月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

《中編》「神話」としての「勝山は魅力にあふれている」との定説 -われわれは誰に向かって発しているのかー

前回の内容

前回の内容を振りかえってみましょう。
①人間の心理は複雑である。

②ゆえに、消費者は消費行動を起こす際に、自分の選択を明確に説明できない。


③地元に戻るか否かを選択する若者にも同様の心理が働いている。勝山を離れる若者は、自分の選択を明確に説明できない。


④「雇用の場がないから若者が戻らない」との定説は誤りである。

⑤「若者は地元に戻らないのが当たり前」と発想を転換し、それでも若者が戻ってくるような、市内・市外の若者に響く政策ゼロベースでつくるべきだ。



本稿は、下記の点を論じます。

(1)若者が勝山市へ戻るか否かは若者が決める。勝山市の「主戦場」は若者の心の中である。

(2)ところが、現在のやり方で、若者の心の中に「勝山は素晴らしい」との想いを刻みつけることはできない。

(3)なぜなら、若者の心に刻みつける「言葉」が間違っているし、そもそも「住んでみなければわからない」ような政策は意味がないからだ。

(4)勝山市がすべきは、新たなカテゴリーをつくることだ。






「私は買う」……そのとき、心の中にあるもの

「消費者は、自分の持つ消費欲求を言葉に説明できない」と繰り返し述べてきました。しかし、読まれている方の中に、このような疑問を持った方はいませんか?
「いや、そんなことはない。私は明確な目的を持って買っている」

その通りです。消費者の心の中には「なにか」がいます。消費行動をするとき、自分の心の中にある「なにか」に従って行動しています。


2年前に、我が家は車を買い替えました。20万キロ近く乗った車に愛着はありましたが、さすがに子供が大きくなってくるに従い、車が手狭になったからです。
買い替えるときに、我が妻はトヨタ車以外の選択肢を持ちませんでした。日産やホンダには目もくれません。妻曰く、「トヨタ車は、長持ちする」「トヨタ車は壊れにくい」「だから、私はトヨタ車を買う」

妻の論理展開は、とても興味深いものでした。妻の論理は詰まるところ次の2つの文章に尽きます。
トヨタ車はすばらしい」「だからトヨタ車を買う」
壊れにくい、長持ちする。そういった属性は単なる後付けに過ぎません。「トヨタ車は素晴らしい」との言葉こそが、わが妻の消費行動のスタートラインであり、これこそが、トヨタが我が妻の心に植えつけた「なにか」なのです。

そして、消費者の心の中にいる「なにか」とは、何でしょうか。


『売れるもマーケ 当たるもマーケ ーマーケティング22の法則―』の中で、著者アル・ライズとジャック・トラウトは次のように述べています。

「多くの人がマーケティングとは商品の戦いであると考えている。長い目で見れば結局、最良の商品が勝利するのだと。
   (中略)
 こうした考えは幻想である。客観的な現実というものは存在しないし、事実というものも存在しない。ベストの商品などありっこないのだ。マーケティングの世界に存在するのは、ただ、顧客や見込み客の心の中にある知覚だけである。知覚こそ現実であり、その他のものはすべて幻である
   (同書p38)」


私の経験上、この話をすると多くの方々が嫌な顔をされます。生産者や消費者を小馬鹿にされたような気分になるからでしょう。

それは違います。良い製品・サービスを作り出す努力を否定しているのではありません。「良い製品・サービスさえ提供していれば、それだけで市場で勝ち残れる」との思い込みは危険だと申し上げているのです。

 消費者に「これは良いものだ」と思い込ませれば勝ちなのだと、詐欺まがいのことを奨励しているのでもありません。良い製品・サービスを作り上げた後に、どうやって消費者の心に「これは良い製品・サービスだ」と認知してもらうのか。そのお話なのです。

 前回申したように、消費者は、自分の心の中にある消費欲求を言葉にできません。何かもやもやとした感情がそこにはあります。
 しかし、現実に、消費者はモノを買いサービスを選びます。そのとき、消費者の心の中には、「ある言葉」が発生しているはずです。わが妻が車を購入したときに、「トヨタ車はすばらしい」と考えていたように。
 前回の事例の中の、積水ハウスの「壁の薄さ」もそうです。何とは説明できないが、とにかく積水ハウスは嫌なのだ。その思いが「壁の薄さ」という言葉に象徴されて消費者から出てきました。買うにせよ買わないにせよ、われわれは自分の心の中の「ある言葉」に従って行動しています。

都会へ向かう若者たちも、地元に残る若者たちも、等しく自分の心の中の「ある言葉」に従って行動しているのです。

ならば、その「ある言葉」が「勝山市」と結びつくような形にすればいい。

それはどうやって?
そして、これは根本的な疑問なのですが、人の心を変えることなど簡単にできるのでしょうか?



「神話」としての「勝山は魅力にあふれている」との定説


前掲書の中で、著者はこう言っています。

会社が見込み客の心の中に一つの言葉を植えつける方法をみつけることができれば、信じがたいほどの成功を収めることが可能である。複雑な言葉である必要はない。独自な言葉である必要もない。辞書からすぐに引っ張り出せるような、簡単な言葉がベストである。
 (中略)
フェデラル・エクスプレス社は見込客の心の中に「翌日配送」という言葉を植えつけることに成功した。
 (中略)
食品会社のハインツは、「ケチャップ」という言葉を消費者の心に植えつけている。だが、同社はこれに満足せず、ケチャップの最も大事な属性を浮き彫りにすることにした。「どろりとしたケチャップ」という言葉を植えつけることによって、ハインツは50%のシェアを維持している。
     (前掲書 p50-52)

なるほど、つまり、著者にしたがうならば、われわれは「勝山市」を表現する簡単な言葉を探せば良いことになります。

勝山に生まれ育った若者たちには、どう表現すれば良いのでしょう。
「ふるさと勝山」
「歴史と文化など魅力あふれる場所」
他にもありそうです。
市外の若者に向けては?さすがに「ふるさと勝山」は使えませんが、
「素晴らしい自然の中での、エコライフ」
といったようなものは、どうでしょう。


しかし、これらの言葉を、前掲書の著者ライズとトラウトに見せたら、一笑にふされることでしょう。
「そんな言葉に何の意味があるんだい?」

私たちは、それに対して反対意見を唱える余地がないようなアイデアに焦点を絞り込むことはできないのである。例えば、あなたは自らを正直な政治家だと位置づけることはできない。なぜなら、それに対して進んで反対の立場をとろうとする人は、誰もいないからである(ただし、その可能性を秘めた候補者なら、わんさといるが)
 これに対して、自らを親ビジネス派とか、親労働派の候補者と位置付ければ、即座に認められるだろう。反対の立場にも支持者がいるからである。
     (前掲書 p58-59)

バッサリと斬られた後に、こんなことを言われるのかもしれません。

「誰も反対意見を唱えないような言葉は、何のインパクトもない。『私は正直者です』と言われても『ああ、そうですか』と答えるだけで、それは心の中に何も響かない。

 若者は全員勝山市で育っているのだろう?その若者に対して『ふるさと勝山』と叫んでも、『ええ、その通りです。僕のふるさとは勝山です。それで?』と答えるだけさ。そして、その若者たちは勝山を後にして都会へ向かうだろうよ。

 地元の若者は都会に出ていくんだろう?都会に魅力を感じるから。その若者に対して『ふるさと勝山』と叫んだところで、何も響かないよ。だったら、その『ふるさと勝山』の魅力をひとことで表してくれよ。その一言が大事なのだから。

……うん?……歴史と文化の魅力あふれる場所?……ダメだな。それも『ふるさと勝山』と同じ理由でダメだ。だって、『歴史と文化の魅力あふれる場所』と言われて誰が反対する?何度も言うが、誰も反対意見を唱えないような言葉は、心になにも植えつけない。

 もしも、君たちがこう言うのなら話は別だ。勝山市は『日本で最も歴史と文化の魅力あふれる場所』だとね。このセリフを言った瞬間に、隣の自治体や日本全国の自治体が反対意見を言い始める。勝山市が最も歴史と文化の魅力にあふれる場所?ちょっと待ってくれよ……とね。

それで、その反対意見に勝てるだけの『歴史と文化の魅力』が勝山市にあるのかね?多くの日本人をつかまえて『歴史と文化の魅力あふれる場所はどこですか?』と質問したときに、勝山市という返答が返ってくるのかい?違うだろ。普通は京都や奈良になるんじゃないのかい。

君たちが、地元の勝山に愛着があるのはわかる。それを誇りにしているのも理解する。それを傷つけるつもりは毛頭ない。誇りを捨てろと言ってるんじゃない。今問題にしているのは、市内や市外の若者の心に『勝山市は素晴らしい』と植えつけることだ。

ならば、他人の使っている言葉を使っちゃいけない。
『歴史と文化』は京都や奈良、金沢が使ってる。『にぎやかなまち』なら大都会が使っている。人々は心の中で連想する。『歴史と文化のまち』との言葉を聞けば、京都や奈良・金沢を連想する。『にぎやかなまち』なら大都市を連想する。
椅子取りゲームで、すでに座られている椅子にどうやって座るのだ?『歴史と文化』という椅子には、京都や奈良・金沢が座っているんだよ。それを無理やりどかせると思うのかい?

悪いことは言わないから、別な言葉を探しなさい。
君たちは、私たちがいう『独占の法則』を破っている」

自分の競合会社が顧客の心の中に、ある言葉を植えつけていたり、あるポジションを占めている場合に、その同じ言葉を植えつけようと試みるのは無駄である。

すでに述べたように、ボルボは「安全」という言葉を占有している。メルセデスベンツゼネラル・モーターズなど多くの自動車メーカーが、安全性を主体にしたマーケティングキャンペーンを実施しようと試みてきた。しかしボルボ以外は、顧客の心の中に安全というメッセージを投げ入れることに成功していない。
  (中略)
こうした悲惨な失敗の事例がいくつもあるのに、多くの会社が「独占の法則」を犯し続けている。いったん固まった大衆の心を変えることなどできはしない。
  (中略)
何年か前、バーガーキング社が、この危険な坂道を下り始め、結局、元のところに戻れなかった。市場調査によれば、ファーストフードに最も望まれる属性は「早いサービス(ファースト)」であった(何とも当たり前の話だ)。そこでバーガーキング社は意気盛んなマーケッターたちの言うとおりにやってみた。
   (中略)
このリサーチで見過ごされていたのは、マクドナルド社がすでに、アメリカで一番サービスの早いハンバーガーチェーンであるとの認知を得ていたことであった。「ファースト」という言葉はマクドナルド社が占有していたのだ。バーガーキング社はこれにひるむことなく、「早くて最高の食事を」というスローガンの下に、キャンペーンを打って出た。このキャンペーンは、たちまちのうちに惨めな失敗に終わった。
       (前掲書64ー68)


人は、心の中の「ある言葉」に従って行動します。
その「ある言葉」は一つの言葉で表されます。
そして、「ある言葉」が心の中を占有したら、もはや競合相手は手出しできません。

なるほど、確かにそうでしょう。歴史と文化の魅力あふれる場所ならば、京都か奈良です。ならば、われわれはどのようにして太刀打ちしていけばいいのでしょうか。

どこに活路を見出せばいいのでしょう。

前掲書著者のライズとトラウトならば、こう言うでしょう。
「カテゴリーの法則にしたがえ」



新しいカテゴリーをつくれ!

「カテゴリーの法則」とは次のような内容です。

あなたが新製品を開発するとき、真っ先に問題にすべきことは、「この新製品は競合商品よりどこが優れているか」ではなくて、「どこが新しいか」ということである。言い換えれば、この新製品はどのカテゴリーで一番手かということだ。
    (中略)
これは、ブランド志向に立つ従来の伝統的なマーケティング思想(どうすれば人々を自社のブランドに引き付けることができるか)には反する考え方である。ブランドのことは忘れて、カテゴリーについて考えて欲しい。

ブランドの話になると顧客は保守的になる。だれもが自分のブランドがなぜ優れているかをしゃべりたてる。ところが、カテゴリーの話になると、顧客は心を開くのである。新しい物にはだれもが興味を抱く。どこが優れているかに関心を寄せる人はほとんどいない。
  (同書p27~29)

若者に勝山市を選択して欲しい。しかしながら、その心に勝山の魅力を植えつけようにも、「にぎやかさ」とのカテゴリーでは都会に負ける。「歴史と文化の魅力」では、京都や奈良のブランド力に勝てない。ならば、全く新しいカテゴリーを作り出せ。
著者はそう言っています。


「うどん県」の名前を持つ香川県で、あなたがお蕎麦屋さんを開こうとします。さすがに「うどん県」だけあって、蕎麦屋に来るお客が少ない。そこで、あなたは考えます。
「よし、それでは『うどんより美味いお蕎麦あります』とのプロモーションを行おう」
 このプロモーションは確実に失敗することでしょう。うどん好きの人々に「うどんと蕎麦はどちらが美味いか」を尋ねることは、タブーです。なぜなら、うどんをブランド化させてしまうから。
 著者の言うように、ブランドの話になると顧客は誰しも保守的になります。自分の愛好するものがいかに優れているかを主張します。『うどんより美味いお蕎麦あります』と言われたなら、うどん好きの香川県民は、必死になって、うどんの美味しさをまくし立てるでしょう。
 あなたがすべきは、うどんと蕎麦を比較させることではなく、新しいカテゴリーを作ることです。「健康に気を使う人は、ぜひ蕎麦をお食べください」「一日1食の蕎麦は血圧を下げてあなたを健康にするでしょう(薬事法違反のCMですが)」と、蕎麦ダイエットや様々な手法を用いて「健康に優しい食べ物=蕎麦」のカテゴリーをつくり、そこを土俵として勝負すべきです。


新しいカテゴリーを作り、そこで1番になる。

ならば、どのカテゴリーで?……と話を進めたいのですが、もう少し、現状を眺めてみましょう。

すると、もうひとつの「思い込み」が見えてきます。
 

 

「住んでみないとわからない土地」に住みたいですか?

若者の心の中の「ある言葉」を刺激することが大切です。ところが、現行の若者定住政策は、刺激する力を全くといって持っていません。その理由は単純です。

現行の若者定住政策は「住んでみなければわからない」ものばかりだからです。

これは勝山市だけでなく、ほとんどの自治体が見過ごしている点です。
移住した人には家賃補助をする、家を新築すれば新築補助を出す。日本全国の自治体が様々な政策で若者の定住化を図ろうとしています。では、その自治体の魅力は何ですか?と問われると「住んでみなければわからない」

なぜ「お試し移住」政策がこれほどまで行われているのでしょう。HPで「お試し移住」を検索すれば、県単位で市町村で行われている様々なお試し移住政策がヒットします。勝山市もやっている、このお試し移住政策。逆から考えれば、勝山の魅力は住んでみなければわからないと白状しているようなものなのです。

消費者に対して「うちの商品の良さは、買ってみなければわからない」と商品紹介をする通販番組はありません。そもそものスタートラインが間違っているのです。

あなたに尋ねます。
あなたは日本全国のどこかに住んでいらっしゃる。
あなたのお隣にも自治体はあるはずです。
ならば、お隣の自治体の若者定住政策を5つ挙げてください。

5つ挙げられましたか?私はできませんでした。
お隣の自治体の若者定住政策も「住んでみなければわからない」ものだからです。そして、あなたのお住いの自治体も同様でしょう。

若者定住化政策は「住んでみなければわからない」ものばかり。
その自治体の魅力は?これも「住んでみなければわからない」

ところが、ひとつの疑問が生じます。
なぜ、若者たちは住んでもいない都会に魅力を感じて、都会へ行くのだろう。

考えてみれば不思議な話です。

そこには、都会に対する憧れが根底にあるのかもしれません。
定年後の移住先で、人気があるのは沖縄と北海道だそうです。シルバーライフを過ごそうというのですから、一度は訪れたことがあるかもしれません。しかし、そこで住んだ経験はないでしょう。にもかかわらず、沖縄と北海道に人気が集中するのは、ここに対する憧憬の念があるのかもしれません。

片や、住んでみなければわからない場所。
片や、住んでみなくても行きたい場所。

この違いは、自治体の違いから発生するのでしょうか。いいえ、これは自治体間競争ではありません。


自治体間競争でなく、「自治体vs観念としての大都会」

自治体間競争」という言葉を耳にすることが増えました。全国的な少子化傾向を踏まえて、各自治体は、自分の自治体へ人口の流入を図るために競争していると考えられています。

ですが、これまでの話からも明らかなように、現実には、人口の流出は「流出自治体vs流入自治体」の自治体間競争ではありませんでした。


都会へ出ていく若者は「東京」へ行きたいのであり「東京都」に行きたいのではありません。「渋谷」へ行きたいのであり、「渋谷区」に行きたいのでもないのです。


われわれが人口の流出入は自治体間競争だと仮定していましたが、それは誤りでした。それは「勝山市vs観念としての東京」と呼ぶべきです。もっと簡単に言えば、「田舎の自治体vs大都会」でしょう。

ここまで読まれてきた方は、あまりに当たり前の結論に
「そんなことは知っている」
「田舎の自治体が大都会と争っていることなど当たり前だ」
と拍子抜けしたかもしれません。

しかし、同じスタートラインに立っていても、「これまでの常識」と「本稿で考えてきた常識」とは全く異なります。


新しい常識

確かに、昔から言われてきました。「田舎から若者が都会へ出ていく。勝山市は何とかしろ」この声に従って自治体は動きます。それは「働く場の確保」であり「住宅補助といった補助金政策」といった形で政策になりました。
しかし、それらの政策は若者の心に届いていないようです。それはそうでしょう。若者の心のことなどお構いなしだからです。

これまでの常識と、それがもたらす結論を見てみましょう。

①田舎から若者が都会へ出ていく。つまり田舎の自治体が「人口の綱引き」で大都会と争っている。

勝山市で育った若者が、勝山へ戻ってくるのは当たり前だ。


③なのに返ってこないのは、雇用の場がないからだ。


④だから自治体は、雇用の場を増やさねばならない。


⑤全国の自治体が同様の施策をする中で差別化を図れていない


新しい常識は違います。

①田舎から若者が都会へ出ていく。つまり田舎の自治体が「人口の綱引き」で大都会と争っている。


勝山市で育った若者が、勝山へ戻ってこないのが当たり前だと考えよう。そして、市内の若者にも市外の若者にも訴求するだけの魅力を備えなければならない。


③われわれの主戦場は、若者の心の中である。


④若者に「大都市の魅力」に競合できる「勝山の魅力」を植えつけよう。ただし、それは大都会や他の自治体が使っている言葉ではだめだ。


⑤そのためには、自治体としての勝山市は、新しいカテゴリーを開発しよう。それにより大都市や他自治体との差別化が可能となる。



それでは、どのようなカテゴリーを作りあげれば良いのでしょうか。

その内容に踏み込む前に、われわれには大きな課題が突き付けられています。
カテゴリーを作るためには、われわれは「行政・自治体」というものをもう一度再編する必要があるからです。

それは私が提示する最後の疑問でもあります。
自治体とは、そもそも、なんですか?」



   《後編》へ続く。