月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

花月楼再生に関する3つの疑問  その2.花月楼再生プランは組織に欠ける

 

本町商店街は「成功したまちづくり」事例だった?!

このブログを書いている最中に、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
産経新聞10月22日全国版に、勝山市本町商店街が「にぎわいを取り戻した」成功事例として紹介されていたのです。

商店街低迷どう脱出?
ー成功10か所の事例紹介ー

近畿経済産業局は管内(2府5県)の商店街で低迷から脱した10カ所を「イケテル商店街」として選定し21日、ホームページを通じてアイデアや具体的な取り組みの紹介を始めた。人口減などから多くの商店街が苦しい環境に置かれる中、成功事例を参考に、にぎわいを取り戻してもらうのが狙いだ。

選ばれたのは「激辛グルメの聖地」として注目を集める京都府向日市の「京都向日市激辛商店街」や、歴史的街並みの整備などを通じて観光客を増やす福井県勝山市の「本町通り商店街」など。今回の10カ所を含め、今年度中に30カ所程度選ぶ予定という。


記事中には、ご丁寧に「にぎわいを取り戻した福井県勝山市の『本町通り商店街』」と写真まで掲載されてしましました。

f:id:harukado0501:20151022102611j:plain


個人的には驚くほどのこともありません。
国が言う「成功事例」なんてこんなものばかりだからです。いろいろな視察に行って嫌になるくらい見せつけられていますので(苦笑)。

行政は過ちを認めません。
しかし、民間企業でこれをやれば「粉飾決済」と言われるのです。売ってもいないものを売ったと言い張り、あげてもいない利益を計上し、成功したと胸を張る。粉飾決済以外の何物でもありません。

現実を見ましょうよ。
私は「誰が悪い」式の犯人捜しには興味がありません。そんなことをしている時間的余裕はないし、第一、非生産的すぎる。
ただ、現実をごまかして事業を行ったところで、出来上がった事業は砂上の楼閣。永く持つものではありません。

というわけで、本題に戻りましょう。

 

花月楼再生は、組織に欠ける

花月楼をリニューアルし、まちなか誘客を図る。この素案には「組織が欠けている」ことが今回のテーマです。

主たる問題点は次の4点に集約されます。
まちづくりの悪いパターンである「属人主義」が出ている。
②市内地誘客への「段階」を踏まえていない。
③現在の我々に真に必要なものは、「成功体験」である。
④必要な人材は「親方」ではなく、「コーディネート役」である。





まちづくりの悪いパターン、属人主義

花月楼再生について「勝山まちなか観光戦略」では、まちづくり会社を設立し、このまちづくり会社花月楼を所有した上で運営することになっています。


f:id:harukado0501:20151010212835j:plain



まちづくりが陥る悪循環「属人主義」が、ここには如実に表れています。
行政からまちづくりに至るまで、未だに、この「属人主義」が蔓延しているのは不思議なことです。

ここで言う「属人主義」とは、「まちづくりをするには、中心となってバリバリ盛り立ててくれる人がいなければならない」という発想です。

確かに、いかなる組織であろうとも、組織にはリーダーが必要です。それと属人主義とは似て非なるものでして、明確に区別しておかなければなりません。属人主義とは「まちづくりにはキーマンが必要だ」「キーマンがいなければ、まちづくりは進まない」という発想を指します。



属人主義的まちづくりは、3つの大きな失敗を起こしかねません。

ひとつは、戦略の不在を隠すこと。

前回の拙稿で「戦略」の話をいたしました。戦略は、論理で攻めていくものです。映画に例えるなら、名優や大女優は出演していないが、ストーリーの面白さが抜群に良かった……という映画が、戦略に優れた事業です。

他方で、属人主義的な「キーマン第一主義」は、「コマンドー」に代表されるヒーロー映画でしょう(誤解無きよう、私はこの映画が大好きですw)。戦場にアーノルド・シュワルツェネガーが登場して、とにかく銃をぶち回し敵をなぎ倒してハッピーエンド、めでたしめでたし……という映画。スカッとしますが、荒唐無稽甚だしい。

つまり、ちゃんとした戦略さえ立てておけば「キーマンがいないから、成功しないのだ」などという与太話は出てこないのであり、属人主義的キーマン第一主義は、いわば戦略不在を自ら証明しているに過ぎません。



ふたつめは、「誰か有能な人を探せば何とかなる」という他力本願の思考を引き起こすこと。

まちづくりは自分たちのためにやるものです。ところが、「キーマンがいなければ、まちづくりは始まらない」という発想は、「どこかに誰かがいるはず」「有能な人間を探し出してポジションに据えれば、万事それでうまくいく」といった、他力本願の思考を呼び起こしかねません。


三つめは、他力本願の思考は容易に無責任の思考に変わること。

「誰かがやってくれるはず」という他力本願の思考は、無責任の思考でもあります。市民は「行政がやってくれるだろう」と考え、肝心の行政は「市民団体がやってくれるのですから」となる。行政も市民も「勝山を発展させたい」との想いを共有しているはずなのに、お互いに責任をとろうとしない。そんな状態が発生します。


この3つの特徴が表れると、無気力と諦めという結果が出てきます。
戦略の不在は、「何のためにこの事業をやるのか」「この事業をやると何が起きるのか」という未来へのストーリーの欠如です。これがなければ、そもそも人は動きません。戦略が不在の状況で、行政主導のまちづくりだけが進んでいく。すると、人々は「またか、また始まったのか」となる。
「どうせ、何やったってダメだよ」という無気力と諦めまで後一歩です。


まずは現実を見ましょう。すべてはそこから始まります。
勝山のまちづくりは、本当に「まちづくり会社を立ち上げれば何とかなる」というレベルにまで達していますか?
「どうせ何やったってダメなんだよ」「もう、勝山は終わってるよ」という無気力と諦めの声は聞こえませんか?

「うちの会社は何やったてダメだよ」
「うちの会社の体質じゃね、たぶんダメだよね」
と、社員の士気が低い会社で「新しい部署を立ち上げて、バンバン売り上げ伸ばすぞ!」と気勢を発しても、その声は社員に届きません。

士気が低いのなら、まずはそれを受け止めて、そこからスタートしましょう。


今回の「勝山まちなか観光戦略」では、属人主義が「人」ではなく「組織」に変わったに過ぎないと感じる理由は、上記の現実を踏まえていないからです。まちづくり会社さえ作れば何とかなる……という発想は、士気の低い会社で新規事業を立ち上げるくらい悲劇的です。


ちなみに、私たちも花月楼再生のプランを考えてみましたが、仮にまちづくり会社を設立するのであれば、その資本金は最低でも4000万円。できれば6000万円は必要だとの結論に至りました。
ところが、「勝山まちなか観光戦略」で示されたのは資本金1000万円の資本金額。もちろん、行政が応分の出資をすることを前提としての金額です。

この資本金で事業はできません。となれば、当然に金融機関に対して融資を願うことになるのでしょう。しかし、その事業計画書もない……となると、市民はこのまちづくり会社をどのように捉えれば良いのでしょうか。




なら、どうすればいいの?


まずは現実を見ましょう。そこからです。
現実を考える際に、次の3つの疑問は重要です。

①本当に中心市街地の活性化は必要なのか?
②勝山では、まちづくりはビジネスとして捉えられていないのではないか?

③市民が周遊しない場所に観光客が来るのか?



①「本当に中心市街地の活性化は必要なのか?」
最初に考えるべきは、この問題です。我々は、ここからスタートしなければなりません。

なぜ、そこから始めなければならないのか。それは、行政主導のまちづくりは、往々にして根本問題を解決しないままに進められるからです。

 

 その典型例が、国の補助金をもらって行政主導で行う「商店街活性化事業」。
商店街活性化事業としては、
  ①誘客のためのイベント事業
  ②空き店舗対策事業
で成り立っている事例が少なくありません。
しかし、おかしくありませんか?
誘客のためにイベント事業をする理由は「お客が少ないから」です。空き店舗対策をする理由は「お店が少ないから」です。つまり、売り手も買い手もいない商店街を何とかしようとするのが、多くの自治体で見られる商店街活性化事業なのです。

事業をする前に、「そもそも、この商店街は必要なのか?」という根本問題を語ることが必要ではないのでしょうか。

平成15年に全国商店街振興組合連合会が行ったアンケートでは、全国の商店街で「繁栄している」と答えた商店街は2.3%に過ぎず、「停滞している」「衰退している」と答えた商店街は、実に96%に及びます。

 

行政がこれを口にすることはタブーです。そのようなことを口にした瞬間に「お前らは、俺たちを切り捨てるのか?」と地元商店街から猛反発を受けるからです。行政主導の再開発や活性化事業では「何のために活性化するの?」という根本問題がスッポリと抜け落ちたまま事業を進めた結果、イベント事業やチャレンジショップといった当たり障りのない事業が横行することになります。

切り捨てるのではありません。

「このエリアは商店街として必要性があるのかいなか」を語り合うのです。
勝山の中心市街地の人々が求めているのは「賑わい」なのではありませんか?「商店街としての復活」を本当に望んでいるのですか?

「でも、『何のためにやる』かを考えることって、組織づくりじゃなくて戦略づくりじゃないの?」と思われた方は鋭い!組織は必ず戦略に沿ったものになります。戦略を作っていく作業は、そのまま組織を作っていく作業にパラレルになるのです。





②勝山でまちづくりはビジネスとして捉えられていないのではないか?

まちづくりをビジネスとして捉えることは重要です。

ビジネスは短期決戦ではありません。稼ぐだけ稼いであとは撤退するというようなビジネスも確かに存在しますが、まちづくりをビジネスとして捉えたときにそのような手法を採ることはできません。
長期的な利益をどのようにもたらすのか。「賑わい」を維持しながらどのような利益を創造していくのか。

その仕組みをつくっていくのが、ビジネスとしてのまちづくりです。

名前を出すと申し訳ないので場所は伏せておきますが、県内有名観光地の観光協会を訪れて詳しくお話を聞いた時に、
「昔は観光客が放っておいても来てくれた。朝、店のシャッターを上げれば、そこには観光客がいた。だから、何も考えなくても商売ができた。だからね、松村さん。観光客が減っていったときに、私たちは何をしていいかわからんのですよ」

この方が困っておられるのは「仕組み」が機能しなくなったからです。

この県内有名観光地は、「この観光地では観光客が日常的に来るので、観光客にモノやサービスを提供すればビジネスとして成り立つ」という「仕組み」で動いてきました。ところが、その「仕組み」が機能しなくなったとき、人々は何をして良いのかわからなくなります。

「仕組み」というと難しく感じるかもしれませんが、世の中の大半の人々はこの「仕組み」の中で生きています。サラリーマンの人は「毎日、会社に行く」「サラリーをもらって生活する」ことが生活の仕組みです。ですから、「明日から会社に来なくていいよ」などと仕組みを壊されると、途端に何をすべきか途方に暮れるでしょう。
学生さんは、「毎日、学校に行く」ことが生活の仕組みです。学校へ行くという仕組みを壊されて、登校が苦痛になる。それがいじめの怖さです。
人々は「仕組み」の中で日々を生きています。ある意味、ルーチンワークのように。そのルーチンワークで利益が上がるようにするのがビジネスモデルという「仕組み」でもあります。

 

まちづくりとしての仕組み、ビジネスとしての仕組み、そして人材育成の仕組み。この仕組みがなければ、人は身動きが取れません。逆に言えば、仕組みをポンと目の前に提示されると、人は動きやすくなるのです。

「賑わいをつくる仕組み」「その仕組みの中で利益を生み出す仕組み」……そして、「それらの事業を減る中で人材が育っていく仕組み(OJT)」の3つが求められているのです。

その「仕組み」を語ることが戦略であり、その「仕組み」を実現化するために組織化が必要なのです。

 





③市民が周遊しない場所に観光客が来るのか?

市民が周遊しない場所に観光客を呼ぶ。常識的にあり得ないだけでなく、経営的にも非常識な発想です。会社経営で重視されるのは「収入の帯を作る」ことではありませんか?平日はまったく閑古鳥がないている。ゴールデンウィーク、夏休みといった大型連休のときには異常なまでに込み合う。これで店舗経営ができると思う経営者はいません。




以上の点から、必要なものは見えてきます。

①中心市街地の活性化を「何のために活性化するのか」を明確にする。
②市民が周遊できるプログラムをつくる。
OJTのプログラムをつくる。


 

次回は、この流れを具体的に考えてみましょう。