月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

【政治】 女性の就業率向上は、少子化対策になるのか?

余計なお世話に珍説を引っ張ってくる

 

本日の産経新聞を読んでいて、久しぶりにこんな文章に出会った。

女性の就業率と出生率には正の相関がある(内閣府男女共同参画局。企業組織を見直すことで出生率も高まり、人口減少に悩む日本にも明るい兆しが生まれることを期待したい。

 川本裕子(早稲田大学教授)

 

最初にお断りしておくが、私は女性の社会進出に異論をはさむ者ではない。働きたかったら女性も働けば良い、そして「女性であるから」という理由で差別されるのは許されない。そう考えている。


付け加えるならば、働くか働かないかは個人の問題であり、家庭の問題である。そこに「女性は社会進出しなければならない」「女性は働くべきだ」国や行政が口を突っ込むこと自体がおかしいと考えてもいる。

そんなものは大きなお世話だ。放っておいてくれ。

 

少子化だから、若者は結婚しなければならない」

少子化だから、夫婦は子供を産まなければならない」

と国や行政から言われたら、大概の人はカチンと来る。余計なお世話だと。

 

ならば、「女性は社会進出しなければならない」というのも余計なお節介だ。

 

かつて、イギリスの女性たちは婦人の地位向上に全力を傾けてきた。婦人の参政権獲得に尽力し、社会進出を果たし、そして遂に女性首相も誕生させた。しかし、彼女たちはその後に再び家庭に戻ることを決意した。「女性の社会進出は何ももたらさなかった」と。

 

なぜ働くのか、それは恒産を得るためであり、人生の意義を見出すものであったりと様々であろう。しかし、働く理由は他人から言われて云々するものではなかろう。自身で見出すものである。ならば、「私は家庭に入ります」との決断に彼女が幸せを見出すのであれば、誰がその決断を批判できるのか?そして、彼女の決断を何の理由によってそしるのか?

 

それを国や行政が声高に言うのだから始末に負えない。

 

「女性の社会進出を果たさなければならない」

と主張する人に申し上げておきたい。

あなたの主張は、他所の家庭の事情や個人の判断に土足で踏み入るものであり、反自由主義的である。つまり、

「お宅にいるニートを働かせない」

「お宅には結婚していない40代の独身男性(or女性)がいるはず。その子を結婚させなさい」

「結婚したのにあなたたち夫婦はなぜ子供を産まないのですか?」

という言説と同レベルだ。そのことを自覚していただきたい。

 

 

ついでに言わせてもらうならば、「女性の就業率向上は、少子化対策になる」などと珍説を引っ張ってこないでいただきたい。

 

 

「女性が働くようになると子供を産む」それホント?

「女性の就業率が向上すると出産率も高まる」という珍説がある。常識的に考えてみれば胡散臭いこと限りないのだが、これが国の中央では堂々とまかり通っている。

冒頭に挙げた早稲田大の川本裕子氏もそうだ。

 

これが珍説…否、デタラメであることを示す事例を。

 

例えば次のグラフをご覧いただきたい。これはその筋では有名なグラフであるが、この2つをもって

「かつて、OECD諸国でも女性の就業率が高くなると出生率は下がる傾向にあった。しかし、2000年では女性の就業率と出生率は正の相関関係にある」

「ゆえに、女性の就業率が高まると、出生率が高まるのだ」

と主張する人がいる。

 出典:http://diamond.jp/articles/-/30628?page=2

f:id:harukado0501:20140718101724j:plain

明らかにデタラメである。

2000年には正の相関関係があると主張されているが、イタリア、スペイン、ギリシャのデータを除くと、全く相関関係はない。

しかも、悪意的だと思えるのは1980年のグラフと2000年のグラフのTFR(合計特殊出生率)の目盛が違っている。そして、よくよく見れば、ほとんどの国で就業率があがって出生率が下がっているではないか。

 

加えて言うならば、OECD加盟国であるにも関わらず、トルコやメキシコ、ルクセンブルグといった「女子労働率が平均より低いにもかかわらず、出生率は平均よりも高い国々」が除外されている。要するに、自分の説に都合の良いサンプルだけを選んでいるに過ぎない。


なにしろ、この手の論調には「都合の良いデータを選択して、都合の良い結果を導き出す」手合いが少なからずいる。

 

 詳しくは下記の書を参考にされたい。

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

 

 

 

 ■スウェーデンがうまくいく理由

西欧諸国と一括りにしてしまうと大きなミスをするので、まずは、ギリシャ、イタリア、スペインといった財政準破綻国を見てみる。

実は、ここでは女性就業率と出生率は正の相関を占めている。ただし、「女性の就業率が上がれば出生率は上がる」との結果は導き出せない。なぜなら、他の理由があるからだ。

これら準破綻国は労働者層が低所得であり、かつ低福祉である。つまり、子供を育てることができないほどの低所得者層は、EU内へ働きに行くため、国内に残らないのだ。つまり、「就業している女性=所得がある女性=子育てができる女性」との等式が成り立つ。言うなれば、就業できない女性、子育て費用を稼げない人々を国外へ追い出すことにより、否応なしに「女性の就業率が上がる」ことと「出生率が上がる」ことが結びついたにすぎない。

 

問題は、スウェーデンといった北欧高福祉国家の場合である。

 その筋の方々には夢のような国家として崇め奉られる北欧福祉国家であるが、実際に社会保障の多くを子育てコストに充てているため出生率が上昇したようだ。これは間違いなかろう。

ただ、ここで注目すべきは、スウェーデンのような北欧高福祉国家では、日本のような高齢者優遇政策を行わないという点である。

 

皆さんは「北欧には寝たきり老人がいない」という話を聞いたことがあるだろうか。

実際にその通りなのだが、それは「延命しないから」である。こう書くと身も蓋もないのだが、実際にその通りなのだから仕方がない。

「延命しないから」と言われると、非道徳的なようにも思われるが、ここには彼らの生命倫理がしっかりと根底にある。

 

例えば、高齢やガンなどで終末期を迎えたら口から食べられなくなるのは当たり前だ。ここで日本だと「胃ろう」をする。これは、口を介さずに胃に栄養剤を直接入れるために、腹部に穴をあけるものだ。こういったことで延命を図ること自体が非倫理的だと彼らは考え、そして実行している。日本のように意識もない人々に栄養剤を点滴や「胃ろう」で投入すること自体が老人虐待ではないのか?と考えるのだ。

 

したがって、日本のような猛烈な延命措置はなされず、かなりパッケージ化されている。介護についても同様だ。つまり、日本よりも高齢者福祉予算が低額で済む。

 

子育てに手厚い支援をするスウェーデン式は、実は、社会保障を子供と高齢者のどちらにより多くかけるかの選択を行ったのだ。

 

 「スウェーデンのような手厚い子育て政策を!」

などと主張する人々の主張の中で、高齢者優遇を捨ててでも子育て支援をすべきだ!との意見を聞くことは極稀である。

 

 

 高齢者を捨てて子供をとるのか?

基本的に、我が国のこれまでの政策は、高齢者福祉を実行するために労働者から所得を高齢者に移転させてきた。これが少子化最大の原因であると私は考えている。

ならば、20代から40代の所得を引き上げるか社会保障をその世代に振り分けるかのいずれかを選ばない限り、少子化は解消しない。その意味で、「子育てに手厚い支援を!」との主張は間違っていない。 

 

ただし、それを実行するためには巨額の予算が必要になる。5兆円や10兆円といった金額では少子化対策にはならない。おそらく抜本的に少子化対策をするのであれば、30兆円から50兆円の予算を毎年かけるくらいでなければならないだろう。

 

それをなすためには、年金50%カット。医療・介護自己負担5割が必要となる。

 

果たして、我が国の有権者はそれを選択するのか?しないだろう。

なぜなら我が国の生命倫理、文化風土がそれを許さないからだ。

 

そして小手先の少子化対策だけが跋扈するのだ。

「もっと手厚い子育てを!」の掛け声のもとに。