月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

イノベーションが起きる社会をつくる -行政2.0ノート②備忘録も兼ねてー

 ■備忘録も兼ねて

備忘録の意味合いも込めて、行政2.0の下書きとして拙稿をしたためる。現在の私の思考の枠組みでもあり、これから提案する政策の基盤となるだろう。



情念がイノベーションを起こす

行政サービスの網目からこぼれ落ちる人たちにこそ、私たちは目を注がねばならない。その人たちの抱える問題こそが、解決しなければならないものである。これらの問題を解決することは、行政サービス全体の質をあげることにつながる。

これが「行政2.0ノート①」の要旨だった。

harukado0501.hatenablog.com


議論が錯綜しないように、最初に定義しておきたい。
「問題解決」とは、行政サービスの網目からこぼれ落ちる人たちの問題を解決することとする。他の言葉と混乱しないように、この意味で用いるときには問題解決と太字で表記する。


さて、この問題解決だが、これは紛れもなくイノベーション(革新・新結合)だ。イノベーションとは技術革新だけを指すものではない。新しいアイデアから、新しい価値を創造することを指す。
行政サービスから漏れ落ちる人々に光を当て、彼らを救うために新しい制度・システムを創り出す。その新しい制度は、彼らだけでなく世の中の人々に利益をもたらす。問題解決が目指すところであり、これはイノベーションに他ならない。




では、このイノベーションたる問題解決はどこからスタートするのだろうか。

勝山市民から始まるのだ。

困っている勝山市民を目の当たりにし、
「これではいかん」
「このお婆ちゃんを助けてあげたい」
「友達の子供が学校で困っている。何とかしてあげたい」
と思う人の「情念」からイノベーションは始まる。




皆さんはOXO(オクソー)という会社をご存じだろうか。1990年設立の、アメリカでは有名なキッチン用品メーカーだ。

このOXOの最初の大ヒット商品が縦型ピーラーだ。

 

OXO 皮むき器 たて型 ピーラー 20081

OXO 皮むき器 たて型 ピーラー 20081

 

 



この製品開発の発端は、創立者ファーバー氏の「情念」にあった。

ファーバー氏が妻と二人で旅行に出かけたときのことだ。タルトを作るためにピーラーでリンゴの皮むきをしていた妻の姿を見て、氏は心を痛めた。細い金属製のピーラーは皮むきに力を使うために、軽い関節炎を患っていた妻が手を痛めてしまったからだ。
「なぜキッチン用品で手を痛めるのだ」
「なぜもっと使いやすいものがないのか」
ファーバー氏の「情念」とは憤りだ。この憤りが、縦型ピーラーを生んだ。持ち手は手になじみやすく、弱い力でもしっかり握ることができる。これまでのピーラーと異なり、縦型なので力の加わる動線が一本線で弱い力でも楽々と皮をむける。

手の弱い妻に使えるデザイン。それは、妻を助けるだけでなく、ユニバーサルデザインとなった。ゆえに、大ヒットを記録した。



問題解決も同様だろう。

多くの勝山市民は心を痛めている。
「なぜ、うちの婆さんは買い物にいけないのだ」
「なぜ、毎年毎年断水騒ぎが起こるのだ」
「なぜ?」
その情念、憤りがなければ問題解決は始まらない。

これと対照的なものが、マーケティングから始める事例だ。マーケティングは対象者を観察することから始める。その観察に加えて、業界の動向やライバル企業の動向、ターゲット消費者の行動様式、市場の需要要件などを加えて分析を進め、その分析を基礎として事業を組み立てていく。

だが、マーケティングは、行政サービスからこぼれ落ちた人を拾わない。マーケティングが拾う数字はマス(大衆)であり、セグメントを構成する多数派だ。

このことは、行政サービスからこぼれ落ちた人たちは少数派であることを意味しない。彼らは少数派ではない。単に光が当たらない存在なのだ。この社会に多数存在しながらも、光が当たらないがゆえに拾い上げてもらえない人々だ。

マーケティングは、彼らの苦しみを拾い上げない。
彼らの苦しみを、怒りを理解できるのは、唯一、彼らに寄り添う人々だ。彼らの悩みを目の当たりにする人である。

だが、憤りを感じる市民だけでは問題は解決できない。
「私たちは、目の前で困っているこの人を救いたい」
「だが、私たちには技術・知見がない」
「ならば、技術・知見を持っている人をチームに加わってもらおう」


市内外の企業がここに登場する。




(補足)
問題を提起する人は、苦悩する市民に寄り添う市民だ。だが、必ずしも「問題を提起する人=問題を解決する人」である必要はない。要は、提起する人と解決する人が「出会う場」をつくることだ。
その「出会う場」については後に詳述したい。


(補足2)
前述したOXO社のファーバー氏は言う。
「世界は悪いデザインだらけだから、やるべきことはたくさんある」
私は思う。
「世の中を悪くしたいと考えている人はいない」
「なのに、世の中はなぜ良くならないのか」
「なぜ、私たちは自分たちの手で世の中を変えられないのか。おかしいではないか」
政治家としての私の「情念」であり、憤りだ。



問題解決は企業のフロンティア


数年前、まだ私が市議会議員だった頃の話だ。

社名を明かすのは仁義に悖るのでA社としておくが、日本人ならば知らぬ者がいない事務機器メーカーである。このA社からお声がけをいただいた。
ちょうど安倍政権が華々しく「地方創生」を強力に推進していた時期だった。地方創生のメニューを作るのに意見を伺いたいとの申し出であったので、A社中部地方エリアの重鎮と会合を持った。

数十人の社員と重役に囲まれた会合の場で「当社はこういった『地方創生プラン』を考えています」と提示されたラインアップは、事前に想像していたものを超えるものだった。
田んぼを潰してニュータウンを造る。中心市街地再開発で大型ビルを建設する……といった大型再開発のプランから、市役所や観光地をプロジェクションマッピングしましょうというイベント型に至るまで、これでもかと見せつけられたものは………「地方の自治体で使えないもの」ばかりだったのだ。

「私のような一介の市議会議員が偉そうなことを申してすみませんが……」
と一応の前置きはした(と思う)。

「残念な話ですが、多くの地方の自治体は御社のプランを導入できません」
「導入できるだけの体力が、われわれにはないのです」

「私たちが求めているのは『こんなものがあったら良いよね』というものではありません。『これがないと生きていけないよね』というものです」

「地方創生とは、再開発ではありません。何度も申し上げますが、われわれは再開発する余力すらないくらいまで追い込まれています」
「現在の問題を解決する。その解決をスモールビジネス化していく。その積み重ねを経ることで少しずつ経済と活力を回復していく。われわれが進むべき坂道です。その坂道を登り切ったとき、初めて、御社の提示されるような再開発プログラムも可能になるでしょう」

「地方の自治体が欲しているのは、この坂道を登る方法です」
「その方法は、『あなた方の抱えている問題を解決しますよ』というソリューションの形で出てくるのでしょう」
「御社が提示すべきは、このソリューションです」
「地方の公共交通を改善するソリューションを提案します。駅前活性化のソリューションを提案します。そういったソリューションにならば、自治体は喜んでお金を出すことでしょう」
「そして、そのソリューションは御社に膨大な利益をもたらすはずです」
「御社のように全国展開をする企業ならば、各都道府県に営業所はあることでしょう。つまり、1700の自治体に営業をかけられるではありませんか」
「どの企業も、未だ、このソリューションの価値に気づいていません。だから、今がチャンスです」

私の目の前にいた重役は怪訝な顔をしていた。一体、この男は何を言っているのだろうという雰囲気がありありと見えた。



もうひとつの事例を挙げよう。

ここでも社名は伏せてB社としておこう。B社はシニアカーのメーカーだ。

シニアカーをご存じないための方に申し上げると、足の悪い高齢者が異動の手段として用いる乗り物だ。

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高齢者は公共交通の不備で自由に外出できない。
「病院までのバスが欲しい」
との高齢者に詳しく話を聞く過程で
「その後で買い物をしたり散策したい」
との欲求があることがわかった。

ならば、シニアカーを使おう……と考えた。中心市街地にシニアカーを10台から20台程度配置し、これをレンタルできるようにしておく。中心市街地までは公共交通で行くとして、そこから先の移動手段に用いてもらおうとの趣旨だ。

だが、この内容ではメーカーは首を縦に振らないだろうと私は思っていた。
メーカーの営業マンが自治体を回るときに、
「我が社のシニアカーを用いて、中心市街地の活性化を図りませんか?」
勝山市の導入事例をご覧ください。シニアカーを使って中心市街地を回る高齢者が、これだけ増えました」
と説明しても、他自治体が
「数が増えるだけではねぇ……」
お茶を濁すことが容易に想像できたからだ。


自治体の首長とは面白い存在だ。市民からすると「他の自治体の先進事例を学べば良いのに」と思うのだが、首長は決してそれはしない。先進事例を目の端に入れているのだが、それを真似することはプライドが許さない。
「〇〇市の市長に話をしに行ったら、『なんかいいアイデアないか?』『でも、他の自治体が使ってる奴は嫌だな』と言われました。」
と苦笑いする営業マンに出会ったことがある。さもありなんとこちらも苦笑した。

先進事例は真似したくない。かといって何もしない訳にはいかない。ならば……と、首長たちはありきたりな事業に飛びつく。あるときは、道の駅といった、ありきたりな箱モノに飛びつき、あるときは、NPOを作らせて中心市街地活性化を図ったり。そうやって、全国にありきたりな事例が積み上げられていく。

要は、首長は自治体のオリジナリティーを出したいのだ。「他所と違って、うちはこんなことをやっていますよ」と主張したいメンタリティーがある。それは当然だろう。
ならば、そのメンタリティーをくすぐるパッケージにすれば、B社は売り込みがしやすいはずだ。

そこで、シニアカーGPS機能をつけてみることを提案した。高齢者がシニアカーを使ってどういった動線を描くのか、何に反応してどのような行動を示すのか。データーを取るためだ。

なんのために?中心市街地活性化の基礎データーとするために。これまで、中心市街地活性化は思い込みでできあがっていた。「高齢者は〇〇といった動きをするだろう」「高齢者はこれに反応するにちがいない」といった予見だけで物事は決められていた。
シニアカーがもたらす客観的データーは中心市街地活性化に根拠を与えるだろう。

そして、そこに商店街の人々を加えよう。商店街の人々は、このデーターを喉から手が出るほど欲しいはずだ。彼らに情報を公開しよう。このデーターを使って商店街の人たちは〇〇や〇〇といったことができる。それだけじゃない。シニアカーを置く場所は人の流れの結節点になるはずだから〇〇といったこともできるんじゃないのか………B社の営業マンと語り合う中でアイデアはどんどん膨らんでいった。

様々なアイデアを加えていき、最終的なパッケージは、まさに「シニアカーを用いた中心市街地活性化」の様相を呈してきた。各自治体は、ツール(道具)としてこのソリューションを導入した後に、独自の使い方ができるだろう。

そんな話し合いを重ねた後、最後の問いをB社営業マンに投げかけた。

「さて、御社からはシニアカーを10台勝山市にいただきたい」
「私たちはこれを用いて、勝山市で新しいサービスを始める」
「もちろん、御社にとって10台を無償提供することは痛い出費になるはずだ」
「だが、ここで得られた知見を御社は1700の自治体に売り込みにいけるだろう。それは、御社にとって大きなビジネスチャンスになるはずだ」

B社の営業マンは考えた後に答えた。
「私の一存で決められません。社長に会ってください」

後日、彼から連絡が届いた。
「社長がぜひお会いしたいと申しております」

その日取りを決めて、まさに事態が動こうとした矢先に、あの下らない政争が起きた。私自身がそこに巻き込まれてしまったがゆえに、この話も止まってしまった。









A社の事例とB社の事例を通して、次のことがわかる。

ひとつは、問題解決がビジネスになることに多くの企業は気づいていない。
A社の事例を見ても明らかだが、多くの企業はこの点に気づいていない。需要はそこに間違いなく存在する。後はその需要に気づいて手段を提供すればよい。市場規模は日本全国の自治体に及ぶ。まさしく問題解決は企業にとってのフロンティアなのだ。


多くの企業が問題解決の可能性に気づいていないがゆえに、問題解決の方法は市民が考えねばならない。これが2点目。問題解決がビジネスになるのだと周知されれば、将来的には企業側からアイデアを持ちこまれるだろう。しかし、現段階では市民が考えねばならない。市民がアイデアを練り、それを企業へ持ち込み、興味ある企業と組んで問題解決を図らねばならない。

だからこそ、アイデアを練る際には衆知を集めなければならない。これが3点目。現状に憤りを感じる市民が独りでアイデアを練り上げるのは困難だ。

憤りを感じた市民が問題を提起する。
「これはおかしいんじゃないか?」
確かにそれはおかしいと感じる市民が集まってくる。職人もいれば事務職もいる。退職した方もいれば主婦もいるだろう。ひとつの憤りの周りに様々な技能と知見が集まる。それらの衆知を集めて、初めて問題解決のソリューションの雛形はできる。




ただし……ここで大きな困難が出現する。行政の壁だ。
どれほど衆知を集めようとも企業と連携しようとも、この行政の壁を超えることはできない。それほどまでにこの壁は厚く高い。