月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

フランス諷刺週刊誌に、彼らの傲慢さを見る

 

神がそれを望んでおられる

1095年11月。フランスでクレルモン公会議が開かれた。法王ウルバヌス2世は、聴衆に向かって聖地奪回を力強く訴えかけ、その熱弁の最後は次の言葉で閉められる。
神がそれを望んでおられる

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聴衆は一人残らず感動に包まれ、群衆の間からは「神がそれを望んでおられる(Deus lo vult)」の声が沸き起こった。十字軍の始まりである。

ペンは剣より強し

フランス紙フィガロは「イスラム原理主義の残虐行為で犠牲となった17人に哀悼の意をささげ、連帯を示し、民主主義と自由を守るために結集した。この国中が団結した光景に感動しないでいられようか」と述べ、「(デモが行われた)2015年1月11日は歴史的な日になるだろう」と書いた。

そして、この社説の冒頭は「フランスは立ち上がった」との威勢の良い言葉で始まっている。


民主主義と自由を守るために結集した群衆たちは、何かを勘違いしてはいないか。この事件の発端にあるのは、「表現の自由」の名の下に大切な存在をレイプされたイスラムの怒りなのだ。無論、テロを正当化するつもりはないが、同時に、言論の自由の名を借りれば何を言っても許されるわけもない。

言論の自由を守れ」とフランスの言論人たちは言う。ならば問いたい。あなた方は一度でも「ホロコーストに縛られた言論界」を風刺したことがあったか?ナチスを一言隻句でも擁護することは西欧言論界のタブーである。そのタブーを皮肉ったことはあったか?

猫のイラスト集で一躍名を馳せたフランス人のイラストレーター、モーリス・シネ氏は、今回のテロの対象となったシャルリー・エプド社を解雇にされている。2008年のことだ。その解雇理由は「発言が反ユダヤ的である」とのものだった。そのときフランスの言論人たちは抗議の声を上げなかったのか?そのダブルスタンダードさには辟易する。

「ペンは剣より強し」と主張するのであれば、あなた方は剣よりも強いペンの使い方にこそ配慮すべきではないのか。剣よりも強いペンの力で、イスラム教徒の大切にしているものを踏みにじる権利はない。東日本大震災後の日本を風刺し「手が4本になっている奇形の相撲取り」を登場させて被災者の感情を逆なでする権利もないはずだ。

さらに辟易するのは、二言目には「民主主義への挑戦」と言い立てるマスコミだ。


イスラム民主化

イスラム民主化」という表現を耳にされた方も多いことだろう。過去10年近くにわたってアメリカを中心とする西欧諸国は、イラクアフガニスタン民主化させようとしてきた。その試みはうまくいっているとは到底言い難い。
そして、今や熱い視線を注がれているのはアジアの民主化である。

ミャンマーの軍政は2010年以降に「上からの民主化」に乗り出した。インドネシアでは、昨年4月に行われた総選挙で民主化後初となる庶民出身の大統領ウィドド氏が選出された。

なぜ、アジアの民主化が注目されるのか。そこには
「多民族・多宗教・多文化国家でも民主化は定着する」
「自由・民主主義は西洋文明に限定されるものではない。人類普遍の価値観である。したがって、非西洋文明でも育つのだ」
というファンタジーが崩れては困るという理由がある。このファンタジーがあったからこそ、アメリカを中心とする西欧諸国は、「イスラムと民主主義は両立する」としてイラクアフガニスタンに手を突っ込んだ。当地で華々しい成果を得られなかったアメリカとしても、民主化を進める理由そのものを失うわけにはいかない。イスラムでは道半ばではあるが、アジアでは成功しているのだと強弁したいのだろう。

そこに見え隠れするのは、
民主化が進まない国や地域は遅れた後進国である」
「非民主国家は野蛮な国である」
との思いだ。

それは、あたかも「神が望んでおられる」として十字軍を結成した思想にも似ている。
民主化が進まぬ国の人々を解放し、彼らに民主主義の恩恵を与えることこそ我々の使命であるとの傲慢さは、現代の十字軍を結成するのだろう。

民主政に必要なものこそ、フランスに欠けているものだ

民主政体が最高の政体であるという主張は、政治思想史の中では近代以降の話に過ぎない。むしろ、プラトンに代表されるように、古来より民主政に対する不信感は強かった。なぜなら、民主政体においては多数派が暴走するからである。民意の名の下に多数派が暴走した場合、もはや止めるものは何もない。

民主主義に基づく政治体制をひけば、すべてが良くなるわけではない。世の中がHappyになるわけでもない。民主政体は国民が作り上げていく政体であるからこそ、その運営が困難な政治体制なのだ。

民主主義は二つのものから成り立つと私は考えている。ひとつは制度、もうひとつはモラルだ。三権分立といったものは制度と考えてもらえば良いだろう。もうひとつのモラルについては少々説明を要する。

モラルの根底にあるのは「人間は不完全な生き物である」との強固な確信だ。性善説性悪説かという単純な問題ではない。人の性が善であろうとも、人は過ちを犯す。人の性が悪であろうとも、人は善行をする。
ただ、間違いなくいえることは、人は完全ではないゆえに過ちを犯す。だから、権力を分散しておかねばならない。人は耳の痛いことを嫌う。だから言論の自由を保障しなければならない。人は不完全であるがゆえに、どのような聖人君子を就けても権力は腐る。だから定期的に入れ替えをしなければならない。

こういったモラルの中には、ひとつの黄金律がある。
ひとつの価値観には、同じだけの質と量を持った真逆の価値観が存在する

この世に絶対的真理など存在しない。ひとつの主張には必ず同じ正当性をもった真逆の主張が存在するのだ。だから、英語でも"Look at the both sides of the shield.(盾の両面を見よ)”との諺があるではないか。

自分たちの信じるものがあるならば、必ず相手にも同じように信じる者があるはずだ。そのモラルがあれば、イスラム教徒の教祖を裸にしレイプするような風刺画(とも呼べぬ代物だが)を描くことはためらうはずだ。

民主政に必要なものこそが、フランスに欠けていたものだ。