月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

選挙を前にして思うこと(2) -投票率について、ちょっと考えてみましょうー

若者よ、選挙へ行くな!

お笑いジャーナリストの、たかまつななさんが作成した動画が話題になっています。
その名も「若者よ、選挙に行くな」 
刺激的な動画です。


若者よ、選挙に行くな


ブラック感満載ですが、この動画の目的は、あくまでも若者の投票率向上にあるのでして、そこだけは強調しておきます。



ちなみに、この動画には元ネタがあります。

アメリカの2018年中間選挙を控えて、若者の投票率を向上させるために皮肉たっぷりの動画が作られました。

その名もズバリ
Dear young people,"Don't vote,"(若者よ、「投票しないで」)

若者の低投票率に悩むのは、アメリカも同様のようでして、次のような刺激的な煽り文句が続きます。

「若者よ、投票しないで」
「今のままで何も問題ないだろう?」
「トランプ?あれは私たちよ」
「富裕層への減税?最高じゃないか、私は富裕層だからね」
「気候変動?それって『あなたたちの問題』だよね。私は、もうすぐ死ぬし」
「学校での銃乱射は悲しい事件だけどね、私が学校に行ってたのは50年も昔の話よ」
「腹が立つでしょ?腹が立つから、インスタにあげたり、天気が良ければデモに参加するんでしょうね。この動画だってFacebookでシェアするんでしょ?」
「でも、あなたたちは投票しない」
「あなたたちは決して投票しない」
「でも、私は投票する」
「私も投票する」
「私もする」
「あなたたちは投票しないけれど、私たちは投票する。なぜって?私たちは行動する世代だから。めそめそ文句を言わずにうまくやってるのよ」


Dear Young People, Don't Vote: A Knock the Vote PSA



個人的な感想を述べるならば、趣旨は理解できるものの、こういうやり口は好みません。否、はっきり申し上げて嫌いです。
いたずらに世代間闘争を煽るだけのこと。対立を生むだけで、物事の解決にはなりませんから。




投票率0%の世界は、地上の楽園である。

話を進めるにあたり、お断りしておきます。

私は、民主主義を擁護するものであり、決して反・民主主義的思想ではありません。投票率が低いことは憂慮すべきであると考える者です。

なぜ、そんなことをいちいち述べるのか‥‥と申しますと、これから話す内容が少々キナ臭い内容なものでして、ここを誤解されると困るのです(苦笑)。



それでは、話を本筋に戻しましょう。


投票率が低いことは問題だ」とは、世の中の常識になっています。

そこで、ひとつの思考実験を行ってみましょう。

【問】「投票率が0%の社会」は、どのような社会でしょうか。

【答』ある意味で、地上の楽園です。

なにしろ、投票率0%とは「究極の政治的無関心」であり、究極の政治的無関心とは、東洋の政治思想が理想としてきた『鼓腹撃壌』の世界ですから。

鼓腹撃壌とは‥‥皆が満ち足りて、皆が幸せならば、政治なんてどうでもいいじゃないか‥‥という世界観であり、「政治はこの理想を目指して行うべし!」と数千年前から東洋で唱えられている政治思想です。

(くれぐれも申し上げますが、「だから投票率が低くても良い」と申し上げているわけではありません)

(それと、現実に「投票率0%」の世界が到来したら、それはもう‥‥革命前夜‥‥と呼ぶしかない状況なので、そもそも選挙なんてやってる状態ではありません)




投票率100%の世界は、この世の地獄である

逆に、思考実験として「投票率100%の世界」を考えてみましょう。

この世の地獄です。

もしも投票率100%の世界が実現するならば、単一の思想・宗教により固められた世界か、もしくは、全てが政治的文脈で判断される全体主義国家でしかありえませんから。

近い例で言えば、中国の文化大革命時代のような政治状況ならば、ひょっとすると投票率100%が実現されたかもしれません。

かの国の文化大革命は、もはや伝説にもなっている狂気の世界でした。
思想、文学、映画、音楽など、ありとあらゆるものが「政治的に正しいか否か」で判断される社会。
「ベートーベンは革命の思想に相応しくない」
などと糾弾される社会。
いきなり近所の人が三角帽子を被せられて「反革命分子」と引きずり回されるのを見て
「隣に住んでいる人から『反革命だ』とタレこまれたら全てを失う」
と思わされる社会。

そういった社会にのみ、投票率100%は実現されるのでしょう。



もっと「根っこ」から考えてみませんか?

なぜ、こんな無粋な思考実験をしているのか。

それは、「投票率の数字だけを追い求めるのはやめませんか?」と主張したいからです。

「学校へ行くのも行かないのも自由です」と言いながら、なぜ選挙だけは行かなければならないのでしょう。
「働くも働かないも自由です」と言いながら、なぜ選挙だけは「行け!」と言われるのでしょう。

学校へ行かないには理由があり、働かないにも理由がある。それならば、選挙に行かない理由を認めて、その上で、「それじゃ、その原因を一緒に解決しようよ」との対応策を講じる方が、私は素直に納得できます。




それじゃ、具体的に何をすればいいの?

そこでですね‥‥「それじゃ、具体的に何をすればいいの?」‥‥という話になるのですが、この点は、実はすごく刺激的かつ退屈で、しかも全方位に向けた議論をしなければならないという‥‥‥えらく、難しい話になってくるわけです。

なにしろ、話を突き詰めていくと
「そもそも、なぜ私たちは政治家を選ばなければならないの?」
「政治家って必要なの?」
みたいな話にまで深堀りできてしまう。

これは当然のことなのかもしれません。
国家という組織を作り上げる上で、「どうやって代表を選べばよいのか」という論点は国家づくりの原点ですから。

ただ、ひとつだけ言えることは、今、主たる問題になっているのは「どうせ、俺が1票入れても世の中変わらないよ」との意識だということ。




確かにあなたが投票しなくても世の中は変わらない。でもね‥‥

ちょいと、話が脱線しますが‥‥

「どうせ俺がしてもしなくても、世の中変わらないよ」
実は、この考え方、間違っているわけではありません。
(こんなことを言うから、多方面から怒られる)

こういう話をするとき、私は環境問題を例に出します。



例えば、メダカがこの世からなくなっても、おそらく世の中は大きな影響を受けないでしょう。それは個々の種が消えても、同様です。
(オオカミと人類だけは例外)

でもね‥‥システムというのは面白いものでして、「誰かがいなくなったことがシステムに与える影響」ってわからないんです。メダカが絶滅したから、何が起きるのか。それは誰にもわかりません。

何が起きるのかも分かりませんし、何が起きないのかも分かりません。ただ‥‥何かが起きた時に、初めて気づくのです。
「ひょっとして、あれが原因だったんだろうか?」

システムというか、「複雑系」というのは、そういうものです。

色々なプレイヤーがいて、複雑に影響を及ぼし合って、ひとつのシステムを作っている。
一つ欠けても問題ない、二つ欠けても問題ない‥‥でも、100欠けたら何が起きる?10000欠けたらどうなる?‥‥それは誰にもわからないし、想像もできない。それがシステムの面白さと恐ろしさです。

そして、自然が複雑系であるのと同様に、人間社会も複雑系なのです。
極端で不躾なことを言えば、私がいなくなっても、あなたがいなくなっても、世の中は普段通りに動きます。

でも、あなたが何かをすることで、確実に社会に影響を及ぼしているのは事実です。
私がいなくても、あなたがいなくても世の中は大して変わらないでしょうが、あなたが動くことで確実に社会に何らかの影響が及んでいることも事実なのです。

ただ、「何が変わったのか」は誰にも分りません。
誰にも分らないものは、あなたにも分かりません。

でも、何かが変わったことは間違いないのです。
変わったであろうことを信じて動きませんか?‥‥と。




地上戦と空中戦

でも、そんな精神論だけで物事は動きません。

ならば、「どうせ俺が投票しても、世の中変わらないよ」といった考え方に、どうやって寄り添えばよいのか。

これは、空中戦と地上戦の両方で立ち向かうことになるのでしょう。

「俺が動けば、周りが変わる」という実例を積み重ねていくこと。これが地上戦です。

何度も何度も申し上げていますが、これを政治に置き換えるなら「地方自治」です。
地方自治という言葉に手垢がつき過ぎているために、もう、何ていうか、胡散臭い香りがするのかもしれませんが、素直に考えれば、あなたが動けば世の中は変わるのです。

だって、考えてみてください。

あなたが行動を変えれば、ご家族は「あれ?」と思いませんか?
「お父さん、最近ちょっと変わったよね」
みたいなもので(笑)。
職場でも、あなたが行動を変えれば、周囲の人々は気づくはずです。
「課長、最近ちょっと変わったよね」
少なくとも、あなたが行動を変えれば、周囲の人々は変わります。

大体ですね‥‥人が考えていることなんて、そう大差ないんですよ。あなたがおかしいと思ってることは、皆がおかしいと思ってる。
「勝山が元気ないよな」
「今いる俺たちで、なにか楽しいことでもしないか?」
そう考えている人は大勢いるのです。

なぜ、わかるのか。

私が実際にその声を聞き続けているからです。戸別訪問を繰り返し、色々な人とお話をする中で、皆が同じ想いを抱いている。私はそう確信しています。

だったら、その声を拾い上げる受け皿をつくればいい。
それは政治の仕事です。

そういった流れの先に、手垢のついた「地方自治」は、真の姿を現し、その延長線上に「俺が動いたところで世の中変わらないよ」との想いは解消されるでしょう。

これが地上戦のストーリーです。




では、空中戦はなにか。

これはですね‥‥個人的な想いなのですが‥‥子育て世代に「子供の票」を与えたい。両親がいて子供が3人いる世帯を想定して、両親が2票を持つのは当然なのですが、18歳未満の子供3人の票を親が代理投票できる制度を「特区」として勝山で実現してみたい。

そのときに、勝山の子育て世代の投票率がどう変動するのか。それを見てみたいのです。
そして、政治家が子育て世代に向かってどのような政策をアピールするのか。それも見てみたい。

でもなぁ‥‥これ「特区」の中でも最難関の「憲法特区」になるから‥‥不可能に近いのかな。難しいだろうな。