月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

【勉強・受験】  基礎力・応用力のお話  ②ネットワーク化できる子供の発想

 

ネットワーク化できる子供の発想



では、「成績の良い」子供たちは、どのように共通項を掴んでいるのか。次にそれを見ていきましょう。

前述した数学の関数問題を例に取ります。

もう一度、関数問題を苦手とする受験生の内部を見てみましょう。

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これは、まさに知識レベルで混乱している状態です。

ならば、成績の良いとされる子たちはどのような発想をするのでしょうか。



中高6年間の「関数の旅」の第1歩は、中学1年生の「比例・反比例」から始まります。
具体的には、次のような問題です。簡単な問題ですので、皆さんも是非チャレンジしてみてください。

《問1》

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《問2》

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《問3》

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こういった問題をこなす過程で、勘の良い子は気がつきます。
「なんだ、結局は①グラフを書く ②式を求める ③座標を求める。この3つだけのことじゃないか」


そう、その通り。よく気がつきました……と、私は褒めます。なぜなら、関数の問題は、どこまで行っても
 ①グラフを書く
 ②式を求める
 ③座標を求める
この3つを延々とやり続けるだけのことだからです。


そこに気づいた子供の発想は、次のようなものになります。

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1次関数であろうが2次関数であろうが、変域を求める問題だろうが文章題だろうが、結局やることは一緒でしょ?……と、彼らは考えます。
したがって、新しい問題を見た時も鉛筆が止まることはありません。なぜなら、「結局、やることは一緒でしょ?」との発想に立つならば、方針がぶれることはないからです。

「結局、やることは一緒でしょ?」……これは、前述した主婦の料理を同じです。「小麦粉がないなら〇〇を使えばいいじゃない。だって、結局やることは一緒でしょ?」
道理を掴んだ人間はやることが見えています。見えているのだから、やるだけ。

逆に、数学の苦手な子は問題を前にしてウンウン唸っています。知識がバラバラになっているために、「どこから始めれば良いのか」との取っ掛かりが見えません。「ここはこうすればいいよね」との取っ掛かりを与えると、「あっ、そうか!」と鉛筆が進みます。そういった姿を見て、「なんだ、この子はできるじゃないか」と私たちは考えません。逆に「この子は、まだネットワーク化ができていない」と判断するのです。



これは数学だけの話ではありません。理科でも社会でも英語でも同様です。



「日本地理はバッチリです」という子がいるのならば、私たちはその子に問います。
「そうですか。それでは、京浜工業地帯とは?」
「続いて、北陸工業地域とは?」
これが知識レベルの質問です。教科書に出ている知識を問う質問です。

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知識レベルでの定着ができたならば、次のレベルの質問が始まります。

「では、京浜工業地域と北陸工業地域を比較して、北陸工業地域の特徴を説明してください」
これがレベル2の問題。

この問いは、様々な問いかけを子供たちに要求します。
「なぜ北陸地域に伝統工業が発達したのか」
「なぜ伝統工業は、地域ごとに異なるのか」
といった問いを考えることで、子供たちの中にある知識はネットワークを形成します。

北陸地方は雪が降る」
「雪が降れば、農業はできない」
「農業ができないから、冬は別なことをする」
「そうやって伝統工業が発達したのだ」
と共通項を結ぶ過程で子供たちは気づきます。

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逆に、「北陸工業地域と比較して、なぜ京浜工業地帯に出版・印刷業が発達したのか」との問いは、京浜工業地帯の性格を浮き彫りにします。






そして、こういった経験を積み重ねていく過程で、道理は更に進化していきます。
「道理と道理を結びつけて、更に深い道理を作り上げていく」との段階です。

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先ほどの地理の例を挙げるならば、
「北陸と関東の工業を結びつけて共通項を探る経験」のような思考経験を繰り返す子供たちは、途中であることに気づきます。
「そうか!農業や工業・商業は、その地域の地理的特性に影響されるのか」
更に深い道理のレベルでの気づきです。

「産業は、その地域の地理的特性に影響される」……このことは、当たり前のことです。そして、教科書にも何度も書かれ、先生たちは口が酸っぱくなるくらい繰り返します。

ですが、ネットワーク化を図らなかった子にとって、「産業は、その地域の地理的特性に影響される」との内容は、単に知識のひとつでしかありません。

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ネットワーク化を図る作業を続けていく過程で、子供たちは自分自身の理解として「ストンと肚に落ちる」経験をします。
「ああ、そうか。そういうことだったんだ」
「知識のフレームワーク」と呼ばれる、様々な知識を統括する道理をつかんだ瞬間です。

ここまで来れば、記述式・論述式だろうがどのような問題にも対応できることでしょう。






これは余談ですが、様々な形で「更に深いレベルでの道理」は存在します。

例えば、数学・理科ならば

小学校で学ぶ「シーソー」

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中学1年生で学習する食塩水の問題

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高校1年生で学習するチェバの定理

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これらは、すべて同じ道理で考えることができます。したがって、シーソーの理屈さえわかっていれば、すべて解ける仕組みです。






歴史ならば、例えばこれ。
「これは何ですか?」

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教科書の挿絵に出てくる有名な作品ですから、中学生は答えます。
ミケランジェロがつくったダビデ像です」

これは知識のレベルの話です。

ダビデ像が掲載されている教科書の同じページには、必ず「ルネサンス(文芸復興)」の用語も掲載されています。ですから、知識レベルとして「ダビデ像」と「ルネサンス(文芸復興)」は必ず押さえてあります。

そこで私たちは問います。
「なぜ、ダビデ像はスッポンポン(裸)なのか?」

これは、中学生にとっては実に難しい問いです。
使う知識は中学生の歴史の教科書に全て載っているはずですが、私の経験上、この問いに答えられる中学生は稀です。

これを読んでおられる皆さんも、是非考えてみてください。




さて、それでは次に「どうやって、知識のネットワーク化を図るのか」。その手法について考えてみましょう。

【勉強・受験】  基礎力・応用力のお話  ①応用力とは何か

はじめに

昨年末のこと。コンビニのレジで、カウンターの向かい側の店員さんから声を掛けられました。
「つかぬことを伺うのですけど……子供の成績をどうやって伸ばせばいいんでしょう」
「うちの子、今年卒業して上の学校へ行くんですけど、心配で心配で」


高校受験生や大学受験生を教え始めて、はや25年が経とうとしています。さすがに市議会議員時代は、よほどの理由がない限りはお断りしてきましたが、それでも多くの受験生に接する機会を得ました。
当たり前のように東大に行ってしまう子もいました。中学・高校と6年にわたり不登校だった子が「僕は、人生をリセットしたい」と一念発起し、東京六大学へ行ったケースもありました。こちらが泣きたくなるくらい定着度の低い子もいれば、一を聞いて十を知る子もいました。本当に子供は様々です。

それでも、子供たちは、それぞれに夢に向かって努力していました。その努力を支えてあげたいと私も25年近くにわたり子供たちに接してきました。

レジで私に問いかけたお母さんの他にも、最近、保護者からの問い合わせが増えてきました。多くの保護者が同様の悩みを抱え、我が子のために何かをしたいと考えていらっしゃいます。

経験の中で、少しだけわかったことをお伝えできれば……それが本稿の目的です。


本稿の対象

本稿は次のような方を対象としています。

①教科書の例題は解けるのに、テストの点が伸びない。
②基礎力とはどこまでやれば良いのか、わからない。
③「できる子」は、なぜできるの?
④塾や家庭教師をつけるタイミングがわからない。


本稿の内容

まずは、多くの方々が抱いている誤解を解くことから始めます。
それは、「応用力は基本的な問題を数多く解けば得られる」というもの。
この誤解は、「応用力とはそもそも何か?」との問題と密接に関係します。

もうひとつの誤解は、「頭の良い子は知識の量が違う」というもの。私の経験上、学年トップの子と学年30番の子の知識量にさほどの違いはありません(定着率の差はありますが)。

その誤解を解く過程で、「応用力とはなにか」を説明します。
子供の頃、足の速い子がクラスに数人います。誰にならったわけでもないのに、足が速い。そういった子は「体の使い方が上手い」のです。同様に、誰に教わったわけでもないのに成績の良い子もいます。そういった子は「頭の使い方が上手い」と言えるでしょう。頭の使い方が上手いとは、詰まるところ、応用力を自然と掴んでいるのです。

そして、最後に、私見としての「応用力の掴み方」。その方法について説明いたします。




応用力とは「知識をネットワーク化すること」である

「教科書の例題は解けるのに、応用問題が解けない」
「基本的な知識はあるはずなのに、模試を受けると点につながらない」
少なからずの子供・保護者の方々が抱く悩みです。

なぜ、得点に結びつかないのでしょう。

保護者の方々は言います。「うちの子は応用力がないから」と。
そのとおりです。
ですが、「応用力とは何か?」を正確に把握していないと、
「簡単な問題をたくさん解けば基礎力がつく」
「基礎的な問題の次に、難しい問題を解いて応用力をつけよう」
「でも、難しい問題が解けない」
「もう一度、簡単な問題に戻って基礎力をつけよう」
といった、間違った無限ループを繰り返すことになります。


では、応用力とは何でしょうか。




【応用力とは知識のネットワーク化である】

結論から申し上げると、「応用力とは、知識をネットワーク化し、それを現実に反映させる力」だと私は考えています。


数学を例えにとり、具体的に見ていきましょう。

中学1年生は2学期に「比例・反比例」を学びます。

ここから、中高6年間にわたる「関数の旅」が始まります。
 ・中学1年生ー比例・反比例
 ・中学2年生ー1次関数
 ・中学3年生ー2次関数
 ・高校数Ⅰ-2次関数
 ・高校数Ⅱ-三角関数、指数・対数関数、微分積分
 ・高校数Ⅲ-平面上の曲線、複素数平面、微分積分


関数問題の苦手な高校受験生は多いのですが、彼らの内部で蓄積された「関数の知識」は次のようなイメージです。

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まさに、知識が知識のまま蓄えられてしまった。そんな状態です。
「教科書の例題はすらすら解けるようになったけれど、模試の問題などは、さっぱり解けない」という子供は、まさにこの状態に陥っているのです。



この状態を抜け出るためにネットワーク化が求められるのですが、次は、そのネットワーク化について説明しましょう。




【ネットワーク化とはどのような状態なのか】

一般的に、知識は単体として独立して存在します。

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この単独で存在している知識をネットワーク化して応用力をつけます。
ネットワーク化された知識とは次のようなイメージになります。

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ネットワーク化とは何か、また、なぜ必要なのか。それは知識同士がどのようにつながっているのかを見てみればお判りになります。

本来、異なる知識をつなげるためには、互いの知識の中に「共通する何か」を見つけなければなりません。

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異なる知識を結びつける共通項を発見することは、全く異なる次元の知識を手に入れたことを意味します。一般に、この共通項は「道理」とか「物事の根っこ」と呼ばれるものです。

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「道理のレベル」というと難しくなりますが、日常生活でこのレベルの知識は様々な場面で顔を出します。

例えば、主婦が料理を作る様を見ていると、「なるほど、道理だ」と感じる場面があります。
「小麦粉は?……あら、小麦粉がないわ。それなら〇〇を使えばいいか。どうせ効果は同じだから」
これが道理のレベルの発想です。食材Aも食材Bも効果としては同じなのだから使えばいいでしょ?との発想は、共通項を弁えないと出てこないものです。

何十年もの間、日々食事を作られた主婦は、誰に言うともなく道理を掴んでいます。逆に、私などは「知識のレベル」の経験しかありません。「カレーは作れる」「チャーハンは作れる」という知識はあっても、それらを横断するネットワーク化ができていないために、共通項、すなわち道理のレベルにまで達していないのです。

そして、重要なことは、受験なり模試なりは道理のレベルでの争いだという点です。

受験問題に「見たこともない知識」は出てきません。
中学生の教科書に出てくることが高校受験では問われ、高校生の教科書に出てくる内容が大学受験で出題されます。

それは、例えるならば、目の前に見たことのある食材を出されて「さあ、これで料理を作ってください」と言われるようなものです。

おそらく、道理を掴んでいる主婦ならば易々と3品を作るでしょう。しかし、知識レベルでの料理しか知らない私ならば、包丁を持ったまま立ちすくみます。食材は見たことがある、包丁の使い方も知っている、しかしどこから手をつけてよいのかわからない。まさに、鉛筆を持ったまま解答用紙をにらむ受験生と同じです。

なぜ日本には真正のリベラル政党が誕生しないのか ーその1:保守主義的思考とリベラル派の思考ー

目 次

私は政治信条として保守主義者を自認しています。
同時に、日本に真のリベラル政党が誕生することも強く願っています。

保守主義とリベラル派の関係を、私は「男女の関係のようなものだ」と考えています。男だけの社会や女だけの社会はあり得ません。保守主義者だけの社会、リベラル派だけの社会も存在しません。
男と女に優劣はありません。保守主義とリベラル派は考え方が異なるだけで、優劣はありません。
保守主義とリベラル派は対立します。あたかも、男女が喧嘩をするように。しかし、男女が共に語らいながら関係を深めていくように、保守主義とリベラル派は議論することができるはずです。

しかし、日本には真正のリベラル政党がありません。これは、55年体制の弊害が未だに続いているためでもあり、日本の政治を豊かにするためにも、一刻も早くこの枠組みから脱出すべきです。

今回の衆議院選挙を見ていて、その想いを強くしました。
これまで、政治家としてバッチをつけていたときは自民党の候補者の応援にドブ漬かりでした。もちろん今でも自民党なのですが、外野から眺めてみると分かることは多々あるものです。


第1回目となる今回は、次の点を強調しました。
保守主義者の限界はどこにあるのか?」
「なぜ枝野幸男の演説は人々の心を震わせたのか?」
「なぜリベラル派は『民衆の敵』になるのか?」
 

《第1回目:目次》
0.嫁でもわかる5行の要約
1.そもそも保守主義とはなにか
2.保守主義者の限界
3.リベラル派とは何か
4.なぜリベラル派は「非国民」になるのか


嫁でもわかる5行の要約(涙)

とりあえず書いたものを嫁に読んでもらいました。
「長い!」
心が折れる!」
「もっと簡単なものにまとめろ」
と心温まるリクエストをいただいたので、第1回目の内容を簡単に要約してみます。

PTA活動めんどうくさいよね。
でも、昔からやってることだし。やれば楽しいかもしれない。
あ?なんであの人、PTA総会で正論言ってるの?
私たちこれまで一生懸命やってきたし。今までの積み上げ台無しにする気?
ちょっと空気読んでよ。

こんな感じでいかがでしょうか?妻よ。

嫁のOKでました。

それでは、本論始まります。第1回目の最後まで読んでいただいて、もう一度「嫁でもわかる5行の要約」をお読みいただければ、この要約の趣旨がわかるはず……と信じたい。


そもそも保守主義とはなにか

保守主義「昔の方が良い……と思っている人たち」と単純化するのは、大きな間違いです。重要なことは「なぜ保守主義者は伝統を重んじるのか」を理解すること、そして、その理解のためには保守主義の出生にまで遡らなければなりません。

保守主義と革新主義とは双子です。革新主義が世界史に華々しく登場したフランス革命において、保守主義も誕生しました。

革新主義とは何でしょう。その特徴は、理性に重きを置く点にあります。
理性とは「物事の道理を考える能力、道理に従って行動できる能力」を指すと考えていただければ結構でしょう。

では、理性を中心に置くと何が起きるのでしょうか。時計の針をフランス革命から150年ほど戻してみると、近代哲学のスタートとなるデカルトの『方法序説』があります。

 

方法序説 (ちくま学芸文庫)

方法序説 (ちくま学芸文庫)

 

 

デカルトは「方法序説」の中で次のようなことを述べています。曰く、自然に成長・発展した都市より誰か一人が計画・設計した都市のほうが美しいと。
理性に基づいた都市設計論です。

ですが、誰かひとりが「理想の都市」「理想の社会」を造ろうとすれば、他者の関心や観点を無視して独善的に己の見方を特権化しなければなりません。そして、フランス革命においては、その独善性が存分に発揮されました。理性の名のもとに、ギロチンに血塗られた独裁政治を産んだのです。


その有様をドーバー海峡を通して見ていた英国の政治家、E・バークは猛烈な筆致で一冊の書を上梓します。『フランス革命省察』。これが保守主義誕生のマニフェストとされています。

 

フランス革命の省察

フランス革命の省察

 

 

バークが述べた内容は、シンプルに要約できます。
「この世の中は、君たちだけで作り上げたものなのか?」
……社会は複雑だ。それを合理化して認識することはできるだろう。だが、それを単純な目的合理性の下で改革するのは、君たちの傲慢ではないのか……と。

保守主義の基礎には、歴史的に生成された制度や秩序は、昨日今日達成されたものではない。長い時間の試行錯誤を経てかろうじて残されたものなのだ……との直観があります。

それは人間に対する洞察と言っても良いでしょう。保守主義者は次のように考えるのです。
「確かに、人の理性は貴重なものだ。だが、人が理性的な生き物であるならば、なぜ、この世の中から不合理や不正義はなくならないのか。人は賢くもあり愚かしくもある。その営みは悲劇的でもあり喜劇的でもある。神話の時代から、人々は同じことを延々と繰り返してきた。その人間性は何も変わっていない。ただ、人々は、その時代ごとに苦吟しながらも制度を練り上げてきた。その延長線に今があるに過ぎない」

したがって、保守主義者は漸進的な改革を好みます。保守主義者は、今の人間を特権的に賢いとは思わない以上、昔から残っているものを大胆に変えようと思わないのです。



保守主義者の限界

さて、保守主義者には決定的な限界があることも事実です。

ひとつは、主張に普遍性を持たない点です。

保守主義者が保守主義者である由縁。現在は過去の延長線に位置し、今が存在するのは過去の人々のおかげであるとの発想……(それは「現在の希少性」に対する直感と言えます)……その希少性に対する直感と、それを担う責任感、そして誇りです。

大東亜戦争における特攻隊を考えてみましょう。リベラル派にすれば「国に殺された」としか思えない特攻隊の若人に、保守主義者はなぜ感銘を受けるのでしょうか。それは、彼らが抱いた責任感に同感するからです。「私の死が次の世代の繁栄につながるのであれば」と死んでいった特攻隊の若人の責任感と誇りに(私を含め)保守主義者は強く同感します。

しかし、これは「主義」ではありません。

仮に、保守主義者が伝統主義者ならば、これは「主義」となりうることでしょう。伝統主義とは「伝統は何でも尊重すべし」との思考様式であって、全ての伝統を尊重すべしと定式化ができるのであれば、主義(ドクトリン)として相手に説明することができます。

ですが、保守主義は定式化ができません。
ただ、自らが負う伝統への個人的なコミットメント(誓約)の中にこそ保守主義者は生きているからです。秩序の希少性に対する直感、それを担う責任感と誇り。これらは個人的なコミットメントの中でしか発揮できません。そして、個人的なコミットメントである限り、決して主義や普遍的な理念として掲げられるものではありません。


ならば、自らが属する社会に対する個人的なコミットメントが保守主義者の特徴であるとすると、保守主義者のコミットメントは、特定の宗教団体の構成員が宗教団体に行うコミットメントや、極端な例を言えば、構成員がマフィア・暴力団といった組織に対して行うコミットメントと同列なのでしょうか。

それは違います。保守主義者の行うコミットメントには公共性が生じ、その公共性は「社会(=祖国)」の概念まで拡大するのです。
これは具体的に下図を見ていただきましょう。

私は、保守主義的思考は下図のような構造をなしていると考えています。

《図1:保守主義者の思考様式》

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保守主義者は、歴史や伝統を不可思議なもの、我々が安易に触ることができないものと考えます。

例えば、子供なら必ず一度は考える「私はどこから来たの?」という疑問。私には両親がいて、その両親にも両親がいて……という連鎖の中で、その鎖が一度でも切れたら存在しなかった自分。その希少性。そういった事柄に想いを馳せるとき、歴史や伝統は不可思議な、安易に触れるべきものでなくなります。
(したがって、保守主義者のコミットメント(誓約)とは「私はこの国を守る」といった明示的な誓約から、素朴な「世の中がうまくまわっているのは実に不思議だ」といった疑問に至るまで、様々な段階を踏みます)


そして、「私を育んだ歴史や伝統」のエリアは、ある一点でMAXとなります。そこが祖国概念です。ただし、これは国家概念と同一視してはなりません。あくまでも祖国とは、「我々と言語・文化や歴史を共有できる人々・組織」を指すのです。
(ドーデの『最後の授業』を思い返してください)

繰り返しますが、保守主義者にとって祖国とは、言語・文化や歴史を共有できる集団であり、そこには公共性が不可欠となります。

そして、その公共性を維持することが保守主義者の目的となるのです。
「我々の伝統は貴重なものである」
「伝統は公共的なものであり、それを維持することが肝要である」
「したがって、社会の抜本的な改革よりも漸進的改良が望ましい」

しかし、その公共性は特定の主義主張によって形成されているものではありません。「これまでもあったものだし、これからもあるものだ」との前提が置かれており、ここに保守主義者の陥りやすい思想的落とし穴が口を開けています。

この点は私自身も自戒するところです。「これまでもあったものだし、これからもあるものだ」と考えることは楽なのです。思想的怠慢を生じやすい。

本来ならば、保守主義者こそが「何が我々の伝統の根幹をなすのか」を考えねばなりません。それを省いて漸進的な改良行為を続けることは、単なる現実主義でしかありませんから。

よくリベラル派からは言われるのです。保守主義には思想がない(笑)。これは誤解と言うものです。「何が我々の伝統の根幹をなすのか」……一度でも想いを巡らせた人ならばお判りでしょうが、この問いに答えることは、絶えざる知的取り組みです。
ですが、保守主義的思考は、ややもすると「これまであったものだから、これからもそれでいいではないか」と、知的怠慢をもたらしやすいことも忘れてはいけません。




もうひとつの、保守主義者の限界を指摘しておきましょう。

保守主義者は、伝統を守るコミットメントをし、伝統の母体に公共性を見るがために、「敵を外部に見る」傾向があります。

俗な例えをすると、どんなにデキの悪い子であっても子供は子供……というようなものでしょうか。可愛いもので我が子に対する愛情が損なわれることはありません。あたかも「我が子を虐めるのは他人の子」の発想にも似て、保守主義者が愛国的情熱に駆られるときとは、常に「敵が祖国を脅かす」ときなのです。

民主政権下において我が国の安全保障はズタズタにされました。その際に、保守主義者が感じた怒りは、まさに「祖国が脅かされた」ことに対するものだったのです。

では、なぜこの「敵を外部に見る」特徴が保守主義者の限界なのか。それは、「保守主義者とリベラル派がなぜ対立するのか」との論点に深く関わってきます。


その論点に進む前に、まずは「リベラル派とは何か」について考えてみましょう。



リベラル派とは何か

リベラル派を一言で定義せよというのは難しい話ですが、その特徴を見出すことは簡単です。
「敵は内部にある」
具体的には、「社会の内部に、亀裂と対立を見出す」のがリベラルの特徴です。

リベラル派とは、基本的に個人を主体とします。個人の自由を最大限に発揮できるための政治体制は何か?を考えるのが彼らの特徴といえるでしょう。「個人はなぜ抑圧されるのか、なぜ自由ではないのか。それは社会の中に亀裂や対立があるからではないのか。一見すると、自明に思われる社会体制の中にこそ、個人を抑圧する原因があるのではないか」と、リベラル派は考えます。

無論、保守主義者も「社会に問題がない」とは考えません。ですが、保守主義者は、社会の問題を現在の制度の枠内で解決しようとします。それが漸進的改良ですから。リベラル派からすれば、それは社会の内部の亀裂や対立に目をつむり、場当たりにパッチを当て続ける行為にしか見えないのです。

リベラル派は考えます。なぜ個人は抑圧されるのか。なぜこれだけの矛盾と対立が社会内に存在するのに、保守主義者たちは目をつむるのか。
それならば、我々が立ち上がるより他にない……と。

保守主義者の思考様式の特徴が「上下方向への個人のコミットメント」にあるとするならば、リベラル派の思考様式の特徴は「社会問題に対する、個人間の横の連帯」にあると言えるでしょう。

《図2:リベラル派の思考様式》

 

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今回の衆院選挙において、立憲民主党枝野幸男氏が10月14日に演説会を行いました。

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この演説会に対するネットの感想を見てみましょう。
エスカレーターにのってゾクゾクした。枝野さんだけの戦いにしてはだめだ」

立憲民主党は枝野が作ったのではない、あなたが作ったのですという言葉はグッときた」


「俺たちは『当たり前のこと』を言いたいんだ。今はそれが言えない世の中になってしまってるんだ。だから当たり前のことを言うのが一周回って新鮮なんだ。当たり前のことを言って共感してくれる人がいるのがとんでもなく心強いんだ」


これらは、リベラル派の典型的な思考様式です。「世の中はおかしい」と主張することは当たり前のことであり、その当たり前のことすら言えない。そんな世の中はおかしい。ならば、我々は連帯しよう。枝野が作ったのではなく、立憲民主党は皆のものなのだ。さあ、枝野だけの戦いにしてはダメだ。皆で手をつなごう。



そして、ここにリベラル派の限界があります。

リベラル派の限界のひとつは、「連帯がうまくいかないと、分裂してまとまらない」こと。社会内部に問題や亀裂・対立を見出した人々が連帯する、これがリベラル派の思考様式です。しかしながら、問題意識は個々人によって異なります。その問題意識が異なると、うまく連帯できないのですね。
うまく連帯できないと、仲間内で喧嘩をし始める。こういうときは、遠い敵よりも近親間の方が憎悪が深くなるのは世の常です。部落問題、労働者問題等々で、左翼と呼ばれる人たちがどれだけ分裂し、お互いに確執を持っているか。それを見れば明らかでしょう。

この点、保守主義者は基本的に連帯を考えません。祖国概念を同一に持つ限り、連帯する必要性を感じないのです。「母なる祖国」という言葉が、(万国の)保守主義者の憧憬と一体感を刺激するという1点だけからも、意図的な連帯が不要であることがわかります。「母なる祖国」という概念には、既に「その祖国に包まれている国民」概念が含ますから、連帯が既にパッケージングされています。
(昔から保守主義者とロマン主義との食い合わせの良さが指摘されてきましたが、その理由はここにあります)



もうひとつの限界は、「リベラル派は『非国民』になる」ということです。

「政治的公共性は自明のものではない。社会には深い亀裂が存在する。敵は社会の内部に存在するのだ」……と異議申し立てをするのが、リベラル派です。ゆえに、リベラル派は『非国民』としての扱いを受けやすくなる。ここをもう少し考えてみましょう。




なぜリベラル派は「非国民」になるのか

保守主義者とリベラル派は対立します。しかし、ここが面白いところでして、対立していると考えているのはリベラル派の方であって、保守主義者は対立しているとは考えていません。

保守主義者の思考様式を振り返ってください。保守主義者は、国民は和して一体であると考えます。そもそも保守主義者にとって「敵は外部にある」ものであり、祖国内に対立があるとは考えません。
したがって、リベラル派は保守主義者を右翼と呼ぶのですが、肝心の保守主義者は自らを右翼とは定義しません。国民は和して一体であると考える以上、自らを中道と位置づけるのです。

逆に、保守主義者の思想……国民は和して一体であるとの考え……に従うならば、社会に亀裂と対立を見出すリベラル派こそが、社会の混乱をもたらす存在に映ります。すなわち、リベラル派とは「民衆の敵」であり、「非国民」なのです。

 
近代劇最大の作家であるイプセンは、そのものズバリ『民衆の敵』との戯曲を書き残しています。

民衆の敵 (岩波文庫 赤 750-2)
 

 


舞台はノルウェーの田舎町。
ある日、温泉が湧き出たので町の人々は、これで町おこしができると大喜びします。しかし、ストックマン医師は温泉が毒物で汚染されていることを知りました。ストックマン医師は、この事実を公開して温泉を改造しようと実兄である町長に勧めますが、町長は莫大な費用がかかることを理由に拒否します。

ストックマン医師は、新聞社を味方につけ、労働組合の支援もとりつけ、町長に撤回を迫ろうとします。新聞記者からは「あなたは『民衆の友』だ」と絶賛されるなど、ストックマン医師絶頂のときでした。

しかし、町長から「温泉大改造には、莫大な負債と二年の温泉閉鎖が余儀なくされる」と聞かされた組合長は、あっさりと寝返ります。あれほど医師を絶賛していた新聞社も、大多数の購読者を失う可能性の前にたじろぎ、医師を裏切りました。

民集会で温泉閉鎖を主張するストックマン医師ですが、人々は動きません。彼は絶望してこう叫ぶのです。
「真理と自由の最も危険な敵は、堅実な大多数である」
「多数が正義を有することは断じてない」
「この広い地球上のいたるところで、馬鹿こそまさしく圧倒的大多数を占めるものだ」
「馬鹿が利口を支配することが当たり前とは怪しからん話ではないか」
「正義とは常に少数のみの支配するところだ」
ついには、町民集会の無記名投票の結果、満場一致で『民衆の敵』の烙印を押されたストックマン医師は、終幕で家族に向かい「最大の強者は、世界にただ独り立つ人間である」と宣言し、永遠の反抗を誓うのです。

 
イプセン研究者からは評価の低い『民衆の敵』ですが、イプセンらしい人間観察に溢れています。おそらくリベラル派の人々は、痛いほどストックマン医師の言葉が突き刺さることでしょう。


ただし、イプセンはリベラル派の人々にも嘲笑を浴びせている点も忘れてはいけません。リベラル派は、なぜか選挙に敗れるたびに「これは民意ではない」「ポピュリズムだ」と騒ぐ傾向にあります。それが先鋭化したものがストックマン医師の言う「国民はバカだ」になるのです。
イプセン保守主義的現実重視を笑いものにすると同時に、ストックマン医師の言動にも冷笑を浴びせています。そういったものもすべてひっくるめての人間、そういう人間観察なのでしょう。

話を戻します。
保守主義的思考は、ややもすれば「今まであったものなのだから、これからもあるものなのだ」との考えに傾き、思想的怠慢に陥れば、単なる現実主義・事なかれ主義に堕します。その中で、社会の問題を主張する人々は「民衆の敵」なのです。


この構図は下図のようになるでしょう。


《図3:社会の中のリベラル派》

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そして、この構造を見事に逆手にとったのが、マルクスでした。
次回は、その「マルクスの逆手戦略」から話を始めましょう。


(次回へ続く)

 

なぜ日本には真正のリベラル政党が誕生しないのか ーその2:マルクスの戦略と55年体制ー

前回は、保守主義者とリベラル派の思考について考えてみました。何度も申すように、保守主義とリベラル派は決して対立するものではありません。しかし、日本では対立するものとして扱われてきました。その理由について考えてみましょう。

今回は、次の問題点に尽きます。
「なぜ、今回の衆議院選挙の争点がアベ政治の打破』しかないのか」


《第2回目:目次》
0.嫁でもわかる5行の要約(涙)
1.マルクスの描いた逆手戦略
2.マルクス戦略の失敗
3.リベラル派は社会の中でこそ輝く
4.55年体制とは保守とリベラルが作り上げた全体主義
5.番外編「外山恒一はどこにいるのか」

嫁でもわかる5行の要約(涙)

またしても嫁にダメ出しされたので、5行の要約を。

うちの旦那に、お義母さんのことを言うでしょ?
すると、すぐに「まあまあ、それは」とお茶濁すのよ。
なんで?私も感情的なところはあるけどさ。
「この場さえやり過ごせばOK」的な態度がみえみえ。
それが55年体制

嫁に見せたら、「なんか色んなことを思い出して腹立ってきた」と言われました。
ええ、自爆です(落涙)。

ということで、第二回目はじまります。
今回も最後までお読みいただいて5行要約にお戻りください。趣旨がおわかりになるはずです。





マルクスの描いた逆手戦略

リベラル派は、社会の中に問題を発見し亀裂や対立を炙り出す。それゆえに、社会の秩序と平安を脅かすものとして疎外される。これが前回のお話でした。

これを逆手にとったのはマルクスです。マルクスは言いました。「プロレタリアートは祖国を持たない」と。見事な「リ・ポジショニング戦略」です。

リ・ポジショニング戦略とは、相手の強みを逆手にとることです。マクドナルドがハッピーセットでファミリー層を狙うのならば、バーガーキングは「マクドナルドは子供のバーガー。わが社は大人のハンバーガーを提供します」と逆張りするような手法を指します。相手の強みは同時に弱みとなりうるとの考え方が、根底にあります。

社会内部の矛盾や対立を主張するために、社会内部にいる必要はなかろう。社会が我々を疎外するならば、我々は社会の外に出て「お前たちの王様は裸だ」と叫べば良いのだ……これがマルクスの戦略の根本にあると、私は考えています。

《図4:マルクスの逆手戦略》


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アウトカーストを自ら名乗り賛同者を募るようなもので、実に優秀な戦略です。




マルクスの戦略の失敗

ただ、マルクスの戦略には致命的な欠陥がありました。
社会(=祖国)の外に出た集団は、社会と語る言葉を持たなくなるのです。

この場合、「社会(=祖国)の外に出る」とは物理的に国外へ出ることを意味しません。社会内部にいながら、実質的に「社会の外にいる集団」を考えてみればよいのです。日本にいながら日本の法を全く無視する宗教カルト集団などは典型例でしょうし。外国人が言語・文化・道徳も異なるコミュニティをつくる場合もそうでしょう。
 「話の通じない相手」
 「何を考えているのかわからない集団」
そんなアンタッチャブルな集団と話をしようという人間はいません。

そして、社会はそのような集団と「政治」をすることができない。ここがマルクス戦略の致命的な欠陥なのです。

政治とは、言葉(=対話)を用いた意思疎通の中で社会を変革する営みです。そして、言葉(=対話)とは公共性の基盤なのです。

「公共性」とは何でしょうか。
私は、公共性をOS(オペレーティングシステム)のようなものだと考えています。様々なソフトウェアはOSを共有することで動きます。同様に、OSを共有しない限り、我々は社会を営めません。そのOSが公共性であり、マルクスの戦略はその公共性を断絶するものだったのです。


《図5:マルクスの逆手戦略が生む対立》

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「政治」ができないならば、もはや「闘争」しか手段はありません。闘争とは、自分が勝つか、相手が勝つかのゼロか100かの勝負です。己が生き延びるためには社会を転覆するより活路は無いと覚悟を決めたとき、その闘争は「革命」となります。

リベラル派の一定の年代層は学園闘争を懐かしみます。ですが、学園闘争は結果として日本の教育界になにも影響を与えませんでした。それは「闘争」をしかけたからです。社会の外に出て、社会を変えようとする試みは畢竟、そのような結果しかもたらしません。自分が倒れるか、相手が死ぬのか。そのような闘争から社会改良という発想は出てこないのです。

はっきり言えば、不毛です。

蛇足ですが……さすが「共産党」を名乗るだけあって、日本共産党マルクスの戦略を脈々と受け継いでいます。政治の世界に身を置いたものであれば、日本共産党が未だに《図5》の構造の中にあることを直観的に理解できることでしょう。
・自らの正義以外を認めない(一方的に自己の論理だけをまくし立てる)
・決して過ちを認めない(認めると、自分の負け。負けは自己存在の否定)
・こちら側(社会の公共性)の論理は通用しない(義理人情を信用すると、むしろ、それを逆手にとって信じた人間が馬鹿をみる)
・対話ができない
等々の特徴は、日本共産党が未だに持つマルクス戦略の残滓です。




リベラル派は社会の中でこそ輝く

リベラル派の特徴をもう一度確認しましょう。
リベラル派とは、「社会の内部に、亀裂と対立を見出す」存在です。

実際に、社会は常に諸問題を抱えています。その問題を炙り出す存在としてリベラル派は欠かすことのできない存在でして、その重要性は益々増大していくことでしょう。

なぜなら、現代が再帰性の増大」を招いているからです。

再帰性」とは何でしょうか。「第三の道」を提唱したA・ギデンズは、再帰性を「規範を無くした現代人が直面する自己規定」と考えました。

かつての世界は、ある意味、楽な世界だったと言えます。何が正しいのか、何が誤っているのか、それは伝統や宗教が教えてくれました。しかし、ニーチェの言うように「神は死んだ」のです。そして道徳は相対化され社会規範は薄まりました。

そのような社会では、何が正しいのか、何が誤っているのかを個々人がその場で考えるより他にありません。

これは、ある意味辛い社会です。
自分は何のために生まれて、何をして生き、死なねばならないのか。それを個々人が考えよ。社会は何のために存在し、構成員のために何をすべきなのか。それを皆で考えよ……こういう社会は、一見すると自由です。自由ですが、面倒くさいことこの上ありません。


しかし、仕方がないではないか。我々は近代に生きている。迷信や妄想を吹き飛ばした結果がこれなのだ。我々はこの社会で生きていくより他にない……これがギデンズの諦観だと思うのです。

そして、再帰性の高まる社会の中で、ギデンズが何よりも重要視しているのは「対話」です。

規範はない。支えるべき伝統もない。こんな社会では、自分自身の倫理や論理はあなたが自身がつくるしかない。そして、対話を通してこそ、我々はより良い生とより良い社会を作り上げることができる……との趣旨です。

近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─

近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─

 

 
私自身もそう思います。
再帰性が高まっていることは事実です。そして、公共性を下敷きにして、我々はどのように社会を改良していくのかを語り合わねばなりません。そして、その営みこそが政治なのです。

リベラル派の「社会の中に亀裂や対立を見出す」性質は、社会を良くしていこうとの対話に欠かせない存在です。リベラル派は社会から飛び出てはいけません。リベラル派の性質は、社会の中でこそ輝くのです。

ここは、極めて重要な点なので再度強調しましょう。
保守主義者だけで、世の中は良くなりません。
社会を良くするためには、問題提起者のしてのリベラル派が不可欠で、両者の対話を通じて論点は整理され、政策に昇華され実現されることで、社会は改善されていくのです。

したがって、私はリベラル派を敵だとは認識していません。


ケント・ギルバート氏は、「なぜ反対意見の者にまで寛容なのか」と問われて、次のように回答しました。

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その通りです。保守主義者もリベラル派も、共に社会を良くするために活動するのであれば、同一平面上で議論をすることが可能です。

我々の目の前には「敵」がいるのではありません。「問題」があるのです。
問題を解決するために、我々は議論を重ねるのであり、相手を打ち負かすために議論をするのではない。この点だけは強調してもしすぎることはありません。


話を戻しましょう。
「社会内部に対立と亀裂を見出すものは社会の外に出ろ」とのマルクスの逆手戦略を、そのまま実現したのは日本共産党でした。
しかし、リベラル派の多くはそれに反発しました。実際に、社会の中で我々は改革を進めていくしかない……と、かつての社会党は結合したのです。議会制度に則って緩やかに労働者中心の世の中を作ろうとした社会党右派や、マルクス主義に則りながらも社会の中で改革を進めねばならないとした社会党左派がこれに当たります。

しかしながら、保守主義者とリベラル派は妙な構造を作り上げました。
それが55年体制です。



55年体制とは保守とリベラルが作り上げた全体主義

未だに日本の保守派もリベラル派も55年体制の枠組みから出てきません。この55年体制の枠組みが、我々の健全な議論を蝕んでいるのであって、その病巣は深くなる一方だと私は見ています。


55年体制とは何でしょうか。一般的には、1955年の自由民主党結成に端を発する戦後レジームの総称とされています。私は、ちょっと異なる見方をしておりまして、55年体制保守主義者とリベラル派の作り出した全体主義だと考えています。
(その全体主義が成功したか否かは別次元の論点です)

まず、全体主義とは何か。それは、
 【A】権威主義
 【B】国民生活に規制を強いる
この二つのカップリングだと政治学的には説明されます。
私は、この両者を「政治化の有無」を切り口に考えています。「政治化」とは「国民が政治に参加する度合い」と考えてもらえれば結構です。

権威主義とは「徹底的な非政治化」です。
徹底的な非政治化とは、国民は政治に口を出すな、ということです。その結果、国民は政治に口を挟まない。そのかわりに、国はそれ以外のすべての権利を国民に認める……ということになります。言論の自由も、信教の自由も経済活動の自由も認める。ただし、政治に口を出すことだけは許さない。
一見すると酷い話のようにも見えますが、そうでもありません。

例えば、古来より政治の理想の姿として「鼓腹撃壌」があります。あの「井をうがちて飲み、田を耕して食らう。帝力なんぞ我にあらんや」です。日々の生活に満足している。政治が何をやっているのか興味も無ければ関心もない……これが政事(まつりごと)の理想の姿であると考えられてきました。

この「徹底的な非政治化」は、国民の生活を政治が保障する。その代わりに文句を言うなとの、一種の委任関係で成り立っています。

ですから、国民が文句を言うときとは、委任関係が崩れたときになります。大正時代に起きた米騒動は富山の主婦から始まりました。これは「我々はお上を信任して口を出さずにいたのに、お上は我々の生活を守ってくれない」と委任関係を崩した政府に対する抗議活動であり、国民の支持を集めます。
これと、近年のSealdsの抗議デモと比較すると、Sealdsデモは政治デモです。したがって、ごく一部の人の共感を得られても国民的支持は得られません。なぜなら、「徹底的な非政治化」の社会の中では、国民が反旗を翻すのは委任関係を破ったときだけであり、富山の女性はそれを主張できてもSealdsはそれを主張できないからです。




逆に、「徹底的な政治化」を進めると何が起きるのでしょう。
それが【B】の「国民生活に規制を強いる」状態です。「総政治化」と呼んでもいいでしょう。

「総政治化」とは、「すべてが政治化される状態」と言えます。言論や職業、宗教や文化にいたる全てに政治が絡んできます。

その典型例が、中国の文化大革命です。
宗教はアヘンだと否定され、ベートーベン・モーツァルトなどの西洋音楽も否定され、すべてが「政治的に正しいものでなければならない」とされました。

こういった社会の中では、すべての人間は政治的存在と定義されます。したがって、「私は政治に関係ありません」などということは許されません。究極的には一国民全体をひとつの政治思想で統括し、すべては政治的評価の下に置かれる社会です。

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すべての対象は否応なく政治的判断の対象にされ、小説・演劇・音楽だけでなく、学問も服装も言葉遣いに至るまで、対象は無限定となります。


【A】の非政治化とは、本来政治問題になるはずの諸問題を政治化させない社会です。
【B】の総政治化とは、本来政治問題でないものまで政治化してしまう社会です。

この両者に共通しているのは、いずれも統制社会だということです。

そして、これら統制社会をミックスさせたものが、「55年体制全体主義」の枠組みだったと私は考えています。しかし、このミックスの方法は一種独特のものでした。





「非政治化統制社会」と「総政治化統制社会」は、図6のように、本質的にぶつかるものです。

《図6:非政治化統制社会vs総政治化統制社会》

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この2つの統制社会を図7のようにミックスさせたのが55年体制でした。非政治化統制社会と総政治化統制社会の対立そのもの飲み込むという荒業でもあります。。


《図7:総政治化統制社会を飲み込む非政治化社会》

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図7まで来ると、我々が馴染み深い構造が見えてきます。

非政治化された統制社会を目指すのが政府与党であり統治集団となる。
政治化れた統制社会を率いて対抗する勢力が野党として対立する。
③この両者が一定のバランスを取りながら政治を進めていく。

思い返してください。非政治化された社会とは「政治に口を挟まないならば、国は全ての権利を認める」という社会でした。それは「統治集団にとって変わろうなどと思わなければ何をしても良い」との論理です。
55年体制において、社会党は決して政権奪取を目指しませんでした。口では何とでも主張しましたが、最後の最後まで政権を奪取して統治集団になろうなどと考えなかったのです(自社さ連立政権は、相乗りを持ちかけられた結果に過ぎません)。
社会党は「統治集団である自民党にとって変わろうなどと思わなければ、どのような批判をしても構わない」との非政治化統制社会の論理に乗ったのです。

では、55年体制下の政権交代とは何だったのでしょうか。
総政治化された体制を思い返してください。総政治化とは「政治的でないものまで政治化してしまう」体制です。大臣の不倫でも些末な案件でも何でも構いません。粗を探して政治問題に格上げし、統治集団である自由民主党に対して野党は攻勢をしかけます。
その攻勢に対して、自由民主党は与党内での政権交代という形で対応しました。それで総政治化集団は満足したのです。俺たちの攻勢で与党は政権交代した……「与党のチェックをするのが野党の仕事」「政府の暴走を止めるのが我々の仕事」と。


この55年体制全体主義の枠組みは、現在でも効力を発揮しています。

今回の衆議院選挙で、野党が「アベ1強打倒」しか叫ばないのはなぜでしょうか。有権者の多くは疑問を抱いています。「打倒するのはいいが、その先にどんな社会があるの?」

モリカケ問題は、あれははっきり申し上げるならばデマ以外の何物でもない。「結局何が何だかわからない」というのが国民大多数の率直な感想だと思います。それはそうでしょう。追及している本人たちが「違法性はない」と認めておきながら追及しているのですから。公党の人間が一国の首相に悪魔の証明を延々と仕掛けるなどは、議会制そのものの堕落です。

しかし、55年体制の文脈で言えば、これは正当な主張なのです。政府与党を攻撃できるのであれば何でも構わない、政治的でないものまで政治化して政権を攻撃するのが総政治化体制ですから。



その意味で、野党の論理は、未だに55年体制を抜け出ていません。




さて、このような馴れ合いの全体主義の中で、言論はいよいよ変な方向へ進んでいきます。

もう一度、図3を眺めてみましょう。

《図3:社会の中のリベラル派》

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図3の構図は、図7の構図と同じです。
55年体制では、保守主義者を中心とする社会は、非政治化が進み、リベラル派を中心とする社会は総政治化が進みました。

《図7:総政治化統制社会を飲み込む非政治化社会》
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結論から申し上げると、55年体制の下で非政治化された統制社会で言論は縮小し、逆に総政治化された統制社会では同調圧力により言論は自壊したと私は考えます。

その辺りを次回で詳しく述べましょう。


(番外編)外山恒一はどこにいるのか


2007年の東京都知事選挙にて強烈なインパクトを与えた自称「ファシスト」の外山恒一
ご存じない方のために、東京都知事選挙政見放送を。


外山恒一の政見放送




「少数派の諸君!」と語りかける外山恒一の内容を聞いて、「ああ、この人はリベラル派なのだ」と考えると、外山恒一の主張を見誤ります。

外山恒一の主張は、図7の中でこそ意味を持つのです。

《図7:総政治化統制社会を飲み込む非政治化社会》

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結論から申し上げると、外山恒一は、図7のどこにも位置していません。55年体制の枠外に外山恒一は自らを置いています。

外山恒一の言う「多数派」とは、端的に言えば非政治化統制社会を運営している多数派です。「お前ら国民は何も考えなくてもいいんだ、俺たちに任せておけばOKなのだ」と言う多数派です。

ここで注目すべきは、外山恒一が言う「息苦しさ」は総政治化統制社会も含んでいる点です。

外山恒一がPC(ポリティカルコレクトネス)に対し猛烈に反発していることは、案外と知られていません。PCとは「政治的な正しさ」を意味し、差別的用語を禁止し人権に配慮した表現を用いる運動を指します。「ビジネスマン⇒ビジネスパーソン」「保母さん⇒保育士さん」のような事例がこれに当たります。
しかし、それは言葉狩りではないのか?人権の名のもとに表現の自由を奪っているのではないか?あたかも文化大革命のようではないか?と外山恒一は反発しています。

外山恒一が反発しているのは、55年体制が作り上げた統制社会そのものです。この中で「何かがおかしい」と感じる少数派の人々に、55年体制の外側から彼は語りかけていたのです。











《次回へ続く》


勝山市が長尾山総合公園で犯す致命的なミス

 

勝山市が長尾山総合公園で犯す致命的なミス

福井新聞の報道によれば、9月15日の勝山市議会において、第二恐竜博物館誘致の目的で勝山市が次の方針を明らかにした。
 ①長尾山総合公園の駐車場の拡張を行う。
 ②長尾山総合公園へのアクセス道路整備を行う。
 ③温泉施設「水芭蕉」を恐竜をテーマにした施設に改修する。
 ④まちづくり観光株式会社の物販施設を県全体の観光案内拠点とする。
 ⑤上記の物販施設で、市内飲食店での昼食予約ができるようにする。
 ⑥恐竜博物館の入場券を活用した市内飲食店での割引サービスを行う。


長尾山総合公園とは、福井県立恐竜博物館が位置する勝山市の公園である。下記の図は、長尾山総合公園整備計画図であり、②のアクセス道路整備は、下図に赤点線で示されている道路を指すものと思われるが、勝山市の説明だと「黒原経由」を明言しているので、別なルートになることも予想される。

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長尾山総合公園開発予定図



さて、勝山市が示した上記の方針は次の点で致命的な過ちを犯している。

ひとつは、長尾山総合公園の魅力を高める努力をしていない点勝山市の方針は、どこまで行っても「県立恐竜博物館だのみ」である。単独施設にもたれかかった施策は、その施設の誘客力が途絶えた時点で終わる。県立恐竜博物館が抜群の誘客力を持つ今こそ、その誘客力を活かして長尾山総合公園の魅力を高め、公園自体での誘客力を確保すべき時期なのだ。「ヒット商品を生み出した時こそ、その利益を活かして次世代の製品を作れ」との民間企業の知恵に学ばねばならない。


ふたつめは、経済波及が全く見込めない点。9月14日の福井県議会では、興味深い議論がなされている。井ノ部県会議員が「福井県立恐竜博物館の経済波及効果は、勝山市で33億円しかない。年間90万人が集まる施設としては物足りない」と福井県に斬り込んだ。県として苦しい答弁を余儀なくされたようだが、これは県が気の毒だ。
 というのも、福井県自身が勝山市の無策っぷりを腹ただしく思っているからだ。私が議員時代に県に行くと部課長から「いつになったら勝山市さんは金儲けてくれるんですかね」と、よく嫌味を言われた。議長時代には知事から直接苦言を呈されたこともある。昨年は、副知事に怒られた。「一体、勝山はどうなってるのか」と。


三つめは、勝山市民の存在がどこにもないことだ。長尾山総合公園は、市税を投入して整備する勝山市の公園である。観光客向けの整備をする必要性は認めるが、あくまでも「市民のための公園」なのだ。勝山市民が楽しめる工夫をすべきである。

この3つのミスに共通していることは、顧客のニーズを考慮していない点である。まさに、ここに尽きると言っても良い。
 温泉センター「水芭蕉」を恐竜仕様にして、誰が喜ぶのか。風呂に入った観光客が「あら、こんなところにも恐竜が」と言うだけのことであって、それを目指して観光客が「水芭蕉」に来ると考えること自体、本末転倒であろう。




顧客のニーズをつかめ

 行政は、まずは「ダメなこと」から入りがちだ。あれは金がないからダメです。これは規制があるからダメです……といった具合に、とにかくできない理由を探すところから始まる。
 逆に、政治は、まずは「理想の姿」を想い浮かべることから始まる。その上で、理想を実現する際に障害となる事柄をどのように乗り越えるのか、その点に工夫を重ねる。
(その姿勢がなければ、政治など只の権力闘争で終わる代物でしかない)

まずは、長尾山総合公園の「理想の姿」を想い浮かべる前に、現在の恐竜博物館へ来る観光客のことを想像してみよう。

 あなたは県外から恐竜博物館へ車でやってくる。恐竜博物館へ辿り着くまで、渋滞を我慢しなければならない。延々と続く渋滞の中で、ようやく恐竜博物館へ辿り着いた。しかし、駐車場の空きはどこなのだろうか。後部座席の子供たちは、「早く恐竜博物館へ行きたい」と叫ぶし、助手席の妻はイライラしている。全くなんてところだ。
 ようやく駐車場を探し当てたあなたたちは、今度は恐竜博物館の建物の前で並ばなければならない。入り口から続く行列。
 やっと博物館に入ることができた。しかし、人込みの中は疲れる。1時間、2時間と子供たちと一緒に館内を歩いたあなたは、疲労困憊だ。ようやく子供たちも満足したらしく、博物館の外へ出た。目の前の駐車場は、とにかく車と人で一杯だ。休憩したくとも、その場所もない。軽食をとりたくても、目の前にある誘客拠点施設は人混みだ。
 「こんな場所は一刻も早く脱出しなければ」


ならば、次のような長尾山総合公園はどうだろうか。

 あなたは県外から恐竜博物館へやってきた。昨年と違うのは、今年は渋滞が全く起きていない。これはどうしたことだろうか。恐竜博物館の近くまで来ると、理由が分かった。今年は、長尾山総合公園への車の乗り入れは全面禁止になっているようだ。
 シャトルバスが出ているようだ。シャトルバスが出ている個所は、勝山の中心市街地と越前大仏駐車場、平泉寺など数か所ある。あなたは平泉寺を選んだ。あなた自身、平泉寺に行ったことがないので、帰りに寄ってみようと思ったからだ。
 シャトルバスに乗って、恐竜博物館前に着いた。あなたは、昨年と異なる光景を目にする。ひとつは恐竜博物館の入り口に人が並んでいないこと。そして、博物館前の駐車場スペースにケータリングが数十台並んでいるだけでなく、テントがずらりと張ってある。これはちょっとしたお祭り風景だ。
 そして、博物館の反対側に目をやれば、子供が遊ぶことのできるアトラクション施設ができている。なるほど、ここで子供たちを遊ばすことができるから、博物館へ殺到することなく分散化ができているのか……とあなたは納得する。
 ゆったりと博物館を見学した後に、あなたは家族とケータリングで軽食を楽しむ。座る椅子の数も十二分にある。テントでは、ヨーヨー釣りや金魚すくいなど子供たちが楽しめる遊びが低価格で提供されている。眼の届くところで子供が遊べるのはありがたい。
 一休みしたあなたは、子供を連れてアトラクションへと向かった。どうやら、この公園は「自然と楽しむ公園」をテーマに作り直されているらしい。木々を使ったアスレチックや、巨大迷路などを楽しんでいるあなたは、隣の家族連れに話を聞いてみた。どうやら、この家族は勝山市内の人のようだ。休日を満喫できる場所として、勝山市内だけでなく県内から家族連れが来ているらしい。
 子供たちも充分に遊んだことに満足したあなたは、シャトルバスで平泉寺まで戻ることにした。せっかくだから、平泉寺を見てから帰ろう……


さて、こんな長尾山総合公園は可能だろうか。

結論から言えば可能だ。

まずは、長尾山総合公園への車の乗り入れを禁止する。
とは言っても、年中禁止にする必要はない。現状で、パーク&ライドを実施している時期はゴールデンウィーク中と夏休みの一期間、そして秋の特定時期だけである。その時だけで良い。長尾山の車の乗り入れを禁止するのだ。

長尾山総合公園への車の乗り入れを禁止した場合、シャトルバスの運行が不可欠になる。問題はその予算措置だ。

その予算措置のために、駐車場前にてケータリングを配置する。

ケータリングとは、飲食を提供する移動販売車である。
下記の写真は、Genjiroさんのお店。よく市立図書館付近でご商売をされている。ベーグルとカレーが実に美味しい。

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このケータリング出店者から出店料をいただく。ケータリング所有者の方々にリサーチしたところ、夏休みやゴールデンウィークであれば1日2万円、3万円の出店料を払ってでも店を出したいとのことだ。
何も難しいことは無い。最低基準を1日2万円と定めて、希望者に入札をかければよいだけのこと。仮に、ゴールデンウィーク、夏休み40日、秋に都合10日と考えれば、年間70日近くは出店が可能となろう。
ならば、20店舗×2万円(最低基準額)×70日で、黙っていても年間に最低でも2800万円が長尾山に入るではないか。

市内のバス会社に問い合わせたところ、バスを1日借り切ってシャトルバスに利用した場合、1日10万円あれば十分だとのこと。
ならば、シャトルバス発着場を
 ・中心市街地
 ・越前大仏
 ・平泉寺
 ・その他
の4か所に設定して、各発着場に大型バスを3台貼り付ければ1日で120万円。10日で1200万円。年間で20日走らせてもお釣りが来る。
 無論、シャトルバス発着場を上記の場所にする理由は、他の観光地を周遊してもらいたいがためである。

付け加えるならば、ケータリング20台に加えて、「勝山市民枠」を5台追加しておくのも面白い。勝山市民がケータリングを出すのであれば、出店料はとらない。そして、ケータリング車の開発に特化した補助金を創設する。「勝山市民枠」でケータリング車を作った市民は、左義長祭りや秋祭り、体育祭、歳の市など様々なイベントへ出ていくだろう。


さらに、長尾山総合公園内に、こんなものがあるとどうだろうか。

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ここまで、本格的なモノでなくとも構わない。子供たちが自然と遊ぶことのできる場であれば良いのだ。

ということは、これも可能だろう。

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これらは、やり方ひとつでどうとでもなる。

障害は2つ。

ひとつは、「長尾山総合公園をどのようにしたいのか」とのコンセプトがないこと。コンセプトがないから、いつまで経っても同じようなことしかできない。長尾山総合公園には指定管理者がいる。彼らの思うがままのコンセプトで行動させるだけの度量は、今の勝山市にはない。

もうひとつは、「自分たちだけで利益を得たい」と考える人々がいることだ。誰とは明言しないが、勝山市内の人ならばおおよそ検討はつくだろう。彼らは、絶対にケータリング車を招こうなどとは考えない。ならば、その誘客施設だけで観光客を満足させることができるのか……それもできない。
昔から「共存共栄」というではないか。多くの人々で観光客と市内・県内の人々に満足してもらい、結果として皆で儲けようではないか……との発想に立たない限り、長尾山総合公園は今のままであろう。

仮に、第二恐竜博物館が現状のままで長尾山総合公園に来た場合のことを考えたことがあるのだろうか。今以上の渋滞、今以上の混雑、うんざりする人々。「長尾山は混んでるからいかない」という市民。それが我々の望む姿なのか。真剣に考えるべき時期に差し掛かっている。

上の不始末は、常に現場にやってくる

 

上の不始末は、常に現場へやってくる

先に「官は強し 民は弱し」を書いた。書いた後で、ひとつ気になることがあったので、追記として拙稿をしたためる。

というのも「あの投稿のせいで、現場で汗をかいている人たちに迷惑がかかるのではないか」との想いがあったからだ。

上の不始末とは、大概、「見込みのない戦略」や「出たとこ勝負の方針」で引き起こされる。計画を立てる上の連中は、往々にして現場を知らない。ならば現場の声を拾い上げれば良さそうなものだが、それをすることもない。

話はいきなり変わるが、太平洋戦争での日本軍の戦死者230万人のうち、6割が餓死者であるとの分析を、故・藤原彰教授(一橋大学)がされていた。兵站を軽視した致命的なミスである。「見込みのない戦略」や「出たとこ勝負の方針」で、現場へシワ寄せが来た最たる例だ。



花月楼の開設に向けて現場で汗をかいてきた人たちがいる。
いずれも私にとっては馴染みの深い人たちばかりだ。

彼らの想いはひとつである。
「これが勝山のためになるのならば」
その想いで頑張っているのだが、世評は彼らに対して極めて厳しい。
「役所とつるんで金儲けしてる」
「どうせ利権目当てなのだろう」
そんな声が私のところにまで届くくらいだ。さぞかし彼らは辛い思いをしているに違いない。

3年前だっただろうか。彼らのひとりと酒を呑んだときのことだ。ピッチもあがり、酔いがまわってきたのだろう。彼は泣きながら私に言った。
「松村さん、ボクはね。勝山のためになればと思って頑張ってるんですよ」
「でもね。わかってもらえないんです」
「なんで、オレだけこんな目に遭わなきゃいけないんです?」

行政は酷いことをするものだ。
勝山のために頑張ろうとする若者を、擦り切れるまで使い続けるのだろうか。


市内には有能な人材があまたいる。
しかし、彼らは行政と距離を置き、ある一線以上に踏み込まない。あからさまに行政から離れていった人たちも多い。その理由は何か。それを行政は考えるべきなのだ。

行政の現場スタッフは薄々感じているだろう。何が問題なのかを。しかし、彼らも行政マンであるがゆえに、組織の人間であるがゆえにその問題を掘り起こそうとはしない。

「分かってはいるんだけどね」
「まあまあ、そう言わずに……」
馴れ合いのなかで、その理由を深掘りすることもなく、行政は都合の良い人材を擦り切れるまで使うのだろう。そして、彼が擦り切れたら別な団体や組織を探すのだろう。それが誰なのかは、おおよそ想像がつく。そして、現実はその通りに動いているようだ。

上のしわ寄せが現場スタッフに来るのは、行政組織内でも同じように起きる。「官は強し 民は弱し」の中でも述べたように、レストハウス長尾山は勝山市の担当課長と交渉を続けていた。その担当課長は、定年に1年を残して退職した。表向きの理由はあったが、交渉疲れの顔を見続けた私には別な理由があるようにしか見えなかった。彼もまた擦り切れるまで使われたひとりだったように思う。





「めずらしく市長と知事の意見が合致した案件ですから。これは何としても成功させないといけないのです」と、私の面前で平然と語った理事者がいた。発言者が誰か、そして何の案件についての発言なのか。それは言わない。言わずとも分かる人は分かる。これを読んでいる市役所職員なら、全ての人間がわかるだろう。

そんなくだらない理由から始まった事業で、勝山の人材を摩耗させるのは止めて欲しい。

累々の屍を踏み越えて進む道などないのだ。


本来、あるべき道とは、「皆が各々の能力を発揮して活性化する社会」ではないのか。勝山にいる人材にアイデアを出させ、それを実現できる権限を与え、彼らが活き活きと活躍できる。市役所の現場スタッフも活躍できる。それこそが勝山の未来の姿であると信じたい。

官は強し 民は弱し

レストハウス長尾山が建つ

福井県を代表する観光名所になった感のある「福井県立恐竜博物館」。その県立恐竜博物館は、勝山市の長尾山総合公園にある。

その県立恐竜博物館の前に、レストハウス長尾山という建物がある。来館者に飲食を提供し、お土産物の販売等を行う場所だ。



まずは、このレストハウス長尾山の設立経緯について説明したい。

今でこそ、年間90万人を超える来館者が県立恐竜博物館を訪れる。しかし、レストハウス長尾山が誕生した16年前は、年間20万人程度の来館者しかなかったと記憶している。

行政は、観光協会に強く圧力をかけた。
「これから恐竜博物館の来館者をもてなす施設が必要だ」
観光協会が率先してやって欲しい」

観光協会には苦い記憶があった。
越前大仏である。

30年前の昭和62年5月18日に開眼法要をした越前大仏は、その圧倒的なスケールと規模により大きな集客力が予想された。地元商工会議所の主導により門前市には多数の店舗が入店した。
当初こそ、抜群の集客力を見せ、門前市の店舗は大いに賑わったときく。しかし、その集客力を維持できず、観光客が減少し門前市に出店した店舗主たちは大きな負債を抱いて撤退した。夜逃げ同然に勝山を後にした人もいたと聞く。残された店舗主たちも、負債の返済に多くの時間を費やした。

勝山市内の商工業者がその返済に苦しんでいる、まさにその時期に、行政から「長尾山に誘客施設を作れ」と迫られたのである。観光協会が躊躇するのは十分に理由があった。また、2000年に開催された恐竜エキスポこそ大きな賑わいを見せたものの、それ以降、恐竜博物館は閑散としていた。あの当時、恐竜博物館は海のものとも山のものともわからなかったのだ。

行政の圧力は増すばかりで、
「あんたらがしないのなら、福井から業者を引っ張ってきてもいいんだぞ」
と半ば恫喝をする段階まで行った。一連の発言は、当時の観光協会理事会の議事録に残っていると伺っている。

観光協会は組織として動けない。しかし、行政は強圧的にやってくる。福井から業者を引っ張ってくるとまで言われては地元業者の名折れ。

事ここに至ってはやむなし。
「これからどうなるかわからないが、まずはやってみよう」
観光協会会員の有志が集まって会社を設立し、レストハウス長尾山を建設した。もちろん、設立者たちの個人負担によってである。

観光協会が土地を借りて、会員有志が建物を建てるという形式はこのようにしてできた。

後々、この形式が彼らにとってアダとなる。





官は強し 民は弱し

レストハウス長尾山が立ち上がってしばらくは何の変化もなかった。恐竜博物館は、徐々に人を増やしてはきたものの、大きな変化はなかった。

2010年を超えたあたりから、少しずつ状況は変化する。福井県が特別展を開催し、PRに力を入れることで県立恐竜博物館の来館者数が劇的に増えていったのだ。

不思議なことに、それまで何の話題にもなっていなかったレストハウス長尾山が、来館者が増加するにつれ問題視されるようになる。

そして、レストハウス長尾山と観光協会に対して、行政から最後通牒が下された。
「次の賃借の更新はしませんから」

この辺りの経過については、別の機会に詳しく述べることもあるだろう。
ただ、当時の私は理不尽さを強く感じていたことは事実だ。なにしろ、行政は要綱を変更してまで更新できない理由を作り上げたのだから。

当時、既に観光協会の理事役員を退任していた方が、私に漏らした一言が未だに忘れられない。
「松村さん、役所はこんなにエゲつないイジメをするんですか」


無論、一度借りたら永代借りられるというものではない。契約法上、更新の都度都度に協議し更新しない場合はある。
しかし、レストハウス長尾山の設立経緯、そしてレストハウス長尾山の経営者たちは、まだ借金の返済途中であったことを考えるならば、酷な話であったことは事実だ。
「苦しい時に助けてくれと言いながら、儲かるようになったらジャマだどけ!と言わんばかりの役所の対応には腹が立つ」
どこを押しても何も変更できない。市議会議員として無力感に苛まれていた当時の私にとって、その言葉は堪えた。


前述したように、レストハウス長尾山の土地は観光協会が市から借りる、そして会員有志で設立した建物がその上に立つという形式で運営されていたのだが、その点がアダとなった。
観光協会の一部の人間が利益を貪っている」
と付け込まれたのだ。

一寸の虫にも五分の魂という。レストハウス長尾山には彼らなりの理屈がある。彼らは、誰も手を挙げなかったから悲壮な覚悟で店を構えたのだ。儲かる保証も見込みも無い中で地道な努力を重ねて、ようやく軌道に乗ろうかという段階で「お前らだけが利益を貪っている」とは、横槍もいいところだ。

それでも彼らは妥協案を出す。レストハウス長尾山のスペースの一部を開放して、広く出店者を募る。少なくとも私たちだけで利益を独占するつもりはない。

その妥協案は完全に無視された。

「特定の人たちだけが利益を得るという状況は、変更しなければなりません」
徹頭徹尾、それが行政の論理だった。

その論理の下に、建物は勝山市に無償譲渡を余儀なくされた。無論、店舗主が抱えていた借金はそのまま残された。





やはり官は強いのか

長尾山公園に、新たな誘客施設が建設される。その起工式が行われるそうだ。

観光まちづくり会社とは何ものか。私には未だに理解できない。
ただ、これだけは申し上げておきたい。

「特定の人たちだけが利益を得るという状況は、変更しなければなりません」
という行政の理屈でレストハウス長尾山は立ち退きを余儀なくされた。「建物の借金もようやく返し終えるので、もう少し待ってもらえませんか」との関係者の願いも踏みにじり、行政は半ば強権的に彼らの所有建物を市に無償譲渡させた。

その理由が、「特定の人たちだけに利益を得させない」ことであるならば、観光まちづくり会社は広く利益を分配させるものでなければならない。

本当にそれができるのか。

勝山市民には注視していただきたい。

松村治門講演録 「想いを伝える」 vol.3

 

「想い」を伝える

いきなり話が飛びますが、「絶対に死なない生き物」がこの世には存在します。
何だと思います?
ウィルスです。

ウィルスが生物なのかどうか。これは学者の間でも、未だに決着のつかない問題なのですが、それはさておき。ウィルスは自分を分裂させます。ひたすら自分のコピーを作っていきます。ですから、自分が死んでも代わりの自分がいます。

しかし、我々はそうではありません。人類の祖先は、子を産み、育てるという方法を選択しました。ここで面白いのは、子を産み、育てるだけならば、人間の寿命は30歳くらいで十分だということです。実際に1900年の人口統計を見ると、日本の平均寿命は44歳になっています。これは、乳幼児死亡率が高かったせいもあります。

しかし、そんな中でも人類は文字を発明し、自分たちの記録を次の世代に残そうとしました。記録文学で、絵画で、彫刻で、何とかして自分たちの生きた証を残そうとしたのです。



「想い」を伝えることができるのは人だけです。確かに想いを伝えることは難しいことです。ですが、あなたの「想い」を伝えることのできる人は、あなた以外にいません。周囲の人に、次の世代に、あなたの「想い」は様々な形で伝わっていくのです。


話もいよいよ最後に差し掛かりました。
終わりに2本の動画をご覧いただきます。



まずは、寿司屋のコマーシャルです。


銀のさら CM 母と子




もうひとつ、見ていただきましょう。これは日本のものではなく、タイの生命保険会社のCMです。


タイ保険会社の感動して涙が止まらなくなる動画【日本語字幕】


どうでしょうか。

みなさんは誰にあなたの「想い」を伝えたいと感じましたか。

ぜひ、その方にあなたの「想い」を伝えていただきたい。これは私からの心からのお願いです。もしも、お家に戻られて、皆さんがだれか一人。奥さんでもお子さんでも、仏壇の中の遺影でもいい。だれかに「想い」を伝えていただければ、私の拙い話も無駄ではなかったなと思います。

長い時間、お付き合いいただきありがとうございました。とりとめもない話で申し訳ありませんでしたが、ご容赦ください。

ありがとうございました(拍手)。



















松村治門講演録 「想いを伝える」 vol.2

 

我が国の不幸感はどこから来るのか

冒頭に申し上げたように、本当におじいちゃん・おばあちゃんは幸せなんだろうか。そういう思いが私の中にあります。

老健施設などに入っている人たちを見ると、どうしてもその思いが強くなる。これは施設が悪いんじゃないんです。施設の職員は本当に努力されています。それじゃ、施設に入れる家族が悪いのか。そんなことはありません。やむにやまれぬ理由があってのことです。誰も悪くない。でも、施設に入って「それじゃ、おじいちゃーん。運動しましょうか」とグーパー運動している姿を見ると、悲しくなるのです。

一生懸命に生きてきた人たちの尊厳ってどこにあるんだろう。おじいちゃん・おばあちゃんのひとりひとりにパーソナル・ヒストリー、つまり人生の歴史があり、大切にしているものもあり、生きがいもある。そういったものに光を当てられないものだろうか。

そんなことを考えてしまうのです。



実は、行政サービス自体も、この傾向があります。

行政サービスの特徴は、人の人生をストーリー化して対策を練るところにあります。

例えば、人を「働いている人」と「働いていない人」に分けて、働いていない人に失業保険を給付する。そういう行政サービスを行います。「結婚して子供を産んだけれども、離婚して生活が苦しい」という人生であるならば、寡婦控除を給付する。そういう行政サービスもあります。

ただ、これには大きな欠点があります。必ず、このストーリーから漏れてしまう人がいる点です。

先ほど、「働いている人」と「働いていない人」に分けて、働いていない人に失業保険を給付すると言いました。しかし、失業保険を受け取れる期間に必死で仕事を探しても見つからなかった人はどうなるのでしょう。
「働いている人」でも、若年労働者では低賃金で働いている若者が多数います。そういう人と50代で年収800万円の人を同列に扱って良いものでしょうか。

そういうとき、行政は、ストーリーを細かく細分化し始めます。働いている人の中で、更に年収200万円以下の人で、かつ、20代の独身者には、〇〇という行政サービスを支給します。といった具合に。

それでも、全てをカバーできないのです。必ず、漏れてしまう人たちがいる。



なぜなら、行政サービスというのは、サービスの許認可だからです。〇〇という資格のある人だけが受けることができる。これが行政サービスの特徴です。

最大公約数で「日本国民なら受けられる」行政サービスがあります。日本国民であることが資格になってるサービスです。義務教育などがそうです。65歳以上の人で年金を支払い続けた人ならば、年金受給の資格があります。要介護認定を受けた人、これも資格です。

行政サービスとは、詰まるところ、資格のある人は受けられるが、そうでない人は受けられない。そういうサービスです。

そうすると、結論として、高齢者の皆さんの生活をトータルにみる行政サービスは存在しないことになります。高齢者だからという理由で受けられるサービスは、ごく一部のものを除いて存在しません。



先ほど、老人施設でのおじいちゃん・おばあちゃんの扱いと行政サービスは似ていると申し上げました。
施設の職員の方にお話を伺うと、施設の人も困っているんです。レクレーションをしたいのだけれども、みんなに同じレクレーションをしてもすぐに飽きられる。かといって、ひとりひとりの興味に合わせてレクレーションを作り上げようとすると費用と時間がついていかない。仕方がないから、「おじいちゃ~ん。グーパー運動しましょうか」となってしまう。

行政サービスを徹底させようとすると、とてつもない費用と時間がかかります。したがって、水で薄めたようなサービスにならざるを得ません。

おそらく、ここにいらっしゃる皆さんは行政サービスに満足されていないでしょう。それはよくわかります。そういった苦情を何件も受けておりますので。

その苦情というか、声を聞いていると、不満の根っこにあるのは「まるで年寄りを乞食のように扱う」ことにあるように感じています。高齢者を「何でも欲しがる連中、ただもらうだけの存在、社会の金食い虫」のように扱う。俺はそれが我慢ならん。苦情の底には、そういう想いが見てとれる。

必要なことは人間の尊厳の回復です。
行政サービスも、老人施設も。


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孤立化する人々

尊厳の回復というお話に絡めて、孤立化についてお話ししましょう。

よく「孤独死」などがニュースになりますが、「孤独」と「孤立」は根本的に違うと私は考えています。

確かに両方とも、「独りでいる」という点では同じです。しかし、「孤独」とは、独りで想いを交し合う状態を指します。逆に、「孤立」とは、誰とも想いを交し合えない状態です。

これから、あるコマーシャルを見ていただきます。宝石店のものですが、登場する人物は、孤独なのでしょうか。それとも孤立しているのでしょうか。動画の終盤に、本当に小さな声で、主人公がある言葉を発します。お聞き逃しなく。



【ケイウノ動画】~ふたりで、ひとつの人生を~Full ver.


登場する男性は「孤立」していません。なぜなら、彼には語り合う妻が今も傍らにいるからです。もちろん、妻は既に亡くなっていますが、それでも男性は彼女と語り合うことができる。

本当に怖いのは「孤立」です。誰とも想いを交わすことができない。世の中に人はたくさんいるにもかかわらず、その誰とも想いを交わすことができない。これほど、辛いことはありません。

なぜなら、そこには「人の尊厳」がないからです。人にとって最も辛いことは「お前には価値がない」と言われることです。「お前なんか産まれてこなかった方が良かった」と母親に言われた子供の気持ち、「お前の人生には全く意味がなかった」と死ぬ間際に言われた人の気持ちを想像してください。「孤立」とは、このような状況なのです。


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社会に蔓延するニヒリズム

皆さんの年代ですと、「ニヒルな男」という言葉を耳にされたことがあるでしょう。

例えば、「あっしには関係ございやせん」で一世を風靡した木枯し紋次郎であったり、市川雷蔵演じる眠狂四郎がニヒルな男の代名詞かもしれません。


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ニヒルという言葉は、ニヒリズムから来ています。ニヒリズムとは、日本語で「虚無主義」と訳されます。虚無主義とは、この世界には真理や絶対的な価値などないという考え方です。だったら、俺は自分の価値観のみに従って世の中を渡っていく……と、これがニヒルな男のダンディズムです。

さて、これとは別に、京都大学佐伯啓思教授が……この人は経済学者なのですが……ニヒリズムとは「手段が目的化した社会を指す」と主張しました。

「生活が苦しい。良い服を着て、美味いものを食べたい。だから一生懸命に働く」と頑張っていたはずが、いつのまにか金儲けが目的になってしまう。金を得ることは生活を豊かにするとの目的を達成するための手段であったはずなのに、その金儲けが目的になってしまう。
 社会を良くしたい。そのために権力を持たなければ何もできない。そう思って活動していたはずが、いつのまにか権力奪取が目的になってしまう。
 社会を正しいものにしたいと権力批判をしていたはずなのに、いつの間にか権力を批判することが目的になってしまい、何でも批判しなければすまなくなる。

このような社会で、人は虚無的にならざるをえないと佐伯教授は言います。なぜなら、手段が目的になってしまったら、永遠にゴールにはたどり着けないからです。金儲けが目的になった人に「いくら貯めればあなたは満足しますか?」と尋ねても答えられません。ニヒルなヒーローならば、俺は俺の価値観で生きていくと言うでしょう。それで彼は満足するのです。しかし、金儲けを目的にした人は、金儲けが俺の生き様だと主張しても、永遠に満足することはありません。


そして、こういったニヒリズムが蔓延し始めると、人も組織も自己保存を目的にし始めるのではないか。私はそう考えています。

永遠にゴールにたどり着けないのなら、今を生きるより他にありません。昨日あったものが今日もあったのならば、明日もなければいけない。

何のためにあるのか、もはやその目的すら忘れてしまったような組織がいつまでも残っている。なぜ切れないのでしょう。
まちづくり活動もそうです。まちづくり活動は、自分たちの住んでいるまちを良くしようとする活動です。その目的が手段になってしまって、「今年も何かをしなくちゃいけない」と義務化してしまいます。「もう大変だよ。やりたくないよ」という声すら聞こえてきます。


昨日存在していたものを今日も生き延びさせるだけの社会。
息苦しい社会です。







高齢者は、もっと!

これを言うと、気分を害されるかもしれません。でも、敢えて申し上げるのであれば、新しい挑戦をするよりも、昨日存在していたものを今日も生き延びさせるだけのもの。
皆さんがそんな存在になって欲しくないのです。

「若い者の邪魔にならないように過ごそう」
そう考えるのではなく、
「若い者の手助けをしてやろう」
「若い者に、私の経験を通して『生き方』を伝えよう」
と思って欲しいのです。

松村治門講演録 「想いを伝える」 vol.1

 

この講演録について

資料を整理していたら、たまたま1年前に行った講演の音源が出てきました。
良い機会なので、文字起こしをして加除添削して、記録として残しておきます。実際の講演は、パワーポイントを使って行いましたので、パワーポイント資料も上げておきます。

なお、講演は、高齢者を対象に行われました。



この講演の内容

みなさん、おはようございます。本日は、お招きいただきありがとうございます。
今日は、「想いを伝える」というテーマで、休憩を挟んで1時間半くらいのお話をしたいと考えています。

さて、本日の内容は次の3つの点についてです。

ひとつは、なぜ「想いを伝えること」が必要なのでしょう。

二点目は、我が国の不幸感は、どこから来るのでしょう。この問題です。

これについては、少々お話をしなければなりません。20世紀から21世紀に変わろうとする境目で、村上龍という作家が「希望の国エクソダス」という小説を発表しました。

あらすじをばらすと読んでない方々がご迷惑でしょうから、詳細は述べませんが、ざっくりとしたあらすじだけ。近未来の日本を舞台に、いきなり80万人の中学生が学校を捨ててビジネスを始めるという話です。この中学生たちが発した言葉が、この小説を有名なものにしました。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

いつの間に、「日本には希望がない」と言われるようになったのでしょう。そして、中学生がそういうのであれば、皆さん、高齢者はどうなのでしょう。

(「あんまり高齢者、高齢者って言わないで」との発言あり)

そうですか。それなら、「お年寄り」と呼びましょうか。

(「それもイヤだな」との発言あり)

そうですか。では「おじいちゃん・おばあちゃん」とお呼びしましょう(会場笑)。
おじいちゃん・おばあちゃんたちの幸福はなんでしょう。そこを考えてみたいのです。
これが二つ目。


三つ目は、「想いを伝えること」とは何でしょう。誰に何を伝えるのでしょう。

この3点を今日はお話したいと思っています。

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なぜ「想いを伝えること」が必要なのか

なぜ「想いを伝えること」が必要なのか。結論は簡単です。皆さん、おじいちゃん・おばあちゃんたちの社会の中でのポジションが変わってしまったからです。

皆さん、こんなことを考えていませんか?
「若い者の邪魔にならないようにしなくちゃいけない」

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うなずいていらっしゃる方も、かなりいらっしゃるようです。



ここで、ちょっと歴史の話をしましょう。

昭和30年代というと、皆さんが若かりし頃のお話です。その頃の勝山の風景を思い出してください。ひょっとすると、まだ勝山にお嫁に来られていない方もいらっしゃるかもしれませんが、日本の農村風景はだいたい、どこも同じでした。

昭和30年代の農村生活は、昭和一桁の年代の農村生活とほぼ同じです。もちろん、細々としたものは違うでしょう。鉄道が通っていなかった。灯りは電気じゃなくランプだった。そういった違いはあるでしょうが、基本的なライフスタイルは同じでした。

昭和一桁の農村生活は大正時代のものと同じです。大正時代の農村生活は明治時代と似ていて、明治時代の農村生活や江戸後期のものと根っこは同じ。こうやってさかのぼっていくと、昭和30年代の農村生活はどこまでさかのぼるることができるでしょうか。

歴史学者網野善彦によると、昭和30年代の農村生活は室町時代前期にまでさかのぼることができるそうです。つまり、細々とした違いはあっても、約600年以上にわたって農村生活は一貫していたのです。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

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ところが、高度経済成長が始まって高齢者の皆さんの立場は大きく変わりました。



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経済が成長する時期は、専門家の時代です。会社に行けば、営業のプロ、経理のプロがいる。農業には農業のプロが、林業には林業のプロが。そうやって、効率を高めていくから経済も成長する。そういった時代です。ですから、高度経済成長期から職業が細かく分かれていくようになりました。

これ、昔は違ったわけです。一人の人間が、農業もできる。山仕事もできる。山に入れば食べられる草と食べられない草も判別できる。独りでなんでもできる人をジェネラリストと呼ぶのですが、究極のジェネラリストです。無人島へ連れて行っても、ひとりで生き延びられる人が昔の人です。

そう考えると、政治のプロなんてのは全く無人島では役に立ちません(笑)。なにしろ、政治家というのは変な職業で、米一粒育てることもしなければ家一軒建てることもしない。無人島へ連れて行ったら真っ先に餓死する職業です。

話を戻しますと、昔の人は究極のジェネラリストでした。何でも知ってるし一家言持っています。ですから、若い者がわからないことがあると、尋ねてくるわけですね。

楽隠居なんて言葉がありますが、昔の人は早ければ30代で隠居してしまう。隠居して何をするのかと言えば、村の仕事をするわけです。小さな頃から農作業や山作業、村作業を30年近くしていると30代後半くらいになります。30年も繰り返していれば、その道のプロです。ですから色々な世間知、ノウハウがある。その知恵を、今度は村落共同体のために使おう。それが隠居の意味です。

それが成り立つ前提には、「困ったことがあれば年寄りに聞け」というルールがあります。農作業や山作業だけではありません。家庭内の困ったことや悩み事も年寄りに聞くのです。

スライドにあるのは、民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人」です。

 

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

 

この本には、宮本常一がフィールドワークで得た話が収められており、昭和初期の農村風景を見るには絶好の書です。この中で、先ほど述べたように、若嫁の愚痴を聞く役割の老人などが出ています。

こういった、「なんでも年寄りに聞け」という風習は、高度経済成長で失われてしまいました。なぜなら、どの分野でも「その道のプロ」がいるからです。おばあちゃんの知恵を利用しなくても、子供が病気になったら小児科へ連れていけばいい。孫が熱を出したからと言って下手に手を出すと、お嫁さんに叱られますしね(爆笑)。農業やっててわからなくなったら農協に聞けばいい。そうやって、「なんでも年寄りに聞け」という風習はなくなってしまった。

でもね。私、思うんですよ。ありとあらゆる分野にプロはいるのですが、唯一、プロがいない分野がある。
それは「生き方を教える」という分野。

パソコン使わせたら、申し訳ないが、皆さんは20代の若者には太刀打ちできませんよ。もちろん、私も太刀打ちできません。
でも、「生きるとはどういうことか」「苦しいときをどうやって切り抜けていくのか」といった生き方の点で、若者は皆さんに太刀打ちできません。

よく言うでしょ?「汝の食したる飯粒の数、我が舐めたる塩粒の数に及ばず」って。お前みたいな若造がいきがったところで、お前の食ってきた米粒の数よりも、俺が流してきた汗水、これには悔し涙とかいろんなものが入るのでしょうが、その塩粒の数が多いんだよ……と。人生を歩んできた人にしか言えないセリフです。

皆さんは、長い人生を歩まれてきた方々です。それだけで、私は尊敬されるべきだと思う。心から思ってます。
なぜなら、「生き方」を教えることができる人は、皆さんしかいないから。

ちょっと余談ですが……というか、私の話には余談しかないのですが(笑)、よく知育・徳育・体育と言うでしょ?教育に必要なものは、知・徳・体だと。それで、知を教える大学はいくらでもあります。体育を専門に教える大学もあります。日本体育大学とか。それじゃ、徳育を専門に教えている大学ってあります?ないんですよ。なぜなら、それは教えるものじゃない。見て学ぶものだからです。

それじゃ、誰を見て学ぶのです?皆さんを見て学ぶんです。苦しいときや悲しいときを乗り越えてきた皆さんを見て学ぶのです。

時々、聞くんです。「最近の年寄りはワガママだ」って。うなずいている人がいますが、うなずいている皆さんも、そう言われているかもしれない(爆笑)。
ワガママになるのは当然なんです。だって、おじいちゃん・おばあちゃんに聞いてくれないじゃないですか。見てくれる人がいなかったら化粧する人なんていないでしょ?それと同じで、聞いてくれる人がいなかったら、「生き方」を教えようという気にもならない。教えることもないのなら、それを自分の背中で示そうという気にもならない。だから、ワガママになるのは当たり前です。

「生き方」を伝える。それはまさに「想いを伝える」ことと同じだと私は考えています。




「想いを伝えること」は難しい


それじゃ、「想いを伝えよう」としても、これがとにかく難しい。

身近にいても、想いを伝えることは難しいものです。あれは、確かフランスの詩人で……だれだっけ。うろ覚えで申し訳ないのですが、「道を歩いていたら、向こうから老人と青年が連れ立って歩いてきた。二人の間に会話はなかった。それで私は理解する。彼らは親子であると」そんな内容の詩だったと記憶しています。

男性の方ならお判りでしょうが、息子はある年齢になると父親と会話をしなくなります。何を話してよいのかわからないから。私も父親と世間話ししかしません。もどかしい関係ですね。

ここで、とある企業のCMをご覧ください。CMの中に、本人の想いを語る分身というか黒子が出てきます。もしも、こんな黒子がいたならば、コミュニケーションはもっと楽なものになるのかもしれません。


SUUMO ココロの声ストーリー




例えばね、これ。ここにいらっしゃるご年配の方ならば、身に染みておわかりでしょうが、嫁と姑のコミュニケーションも難しい。今、ものすごい数の女性陣がうなずきましたね(笑)。

嫁さんは、実は気を利かしている。お義母さんのためにと思ってやっている。姑さんも実は気を利かしている。嫁さん大変だろうからと思って手を出すと怒られる(笑)。我が家は三世代同居です。そんな話をすると、大変だろうと同情される(笑)。嫁と姑の間でコミュニケーション取れば何の問題もないんです。お互いに気を使ってるんだから。でも、それはないんですよね。これ、何でしょうね。本当に困ったものです。

困ったと言えば、こういうお話をするとね。ここには私の地元の方もいらっしゃる。我が家の母親をご存知の方もいらっしゃる。そういうお方がご親切に「松村さんのとこは、嫁姑がうまくいかないの?」と、うちの母親に尋ねてくる(大爆笑)。
これはおやめいただきたい。どうかお願いします。

(「それなら、明日にでも聞きにいかなくちゃ」との声あり)

いやいや、それだけはどうかご勘弁いただきたい(笑)。
あくまでも一般論で申し上げておる次第ですから。