読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

勝山市の成長戦略 その1  -思い込みを取り除こう-

冒頭にあたり

勝山市は人口2万5千人の小さな自治体です。この小さな自治体がこれからの自治体間競争を勝ち抜くためには、どのような戦略が必要なのか。私はこの点を数年間にわたって考え続けてきました。ようやくその答えが垣間見えてきたので、その結果を数回にわたって当ブログにて述べていきます。

「戦略とはなにか?」
私は戦い方だと考えています。どこにターゲットを絞り、手持ちの資源をどのように投入し、何を目指して戦うのか。その戦い方こそが戦略であり、勝山市の将来を左右するものです。


これから数回にわたって、

「自治体間競争とは、そもそも何をめぐる競争なのか」

「自治体間の競争においては、我々は何をもって『優位』となすのか」

「自治体間競争で優位を築くために何をすべきか」
といった点について重点的に述べていくつもりですが、その前段として今回はひとつの思い込みについて論じます。

この思い込みは実に厄介な代物です。それは自治体のまちづくりに欠かせないものでありながら、それが逆にまちづくりの発展の足枷になりかねません。

その思い込みとは、
「私たちのまちは最高である」




「最高の製品」は存在しない

たいていの製品や事業において「最高」なるものは存在しません。試しに「最高の車」を想定しましょう。軽トラックが欲しい人にとってベンツは何の価値もありませんし、ベンツの最高級クラスとフェラーリの最高級クラスとの比較も意味がありません。

ところが、多くの企業は「最高を巡る争い」へ突入します。

この典型例として経営学の教科書に出てくる事例がホテルの「ベッド戦争」です。
1999年にウェスティン・ホテルが、数千万ドルの投資を行いベッドリネン、枕、マットレスを吟味して「天国のようなベッド(Heavenly Bed)」を導入しました。もちろん、競合ホテルとの差別化を図るためです。予想通り、競合ホテルは直ちに対抗策を図ります。ヒルトンは「静寂のベッド」、マリオットは「元気回復コレクション」、ハイアットは「ハイアット・グランド・ベッド」といったように。
 マスコミが2006年にベッド戦争の終結を宣言するに至るまでに、各社は巨額の投資をして自社ブランドの開発・導入を行いました。そして、この等級ならばどのホテルに泊まってもベッドの品質には差がないことが保証されています。


『競争の戦略』の中で、マイケル・ポーター教授はこの状態を「競走の収斂」と呼びました。

 

競争の戦略

競争の戦略

 

企業ごとの違いがひとつ、またひとつと失われ、やがてどの企業も見分けがつかなくなる状態です。そして、競争の収斂に陥ったとき、もはや顧客にとって判断材料となるのは価格のみであり、企業は熾烈な価格競争に走らざるをえません。


経営学は諌めます。
「最高の商品・サービスは存在しない」
「あるのは、『私にとって最高の商品・サービス』である」
と。
顧客を分析し、対象を絞り(セグメント)、業界の中における自社の位置を明らかにせよ(ポジショニング)と。

なぜなら、製品・サービスの価値を最終的に定義するのは、提供者ではなく顧客だからです。
 




このまちは最高です 

「このまちは最高のまちだ」との自己評価を、自治体はまちづくりの基礎に置きます。「私たちのまちに誇りを持ちましょう」と。


誤解の無いように申し上げておきますが、私はこれ自体を否定するつもりは毛頭ありません。住民が自分のまちを誇りに思うことはとても大切なことです。私自身も、自分の住むまちを誇りに思っています。

私が申し上げたいのは、「このまちは最高のまちだ」という想いを前面に打ち出すことは、企業が「最高を巡る争い」に突入する事態と同じ結果をもたらすことだという点です。


もう一度、企業が「最高を巡る争い」をする際の特徴を思い出してください。競争に参加している企業がその独自性を発揮できなくなる、すべての製品・サービスが同様のものになってしまい価格競争しかできなくなる。そういった状態が競走の収斂でした。

「このまちは最高のまちだ」と自治体・住民が主張するとき、他のまちとの差別化は
 ①地理的独自性
 ②歴史的・文化的独自性
 ③人間性
で行うのが通例です。

「私たちのまちは、美しい山々と素晴らしい自然に恵まれています(地理的独自性)」
「私たちのまちは、歴史的に素晴らしくユニークな祭りや文化財が豊富です(歴史的・文化的独自性)」
「私たちのまちは、温かい人間味あふれる人々がいます(人間性)」
どの自治体でも決まり文句として出てくるものばかりです。

繰り返しになりますが、私はこれ自体を否定しているのではありません。これを前面に押し出すこと自体が陥穽に墜ちると言いたいのです。

では、どこに陥穽があるのか。

それは次稿で詳しく。