月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

花月楼にまつわる3つの疑問  その1.花月楼再生プランは戦略に欠ける

 

はじめに

 9月定例会において、中心市街地の活性化策として旧料亭花月楼の再生案が示されました。
 確かに、恐竜博物館を訪れる観光客をベースとして観光に携わる雇用を確保していくこと、そして中心市街地の活性化は、極めて重要な課題です。市長が進める方策が成功すれば、素晴らしいことでしょう。それが成功することを市民のひとりとして願うばかりです(嫌味ではなく、正直な感想です)。


 しかし、冷静に考えたときに、今のやり方では花月楼は成功しません。それどころか、「道の駅―長尾山―花月楼を一体的にマネジメントする」構想(後述)も破綻する可能性が高いでしょう。
 その理由としては、
 (1)戦略が欠けている
 (2)組織が欠けている
 (3)責任が欠けている
こんな状況で成功すると考える方が無謀です。



繰り返しますが、花月楼を再生するな、道の駅を作るなと言っているのではありません。やるからには、成功する確率が高い方法で進めて欲しいと言っているのです。

後述しますが、9月定例会最終日の全員協議会では山岸市長自らが、道の駅と長尾山と花月楼を一体的にマネジメントするという構想を示されました。その構想自体は間違ってはいません。しかし、その手法を吟味するとき、危うさを感じずにはいられません。

道の駅に4億円、長尾山に2億円、花月楼に暫定で1億円……総合体育館を建設した後に、これだけの大型事業をする余裕が果たして勝山市にあるのか。そして、時宜を得ているのか。それを検証してみましょう。

 

現在の状況

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旧料亭花月楼は、明治37年(1904年)に建造されました。明治37年といえば日露戦争の年。繊維産業華やかなりし時代は、様々な宴席が設けられたことでしょう。ちなみに、勝山駅舎は大正3年(1914年)建設です。

さて、この花月楼をリニューアルしてまちなか誘客を目指すスキームで、今のところ分かっていることは次のとおりです。

(1)まちづくり会社を設立する。
(2)花月楼はまちづくり会社が所有・運営する。
(3)まちづくり会社は商工会議所等が中心となり設立する。
(4)市はリニューアル費用を補助する予定。
(5)県も補助する可能性がある。
(6)商工会議所等が「勝山まちなか観光戦略」を策定し、この戦略に沿って進める。


これを踏まえて、前述した3つの不安要因、
(1)戦略が欠けている
(2)組織が欠けている
(3)責任が欠けている
について説明します。





花月楼再生は、戦略に欠ける

商工会議所が中心となり策定された「勝山まちなか観光戦略」ですが、まずは策定に携わった方々のご尽力に対して深甚の経緯を表します。無から有を生み出すような戦略やプラニングを考え抜く際の、乾いた雑巾を絞って一滴を出すような苦労。これは、やった者でないとわからないものです。

そのご苦労を踏まえた上で敢えて申し上げるのですが、この「勝山まちなか観光戦略」は戦略ではありません。単なるアクションリストです。
(※「勝山まちなか観光戦略」は後ほどの画像で確認できますので、そちらをご覧ください)


「戦略」とは、その定義からもわかるように、未だ到来していない将来像を描くものです。あらゆる数字は過去のものです。まだ誰も見たことがない、見えないものを見せてくれる。それが「戦略」です。


まだ誰も見たことがないものを見せてくれて、なおかつ、それが腑に落ちるものである。市民の誰しもが「なるほど、それは確かにいけそうだ」と理解できるために、根っこで定義しなければならないのは、
 「お客様は、なぜその商品を買うのか
という点です。
 勝山の中心市街地へ誘致しようとするお客様は、「何か」を求めてまちなかへいらっしゃいます。そして、そこで商品なりサービスなりを買う。では、お客様は何を買うのでしょう。

 コーラーを買う人は、直接的には缶やペットボトルに入った黒い液体を買うのですが、「スカッとさわやかにのどを潤す」ことを欲しています。工具のドリルを買う人は、ドリルが欲しいのではありません。「穴をあけたい」のです。医者に行く人は「健康」を買うのであり、エステに行く人は「美」を買います。ならば、花月楼に来るお客様は、なぜ花月楼に来るのでしょうか。

ここが「勝山まちなか戦略」では明確になっていません。恐竜博物館を訪れるファミリー層に1階では惣菜ビュッフェをするという構想ですが、「食」を提供するだけならば花月楼を使う意味はどこにあるのでしょう。そもそも惣菜ビュッフェは、ファミリー層のニーズを掴んでいるのでしょうか。

そして……これは真剣に考えなければならない重大問題なのですが、「恐竜博物館を訪れるファミリー層は、『勝山の地のモノを食べたい』と考えているのかどうか」
ここは極めて重要なポイントです。ここをあやふやにして先に進むと、他の自治体の失敗例と同じ道を進みかねません。

 難しく考えることはないのです。皆さんが子供を連れて県外の観光地へ旅行したときのことを思い出すなり、想像してみてください。その観光地の『地のモノ』を子供たちと一緒に食べたいか否かです。
 例えば、「福井へ来たのでカニを食べていこう!」これはアリでしょうね。十分に想像できます。「永平寺へ来たついでにゴマ団子を食べてみよう」これも……まあ、ファミリー層で考えた場合、微妙なラインですがありうる話です。
 それでは「恐竜博物館に来たので、勝山の地のモノを食べていこう」……明らかに次元の異なる話をしているのがおわかりでしょうか。

 「勝山のモノは美味しいざ!」と勝山の人が言うこと、それ自体は間違いではありません。それはお国自慢として微笑ましいものです。ただし、これを基盤として事業を組み立て始めると大きな失敗をするでしょう。なぜなら、恐竜博物館を訪れるファミリー層は、勝山を訪れたのではなく、恐竜博物館を訪れただけにすぎないからです。

 福井県の知名度は、ご存じのとおり47都道府県の下から数えて3番目くらいです。この下から数えて3番目というのは厄介なものです。いっそのこと最下位ならば、それを逆手に取ることも可能でしょう。しかし、下から数えて3番目というのは何をするにも中途半端です。
(オールドな野球ファンは、かつてロッテが「テレビで見られない川崎球場」という逆説的なアピールをしたことを記憶されているでしょう)
その福井県が観光で売り出そうというとき、正直、私も思いました。「もともと知名度がない福井県が頑張ってもなあ……」 実際に、これまで福井県は知名度の低さを認めようとはしませんでした。長い間、そこには目をつむってきたのですが、ようやく近年、「現実を見ましょう。私たちは知名度が低いのです。それを認めた上で施策を講じるべきです」という部課長が現れてきました。
(名前を言うとご迷惑かかるでしょうから申しませんがww)

県も変わろうとしています。
私たちも現実を見ましょう。そして、もう一度、考えてみましょう。
「恐竜博物館を訪れたファミリー層は、どのような価値を求めて、わざわざ中心市街地の花月楼まで来るのか」

まずは、この問いに応えないことには戦略の第一歩を踏み出すことができません。



他にもまだまだ問題はあります。

ターゲット顧客の切り方がブレています。恐竜博物館を訪れるファミリー層、団体客向けのお座敷弁当、外国人観光客。「勝山まちなか戦略」では、これらをターゲット顧客としていますが、これは切り口として広すぎます。
ターゲットを定めるとは、お客様を絞ることです。なぜお客様を絞るのか。その理由は、絞らなければ絞ってきた競合に負けるからです。そして、顧客を絞るということは、他の市場を諦めるということを意味します。すべての人々に訴求する商品などは存在しません。
ファミリー層も、団体客も、個人客も、外国人観光客も取り込む……というのは、何も諦めていないということです。それはすなわち「どこにもトンがったところがない」商品を作り出すことを意味します。
(どこにもトンがったところのない商品の典型例は、行政の出す広報誌です。福井県の出す「グラフふくい」を、あなたはお金を出して買いますか?)



加えて、花月楼の強みは何かという点も曖昧です。強みは、そのまま差別化をもたらします。花月楼で地の食を提供することと、8番ラーメンでラーメンを食べることと、グリル山田でソースかつ丼を食べることと、コンビニで弁当を買うこと。これらの中で花月楼の差別化と強みは何でしょう。

 仮に、それが「文化財としての価値」と「左義長ばやしの体験等」であるならば、もはやファミリー層は捨てるべきなのです。
 要するに、「強み」-「差別化」-「ターゲティング」の一貫性ができていない。それは、繰り返しになりますが「お客様はなぜその商品を買うのか」という第一歩が定まらないところから来ています。




他にも言いたいことはあるのですが、戦略の欠如に関して最後にひとこと。

「戦略」が出来上がると、「次に打つ手が見えてくる」ものです。もう一度申しますが、戦略とは未だ目にしたことのないものを描くことです。この手を打てば、ここが変わる。ここが変われば、あそこが変化する……という道筋が時間軸で描かれます。

ところが、「勝山まちなか観光戦略」では、まず最初にまちづくり会社を作った後に、何をすれば良いのかがわかりません。アクションリストだと冒頭で申し上げたのは、ここに理由があります。

戦略とは、サッカーの試合で言えば「どのようにパスをつないでゴールを狙うか」を説明するようなものです。ゴールシーンを「中心市街地に観光客が周遊し、経済効果を産む」と設定し、パス回しのスタートラインを「花月楼で顧客にどのような価値を提供するのか」と設定した後に、誰がどのようなボール運びでゴールまで持っていき、ゴールを狙うのか。これを論理的に説明するものでなければなりません。

「フォワードは点を取れ」「ミッドフィルダーはボールを運べ」と定義しても、これは単なるアクションプランに過ぎず、ゴールまでの道筋は出てきません。

市民が本当に聞きたいのは、どうやってボールをゴールまで運ぶのか。そして、どのように点を取るのか。この論理的な道筋です。




※参考までに、「勝山まちなか戦略」を。
 

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では、どうすれば良いのか?

それじゃ、どうすれば良いのか。
もう一度、「お客様はなぜその商品を買うのか」というところから考え直しましょう。

難しい話ではありません(考え抜くことは難しいですが)。要は「誰をどのように喜ばせるのか」を考えることです。そこを突き詰めて考えていくと出てくる姿をコンセプトと呼びます。


このコンセプトは、人間の欲求をダイレクトに突かねばなりません。
「生存欲求」と呼ばれる、肉体的な快楽。美味しいモノを食べたい、暖かい家に住みたい、睡眠、性欲などの欲求です。苦痛を逃れたいという欲求もここにはあるでしょう。「社会的欲求」と呼ばれる、他人との関係において良く思われたいという欲求もあります。良い服を着る、ちやほやされたい。異性にもてたい。名誉欲等はここに含まれるでしょう。「自己欲求」と呼ばれる、自身の内に完結する欲求も重要です。もっと成長したい。自己を高めたい。こだわりを追及したい。充実感を得たいという欲求です。

こういった欲求を素直に見つめて、「誰をどのように喜ばせるのか」を考えましょう。



いくつか例を挙げましょう。

スターバックスは「サードプレイス(第三の場所)」をコンセプトに掲げています。家庭(第一の場所)でも職場や学校(第二の場所)でもない、第三の場所です。
ドイツのビアガーデンやイギリスのパブ、フランスやイタリアのカフェのように、ヨーロッパには人々が安心して集える避難場所が伝統的に確立しています。アメリカでも、そういったくつろげる場所を作りたい。これがスターバックスのコンセプトでした。「誰をどのように喜ばせるのか」、スターバックスにおいては「職場や家庭でストレスを抱える人々に、くつろぎの場所を提供したい」となります。売るモノはコーヒーではありません。「雰囲気」こそを売っているのです。


文房具販売大手の「アスクル」は、事務員の女性の苦労を助けることをコンセプトに掲げました。大手企業のように、資材部を持たない中小企業の女性事務員さんは、シャーペンがない、コピー用紙がない……と、その都度買いに行かねばなりません。何とかしてその苦労を解消できないか。ファックス一枚で「明日来る」ようなシステムができないものか。そこがコンセプトになっています。


地域情報誌ホットペッパーのコンセプトは「狭域生活情報誌」でした。生活情報誌は、それこそ世上にゴマンとあります。しかし、住んで買物して遊んで……という「人の生活圏」という切り口で捉えれば、せいぜい半径5キロくらいのものです。そんな我々に「北陸」や「金沢」の情報などいらないのです。



そういえば、先だって平泉寺在住の竹内和順議員が面白いことを仰っていました。
「僕は、平泉寺を『第二のハネムーンの場所』だと考えているのですよ」
第二のハネムーンとは、いわゆるフルムーンのことでしょう。子供も手を離れて夫婦が睦まじく旅行をする。「色々な苦労があったけれども、ここまで来ましたね」という会話が聞こえそうなシーンが頭をよぎります。
このシーンを補強するために何が必要か。色々な事業が派生していく予感がします。これは立派な「コンセプトの種」と言えるでしょう。


もう一度、じっくりと考えましょう。まちなかを誘客する人々に何を楽しんでもらうのか。花月楼を訪れる人々をどのように喜ばせるのか。

そのコンセプトが決まらないことには、何も先に進みません。
なぜなら、「コンセプトからすべてが始まる」ということは、「すべてはコンセプトのために」ということだからです。

スターバックスは、そのコンセプトである「サードプレイス」からすべては始まります。そして、その「サードプレイス」を実現するために、店舗の立地条件、店内の雰囲気、コーヒーの入れ方……等々の全てが規定されるのです。

また、コンセプトが不明瞭では、組織内に顧客提供価値を共有することすらできません。

「すべてはコンセプトの実現のために!」なのです。

もう一度、じっくりとコンセプトを考えましょう。まちなかを誘客する人々に何を楽しんでもらうのか。花月楼を訪れる人々をどのように喜ばせるのか。


そして、コンセプトが明確に決まらないのであれば、花月楼もまちなか誘客も進めるべきではないのです。





次回は、組織の問題について考えてみましょう。