月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

勝山の観光、まちづくり会社、そして行政




 

観光まちづくり会社の方からのご指摘

先だってのこと。とある場所にて、観光まちづくり会社の方からご指摘をいただきました。
「憶測でなんでも書かないで欲しい」
どうやら当ブログの記事内容についてのことのようでした。

会話の内容をくわしく書くのも野暮の極み。これ以上は申しません。
ただ、誤解なきよう申し上げておきますが、私は観光まちづくり会社の存在を否定しているのではありません。否定するのであれば、議員時代に議会で否定していたでしょう。私が我慢ならないのは「観光まちづくり会社を縛り付けて、今の状態にしてしまった政治と行政の無定見さ」についてです。

観光まちづくり会社の設立時には、勝山商工会議所のスタッフが陣頭に立たれました。その中心には「あの人がいなかったらできないだろう」と衆目が認める方がいましたが、行政との交渉に疲れた彼の顔を見るにつけ気の毒な思いに駆られたものです。
 観光まちづくり会社が立ち上がれば、立ち上がったで、現場スタッフは周囲の無理解に悩まされていることでしょう。現場スタッフと直接話をしたことはありませんが、市内事業者の方々のお話を聞けば、軋轢が生じているであろうことは容易に想像できます。

つくづく「気の毒に…」と感じます。

「観光まちづくり会社の経営は行き詰まるだろう」
との思いは、今でも何ら変わりません。
なぜなら、「間違った道を全力で走らせている」からです。

もちろん、走らせているのは行政であり、走らされているのは観光まちづくり会社であることは言うまでもありません。

何が間違っているのでしょうか。
どうやって修正していけばよいのでしょうか。



なぜ戦略が必要なのか

行政主導が犯した過ちの最たるものは「戦略の欠如」です。

まずは、なぜ戦略が求められるのか、その点について考えてみましょう。

結論から申せば、戦略が求められる最大の理由は、誰も未来のことをわからないからです。

当然のことです。誰も未来のことは分かりません。しかし、分らない未来に向かって私たちは進んでいかねばなりません。
誰しも、新しいことへ挑戦するのは不安を抱きます。
誰しも、今の環境を変えてしまうことは苦痛です。
だからこそ、「どうだい?この方向へ進めば、こんな未来があるよ?」と、誰も見たことのない世界を活き活きと描く必要があります。ここに戦略を立てる意義があります。

政治・行政主導で行われた観光まちづくり会社の立ち上げには、この戦略、すなわち「活き活きとした未来像」が抜け落ちています。行政にとっては、観光まちづくり会社を立ち上げることがゴールであり、道の駅を完成させてテープカットすることが最終目標なのでしょう。しかし、会社は生き残って社会に貢献しなければなりません。道の駅は潰れずに運営する必要があります。「全力で間違った道を進ませている」どころか、行政は道の方向性すら示すことなく進ませているのです。

この点を具体的に見ていきましょう。



本当に戦略が欠けているのか

前回も取り上げましたが、ここでもう一度、市民の皆さんに目を通していただきたい書類があります。
勝山市観光まちづくり会社を日本版DMOとして認定して欲しい」と国土交通省に提出した書類です。
 (リンクはこちら


何となく戦略っぽいことが書かれてあるようですが、このペーパーには、戦略の「せ」の字もありません。

サッカーを例に考えてみましょう。
監督の仕事は、チームを勝利に導く戦略を構想して、それを実行に移すことです。

日本代表チームの監督が、「監督!どういった戦略でワールドカップに挑みますか?」と尋ねられたときに、「日本代表の戦略は、決勝トーナメントのベスト4だ」と答えたら変な感じがしませんか?それは戦略ではなく、目標だからです。
国土交通省に提出したペーパーに描かれている数字は、目標であって戦略ではありません。

「次のブラジル戦だが、ブラジル攻撃陣はこういう風に攻めてくるはずだ。グラウンドコンディションは〇〇で、当日の温度は〇〇。湿度は〇〇だ。それが日本代表の戦略だ」と言われても、意味不明です。それは戦略ではなく、環境の分析ですから。恐竜博物館に何万人来る、自然環境は素晴らしい。歴史遺産がある……等々は、市場環境の分析に過ぎません。

「日本代表は、この23人だ。先発メンバーには遠藤を軸としてこういうポジションでいく。このタイミングで、このメンバーをこういう風に変えていく。これが日本代表の戦略だ」と言われても納得できません。それは戦略ではなく、組織編成の問題です。
商工会議所をはじめとした各種団体の組織で臨む……と言われても、それは単に組織の話。戦略ではありません。同様に、長尾山や花月楼を組み合わせて行くのだ……という説明も、「スターティングメンバーは、長友、本田…で行く」式の説明の域を超えていません。

「日本代表の戦略は、攻撃的に行くことだ」
このような雑な戦略はないはずなのですが、世の中には溢れかえっています。いわゆるバズワードと呼ばれるもので、経営の世界で言えば「メガコンピタンス」「フラット化」「SCM」「CSR」……など枚挙に暇がありません。

観光の分野では「観光の産業化」が代表例でしょう。聞けば感覚的に理解できるが、具体的に何も説明していない言葉。これも戦略ではありません。

このペーパーを読み終わった後に、「まるで証券マンの営業みたいだ」と語った人がいました。まさに的確な反応といえるでしょう。「儲かりまっせ、損はさせませんよ」だけでは、人は心の底から納得できないのです。


戦略を欠くと何が生じるか

戦略を欠いた行動は、「進むべき未来像」を欠くがゆえに次の結果をもたらします。
 ①現場が動きがチグハグなものになる
 ②したがって、現場の周囲が動かなくなる
 ③結果として、お客は動かない

「進むべき未来像」を欠けば、現場の行動はひとつのベクトルを向きません。したがって現場の動きはチグハグなものになります(①)。その結果、現場の周囲の動きは鈍くなっていきます。観光まちづくり会社で言えば、花月楼や長尾山の施設へ納品している組織・事業者が、新規製品の開拓などへ意欲を燃やしません(②)。
そして、ここが肝心な点ですが、①と②から導き出される結論として、お客が動きません。現場も現場の周囲も動かない場所に客が来る道理がないのです。
(この道理は、拙稿の後半において具体的に説明します)

①~③の結果を外部から見ていると
「チグハグだ」
「やる気がない」
「税金の無駄だ」
といった評価が観光まちづくり会社に向けられるようになります。これでは必死で頑張る現場が報われません。




では、どうするのか?まずは2つのものを揃えるべき

戦略が欠けているから、間違った道を全力で走らされる。
ならば、今からでも戦略を立てるべきです。

では、どのように?

最低限、次の2つを揃える必要があります。
それは、
 ①活き活きとした未来像
 ②そこへ至る道筋

ひとつひとつ、具体的に見ていきましょう。



ハッピーエンドの物語には、未来像が欠かせない


再度申しますが、戦略とは、未来を知ることのできない私たちに、「どうですか?こんな未来は。ワクワクしませんか?」と問いかけるものです。

したがって、出来の良い戦略は、通常、物語の形式をとります。物語形式がもっとも人の心を動かすからです。

そして、物語は「描くべき未来像」から始まり、「ハッピーエンド」で終わるのが常です。

例えば、アマゾンの物語。

 アマゾンの物語が描く未来像は、「買い物がワンクリックで終わって、翌日には自宅に届くような世界って便利だよね」に尽きます。もちろん、その未来像へ辿り着くための技術的強みは多岐にわたりますが、描く未来像は1点です。
 そして、アマゾンの物語は「そんな世の中が実現できました。結果としてアマゾンの利益は上がりました。めでたし、めでたし」とのハッピーエンドで締めくくられます。

 スターバックスの物語が描く未来像は、「家と会社以外にくつろげる場所があるといいよね」というものでした。彼らはそれを「サードプレイス(第三の場)」と位置づけ、それを実現するために通常では考えられない手法を用いて、物語の筋(論理)をつないでいきました。しかし、物語の描く未来像は1つです。
 そして、この場合でも、「そんな場所が実現できました。結果としてスターバックスの利益は上がりました。めでたし、めでたし」とのハッピーエンドに落ち着きます。

では、観光まちづくり会社の物語は、なんでしょう。
次の2点に要約できます。
 ①勝山に観光客が来ています。
 ②物販・飲食等で利益をえました。めでたし、めでたし。

これを
 ①「買い物がワンクリックで終わって、翌日に自宅に届くような世界」をつくる
 ②それを実現できました。結果として顧客が来ました。
 ③物販などで利益を得ました。めでたし、めでたし。
とのアマゾンの物語とを比較したときに、抜けているのは①の「未来像」であり、それこそが、まさに「戦略の核となる未来像」の欠如なのです。

厳密に言えば、観光まちづくり会社の物語は、次の構成を採るはずです。
 ①(未来像)
 ②観光まちづくり会社の描いた未来像へのスキームができました。
 ③市内事業者が利益を伸ばし始めました。
 ④結果として、観光まちづくり会社も利益を伸ばし始めました。
 ⑤めでたし、めでたし。
③と④は公的側面を持つ観光まちづくり会社特有のロジックです。ここでは、アマゾンと比較するために、敢えてそこには触れませんでした。

ならば、どのような未来像を描けば良いのでしょうか。

私は何でも良いと思うのです。
 「観光客がびっくりするような勝山にしよう」

もちろん構いません。面白いじゃないですか。観光に行けば、混雑した観光地に、どこで昼食をとれば良いのかもわからない情報不足、クタクタに疲れた側で「もう飽きたよ~、次はどこへ連れてってくれるの?」と容赦なくねだる子供。
 世の中に、そんな観光地が溢れている中で「勝山へ行ったときだけは、ちょっと違った」とのサービスを提供するのも面白いでしょう。



未来像へ辿り着く道筋が必要だ

未来像を作れば戦略になるというものでもありません。そこへ辿り着く道筋が明確でなければ、未来像は「絵にかいた餅」でしかありません。ジョン・レノンが高らかに名曲「イマジン」を歌おうとも、その未来像へ辿り着く道筋が不明では、その未来像は決して現実のものにはなりません。
(もちろん、そのことをもって「イマジン」の価値は一分も損なわれませんが)


仮に
「観光客がびっくりするような勝山にしよう」
との未来像を描いたとしましょう。

すると、色々な情景が頭の中に浮かんできます。
「飲食店で、こんなサービスを受けたら、観光客がびっくりするだろうな」
「旅館で、こんなおもてなしがあったらどうだろう」
「こんなパッケージツアーを作ったら、わくわくするよね」
自分が観光客なら、こんなサービスを受けてみたい……との思いは誰しもあるはずです。そこからスタートするから、その情景には血肉が通っています。


その情景を現実のものとするためには、変えなければいけない箇所は多岐にわたります。飲食店や旅館のサービスのあり方、土産物の売り方見せ方、観光地でのサービスの仕方といった表面に出てくる改革もあれば、情報連絡の取り方、お客のフィードバックを活かす体制づくり……など表面・裏面での抜本的な改革が必要になるでしょう。

それが、未来像へ辿り着く道筋です。
「〇〇をこういう風にすれば、✖✖が生じます」
「結果として、観光客は驚きます」
「観光地に飽き飽きしている観光客を驚かせて、『もう一度勝山へ行きたい』と思わせましょう」
との道筋が通ります。


そして、なによりも観光まちづくり会社のスタッフは言えるのです。
「観光客が驚く顔を一緒に見ましょうよ」
と。
飲食店へ営業に行き、観光客が驚くような「ちょっとしたサービス」をつけてくださいとお願いできます。実際にそんなサービスが提供されるならば、喜ぶのは観光客だけではないでしょう。平常使う勝山市民も喜びます。店も売り上げの増が期待できます。
 観光客を驚かすようなツアーパッケージ、観光客がびっくりするような緊急時の対応、それを可能にする組織づくり、そういったものを積み重ねていけば、他の観光地と一線を画する「観光地としての勝山のポジショニング」も明確になります。
 重要なことは、戦略を立てることにより、人々のベクトルをひとつの方向へまとめること。すなわち、この物語に携わる人々が「それなら俺にも出来ることがある」と具体的なイメージを喚起できる点なのです。


前述したように、戦略が欠如することは
 ①現場が動きがチグハグなものになる
 ②したがって、現場の周囲が動かなくなる
 ③結果として、お客は動かない
との結果をもたらします。
政治・行政主導で進められた観光まちづくり会社の設立と運営方法には、決定的に戦略が欠けています。戦略が欠けたまま動くことは、現場のスタッフを苦しめ、周囲の事業者を困惑させ、ひいては市民に迷惑をかけることでしょう。
そこには、目指すべき未来像も、それを可能にする手段・目標も、人々を糾合するベクトルもないからです。

「儲かりまっせ」は、戦略ではないのです。

拙稿の「観光客を驚かせよう」との戦略は、旧・勝山市観光協会が作り上げた幻のペーパー『観光ビジョン2016』を参考にしました。県の観光課職員が驚愕したこのペーパーは、異色の戦略と言えるものでした。のちに、くだらぬ政争の具として潰され、日の目を見ない結果になりました。勝山の観光を考える上で、実に残念なことです。




ものごとは戦略通りに動かないからこそ、「任せる度量」が必要になる

しかし、観光まちづくり会社が戦略を立てて挑もうとしても、それだけでは足りません。物事は戦略通りに動くはずがないからです。したがって、そこを「じっとこらえてやらせる」度量が求められます。

DeNA創業者の南場智子氏は、世界的なコンサルティング会社であるマッキンゼーの共同経営者でした。ありとあらゆる理論に精通する戦略家ですが、いざ事業を始めてみると、本人が書くには「失敗のフルコースを片っ端から経験した」そうです。
挙句に、「ビジネススクールで学ぶことは役に立ったかとよく訊かれる。自らの経験から率直に話すと、私はかなり懐疑的だ」とまで述べています。

戦略がなければ間違った道を行く。これは前述したとおりです。しかし、戦略が指し示すのは方向だけです。道なきところに道を切り開いていく実務では、想定外のことが起こります。チラシの写真1枚、煽り文句ひとつで集客が異なるのが現場の実務です。そのような現場で数えきれない失敗を重ねてこそ、はじめて成功はもたらされます。

観光まちづくり会社も、失敗を重ねることでしょう。その失敗を重ねる現場を「じっとこらえてやらせる」だけの度量を発揮するのは、行政・政治の役割です。しかし……どうもそれを期待できそうにありません。

拙稿の冒頭で申し上げた、観光まちづくり会社の方との会話の中で、興味深いことを伺いました。
「観光まちづくり会社の売り上げから、1000万円が勝山市に支払われている」

全くもって行政のやることはチグハグです。
観光まちづくり会社の売り上げから1000万円を納めさせて、市の一般会計に混ぜてしまうくらいならば、その1000万円を
「観光活性化の独自の政策に使ってくれ」
「その事業内容は、現場を知る君たちに任せる」
と言えば良いのです。
その1000万円を新しい観光事業に充てることで、新たな顧客を呼び込むことができる。これが通常の発想です。行政がやろうとしていることは、
「今年はこれだけの収穫があった。これなら、来年の作付けを増やすことができる」
と言っている農家から、来年度の種もみを取り上げる行為に似ています。
金の卵を産むニワトリは、太らせてこそ良い卵を産むことができるのです。

行政が観光実務をすることはできません。行政が観光戦略を立てることもできません。だからこそ、実務もこなせて観光を一元化する存在として観光まちづくり会社が求められたのであり、議員時代の私も賛成しました。

ならば、なぜ一元化させてあげないのか。
なぜ、任せられないのか。



まとめ ー今、なすべきことはなにかー

私の中で「このままならば、観光まちづくり会社の経営は行き詰るだろう」との思いは豪も変わりません。同時に「勝山市民の支持も得られないだろう」との思いも同じです。

今からでも遅くはありません。
次のことをすべきです。
 【A】観光まちづくり会社は、独自に戦略を立てて実行する
 【B】行政は、その支援に徹する


【A-①】戦略づくり
まず求められるのは、戦略です。
 (1)未来像(活き活きとした未来像)
 (2)それを実現する具体的手段(具体的事業、組織体制など)
 (3)他市町とのポジショニングの違い
最低限、この3つは求められます。
ここで特記すべきは、この戦略をたてるべきは観光まちづくり会社の人々だという点です。周囲の人々や行政に意見を聞くことも必要ですが、最後の最後で決断すべきは観光まちづくり会社です。



【A-②】戦略の実務への落とし込み
観光まちづくり会社の戦略は、実務へ落とし込まねばなりません。そこでひたすら試行錯誤を繰り返すこととなるでしょう。重要なことは、
 (1)小さなミスを数多くこなす
 (2)そのミスを微調整しながら、ひとつの成功へつなげる
 (3)その成功は、戦略の文脈に置かれる内容であること
 (4)その成功は、必ずしも大きなものでなくともよいこと
との方針を明確にしておくことです。
失敗を許容しない組織は伸びません。試行錯誤は失敗を前提とした考え方です。しかし、どうせ失敗するなら小さい失敗を数多くこなしていった方が良い。(1)の点です。その小さな失敗を微調整しながら、事業を成功へと導いていきます。新たな土産物を製品開発する場合でも、新しいツアー製品を企画する場合でも、イベントをしかける場合でも何でも同じです。これが(2)の点です。
ただし、その成功は、必ず戦略の文脈に置かれる内容でなければなりません。戦略の道筋から外れた成功を重ねても実に結びつきませんから。これが(3)の点です。
(唯一の例外として「予期せぬ成功」というケースがありますが、今回はそこに言及するのは避けましょう)

そして……ここが肝心の点ですが、その成功は大きなものでなくて良いのです。
議員生活13年。そして一人の市民として2年。勝山の観光行政を見てきましたが、残念なことに成功した事例はふたつしかありませんでした。
(その2つが何であるか。それはここで述べません。ただ、奇妙なことに、この2つはいずれも市外の人が成し遂げた成功です)

勝山市民は、成功に飢えています。小さな成功で良いのです。
 ・わくわくする未来像と、そこへ至る道筋を示す(戦略の提示)
 ・小さな成功を積み重ねる
このことにより、市民は「この小さな成功が大きな物語の実現につながる」と実感できます。戦略の文脈にそった小さな成功の積み重ねこそが、市民に希望を持たせ、次へのチャレンジへと進ませるのです。これが(4)の点です。
(この論理から言えば、「一発逆転」の大技をかけることは意味がありません。「道の駅を作ればなんとかなるだろう」式の大技は、市民に「どうせ失敗するって」との不安を呼び起こすからです)


【A-③】市民に対する定期的報告
勝山市が出資者であるということは、勝山市民が出資者であるということです。ならば、出資者である市民に事業報告をすることが求められます。

しかし、出資者である市民へ事業の成果を報告することは、単に「株主への説明責任」を果たすといった意味以上の効果をもたらします。

観光まちづくり会社
 (1)新しい未来像を掲げていることを示し
 (2)その未来像へ向けた事業を着々と展開し
 (3)失敗も含めて成果を上げているのだ
といった点を市民に示すこと、それ自体が市民の気運を高めていくのです。




そして、行政は行政で次のことをすべきでしょう。

B-①】枠をつくらない
前述した1000万円の話も論外なものですが、例えば、観光まちづくり会社が、次のような提案をしたとします。
「私たちの戦略の主軸になるのは、恐竜博物館のある長尾山総合公園だ」
「今でこそ、恐竜博物館はメジャーなものの、長尾山総合公園そのものの訴求力は高くない」
「恐竜博物館がある長尾山総合公園を、こんなコンセプトで統一しよう」
さて、行政は聞いてくれるでしょうか。

かなりの高確率で、
「だめです」
と言うか、
「それは、政治マターですので、私たちの権限外です」
と言うでしょう。いずれにせよ、門前払いです。

政治マターまで行政がこなし始めると、ややこしいことが生じます。しかし、観光まちづくり会社は産声を上げたばかりの、いわば、よちよち歩きを始めた組織です。枠をつくらずに対応すべき段階です。観光まちづくり会社が戦略を立て、独自の観光事業を展開することを最終目標とするならば、今は枠をつくらずに対応できるものは全て対応することが求められます。



B-②】市民への公開義務を果たすための資本上積み

前回の拙稿でも述べたように、観光まちづくり会社の収支状況は市民に公開されません。なぜなら、公開する義務がないからです。
なぜ、公開する義務がないのか。それは、勝山市が出資した240万円が、地方自治法に定める「市民に説明義務が発生するライン」である「資本金の25%」に達していないからです。

逆に言えば、あと100万円積み増しをするだけで、資本金1000万円の25%に達して、堂々と勝山市は観光まちづくり会社の収支を市民に報告することができます。

harukado0501.hatenablog.com


私が常々申しているのは、「暗くするからオバケが出る」ということ。明るい昼間からオバケは出てきません。暗くするからオバケは出るのです。
公表しないから「隠してるんじゃないのか?」と疑われ
「隠しているんじゃないのか?」と疑われるからこそ、「悪いことしているに違いない」と邪推される。

堂々と公開すればいいじゃないですか。
ビジネスに失敗はつきもの。堂々と公開して、観光まちづくり会社が立てた戦略とともに市民に説明すれば良いだけなのです。
「観光まちづくり会社は、こんな未来像を描いている」
「私たち勝山市は、この未来像を真摯に受け止め、全力で応援している」
「今は、まだうまく行かないことの方が多い。それは収支決算書を見てもお分かりのとおりだ」
「だが、長い目で見てあげて欲しい。勝山の若いもんが頑張ってるのだ。応援してあげて欲しい」
と、なぜ行政は言えないのでしょうか。


どのような事業であれ、その成否を握るカギは「人」です。立派な誘客施設を作ろうとも、観光施設を建設しようとも、箱モノで人は来ません。
勝山の魅力を作るのも「人」ならば、それを発信するのも「人」です。そして、勝山を訪れるのも「人」です。

そして、「人」を育てるのも、また「人」なのです。そこを弁えない限り、行政は擦り切れるまで人材を使い続け、事業も育たない……という、いつもの展開を繰り返すだけになるでしょう。