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月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

勝山市の成長戦略 その2 -最高のまちはどこにもない-


前回のおさらい

何度も繰り返すのですが、「このまちは最高です」と自治体・住民が思うことは大切なことです。その想いがなければ、そもそも自治体の絆が成り立ちません。しかしながら、その想いを前面に出すと思わぬ陥穽に墜ちることがあります。

今回はその辺りを詳しく見ていきましょう。


前稿のおさらいです。
「このまちは最高です」との自治体・住民の主張は、「最高さ」を根拠として他自治体との差別化を図るものです。
その差別化は、
 ①地理的独自性
   (このまちは緑豊かな自然に囲まれた地域です)
 ②歴史的・伝統的独自性
  (このまちは歴史的文化財が豊富で、ユニークな祭りなどがあります)
 ③人間性の独自性
   (このまちに住む人々は、心温かくあなたを迎えてくれます)
といったパターンで行われます。多くの自治体のHPや観光HPで、この手の文言が散りばめられていることでしょう。


主観性のワナ

前稿のおさらいが終わったところで、結論から申し上げると、「このまちは最高です」との主張が落ちる陥穽とは、「主観性のワナ」です。多くの自治体がこのワナにかかっているのですが、当事者はワナにかかっていること自体を認識していないように思われます。

主観性のワナは、主張が主観的であるがゆえに、その価値を他者と共有することが難しいという特徴を持ちます。



主観性のワナの特徴は、次の2つの点で如実に表れます。
 ①体験の先行性
 ②比較困難性

「①体験の先行性」とは、人は体験したことを元に共感するという性質です。歯の痛みは本人にしかわかりません。しかし、「歯が痛くて痛くて…」と言えば、相手方は己の経験をもとにして想像してくれることでしょう。ここに共感が発生します。したがって、一度も虫歯になったことのない人は、歯の痛みを共感することは不可能です。

つまり、「このまちは最高だ」と主張しても住んだことのない人には伝わらないのです。したがって、「住んでみなければわからない」ような主張をいくら繰り返したところで共感を得られることはありません。

「②比較困難性」は、主観的な主張の比較の困難さを表しています。「このまちは最高です」との自治体Aの主張と、「いやいや、うちのまちこそ最高ですよ」との自治体Bの主張とを比べる基準などありません。なぜならどちらの主張も主観に基づいているからです。駅前の蕎麦屋と3丁目の蕎麦屋のどちらが美味しいかを言い張るようなもの。下手すれば、空手と柔道のどちらが強いのかを主張し合うことにも似ており、比較のしようがないのです。



主観性のワナの具体例ー魅力あふれる観光地づくりー

体験の先行性と比較困難性が最も顕著に現れる事例は、観光地づくりです。観光地づくりをする場合、
 (1)中核となる有名観光地
 (2)その周辺の小・中規模観光地
とエリア分けをして、(1)を訪れた観光客を(2)で周遊していただくというプランを立てます。これは自治体内部でも、自治体間またぐ広域観光でも同様です。


(1)は問題ありません。放っておいても観光客は来るのですから。問題は(2)です。ここに成功した観光地は、小布施などごくごく少数の事例にとどまります。


なぜ、有名観光地からその周辺の小・中規模観光地へ人々は周遊しないのでしょうか。それは皆さん自身がよくわかっていらっしゃるはずです。
  「だって、知らないし」
  「事前に調べても何が楽しそうなのか、よくわからない」

「このまちは最高です」との主張は主観的です。主観的なメッセージは、時として独りよがりになりかねません。
行ったことがないので体験の先行性はない。他自治体と同じようなものばかりで比較が困難である。独りよがりなメッセージは顧客に対してそのような印象しか残さないでしょう。

ならば、独りよがりではないメッセージとはどのようなものでしょう。
それも体験の先行性にヒントがあります。

体験の先行性とは、「行ってみなければわからない」ということ。この体験の先行性はコインの表裏から成り立っています。表面は「行ってみなければわからないから、とりあえずは行かない」。裏面は「行ってみたら良かったので、もう一度行く」というもの。裏面をリピーターと言います。
リピート率60%を誇る湯布院温泉は、「人を癒す温泉」とのテーマに基づき40年にわたるまちづくりを行いました。「このまちは最高です」と言わずに「あなたを癒す温泉です」と主張したのです。


試しに、どこでも良いです。自治体のHPや観光協会のHPを開いて、そこの文言をチェックしてみてください。
「このまちは最高です」
「このまちは〇〇や××をやっています」
といった主観性溢れるメッセージ以外のものはあるでしょうか?
湯布院が打ち出した「人を癒す温泉」といったメッセージ性と同様のものを見出すことはできるでしょうか。

こういったHPは、様々なイベント情報や観光地情報で埋め尽くされています。それはあたかもスーパーのチラシのようです。ただし、スーパーのチラシには「明日は〇〇がお買い得です」との明確なメッセージが込められています。
 ①地理的独自性
 ②歴史的・文化的独自性
 ③人間性の独自性
に基づいて、様々な施策・イベント等には明確なメッセージ性があるのでしょうか。





主観性のワナの具体例②ー地元に帰ってこない若者たちー

主観性のワナの事例として、こちらは根深く、より深刻です。

多くの地方自治体は、大学進学で都会に行って戻ってこない若者たちや、結婚を機に都市部へ出て居を構える若者たちの存在に悩んでいます。

地元を離れる若者たちは、将来、再び地元へ戻るつもりがあるのか。民間事業者のアンケート調査によれば6割に及びます。おおむね、我々の実感に基づく数値です。

地元に住んでいた若者たちが、大都市圏の大学へ進学し職を得て地元を離れる……というストーリーで考えてみましょう。
大学進学するまで彼は地元に住んでいました。したがって、体験の先行性は満たしています。自治体はこの「体験の先行性」を訴えます。つまり、若者たちが持つ地元愛に訴えかけます。「ここは最高のまちだろう?だから戻っておいで」と。

しかしながら、若者たちが地元を離れる理由は「都市圏で仕事が見つかったから」といった客観的な理由です。

いや……正確には「客観的に見せられる理由」と言った方が良いのかもしれません。地元にまったく職がないのかと言えばそうでもありません。地元で就職活動をしない時点で地元へ戻る意思は毛頭ないのです。単に地元へ戻りたくない理由として「都市圏で仕事が見つかったから」と述べるだけのこと。



名著『売れるもマーケ当たるもマーケ』において、著者はマーケティングの手法を22の法則に分類しました。その第4法則として「知覚の法則」を提示します。


【第4法則】知覚の法則
マーケティングとは商品の戦いではなく、知覚の戦いである。客観的な事実というものは存在しないし、事実というものも存在しない。ベストの商品などありっこないのだ。
マーケティングの世界に存在するのは、ただ、顧客や見込客の心の中にある知覚だけである。知覚こそ現実であり、その他のものはすべて幻である。私たちは信じたいと思うものを信じるのである。同様に味わってみたいと思うものを口にするのだ。

売れるもマーケ 当たるもマーケ―マーケティング22の法則

売れるもマーケ 当たるもマーケ―マーケティング22の法則

 

 自治体は若者の体験先行性に訴えます。
「このまちは最高のまちだろう?」

しかし、若者の心には届きません。体験の先行性を重視して地元に残る若者も確かに存在します(私もそうでした)。しかし、体験の先行性を重視しない若者にとって、それは彼らの知覚を何ら呼び起さないものでしかありません。


「地元には戻りたくない」と思う若者が、地元に戻りたくない理由は様々でしょう。案外、その分かれ目は些細なことだったりするのかもしれません。
しかしながら、これまで多くの自治体はその分析すらせずに、
 「若者が働く場がないから戻らないのだ」
 「若者が遊ぶ場がないから戻らないのだ」
 「子育て支援が充実していないから戻らないのだ」
と結論づけて、定住化促進政策を実施してきました。働く場がないのならば企業誘致を行いましょう。遊ぶ場がないのならば、レジャー施設に補助金を出しましょう。地元に戻り家を建てる人には、〇〇万円の補助を出しましょう。子育て支援策として、出産祝い金を出しましょう・・・


しかし、多くの人々は薄々気づいているはずです。そんなことでは若者は地元に戻ってこないことを。子育て支援を充実してくれることは、その自治体に住む人々にとっては大変にありがたいことです。地元に戻った若者が家を建てるときに補助金が出ることも大変にありがたい……でも、それがあるから若者は地元にもどってきたのではないということを。





 

最高のまちなど、どこにも存在しない

繰り返しになりますが、「このまちは最高のまちです」と地域住民が思うことは、とても大切な事です。しかしながら、その想いは自治体の外へ出しても、その主観性のゆえに人々の共感を呼びません。

自治体の外へ向けるメッセージは、別の原理によって組み立てられたものでなくてはならないのです。それこそが最高のまちなど、どこにも存在しないという当たり前の原理です。


最高のまちなど、どこにも存在しないのだという原理に基づいてどのようなメッセージを発信するのか。それについては、次稿にて。