月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

市民は行政情報をどこまで知りうるのか   -『行政2.0』における情報の取り扱いー

はじめに

「行政が何をやっているのか。わからない」との疑問を、多くの人々が持ちます。

 例えば、全国ニュースにまでなった勝山市の給水・断水騒動。
 本年1月29日(月)から始まった断水・給水制限は、2月26日(月)に解除されるまで続きました。1か月以上にわたる給水制限の原因はどこにあるのでしょう。
 今年は56豪雪以来の大雪でした。この大雪への対策として家庭で融雪・消雪に上水道を用いたことが給水制限を引き起こしたとの見方があります。しかし、雪の少なかった昨年も給水制限は行われたのであり、2年連続で給水制限が行われたことを大雪では説明できません。
 なぜ、断水・給水制限が起きているのか。市民には理由は知らされないままです。

 池田中学の男子生徒が校舎から飛び降り、自ら命を絶ってから1年。昨年10月に公表された調査報告書には、担任や副担任の厳しい叱責が生々しく記載されていました。なぜ、学校内の指導内容が保護者に伝わっていなかったのでしょう。

 国でも同様の状況が生じています。
 現在、国会を大騒動に陥れている森友学園の文書改竄問題では、決裁文書を書き換えるという、およそ行政執行にあるまじき行為の真偽が取りざたされています。

なぜ、行政は情報を出さないのでしょうか。
情報を出さないことは、どのような弊害を生むのでしょうか。
仮に情報を出すとするならば、どこまで出せば良いのでしょうか。



行政が情報を出さない理由

行政が情報を出さない理由。
それは、情報を独占することが力の源だからです。

 ここに二人の人間がいます。ひとりはある事柄についての情報を熟知していますが、もうひとりは情報を全く持っていません。このように圧倒的な情報格差がある場合を情報の非対称性と呼びます。
 そして、ここが重要な点ですが、明らかに情報の非対称性があるとき、情報を持たない人は情報を持つ人に対して従わざるを得なくなります。
 なぜ、私たちは医者に従うのでしょうか。私たちは医学情報に無知であり、医者は医学情報を持っているからです。ここには、明らかな情報の非対称性が見受けられます。弁護士もそうです。私たちは、情報の非対称性があるときに、相手に従わざるを得ません。
 しかし、医者や弁護士が持つ情報の格差は許されるべきです。なぜなら、私たち一般人との知識格差があるがゆえに、彼らはプロフェッショナルとして市場価値を持つのですから。
 ならば、行政が市民との間に情報格差を設けることは許されるのでしょうか。

私は許されるべきではないと考えます。

その理由は3点あります。

 第1に、行政が扱う分野は市民サービスです。市民にどれだけのサービスを提供するのか、ここで行政スタッフはプロフェッショナルとしての技能を有する以上、そもそも情報を出し惜しみする理由が存在しません。

第2に、「協働した問題解決」に逆行するからです。本当に行政が市民と協働して地域の問題解決を図ろうとするならば、情報格差を設けることは市民の問題解決参画を拒むものです。

 第3に、情報を出さないとする文化は、内向きの発想を生み、次第に「情報を隠す文化」へと進むからです。これが由々しき問題を生みます。



行政は情報を隠すうちに、市政の課題も見えなくしてしまう

 情報を出さないことと、情報を隠すことは全くの別物です。
 情報を出さないことは、本来、出す必要性のない情報を対象としています。あなたの年収の額がいくらであるか。そのような情報を公開する必要はありません。
 これに対して、情報を隠すこととは、出す必要性のあるのに出さないことです。あなたが年収を正確に税務申告しない場合、罪に問われることでしょう。なぜなら、税務署に対して年収情報を出すべきにもかかわらず、あなたは出さなかったからです。

行政は情報を出しません。前述したように情報の非対称性を生むことこそが、行政の力の源だからです。そして、情報を貯め込み続けていくうちに、「情報を出さない文化」は容易に「情報を隠す文化」へと姿を変えます。

なぜ、情報を隠すのでしょうか。

一言で申せば楽だからです。
仮に誤った場合でも、情報を隠しておけば叱責されることもありませんから。


しかし、情報を隠すうちに、行政は大きなものまで市民の目から遠ざけてしまいます。

市民の目から遠ざけられているもの。それは、市政が解決すべき課題・問題です。

今冬の断水・給水制限などは、典型的な事例でしょう。

私は、老朽化に伴う水道管の破裂が原因だと考えています。市議会議員時代から私も水道管交換を主張し、一部の議員の間でもこの問題は深刻な結果を産むと予想されていましたが、手つかずの状態で放置されたままです。
 しかし、行政から正確な情報は市民に流れてきません。水道管の老朽化はどの程度進んでいるのか。改修工事の予定はどうなっているのか。その財源は手当できるのか。そういった問題や課題が明らかにされないまま、事態は隠されたまま静かに進行していきます。
 そして、抜き差しならない状態になったときに多くの勝山市民が気づきます。

上水道の漏水が原因であるならば、老朽化した水道管は順次交換していかねばなりません。でなければ、漏れた水は道路下の土壌を流し続け、道路が陥没し始めます。

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この段階まで来て、人々は「市政の課題・問題点」の深刻さに気づきます。しかし、気づいた時には既に手の施しようがないところまで事態は進行しています。




情報を出さないことは、市政の課題を見せない文化を作り上げ、結果として市政に重大な影響を及ぼします。

情報は公開すべきです。

ならば、どこまで公開すべきなのでしょうか。



どこまでの情報を公開するのか

私が構想している行政の新しい姿「行政2.0」では、情報の公開・共有を重要な点と位置づけています。

では、情報はどこまで公開するのか。

2点を公開すべきと考えます。
①政策決定権者が、政策決定の材料とする資料のすべて
②政策決定に至るまでの過程


政策決定権者とは、通常、市長です。つまり、勝山市長がAという政策を決断する材料のすべてに勝山市民はアクセスできなければなりません。加えて、政策決定に至ったプロセスについても同様です。



なぜ、全ての情報を公開すべきなのか

なぜ、すべての情報を公開すべきなのでしょうか。
理由は3点あります。

まず、行政2.0の主たるテーマである「現場第一主義」が挙げられます。

市政の課題や問題は、常に現場でしか起きません。教育や福祉、産業育成、公共交通、中心市街地活性化といった市政の課題や問題は、常に現場で発生します。そして、問題が現場で発生する以上、その解決方法も現場で探らねばならないのです。

行政2.0での「現場第一主義」では、トップダウンはおよそあり得ません。確かに、制度そのものを変えねばならない事態は発生するでしょうが、それも現場の声を受けてのことです。
 その現場で問題解決を図ろうとする人々は、市民と行政スタッフであり、彼らに全ての情報が開示されていなければ、そもそも決断ができません。


第二に、情報を全て開示しなければ市民は行政に対して信頼感を抱きません。

市民協働、現場第一主義……そのような奇麗ごとを並べたところで、肝心の情報すら完全に開示しない相手に、人は信頼感を抱くでしょうか。
「どうせ、役所が決めるのだろう?だったらあいつらに任せておけばいいじゃないか」
といったお役所任せの体質は、まさに不信感の表れなのです。

その不信感の矢面に立たされているのは、現場の行政スタッフです。彼らは一生懸命に現場で仕事をこなしますが、市民の行政不信から不当な扱いを受けていると言っても過言ではありません。彼らを守るためにも、情報は広く開示し市民の誰もがアクセスできる状態を作る必要があります。

「明るいところにお化けはいない」と言うではありませんか。すべてを公開し、秘密などない状況にしておけば、誰も不信感を抱きません。暗闇を作るからこそ、人はそこに疑心を抱きます。
そして、その疑心を逆手にとってのさばる輩も出てくるのです。情報を完全に公開することは、その手の輩を排除する効果も持ちます。



第三に、情報を全て開示することは、市政の方向を市民に伝える効果を生みます。

経済学には「機会費用」との考え方があります。我々はいくつかの候補の中から、たったひとつの行為しか選択することができないのです。
「結婚しなかったら、私の人生はどうなっていただろう」などと妻は時々私に語りますが、それも機会費用の考え方です(どういう趣旨で私に語るのかは謎ですが)。

政策も同じことです。我々が有する資源が無限でない以上、ある政策を選択することは別の可能性を捨てることを意味します。それでも、我々は選択し前へ進んでいかねばなりません。
政策決定権者である市長が政策を決定する。その際に判断材料とした全ての資料は市民に公開される。会議の議事録も何もかも。その資料の中では「勝山市はこれからどの方向を目指すのか」が明らかにされているのです。



すべての情報を公開して大丈夫なのか?と疑問をお持ちのあなたへ

私が「市長が持つ情報のすべては、市民に公開すべきだ」と言うと、「そんなことをして大丈夫なのか?」と不安気に答える人がいます。

逆に、公開することでどのような不都合が生じるのでしょうか。

国レベルであるならば、外交情報や軍事情報などの機密情報はあるでしょう。これらが公になることで国家に不利益をもたらすことは十分にあり得ることです。
しかし地方自治体レベルで、秘匿にすべき情報はありません。

市民の個人情報以外の情報を公開することで、勝山市に不利益になることはないのです。




どのような方法で、情報は公開され討議されるのか

では、どのような方法で情報は公開されるのか。  

情報公開は様々な手段により行われることとなるでしょうが、「進捗ボード」と呼ぶWebページを構想中です。これは、各地区からの要望事項や具体的な諸問題が、現在、どのような取り組みをされているのかをリアルタイムで表示するものです。協議段階であれば、何月何日の会議にかけられたのか。その議事録はどうなっているのか。「何が問題になっているのか」「その問題はどのような解決が図られているのか」を明らかにするものです。

この進捗ボードや様々な方法で情報は公開され、勝山市民は全ての情報にアクセスできるようになります。


勝山市民に求められる姿勢

行政が情報を完全に開示するためには、行政内部の有り方を改善することが求められます。同時に、勝山市民の皆さんにも意識を変えていただかなければなりません。

「我々が責めるべきは、人でなく、課題・問題である」といった問題解決型の発想に立っていただきたい。でなければ、情報を開示する意味はありません。

我々は、ややもすると現状への不満を他人に負わせがちです。
「勝山がダメなのは〇〇のせいだ」
「〇〇がしっかりしていないから、何をやってもダメだ」
「あそこの連中が足を引っ張る」……等々。
しかし、他人を責めてばかりいても一時の憂さ晴らしにはなるものの、課題は解決されないまま放置されます。

我々の目の前にあるのは問題であり課題です。勝山市民は、行政スタッフであろうと市民であろうと、等しく「一緒に問題を解決する仲間」なのです。
この意識が醸成されない限り、情報公開は犯人捜しの道具にしかなりません。
情報を公開した、しかし、公開したために行政スタッフは更に批判されるばかりだ……というのでは、元の木阿弥です。行政は再び情報を出し惜しみすることになるでしょう。

情報公開を活かすも殺すも、そのカギを握るのは勝山市民の皆さんなのです。