月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

松村治門講演録 「想いを伝える」 vol.1

 

この講演録について

資料を整理していたら、たまたま1年前に行った講演の音源が出てきました。
良い機会なので、文字起こしをして加除添削して、記録として残しておきます。実際の講演は、パワーポイントを使って行いましたので、パワーポイント資料も上げておきます。

なお、講演は、高齢者を対象に行われました。



この講演の内容

みなさん、おはようございます。本日は、お招きいただきありがとうございます。
今日は、「想いを伝える」というテーマで、休憩を挟んで1時間半くらいのお話をしたいと考えています。

さて、本日の内容は次の3つの点についてです。

ひとつは、なぜ「想いを伝えること」が必要なのでしょう。

二点目は、我が国の不幸感は、どこから来るのでしょう。この問題です。

これについては、少々お話をしなければなりません。20世紀から21世紀に変わろうとする境目で、村上龍という作家が「希望の国エクソダス」という小説を発表しました。

あらすじをばらすと読んでない方々がご迷惑でしょうから、詳細は述べませんが、ざっくりとしたあらすじだけ。近未来の日本を舞台に、いきなり80万人の中学生が学校を捨ててビジネスを始めるという話です。この中学生たちが発した言葉が、この小説を有名なものにしました。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

いつの間に、「日本には希望がない」と言われるようになったのでしょう。そして、中学生がそういうのであれば、皆さん、高齢者はどうなのでしょう。

(「あんまり高齢者、高齢者って言わないで」との発言あり)

そうですか。それなら、「お年寄り」と呼びましょうか。

(「それもイヤだな」との発言あり)

そうですか。では「おじいちゃん・おばあちゃん」とお呼びしましょう(会場笑)。
おじいちゃん・おばあちゃんたちの幸福はなんでしょう。そこを考えてみたいのです。
これが二つ目。


三つ目は、「想いを伝えること」とは何でしょう。誰に何を伝えるのでしょう。

この3点を今日はお話したいと思っています。

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なぜ「想いを伝えること」が必要なのか

なぜ「想いを伝えること」が必要なのか。結論は簡単です。皆さん、おじいちゃん・おばあちゃんたちの社会の中でのポジションが変わってしまったからです。

皆さん、こんなことを考えていませんか?
「若い者の邪魔にならないようにしなくちゃいけない」

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うなずいていらっしゃる方も、かなりいらっしゃるようです。



ここで、ちょっと歴史の話をしましょう。

昭和30年代というと、皆さんが若かりし頃のお話です。その頃の勝山の風景を思い出してください。ひょっとすると、まだ勝山にお嫁に来られていない方もいらっしゃるかもしれませんが、日本の農村風景はだいたい、どこも同じでした。

昭和30年代の農村生活は、昭和一桁の年代の農村生活とほぼ同じです。もちろん、細々としたものは違うでしょう。鉄道が通っていなかった。灯りは電気じゃなくランプだった。そういった違いはあるでしょうが、基本的なライフスタイルは同じでした。

昭和一桁の農村生活は大正時代のものと同じです。大正時代の農村生活は明治時代と似ていて、明治時代の農村生活や江戸後期のものと根っこは同じ。こうやってさかのぼっていくと、昭和30年代の農村生活はどこまでさかのぼるることができるでしょうか。

歴史学者網野善彦によると、昭和30年代の農村生活は室町時代前期にまでさかのぼることができるそうです。つまり、細々とした違いはあっても、約600年以上にわたって農村生活は一貫していたのです。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

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ところが、高度経済成長が始まって高齢者の皆さんの立場は大きく変わりました。



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経済が成長する時期は、専門家の時代です。会社に行けば、営業のプロ、経理のプロがいる。農業には農業のプロが、林業には林業のプロが。そうやって、効率を高めていくから経済も成長する。そういった時代です。ですから、高度経済成長期から職業が細かく分かれていくようになりました。

これ、昔は違ったわけです。一人の人間が、農業もできる。山仕事もできる。山に入れば食べられる草と食べられない草も判別できる。独りでなんでもできる人をジェネラリストと呼ぶのですが、究極のジェネラリストです。無人島へ連れて行っても、ひとりで生き延びられる人が昔の人です。

そう考えると、政治のプロなんてのは全く無人島では役に立ちません(笑)。なにしろ、政治家というのは変な職業で、米一粒育てることもしなければ家一軒建てることもしない。無人島へ連れて行ったら真っ先に餓死する職業です。

話を戻しますと、昔の人は究極のジェネラリストでした。何でも知ってるし一家言持っています。ですから、若い者がわからないことがあると、尋ねてくるわけですね。

楽隠居なんて言葉がありますが、昔の人は早ければ30代で隠居してしまう。隠居して何をするのかと言えば、村の仕事をするわけです。小さな頃から農作業や山作業、村作業を30年近くしていると30代後半くらいになります。30年も繰り返していれば、その道のプロです。ですから色々な世間知、ノウハウがある。その知恵を、今度は村落共同体のために使おう。それが隠居の意味です。

それが成り立つ前提には、「困ったことがあれば年寄りに聞け」というルールがあります。農作業や山作業だけではありません。家庭内の困ったことや悩み事も年寄りに聞くのです。

スライドにあるのは、民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人」です。

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

 

この本には、宮本常一がフィールドワークで得た話が収められており、昭和初期の農村風景を見るには絶好の書です。この中で、先ほど述べたように、若嫁の愚痴を聞く役割の老人などが出ています。

こういった、「なんでも年寄りに聞け」という風習は、高度経済成長で失われてしまいました。なぜなら、どの分野でも「その道のプロ」がいるからです。おばあちゃんの知恵を利用しなくても、子供が病気になったら小児科へ連れていけばいい。孫が熱を出したからと言って下手に手を出すと、お嫁さんに叱られますしね(爆笑)。農業やっててわからなくなったら農協に聞けばいい。そうやって、「なんでも年寄りに聞け」という風習はなくなってしまった。

でもね。私、思うんですよ。ありとあらゆる分野にプロはいるのですが、唯一、プロがいない分野がある。
それは「生き方を教える」という分野。

パソコン使わせたら、申し訳ないが、皆さんは20代の若者には太刀打ちできませんよ。もちろん、私も太刀打ちできません。
でも、「生きるとはどういうことか」「苦しいときをどうやって切り抜けていくのか」といった生き方の点で、若者は皆さんに太刀打ちできません。

よく言うでしょ?「汝の食したる飯粒の数、我が舐めたる塩粒の数に及ばず」って。お前みたいな若造がいきがったところで、お前の食ってきた米粒の数よりも、俺が流してきた汗水、これには悔し涙とかいろんなものが入るのでしょうが、その塩粒の数が多いんだよ……と。人生を歩んできた人にしか言えないセリフです。

皆さんは、長い人生を歩まれてきた方々です。それだけで、私は尊敬されるべきだと思う。心から思ってます。
なぜなら、「生き方」を教えることができる人は、皆さんしかいないから。

ちょっと余談ですが……というか、私の話には余談しかないのですが(笑)、よく知育・徳育・体育と言うでしょ?教育に必要なものは、知・徳・体だと。それで、知を教える大学はいくらでもあります。体育を専門に教える大学もあります。日本体育大学とか。それじゃ、徳育を専門に教えている大学ってあります?ないんですよ。なぜなら、それは教えるものじゃない。見て学ぶものだからです。

それじゃ、誰を見て学ぶのです?皆さんを見て学ぶんです。苦しいときや悲しいときを乗り越えてきた皆さんを見て学ぶのです。

時々、聞くんです。「最近の年寄りはワガママだ」って。うなずいている人がいますが、うなずいている皆さんも、そう言われているかもしれない(爆笑)。
ワガママになるのは当然なんです。だって、おじいちゃん・おばあちゃんに聞いてくれないじゃないですか。見てくれる人がいなかったら化粧する人なんていないでしょ?それと同じで、聞いてくれる人がいなかったら、「生き方」を教えようという気にもならない。教えることもないのなら、それを自分の背中で示そうという気にもならない。だから、ワガママになるのは当たり前です。

「生き方」を伝える。それはまさに「想いを伝える」ことと同じだと私は考えています。




「想いを伝えること」は難しい


それじゃ、「想いを伝えよう」としても、これがとにかく難しい。

身近にいても、想いを伝えることは難しいものです。あれは、確かフランスの詩人で……だれだっけ。うろ覚えで申し訳ないのですが、「道を歩いていたら、向こうから老人と青年が連れ立って歩いてきた。二人の間に会話はなかった。それで私は理解する。彼らは親子であると」そんな内容の詩だったと記憶しています。

男性の方ならお判りでしょうが、息子はある年齢になると父親と会話をしなくなります。何を話してよいのかわからないから。私も父親と世間話ししかしません。もどかしい関係ですね。

ここで、とある企業のCMをご覧ください。CMの中に、本人の想いを語る分身というか黒子が出てきます。もしも、こんな黒子がいたならば、コミュニケーションはもっと楽なものになるのかもしれません。


SUUMO ココロの声ストーリー




例えばね、これ。ここにいらっしゃるご年配の方ならば、身に染みておわかりでしょうが、嫁と姑のコミュニケーションも難しい。今、ものすごい数の女性陣がうなずきましたね(笑)。

嫁さんは、実は気を利かしている。お義母さんのためにと思ってやっている。姑さんも実は気を利かしている。嫁さん大変だろうからと思って手を出すと怒られる(笑)。我が家は三世代同居です。そんな話をすると、大変だろうと同情される(笑)。嫁と姑の間でコミュニケーション取れば何の問題もないんです。お互いに気を使ってるんだから。でも、それはないんですよね。これ、何でしょうね。本当に困ったものです。

困ったと言えば、こういうお話をするとね。ここには私の地元の方もいらっしゃる。我が家の母親をご存知の方もいらっしゃる。そういうお方がご親切に「松村さんのとこは、嫁姑がうまくいかないの?」と、うちの母親に尋ねてくる(大爆笑)。
これはおやめいただきたい。どうかお願いします。

(「それなら、明日にでも聞きにいかなくちゃ」との声あり)

いやいや、それだけはどうかご勘弁いただきたい(笑)。
あくまでも一般論で申し上げておる次第ですから。