいて判断しています。しかし、人間の心理は複雑でもあります。


試しに、結婚されている女性の方に尋ねてください。
 「なぜ、この男性と結婚したのですか?」
 「愛していたからです。」
 「どこを愛していたのですか?」
 「……さあ……思い出せないわ」
とは冗談としても、付き合っているカップルに
 「どこが好きなのですか」
 「なぜ付き合っているのですか?」
と尋ねても、明確な言葉は返ってこないでしょう。せいぜい帰ってきても、
 「彼の『優しいところ』が好きなの」
との回答があるくらいで、その回答に
 「それじゃ、彼のどこが優しいのですか?」
と尋ねると答えに窮するはずです。
 彼女の心の中には、間違いなく彼に対する愛情があります。ただ、それはもやもやとしています。「好き」という気持ちを「彼の優しさ」に象徴させて、「優しいところが好きなの」という、一見すると合理的な説明をつけているのでしょう。


それくらい、人間の心理は複雑です。


地元を離れる若者も同じではないか……これが私が抱く疑問です。

 地元を離れた若者たちを対象にしたアンケートは過去に何度も実施されました。そして、これからも実施されるでしょう。
 そのアンケート中の「地元に希望する職種がなかった」等の回答は、積水ハウスにとっての「壁の薄さ」と同じだと考えます。アンケート回答欄を見て丸をつけねばならない。ならば、これだろう……と丸をつけたのが、「希望する職種がない」だっただけのことではないでしょうか。

 地元にいる人たちにも同じことが言えます。若者たちが地元を後にする、その姿を見て「なぜ彼らは地元を離れるのだろうか」との疑問を抱いています。このもやもやとした思いに明確な答えを見いだせない。地元に残ったわれわれは、積水ハウスにとっての「壁の薄さ」と同じような解答を自分たちで用意しているのかもしれません。それこそが「働く場がないからだ」との定説なのです。


ここまで来ると、なぜ各自治体が様々な若者定住策は効果が薄いのか、その理由もわかります。
積水ハウスの福井専務の言葉をもう一度引用します。「”壁が薄い”という不満がお客さんからでています。何とかしましょう」ということで家づくりを進めると、「厚化粧」された家しかできない
「働く場がないからだ」という不満が市民から出ています。何とかしましょうということで政策づくりを進めると、「厚化粧」された政策しかできないのです。あたりさわりのない、どの自治体も似たような政策ばかりで、地元へ戻れば補助金、家を建てれば補助金、中には無償の住宅譲渡まであります。「厚化粧」をした結果、自治体の顔がわからなくなり、横並びの同じような政策が並ぶばかりです。
 
 

 


ニュートラル(中立)に考えよう

誤解を招きかねない話を続けてきたので、ここでもう一度強調しておきます。

私は地元を離れた若者たちを非難するつもりもありません。雇用の場を確保しなくても良いなどと主張しているのでもありません。
私は、ニュートラル(中立)な立場から「若者の地元回帰」を考えたいだけです。
ニュートラルな立場から、発想の転換をしたいのです。

ニュートラル(中立)な立場とは何でしょうか。

「若者はなぜ地元に残らないのか?」との疑問の底には、「若者は地元に残るのが当たり前」との考えがあります。若者は勝山市で生まれて育った。その若者たちが地元に戻ってくるのは当然だ……との考え方です。

この発想を転換しましょう。「若者は地元に戻らないのが当たり前なのだ」と。これが私の主張するニュートラルな立場です。

ここでも誤解を招かぬよう、言葉を継いでおきます。

私は、地元を愛する若者を育てるなと主張しているのではありません。勝山の歴史と文化、自然の魅力や風土、そういったものを慈しむ心を育てること、すなわち愛郷心を育むことはとても大切なことです。私自身、私の子供にもそれを教えています。

その愛郷心にもたれかかることを止めましょう。私が申し上げたいのは、この点です。
愛郷心を育む、しかし、若者が戻りたくなるような政策は愛郷心とは別次元でつくりあげる。これがニュートラルな立場です。


そして、この立場にある限り、われわれ自身が変わらざるを得ません。

若者は地元に戻らないのが当たり前なのだ。そんな若者たちを地元に戻すためには、何が必要なのだろうか。自治体はどう変われば良いのだろうか。ゼロからこれを組み立てていくここそが、若者定住政策を作る上で必要であり、「一切の思い込みを捨てて、何ができるのかを考えよう」という立場でもあります。


加えて、このゼロベースから組み立てていくことは、若者の定着だけに効果をもたらすものではありません。市外から若者が流入する効果も期待できるはずです。なぜならば、「若者は地元に戻らないのが当たり前なのだ」との発想の下に組み立てられた政策は、市外の若者にも市内の若者にも等しく効力を発揮するからです。




マーケティングの思想・手法・実践

「ゼロベースから若者が選択する自治体を構築する」との方向性を定めたならば、次に必要なものはマーケティングの手法です。

なぜ、マーケティングの手法が求められるのでしょうか?

業績が伸びない企業と、われわれの苦悩が同じだからです。
 「なぜわが社の商品が売れないのだ」
 「こんなに良い製品なのにどうしてだ?」
それは本当に良い製品なのか?顧客のニーズに合致しているのか?そもそも顧客は誰なのだ?合致しているならば、どのようなPR方法を取っているのか?企業は、マーケティングを用いてその解答を出そうと試みます。
 われわれも同じような苦悩を抱いています。
「なぜ若者は地元を選んでくれないのだ」
「こんなに勝山市は良いところなのにどうしてだ?」
この苦悩を次のような問いに置き換えたとき、マーケティングは効力を発揮するのです。
 「どのような発想と手法を用いれば、若者は地元を選んでくれるのだ?」


 P・ドラッカーは「マーケティングの理想は、販売を不要にすることだ」と喝破しました。誰かが顧客をプッシュしなくとも、自然に売れてしまう状態をつくるのがマーケティングの理想です。その製品なりサービスを目の当たりにした顧客に「これが欲しかった」と感想を抱かせることですから、そのために、顧客が何を欲しているのか、何を望んでいるのか、何に価値を認めるのか。それらに想いを巡らせて、計画を練り組織をつくり、実行へ移さなければなりません。

そして……

若者の定着のために、マーケティングの思想と手法を用いて政策をつくりあげよう……そう考えて一歩を踏み出した瞬間に、われわれは大きな壁にぶつかることになります。
その壁は次の疑問の形で姿を現します。
 「われわれは、誰を相手に競争しているのか」
 「われわれの主戦場は、どこなのか」
 「その主戦場で、どのように差別化を図ればよいのか」

          

    

《中編》へ続く