花月楼再生に関する3つの疑問 その2.花月楼再生プランは組織に欠ける
■本町商店街は「成功したまちづくり」事例だった?!
このブログを書いている最中に、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
産経新聞10月22日全国版に、勝山市本町商店街が「にぎわいを取り戻した」成功事例として紹介されていたのです。
商店街低迷どう脱出?
ー成功10か所の事例紹介ー
近畿経済産業局は管内(2府5県)の商店街で低迷から脱した10カ所を「イケテル商店街」として選定し21日、ホームページを通じてアイデアや具体的な取り組みの紹介を始めた。人口減などから多くの商店街が苦しい環境に置かれる中、成功事例を参考に、にぎわいを取り戻してもらうのが狙いだ。
選ばれたのは「激辛グルメの聖地」として注目を集める京都府向日市の「京都向日市激辛商店街」や、歴史的街並みの整備などを通じて観光客を増やす福井県勝山市の「本町通り商店街」など。今回の10カ所を含め、今年度中に30カ所程度選ぶ予定という。
記事中には、ご丁寧に「にぎわいを取り戻した福井県勝山市の『本町通り商店街』」と写真まで掲載されてしましました。
個人的には驚くほどのこともありません。
国が言う「成功事例」なんてこんなものばかりだからです。いろいろな視察に行って嫌になるくらい見せつけられていますので(苦笑)。
行政は過ちを認めません。
しかし、民間企業でこれをやれば「粉飾決済」と言われるのです。売ってもいないものを売ったと言い張り、あげてもいない利益を計上し、成功したと胸を張る。粉飾決済以外の何物でもありません。
現実を見ましょうよ。
私は「誰が悪い」式の犯人捜しには興味がありません。そんなことをしている時間的余裕はないし、第一、非生産的すぎる。
ただ、現実をごまかして事業を行ったところで、出来上がった事業は砂上の楼閣。永く持つものではありません。
というわけで、本題に戻りましょう。
■花月楼再生は、組織に欠ける
花月楼をリニューアルし、まちなか誘客を図る。この素案には「組織が欠けている」ことが今回のテーマです。
主たる問題点は次の4点に集約されます。
①まちづくりの悪いパターンである「属人主義」が出ている。
②市内地誘客への「段階」を踏まえていない。
③現在の我々に真に必要なものは、「成功体験」である。
④必要な人材は「親方」ではなく、「コーディネート役」である。
■まちづくりの悪いパターン、属人主義
花月楼再生について「勝山まちなか観光戦略」では、まちづくり会社を設立し、このまちづくり会社が花月楼を所有した上で運営することになっています。
まちづくりが陥る悪循環「属人主義」が、ここには如実に表れています。
行政からまちづくりに至るまで、未だに、この「属人主義」が蔓延しているのは不思議なことです。
ここで言う「属人主義」とは、「まちづくりをするには、中心となってバリバリ盛り立ててくれる人がいなければならない」という発想です。
確かに、いかなる組織であろうとも、組織にはリーダーが必要です。それと属人主義とは似て非なるものでして、明確に区別しておかなければなりません。属人主義とは「まちづくりにはキーマンが必要だ」「キーマンがいなければ、まちづくりは進まない」という発想を指します。
属人主義的まちづくりは、3つの大きな失敗を起こしかねません。
ひとつは、戦略の不在を隠すこと。
前回の拙稿で「戦略」の話をいたしました。戦略は、論理で攻めていくものです。映画に例えるなら、名優や大女優は出演していないが、ストーリーの面白さが抜群に良かった……という映画が、戦略に優れた事業です。
他方で、属人主義的な「キーマン第一主義」は、「コマンドー」に代表されるヒーロー映画でしょう(誤解無きよう、私はこの映画が大好きですw)。戦場にアーノルド・シュワルツェネガーが登場して、とにかく銃をぶち回し敵をなぎ倒してハッピーエンド、めでたしめでたし……という映画。スカッとしますが、荒唐無稽甚だしい。
つまり、ちゃんとした戦略さえ立てておけば「キーマンがいないから、成功しないのだ」などという与太話は出てこないのであり、属人主義的キーマン第一主義は、いわば戦略不在を自ら証明しているに過ぎません。
ふたつめは、「誰か有能な人を探せば何とかなる」という他力本願の思考を引き起こすこと。
まちづくりは自分たちのためにやるものです。ところが、「キーマンがいなければ、まちづくりは始まらない」という発想は、「どこかに誰かがいるはず」「有能な人間を探し出してポジションに据えれば、万事それでうまくいく」といった、他力本願の思考を呼び起こしかねません。
三つめは、他力本願の思考は容易に無責任の思考に変わること。
「誰かがやってくれるはず」という他力本願の思考は、無責任の思考でもあります。市民は「行政がやってくれるだろう」と考え、肝心の行政は「市民団体がやってくれるのですから」となる。行政も市民も「勝山を発展させたい」との想いを共有しているはずなのに、お互いに責任をとろうとしない。そんな状態が発生します。
この3つの特徴が表れると、無気力と諦めという結果が出てきます。
戦略の不在は、「何のためにこの事業をやるのか」「この事業をやると何が起きるのか」という未来へのストーリーの欠如です。これがなければ、そもそも人は動きません。戦略が不在の状況で、行政主導のまちづくりだけが進んでいく。すると、人々は「またか、また始まったのか」となる。
「どうせ、何やったってダメだよ」という無気力と諦めまで後一歩です。
まずは現実を見ましょう。すべてはそこから始まります。
勝山のまちづくりは、本当に「まちづくり会社を立ち上げれば何とかなる」というレベルにまで達していますか?
「どうせ何やったってダメなんだよ」「もう、勝山は終わってるよ」という無気力と諦めの声は聞こえませんか?
「うちの会社は何やったてダメだよ」
「うちの会社の体質じゃね、たぶんダメだよね」
と、社員の士気が低い会社で「新しい部署を立ち上げて、バンバン売り上げ伸ばすぞ!」と気勢を発しても、その声は社員に届きません。
士気が低いのなら、まずはそれを受け止めて、そこからスタートしましょう。
今回の「勝山まちなか観光戦略」では、属人主義が「人」ではなく「組織」に変わったに過ぎないと感じる理由は、上記の現実を踏まえていないからです。まちづくり会社さえ作れば何とかなる……という発想は、士気の低い会社で新規事業を立ち上げるくらい悲劇的です。
ちなみに、私たちも花月楼再生のプランを考えてみましたが、仮にまちづくり会社を設立するのであれば、その資本金は最低でも4000万円。できれば6000万円は必要だとの結論に至りました。
ところが、「勝山まちなか観光戦略」で示されたのは資本金1000万円の資本金額。もちろん、行政が応分の出資をすることを前提としての金額です。
この資本金で事業はできません。となれば、当然に金融機関に対して融資を願うことになるのでしょう。しかし、その事業計画書もない……となると、市民はこのまちづくり会社をどのように捉えれば良いのでしょうか。
■なら、どうすればいいの?
まずは現実を見ましょう。そこからです。
現実を考える際に、次の3つの疑問は重要です。
①本当に中心市街地の活性化は必要なのか?
②勝山では、まちづくりはビジネスとして捉えられていないのではないか?
③市民が周遊しない場所に観光客が来るのか?
①「本当に中心市街地の活性化は必要なのか?」
最初に考えるべきは、この問題です。我々は、ここからスタートしなければなりません。
なぜ、そこから始めなければならないのか。それは、行政主導のまちづくりは、往々にして根本問題を解決しないままに進められるからです。
その典型例が、国の補助金をもらって行政主導で行う「商店街活性化事業」。
商店街活性化事業としては、
①誘客のためのイベント事業
②空き店舗対策事業
で成り立っている事例が少なくありません。
しかし、おかしくありませんか?
誘客のためにイベント事業をする理由は「お客が少ないから」です。空き店舗対策をする理由は「お店が少ないから」です。つまり、売り手も買い手もいない商店街を何とかしようとするのが、多くの自治体で見られる商店街活性化事業なのです。
事業をする前に、「そもそも、この商店街は必要なのか?」という根本問題を語ることが必要ではないのでしょうか。
平成15年に全国商店街振興組合連合会が行ったアンケートでは、全国の商店街で「繁栄している」と答えた商店街は2.3%に過ぎず、「停滞している」「衰退している」と答えた商店街は、実に96%に及びます。
行政がこれを口にすることはタブーです。そのようなことを口にした瞬間に「お前らは、俺たちを切り捨てるのか?」と地元商店街から猛反発を受けるからです。行政主導の再開発や活性化事業では「何のために活性化するの?」という根本問題がスッポリと抜け落ちたまま事業を進めた結果、イベント事業やチャレンジショップといった当たり障りのない事業が横行することになります。
切り捨てるのではありません。
「このエリアは商店街として必要性があるのかいなか」を語り合うのです。
勝山の中心市街地の人々が求めているのは「賑わい」なのではありませんか?「商店街としての復活」を本当に望んでいるのですか?
「でも、『何のためにやる』かを考えることって、組織づくりじゃなくて戦略づくりじゃないの?」と思われた方は鋭い!組織は必ず戦略に沿ったものになります。戦略を作っていく作業は、そのまま組織を作っていく作業にパラレルになるのです。
②勝山でまちづくりはビジネスとして捉えられていないのではないか?
まちづくりをビジネスとして捉えることは重要です。
ビジネスは短期決戦ではありません。稼ぐだけ稼いであとは撤退するというようなビジネスも確かに存在しますが、まちづくりをビジネスとして捉えたときにそのような手法を採ることはできません。
長期的な利益をどのようにもたらすのか。「賑わい」を維持しながらどのような利益を創造していくのか。
その仕組みをつくっていくのが、ビジネスとしてのまちづくりです。
名前を出すと申し訳ないので場所は伏せておきますが、県内有名観光地の観光協会を訪れて詳しくお話を聞いた時に、
「昔は観光客が放っておいても来てくれた。朝、店のシャッターを上げれば、そこには観光客がいた。だから、何も考えなくても商売ができた。だからね、松村さん。観光客が減っていったときに、私たちは何をしていいかわからんのですよ」
この方が困っておられるのは「仕組み」が機能しなくなったからです。
この県内有名観光地は、「この観光地では観光客が日常的に来るので、観光客にモノやサービスを提供すればビジネスとして成り立つ」という「仕組み」で動いてきました。ところが、その「仕組み」が機能しなくなったとき、人々は何をして良いのかわからなくなります。
「仕組み」というと難しく感じるかもしれませんが、世の中の大半の人々はこの「仕組み」の中で生きています。サラリーマンの人は「毎日、会社に行く」「サラリーをもらって生活する」ことが生活の仕組みです。ですから、「明日から会社に来なくていいよ」などと仕組みを壊されると、途端に何をすべきか途方に暮れるでしょう。
学生さんは、「毎日、学校に行く」ことが生活の仕組みです。学校へ行くという仕組みを壊されて、登校が苦痛になる。それがいじめの怖さです。
人々は「仕組み」の中で日々を生きています。ある意味、ルーチンワークのように。そのルーチンワークで利益が上がるようにするのがビジネスモデルという「仕組み」でもあります。
まちづくりとしての仕組み、ビジネスとしての仕組み、そして人材育成の仕組み。この仕組みがなければ、人は身動きが取れません。逆に言えば、仕組みをポンと目の前に提示されると、人は動きやすくなるのです。
「賑わいをつくる仕組み」「その仕組みの中で利益を生み出す仕組み」……そして、「それらの事業を減る中で人材が育っていく仕組み(OJT)」の3つが求められているのです。
その「仕組み」を語ることが戦略であり、その「仕組み」を実現化するために組織化が必要なのです。
③市民が周遊しない場所に観光客が来るのか?
市民が周遊しない場所に観光客を呼ぶ。常識的にあり得ないだけでなく、経営的にも非常識な発想です。会社経営で重視されるのは「収入の帯を作る」ことではありませんか?平日はまったく閑古鳥がないている。ゴールデンウィーク、夏休みといった大型連休のときには異常なまでに込み合う。これで店舗経営ができると思う経営者はいません。
以上の点から、必要なものは見えてきます。
①中心市街地の活性化を「何のために活性化するのか」を明確にする。
②市民が周遊できるプログラムをつくる。
③OJTのプログラムをつくる。
次回は、この流れを具体的に考えてみましょう。
花月楼にまつわる3つの疑問 その1.花月楼再生プランは戦略に欠ける
■はじめに
9月定例会において、中心市街地の活性化策として旧料亭花月楼の再生案が示されました。
確かに、恐竜博物館を訪れる観光客をベースとして観光に携わる雇用を確保していくこと、そして中心市街地の活性化は、極めて重要な課題です。市長が進める方策が成功すれば、素晴らしいことでしょう。それが成功することを市民のひとりとして願うばかりです(嫌味ではなく、正直な感想です)。
しかし、冷静に考えたときに、今のやり方では花月楼は成功しません。それどころか、「道の駅―長尾山―花月楼を一体的にマネジメントする」構想(後述)も破綻する可能性が高いでしょう。
その理由としては、
(1)戦略が欠けている
(2)組織が欠けている
(3)責任が欠けている
こんな状況で成功すると考える方が無謀です。
繰り返しますが、花月楼を再生するな、道の駅を作るなと言っているのではありません。やるからには、成功する確率が高い方法で進めて欲しいと言っているのです。
後述しますが、9月定例会最終日の全員協議会では山岸市長自らが、道の駅と長尾山と花月楼を一体的にマネジメントするという構想を示されました。その構想自体は間違ってはいません。しかし、その手法を吟味するとき、危うさを感じずにはいられません。
道の駅に4億円、長尾山に2億円、花月楼に暫定で1億円……総合体育館を建設した後に、これだけの大型事業をする余裕が果たして勝山市にあるのか。そして、時宜を得ているのか。それを検証してみましょう。
■現在の状況
旧料亭花月楼は、明治37年(1904年)に建造されました。明治37年といえば日露戦争の年。繊維産業華やかなりし時代は、様々な宴席が設けられたことでしょう。ちなみに、勝山駅舎は大正3年(1914年)建設です。
さて、この花月楼をリニューアルしてまちなか誘客を目指すスキームで、今のところ分かっていることは次のとおりです。
(1)まちづくり会社を設立する。
(2)花月楼はまちづくり会社が所有・運営する。
(3)まちづくり会社は商工会議所等が中心となり設立する。
(4)市はリニューアル費用を補助する予定。
(5)県も補助する可能性がある。
(6)商工会議所等が「勝山まちなか観光戦略」を策定し、この戦略に沿って進める。
これを踏まえて、前述した3つの不安要因、
(1)戦略が欠けている
(2)組織が欠けている
(3)責任が欠けている
について説明します。
■花月楼再生は、戦略に欠ける
商工会議所が中心となり策定された「勝山まちなか観光戦略」ですが、まずは策定に携わった方々のご尽力に対して深甚の経緯を表します。無から有を生み出すような戦略やプラニングを考え抜く際の、乾いた雑巾を絞って一滴を出すような苦労。これは、やった者でないとわからないものです。
そのご苦労を踏まえた上で敢えて申し上げるのですが、この「勝山まちなか観光戦略」は戦略ではありません。単なるアクションリストです。
(※「勝山まちなか観光戦略」は後ほどの画像で確認できますので、そちらをご覧ください)
「戦略」とは、その定義からもわかるように、未だ到来していない将来像を描くものです。あらゆる数字は過去のものです。まだ誰も見たことがない、見えないものを見せてくれる。それが「戦略」です。
まだ誰も見たことがないものを見せてくれて、なおかつ、それが腑に落ちるものである。市民の誰しもが「なるほど、それは確かにいけそうだ」と理解できるために、根っこで定義しなければならないのは、
「お客様は、なぜその商品を買うのか」
という点です。
勝山の中心市街地へ誘致しようとするお客様は、「何か」を求めてまちなかへいらっしゃいます。そして、そこで商品なりサービスなりを買う。では、お客様は何を買うのでしょう。
コーラーを買う人は、直接的には缶やペットボトルに入った黒い液体を買うのですが、「スカッとさわやかにのどを潤す」ことを欲しています。工具のドリルを買う人は、ドリルが欲しいのではありません。「穴をあけたい」のです。医者に行く人は「健康」を買うのであり、エステに行く人は「美」を買います。ならば、花月楼に来るお客様は、なぜ花月楼に来るのでしょうか。
ここが「勝山まちなか戦略」では明確になっていません。恐竜博物館を訪れるファミリー層に1階では惣菜ビュッフェをするという構想ですが、「食」を提供するだけならば花月楼を使う意味はどこにあるのでしょう。そもそも惣菜ビュッフェは、ファミリー層のニーズを掴んでいるのでしょうか。
そして……これは真剣に考えなければならない重大問題なのですが、「恐竜博物館を訪れるファミリー層は、『勝山の地のモノを食べたい』と考えているのかどうか」
ここは極めて重要なポイントです。ここをあやふやにして先に進むと、他の自治体の失敗例と同じ道を進みかねません。
難しく考えることはないのです。皆さんが子供を連れて県外の観光地へ旅行したときのことを思い出すなり、想像してみてください。その観光地の『地のモノ』を子供たちと一緒に食べたいか否かです。
例えば、「福井へ来たのでカニを食べていこう!」これはアリでしょうね。十分に想像できます。「永平寺へ来たついでにゴマ団子を食べてみよう」これも……まあ、ファミリー層で考えた場合、微妙なラインですがありうる話です。
それでは「恐竜博物館に来たので、勝山の地のモノを食べていこう」……明らかに次元の異なる話をしているのがおわかりでしょうか。
「勝山のモノは美味しいざ!」と勝山の人が言うこと、それ自体は間違いではありません。それはお国自慢として微笑ましいものです。ただし、これを基盤として事業を組み立て始めると大きな失敗をするでしょう。なぜなら、恐竜博物館を訪れるファミリー層は、勝山を訪れたのではなく、恐竜博物館を訪れただけにすぎないからです。
福井県の知名度は、ご存じのとおり47都道府県の下から数えて3番目くらいです。この下から数えて3番目というのは厄介なものです。いっそのこと最下位ならば、それを逆手に取ることも可能でしょう。しかし、下から数えて3番目というのは何をするにも中途半端です。
(オールドな野球ファンは、かつてロッテが「テレビで見られない川崎球場」という逆説的なアピールをしたことを記憶されているでしょう)
その福井県が観光で売り出そうというとき、正直、私も思いました。「もともと知名度がない福井県が頑張ってもなあ……」 実際に、これまで福井県は知名度の低さを認めようとはしませんでした。長い間、そこには目をつむってきたのですが、ようやく近年、「現実を見ましょう。私たちは知名度が低いのです。それを認めた上で施策を講じるべきです」という部課長が現れてきました。
(名前を言うとご迷惑かかるでしょうから申しませんがww)
県も変わろうとしています。
私たちも現実を見ましょう。そして、もう一度、考えてみましょう。
「恐竜博物館を訪れたファミリー層は、どのような価値を求めて、わざわざ中心市街地の花月楼まで来るのか」
まずは、この問いに応えないことには戦略の第一歩を踏み出すことができません。
他にもまだまだ問題はあります。
ターゲット顧客の切り方がブレています。恐竜博物館を訪れるファミリー層、団体客向けのお座敷弁当、外国人観光客。「勝山まちなか戦略」では、これらをターゲット顧客としていますが、これは切り口として広すぎます。
ターゲットを定めるとは、お客様を絞ることです。なぜお客様を絞るのか。その理由は、絞らなければ絞ってきた競合に負けるからです。そして、顧客を絞るということは、他の市場を諦めるということを意味します。すべての人々に訴求する商品などは存在しません。
ファミリー層も、団体客も、個人客も、外国人観光客も取り込む……というのは、何も諦めていないということです。それはすなわち「どこにもトンがったところがない」商品を作り出すことを意味します。
(どこにもトンがったところのない商品の典型例は、行政の出す広報誌です。福井県の出す「グラフふくい」を、あなたはお金を出して買いますか?)
加えて、花月楼の強みは何かという点も曖昧です。強みは、そのまま差別化をもたらします。花月楼で地の食を提供することと、8番ラーメンでラーメンを食べることと、グリル山田でソースかつ丼を食べることと、コンビニで弁当を買うこと。これらの中で花月楼の差別化と強みは何でしょう。
仮に、それが「文化財としての価値」と「左義長ばやしの体験等」であるならば、もはやファミリー層は捨てるべきなのです。
要するに、「強み」-「差別化」-「ターゲティング」の一貫性ができていない。それは、繰り返しになりますが「お客様はなぜその商品を買うのか」という第一歩が定まらないところから来ています。
他にも言いたいことはあるのですが、戦略の欠如に関して最後にひとこと。
「戦略」が出来上がると、「次に打つ手が見えてくる」ものです。もう一度申しますが、戦略とは未だ目にしたことのないものを描くことです。この手を打てば、ここが変わる。ここが変われば、あそこが変化する……という道筋が時間軸で描かれます。
ところが、「勝山まちなか観光戦略」では、まず最初にまちづくり会社を作った後に、何をすれば良いのかがわかりません。アクションリストだと冒頭で申し上げたのは、ここに理由があります。
戦略とは、サッカーの試合で言えば「どのようにパスをつないでゴールを狙うか」を説明するようなものです。ゴールシーンを「中心市街地に観光客が周遊し、経済効果を産む」と設定し、パス回しのスタートラインを「花月楼で顧客にどのような価値を提供するのか」と設定した後に、誰がどのようなボール運びでゴールまで持っていき、ゴールを狙うのか。これを論理的に説明するものでなければなりません。
「フォワードは点を取れ」「ミッドフィルダーはボールを運べ」と定義しても、これは単なるアクションプランに過ぎず、ゴールまでの道筋は出てきません。
市民が本当に聞きたいのは、どうやってボールをゴールまで運ぶのか。そして、どのように点を取るのか。この論理的な道筋です。
※参考までに、「勝山まちなか戦略」を。
■では、どうすれば良いのか?
それじゃ、どうすれば良いのか。
もう一度、「お客様はなぜその商品を買うのか」というところから考え直しましょう。
難しい話ではありません(考え抜くことは難しいですが)。要は「誰をどのように喜ばせるのか」を考えることです。そこを突き詰めて考えていくと出てくる姿をコンセプトと呼びます。
このコンセプトは、人間の欲求をダイレクトに突かねばなりません。
「生存欲求」と呼ばれる、肉体的な快楽。美味しいモノを食べたい、暖かい家に住みたい、睡眠、性欲などの欲求です。苦痛を逃れたいという欲求もここにはあるでしょう。「社会的欲求」と呼ばれる、他人との関係において良く思われたいという欲求もあります。良い服を着る、ちやほやされたい。異性にもてたい。名誉欲等はここに含まれるでしょう。「自己欲求」と呼ばれる、自身の内に完結する欲求も重要です。もっと成長したい。自己を高めたい。こだわりを追及したい。充実感を得たいという欲求です。
こういった欲求を素直に見つめて、「誰をどのように喜ばせるのか」を考えましょう。
いくつか例を挙げましょう。
スターバックスは「サードプレイス(第三の場所)」をコンセプトに掲げています。家庭(第一の場所)でも職場や学校(第二の場所)でもない、第三の場所です。
ドイツのビアガーデンやイギリスのパブ、フランスやイタリアのカフェのように、ヨーロッパには人々が安心して集える避難場所が伝統的に確立しています。アメリカでも、そういったくつろげる場所を作りたい。これがスターバックスのコンセプトでした。「誰をどのように喜ばせるのか」、スターバックスにおいては「職場や家庭でストレスを抱える人々に、くつろぎの場所を提供したい」となります。売るモノはコーヒーではありません。「雰囲気」こそを売っているのです。
文房具販売大手の「アスクル」は、事務員の女性の苦労を助けることをコンセプトに掲げました。大手企業のように、資材部を持たない中小企業の女性事務員さんは、シャーペンがない、コピー用紙がない……と、その都度買いに行かねばなりません。何とかしてその苦労を解消できないか。ファックス一枚で「明日来る」ようなシステムができないものか。そこがコンセプトになっています。
地域情報誌ホットペッパーのコンセプトは「狭域生活情報誌」でした。生活情報誌は、それこそ世上にゴマンとあります。しかし、住んで買物して遊んで……という「人の生活圏」という切り口で捉えれば、せいぜい半径5キロくらいのものです。そんな我々に「北陸」や「金沢」の情報などいらないのです。
そういえば、先だって平泉寺在住の竹内和順議員が面白いことを仰っていました。
「僕は、平泉寺を『第二のハネムーンの場所』だと考えているのですよ」
第二のハネムーンとは、いわゆるフルムーンのことでしょう。子供も手を離れて夫婦が睦まじく旅行をする。「色々な苦労があったけれども、ここまで来ましたね」という会話が聞こえそうなシーンが頭をよぎります。
このシーンを補強するために何が必要か。色々な事業が派生していく予感がします。これは立派な「コンセプトの種」と言えるでしょう。
もう一度、じっくりと考えましょう。まちなかを誘客する人々に何を楽しんでもらうのか。花月楼を訪れる人々をどのように喜ばせるのか。
そのコンセプトが決まらないことには、何も先に進みません。
なぜなら、「コンセプトからすべてが始まる」ということは、「すべてはコンセプトのために」ということだからです。
スターバックスは、そのコンセプトである「サードプレイス」からすべては始まります。そして、その「サードプレイス」を実現するために、店舗の立地条件、店内の雰囲気、コーヒーの入れ方……等々の全てが規定されるのです。
また、コンセプトが不明瞭では、組織内に顧客提供価値を共有することすらできません。
「すべてはコンセプトの実現のために!」なのです。
もう一度、じっくりとコンセプトを考えましょう。まちなかを誘客する人々に何を楽しんでもらうのか。花月楼を訪れる人々をどのように喜ばせるのか。
そして、コンセプトが明確に決まらないのであれば、花月楼もまちなか誘客も進めるべきではないのです。
次回は、組織の問題について考えてみましょう。
「勝山市は、その小ささを武器にして発展する」ことの、経済思想的意味 vol.2
■不安定化する「豊かな社会」
ー不安定化する「豊かな社会」とはどういうこと?
まず、「豊かな社会」と「発展する社会」とは違うということを理解してもらうことが重要になります。「発展する社会」は高度経済成長期の我が国をイメージしてもらえればいいでしょう。これに対して「豊かな社会」とは、まさに現在の低成長期に入った社会を指します。
豊かな社会はその豊かさゆえに不安定さを増すという現象が今回のテーマですね。
ーそのテーマが「勝山市は、その小ささを武器にして発展すること」と、どうつながるの?
いきなり結論を焦ってはいけません。物事は順序立てて考えていきましょう。
資本主義というものは、その性質上、利益を生まなければ成立しません。
ならば、どこが最も利益を生むのか。言うまでもなく「新しいもの」です。できれば、誰も今まで手をつけてこなかった分野があればよろしい。
ー経営学でいう「ブルーオーシャン」ですね。
そう。そこでは、きわめて大きな利益を独占できます。
新しいもの・分野が大きな利潤を生み出す。市場競争を徹底化させれば、当然のように、資本は新しいもの・分野へ向けて流れていきます。
ー当然でしょうね。
その結果、何が生じるのでしょう。
新しいもの・新しい分野に位置しない活動は、もはや十分な利潤を得られなくなります。日常的な製品、伝統的技術、ありきたりのモノ、生活密着品、農業・食糧……公共的な意義をもったもの、すなわち、交通や通信。こういった商品は大きな利潤を生み出しません。
大きな利潤を得られなくなった生産者は、徐々に市場から撤退し、その姿を消します。あるいは、海外からの供給に頼ることになるでしょう。
ーそれは、市場を中心に置く資本主義経済では当然のことでは?
そう。当然のことと思われています。そこをもう少し掘り下げてみたいのですよ。
巨視的な視点で眺めれば、過度の資本主義的競争は公共的な活動領域を浸食していくのではないか。これが私の問題意識にあります。
医療、教育、福祉、環境保全といった公共的な活動領域は、そもそもが利潤原理に乗りません。資本が、公共的活動領域から新しい分野・新しいものへと流れていく結果、公共的活動領域の資本が脆弱化していくように思われるのです。
ーどういうこと?
「豊かな社会」と「発展する社会」では、全く異なるということです。「発展する社会」とは、戦後の高度経済成長期をイメージしてもらえれば結構です。そこでは、資本主義の発展はわれわれの生活を豊かにし、公共部門を拡大し、社会の安定をもたらしました。成長の時代においては、「資本主義」と「社会の安定」は矛盾をはらみません。
これに対して、「豊かな社会」とは現在のような低成長期の時代です。そこでは、資本は「社会の安定」に用いられるべきものまで、市場に流して「資本主義」を発展させようとする。すると、「社会の安定」と「資本主義」は齟齬をきたすようになります。
ーう~ん……ちょっとイメージが沸きにくい
そうですか。ならば、小泉構造改革を具体例にして考えてみましょう。
■小泉構造改革とは、何であったか。
ー小泉構造改革ですか。
小泉構造改革が何であったのか。これは評価が未だ定まっていないところです。
ただ、小泉構造改革の負の遺産として挙げられるものは、
・所得格差の向上
・労働市場の流動化によるフリーターや派遣労働者問題
・金融市場の不安定性
・食糧市場・資源市場の不安定性
・IT市場の不安定性
などがあります。
小泉構造改革により不安定化した、労働・資本・自然資源・情報等の知的資源。これらに共通することは生産要素であることです。
ー生産要素ってなに?
生産要素と生産物とは決定的に異なります。生産要素は、それ自体は企業の生産活動によっては生産されません。社会や自然や人間の中にある「社会的」存在物です。企業は複数の生産要素を結び付けてることによりアウトプットを生み出し利潤を得ます。つまり、生産物が最初から市場で商品として販売されることを目的としているのに対して、生産要素は元々市場で商品化を期待されていません。
ーなんだか、よくわからない。
ならば、労働について考えてみましょう。あなたは労働者として生まれてきましたか?
ーそんなことはないでしょ(苦笑)
そう、われわれは労働者として生まれてきたのではありません。社会的生活を営む「人間」として生まれてきました。
社会の中でわれわれは様々な価値を持ちます。父親としての価値、地域コミュニティーの中での価値、消費者としての価値……そういった様々な価値を労働という一面に縮減して無理やり生産要素にしているだけのことです。
ーふむ……
そもそも、なぜ労働市場には労働時間規制、賃金規制、雇用契約による雇用保障等々の規制があるのでしょうか。
それは、労働という「本来的に人間的な活動」を生産活動に用いるためには規制が必要だからです。過酷な職場環境を「非人間的な労働環境」と表現することがありますが、逆に、「人間的な労働環境」とはどのようなものかを考えてみればおわかりでしょう。
ーその人の人間的価値が発揮される職場かな?
でしょうね。「本来的に人間的な活動」を生産活動に用いることが労働であるならば、人間的な労働環境であるための規制が必要になるのです。
人間的な活動は社会的存在物であり、生産要素であり、様々な価値を持つものです。その多面的価値を持つ人間を、徹底的に自由市場にさらけ出せば、その人の人間的価値そのものを潰しかねません。つまり、労働という生産要素を無尽蔵に市場化させてしまっては、社会そのものが弱体化しかねないのです。
小泉構造改革で行ったことは、規制を撤廃することにより労働市場の流動化を図ることでした。ここで重要なことは、労働という生産要素を高度に市場化させたことです。
ーその結果がワーキングプアや所得格差だということ?
というよりは、それがもたらす社会的不安定性でしょうね。先ほど申し上げたように、豊かな社会では「社会的安定性」と「資本主義:」は齟齬をきたすことになりかねない。本来、公共的なものである「労働」を高度に市場化してしまったゆえに、ワーキングプアや所得格差による社会的不安定性をもたらした……という実例です。
通常、労働時間規制や賃金規制に関しては「市場原理に任せては、大資本により賃金そのものが安く買い叩かれて労働者の不利になる」との説明から始まるのが普通でした。しかし、その説明の底にあるものは「人間はそもそも生産物ではない」という考え方です。マルクスが「労働力を商品化することには無理がある」と熱心に説明したのも、ここにあるのでしょう。
ーでも、食糧は生産要素じゃないでしょ?商品化を目的として食糧生産を行っているのだから、生産物じゃないの?
ならば、われわれは何ゆえに食糧自給率を気にするのでしょう。徹底的な市場原理主義を貫くのであれば、食糧をすべて海外産にすることは合理的であるはずなのに。
食糧はわれわれの社会にとって最も基礎的な資源です。「飢え」ほど社会を不安定にさせる要素はありません。その危機感があるからこそ、われわれは食糧自給率を問題視するのです。つまり、「食糧」は公共的な意味合いを持つのであり、この要素を無尽蔵に市場化させてしまっては、社会的安定性が弱体化しかねないのです。
重要なことは、小泉構造改革とは、本来、社会の公共物であるはずのものを規制改革の名のもとに市場化してしまったこと。これにより、社会の不安定さが増したこと。ここにあります。
■どこで折り合いをつけるのか?
ー先ほどからの議論を見ていると、あなたは資本主義に反対の立場?
反対でも賛成でもありません。ただ、市場原理主義というものが、否応なしにわれわれの社会基盤に及んでくるということを認識しなければならない……という立場です。
ーそういった立場の考え方は、具体的にどうなるの?
「資本主義」と「社会の安定」が齟齬をきたさないように、折り合いをつけながらやっていくしかないでしょう。
ー折り合い?
新しいパラダイムが必要だということです。
ーパラダイムとは?
パラダイムとは、モノの見方とか考え方の枠組みと理解してください。
昨年末から2か月かけて、小規模農家の所得向上策を入念に検討し政策化しましたが、その過程で「小規模農家が現在の経営面積を維持したままで、国産大豆を生産することは可能か」という問題も併せて検討したことがあります。結論から申し上げると、現行の枠組みの中では、どこをどういじっても小規模のままでは外国産の大豆に価格面で太刀打ちできませんでした。
ーそりゃそうでしょう。それも市場主義の当然の帰結です。
そう。今まではそこで思考が止まっていました。外国産の安い大豆を輸入すれば、それでいいじゃない……というところで止まっていたわけです。
しかし、まったく異なる視点から考えれば、農家所得を1.5倍にすることはできるのです。農家は農家、小売りは小売り、流通は流通という従来の考え方を変えれば、それくらいはできる。
ーそれがパラダイムの変化?
ちょっと違うのですよ。
もうひとつ例を挙げましょう。
地方公共交通、具体的にはバスですね。これは田舎に行けばいくほど惨い状況です。1日3便なんてこともある。朝に1便、正午に1便、夕方に1便。
ーそれは不便でしょう。
不便ですよ。ですが、これも市場原理に従えばもっともな話なのです。乗る人が少なくなるから便数も少なくなる。便数が少なくなるから、不便きわまりない。乗る人はさらに減る……という負のスパイラルです。
ーまあ、当然でしょうね。
そう、これまではそこで思考が止まっていました。税金を投入して、なんとか地域公共交通を維持しなければならない。これは、ある意味、地域福祉の考え方と言えます。この考え方を基礎にして地域公共交通は維持されてきました。
しかし、発想を真逆のものにすれば、どうでしょう。完全に自由な地域公共交通ができたならば、人の流れとモノの流れが活性化します。これをベースに新たな産業化が可能になります。
ーふむ。そのあたりを詳しく説明して欲しいな。
このモデルの詳細な説明は、後日にしましょう。それは戦術論の話になりますから。今、重要なことは経済思想的なパラダイムです。
もう一度言います。
高度経済成長期のように、成長する社会においては「資本主義」の発展は社会的インフラを整備し福祉を向上させ「社会的安定」をもたらします。しかし、低成長期に入る豊かな社会においては、「社会的安定」に用いられるべき社会資本までをも「資本主義」の発展に振り分けられかねません。それがアメリカ発の新自由主義の結末です。
その結果、雇用、食糧、金融といった生産要素や社会福祉、教育といった公共部門までが不安定になっていきます。そして、何よりも地域の過疎化そのものも市場原理主義の考え方からすれば当然の帰結なのですね。
ですから、「資本主義」と「社会的安定」との折り合いをつけなければならない。「資本主義」の力を使って「社会的安定」を構築しなければなりません。
ーそれは、どのような形で?
「新しい市場を創る」という形で達成されます。
ー新しい市場とは?
その話は、「水泳帽子」を事例にとって次回に考えてみましょう。
「勝山市は、その小ささを武器にして発展する」ことの、経済思想的意味 vol.1
■「勝山市は、その小ささを武器にして発展する」
まずもって、この度の勝山市議会議員選挙におきましては、2位当選という過分の得票をいただいたことに御礼申し上げます。皆様のご期待にそぐわぬよう、邁進する所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
さて、私は今回の選挙期間で街頭演説を打ってまいりました。7日間の選挙期間中、1日ひとつのテーマをやったので、都合7つのテーマについて街頭で演説を打ちました。
初日 中心市街地活性化の理念と手法について
二日目 教育問題について
三日目 観光に関する諸課題について
四日目 人口減少問題について
五日目 あるべき議会の姿と求められる市議会議員像について
六日目 私の政治信条について
最終日 勝山市の夢
これらのテーマについて語り続けたわけですが、その根底をなすのは「勝山市は、その小ささを武器にして発展するのだ」という理念です。
……勝山市は人口2万5千人の小さな市だが、その小ささを武器にすることによって、われわれは激動の地方自治体間競争に打ち勝つのだ。
恐竜はその大きさによって滅びたが、恐竜に怯えながら生きていた哺乳類は、その小ささゆえに変化に対応できた。
大きなものが生き延びるのでもなければ、強いものが生き延びるのでもない。変化に対応できた者だけが生き残る。そして、われわれはその小ささを武器にして生き延びようではないか……
という主張ですが、「勝山市は、その小ささを武器にして発展する」という主張には、思想的・戦略的・戦術的に多様な意味が含まれています。
なぜ、思想的な背景までが求められるのか。
よその自治体と同じことをしていたのでは、ダメなことは皆様も重々感じていらっしゃることでしょう。私はよく舞の海を例えに出します。
【技のデパート】 舞の海 好取組集 【 相撲 】 - YouTube
舞の海は、私よりも20cm近く身長が低く体重も私よりも軽かったのですが、その体で250kgを超える小錦に勝つわけです。しかし、舞の海は小錦に力勝負を挑みませんでした。なぜなら、相手の得意な土俵で勝負したのでは勝つことがかなわないからです。
舞の海は、その小ささを武器にしてスピード勝負、技の勝負へと持ち込むのですが、動画を見ると、その持ち込み方が惚れ惚れとするくらい「理にかなっている」ことがわかります。
小さいものは、その小ささを活かす。しかしながら、なんでもすれば良い。他の自治体がしないことならば何でも良いというものではありません。「理にかなっている」ことをしない限り、われわれに勝つ機会はありません。
理を求めていくと、そこには必ず思想的背景が見えてきます。
思想的背景が戦略を生み、その戦略が戦術となって具現化する。思想的背景が必要とされる所以です。
■シュンペーターの予言「資本主義は自滅する」
ウィーン生まれにしてアメリカ経済学会長まで勤めた、二十世紀を代表する経済学者のひとり、シュンペーターは1936年6月1日に米国農務省で歴史的な講演をします。
Can capitalism surevive?
Ladies and gentleman, the answer is No.
(資本主義は生き延びることができるか。みなさん、答えはノーです)
シュンペーターは、資本主義の発展を「イノベーション(革新)」に求めました。既存のモノ・サービスが固定化してしまい、凍結されたならば人々の欲望はそこで止まる。しかし、われわれが想像だにしなかったようなモノ・サービスは必ず生みだされ、そこに新しい需要が発生する。そうやって、資本主義は拡大を続けてきたのだ……と。
だが、それゆえに資本主義は生き延びることができないとシュンペーターは主張しました。
イノベーションを担う人々を彼は「企業家(アントレプレナー)」と呼びましたが、この「企業家」の特質は、あえてリスクを引き受けてまったく新しい事業や技術に挑戦するという冒険精神にあります。しかし、この精神は豊かな社会においては衰退するでしょう。なぜなら、豊かな社会において合理的な精神の持ち主であれば、わざわざリスクを背負う必要はないからです。サラリーマンとして安定を求める方が、よほど合理的であることは言うを待ちません。
資本主義を成長させてきたエネルギー自体が、豊かな社会になれば枯渇せざるを得ない。ゆえに、資本主義はその歩みを止める。これがシュンペーターの予言でした。
「豊かな社会」は冒険的精神を枯渇させる…とのシュンペーターの予言は、概括的なものです。われわれには、加えて「地方のパイそのものが縮む」という切実な問題が現前にあります。
経済成長率は、単純に考えるならば、労働人口の増加率と労働生産性によって決まります。地域経済圏をモデル化すれば、人口減少により労働人口が減少傾向にあるわけですから、地域経済圏を成長させるためには労働生産性を上げるよりほかにありません。
そして、その労働生産性に決定的な役割を果たすものこそが技術革新です。
若者たちがサラリーマン化していき、冒険精神が枯渇していくならば、地域経済圏は縮小せざるを得ない。これがわれわれが直面している現実です。
■人々の欲望は無限なのか?
1890年代からの4半世紀、当時の大英帝国が低成長期に入っていました。言うなれば、我が国の「失われた10年」と同じような状態になっていたのです。
ここで、盛んに言われたのは「需要の飽和」でした。需要が飽和するとは、とどの詰まり「欲しいものがなくなってしまった」状態です。欲しいものがなければ、人は消費をしない。消費をしなければ、生産者は生産を手控える。したがって、経済成長率は低くなる……という理屈です。
(この土壌から、ケインズの公共投資政策が出てくることになります)
しかし、実際に需要が飽和するようなことがあるのでしょうか。人々の欲望には限りがあるのでしょうか。
むしろ、人々の欲望は膨らみすぎたように思うのです。
人々が新奇な商品に関心を向けなくなるということはありません。実際に、新機能を備えたスマホやPC、家電、車など、消費対象は続々と商品化されています。むしろ、人々は過剰なまでに新しいものを求めているのではないかとすら思われます。
その結果、二つのことが言えるでしょう。
ひとつめは、マーケットの飽和の速さです。新しいものが出れば人々はそれを求め、すぐにマーケットは飽和してしまいます。人々は、次の新しいもの、さらに次の新しいものと新しいものを見出すことになるでしょう。
その結果として、人々は新奇さそのものに鈍化します。常に新しいものを探す行為は、真の意味での新奇なものへの驚愕・興味を失わせるのです。
そして、人々は退屈し始めます。
我々の周囲を見回してください。実際に、あなたは消費することに退屈していませんか?
調査委員会の杜撰な調査について
■議長公用車の不正使用疑惑
勝山市議会内に設置された政治倫理調査特別委員会は、私に関する調査を実施していますが、本日付の新聞報道でも明らかなように、昨日の勝山市議会本会議において「議長公用車の不適切な使用があった」との報告がされました。
■はてさて、これは公用ではないのか?
問題視されているのは、2年前の6月5日の公用車使用です。この日は確かに金沢まで公用車を使用しました。目的は、白山市の観光プロデューサーと面談するためです。
なぜ白山市の観光プロデューサーと金沢市で面談するのか?
答えは簡単で、白山市の観光プロデューサーは民間人だからです。北陸を代表する広告代理店の社員である彼は、金沢市と白山市を行き来する多忙な人です。面談の日時を設定する上で「この日のこの時間ならば金沢でお会いできます」とのお答えをいただいたので、金沢まで出向きました。
なぜ白山市の観光プロデューサーと面談するのか?
当時、勝山市も観光プロデューサーを雇用して観光地づくりを目指していましたが、なかなかうまく行かない状態でした。民間人を受け入れたのは良いが、色々なところで軋轢を生んでいた現状を、私は深く憂いていました。かたや、身ひとつで白山市に乗り込み、白山市観光ビジョンまで作り上げ、見事に白山市を観光地へと導いた白山市観光プロデューサー。彼の手腕と経過を本人から伺いたかったという点がひとつ。そして、勝山市と白山市はつながっている近隣自治体です。これから勝山市と白山市の観光連携を模索する方法はないものか。その見解を伺いたかったというのがひとつ。
都合2点が白山市観光プロデューサーと面談する目的でした。
これは公用なのでしょうか。私用なのでしょうか。
ついでにもうひとつ申し上げておきましょう。
議長公用車というものは、議長が「あ、おれ今日金沢行きたいから公用車出して!」と言えば使えるようなものではありません。
議会事務局に対して、
「白山市の観光プロデューサーと、勝山市と白山市の広域観光について話をしたいのでアポを取って」
「アポ取れました」
「それなら、公用車出して」
「わかりました」
といったような流れを踏んで初めて出せるものです。
■これにどのように答えろと?
さて、ある日のこと勝山市議会からひとつの文書が届きました。
倫理調査特別委員会の質問状です。
本当ならば、このようなものを公開するのはいかがなものかとも思いますが、調査委員会の委員さんの中には、調査中の秘密を勝手に暴露して市政報告に載せてしまう方もいらっしゃるのですから、よろしいのでしょう。
文書を読む前に、ひとつ予備知識を。
当然ですが議長公用車には「公用車使用記録」というものが残されています。
おそらく、この質問状はそれを踏まえてのものなのでしょう。
2年前の6月4日に何していたか?……と言われても、正直記憶にありません。
私は手帳を使用せずにGoogleカレンダーをもっぱら用いているのですが、残念なことにGoogleカレンダーの2年前の記録がすっぽりと消えているのです(あれはなぜなのでしょう)。
とりあえず、6月5日の白山市観光プロデューサーと面談したことだけは覚えていますから、「面談し、協議に参加している」とだけ答えておきました。
その結果が………議長公用車の不正使用という本会議での報告になるわけです(笑)。
何の目的で、白山市の観光プロデューサーと面談したのか。その内容はどうだったのか。その成果はどのように活かされているのか。そんなことはお構いなしです。
「会ったのか、会わなかったのか」
「会ったのならば、議長公用車の不正使用だ」
そんな暴論はありません。
公用であるか否かは、その内容によって判断されるべきです。
■杜撰な調査
あの事業に加わっていただいた金沢の事業主さんの中には、いきなりFaxを送り付けられて「〇〇日までに回答せよ」と迫られ、なんと失礼な話だと憤慨された方もいます。なぜ質問状を送るのか、その理由も明らかにせずにいきなり「回答せよ」と言われたのでは、そりゃ、怒ります。
市議会内の政治倫理調査特別委員会が調査をするのは構いません。ただ、私が被告であるとするならば、彼らは原告であると同時に警察であり検察であり裁判官であるという強大な権限を持っています。
どんな調査をするのも自由。調査結果をどのように解釈するのも彼らの自由。それをどのような報告書にまとめるのかも彼らの自由。そのような権限を持っているのならば、謙抑的にならざるを得ないのですが、どうもそうではないようです。
願わくば、勝山市の民間事業者と金沢のパイプを切らないでいただきたい。杜撰な調査が災いして、既に「勝山の業者とのお付き合いはやめさせて欲しい」という企業が数社出てきています。新幹線開業を2年後に控えて、勝山と金沢のパイプを今のうちからつないでおかないと……との想いで始めた事業を、汗もかいていない連中にズタズタにされるのは業腹です。
私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その5-
さて、最後に今回の騒動で勝山市が受けるであろう実損についてまとめてみましょう。
■この事業で作り上げた金沢とのパイプが切られてしまった
国の委託事業をする際の目的のひとつは、
「金沢新幹線開業を控えて、民間レベルでのパイプを作りあげること」
でした。これは説明いたしたとおりです。
もう一度、国の委託事業のスキームをご覧ください。
既に説明した通り、このスキームの中で私が金をポケットに入れるためには、業者からキックバックをもらうより他にありません。
(もちろん、私はそのようなことをしてはおりません)
3月30日の説明会のときに、民間事業者の方にも説明補助員として参加をいただきました。その中には、あの事業を一緒にやった金沢の企業の社長もいました。
よりにもよって、その金沢の社長の前で「松村、お前はいくら抜いた!」とやり始めたのです。
彼は、この事業スキームを知り抜いている人です。そして、彼は
「要するに、私の目の前にいる議員さんたちは、私を疑っているのだな」
と理解しました。松村と金沢との企業との癒着を疑っているのですから、彼の不信感は当然のことでしょう。
キックバックとはそもそも何でしょう。
「仕事をやるから、見返りをよこせ」
という行為です。
逆です。まるっきりの逆だったのです。私たちは金沢の民間事業者に懇願しました。「どうか勝山とのお付き合いをして欲しい」
「どうかJTBプロモーションが行う入札に参加してほしい」
金沢の企業家たちにしてみれば、別に勝山とおつきあいをする必要性などありません。そういった大きな企業ばかりでした。
何しろ、天下のJR駅で事業をしようというのです。JRと深いお付き合いをしている企業家をつかまえない限り、私たちに事業をすることはかないませんでした。
そうやって仕事を一緒にしてパイプをひとつひとつ作っていったのです。
ビジネスとは詰まるところ、人と人との関係です。
そうやってつくりあげたネットワークを活用して、本年3月には「金沢食べマルシェ」という大きなイベントに勝山の団体を送り込むこともできました。
「このネットワークを活用して、更に事業化できないか」
「勝山の産品や、左義長まつりの金沢PRなど、様々なことに活用できるぞ」
われわれはそれを期待し、事実、事業化に向けて動いていたところでした。
そのパイプは今回の騒動で切られてしまいました。
「まさか、勝山市議会に呼ばれてあんな屈辱を味わうとは思わなかった」
と吐き捨てるように言った金沢の企業の社長に対して、私は返す言葉がありませんでした。
■国と勝山市との関係を危うくしていませんか?
「自分もしていることは、他人もしているはずだ」と思ったのでしょうか、「1700万円も委託事業費をもらったからには、少しくらいは抜いているはずだ」とでも思ったのでしょうか。私に対する嫌疑はかけられました。
ところが、叩いても叩いてもホコリが出てこない。
私をどうしても貶めたい人々は、国にまでアタックをかけはじめています。
先だって、国からこのような言葉をいただきました。
「いったい勝山市さんは何を考えているのですか」
「市の〇〇部長という人からも問い合わせがありました」
(※〇〇は、もちろん実名です)
「国としては、とても迷惑です」
「勝山市に対して強い不信感を抱かざるをえません」
国が国策として行った全国公募の委託事業、2年前に完了した事業に対して、一部市議会議員をはじめとする連中は文句をつけているようなものです。そりゃ、国も強い不信感を抱くことでしょう。
一体全体、彼らは何がしたいのだろう。
地方創生、地方創生と言いながら、何とかして国から予算を引っ張ろうと他自治体は血眼になっているというのに。
ここで国を怒らせて、勝山に何のメリットがあるのでしょうか。
■市民の血税を使ってやることか?
私の調査委員会設置を決議した17日の本会議では、補正予算も可決されています。
何の予算ですか?……もちろん、私を調査するための予算です。
確たる証拠もなしに作られた委員会は、皆さんの血税を使って運営されています。調査に係る旅費や様々な支出は、すべて皆さんの血税です。
これで何も出なかったらどうなるのでしょう。
「調査は終了しました。特に問題ありませんでした」
で済ませるのでしょうか。実に気になるところです。
「住民監査請求をすべきだ」
「ていうか、もうこんな議会いらなくねえか?議会解散って、できねえのか?」
とお怒りの声が私のところに届いていますが、それは私ではなく別な議員さんに届けてください。
■結びに当たり
3月30日の会議に参加した勝山市民の方の漏らした言葉が、私の気持ちの全てを代弁しています。
「くやしいなあ。汗をかいて一生懸命に頑張った議員が、汗もかかずに仕事もしない議員どもになぜここまで罵声を浴びせられるんだろう。本当にくやしい。」
新聞に出て以来、色々な人々から励ましのお言葉をいただきました。
ひとりで市議会相手に闘うような状態ですが、それでも理解してくれる人は理解していただけるはずです。
これから、私は身の潔白を明らかにするため、様々な機会を通じて発信していきます。色々な地区でのミニ集会も行う予定です。
これからも頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします。
私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その4-
前回に引き続き、問題視されている事柄を説明いたします。
■(疑惑2)嶺北ふるさと創造観光協議会は架空の幽霊団体ではないのか?
結論から申し上げるならば、
①嶺北ふるさと創造観光協議会は、架空の団体ではありません。
②ただし、現在は事務局長しかいない任意団体です。
③なぜなら、必要性がないからです。
これを理解していただくためには、現在の広域観光の問題点について押さえておかなければなりません。ここを押さえない限り、われわれがなぜこんな組織を作ったのかは理解困難です。
■現在の広域観光の問題点
これまで行政同士の広域観光協議会は様々に作られてきました。例えば、勝山市と大野氏は広域行政事務組合という形で、広域観光を進めています。
この枠組みには、2つの問題点があります。
ひとつは、毎年負担金・会費が発生する点。要するに、協議会なり事務組合なりを作ってしまったからには、予算をつけないといけなくなるのです。いかにもお役所的な発想です。
そして、予算をつけたからには、それを消化しなければならない。これもお役所的発想です。毎年、毎年、観光パンフレットが印刷されているのは、この予算消化のためでもあります。
もうひとつは、自由度がなくなる点です。
勝山市と大野市が事務組合を作って運営しています。ならば、勝山市と永平寺町とで組みたい場合はどうすれば良いのでしょうか?
新しい事務組合なり観光協議会なりを起ち上げなければなりません。そして、また負担金を支払って、予算消化の事業を延々と行う羽目に陥ります。
ならば、いっそのこと県内一円の自治体が全部入る観光事務組合なり、広域観光協議会なりを作り、その中で「今回は勝山市と小浜市で共同で事業を行おうか」「今回は、福井市と鯖江市と坂井市で事業を行おうか」という仕組みはできるのでしょうか?……無理です。なぜなら、負担金を支払っている関係上、勝山市の負担金を使って、福井市と鯖江市と坂井市が事業を行うことはできません。
行政にはないスピード感あふれる観光協議会は、できないものか。
自治体の枠を超えた観光協議会は、できないものか。
民間事業者や観光協会や商工会や、いや、いっそのこと観光に興味のある個人でも良い。そういった人々が自由に出入りできる観光協議会はできないものか。
そういった想いを持ち続けていた私が辿り着いたのが、嶺北ふるさと創造観光協議会の形でした。
■観光プラットフォームという概念
嶺北ふるさと創造観光協議会という任意団体は、従来の発想と真逆の方向性で作られました。
①会費・負担金はなし。
②観光プラットフォームとしての役割を果たす。
ここで重要なものは観光プラットフォームという考え方です。
従来の発想は、
①組織をしっかりと作る。
②会費を集めて予算化する。
③予算にあわせて事業をする。
というものでした。
観光プラットフォームは、この発想を逆転します。
①目的の下に事業を計画する。
②事業に参加する人々と、事業を組み立てる。
③組織を使う。
この「組織を使う」というところがミソです。要するに嶺北ふるさと創造観光協議会とは、事業の受け皿としてのみ存在するのです。
建設業等の方々ならばおわかりでしょうが、JV(企業共同体)というものが存在します。ひとつの麹を施工する際に複数の企業が共同で工事を受注し、施工するための組織体です。勝山市の総合体育館は5社によるJVで工事がなされています。そして、このJVには代表となる企業が存在します。
そういったJVを組むという仕組みが広域観光ではありません。例えば、福井市観光協会、永平寺観光物産協会、あわら商工会、そして多くの民間企業がひとつの事業をしようと企画した場合、JV(企業共同体)のような仕組みがないのです。
事業の受け皿となる組織体が欲しい。
この組織体が嶺北ふるさと創造観光協議会でした。
嶺北ふるさと創造観光協議会が、なぜ観光プラットフォームと呼ばれるのか。
元々、プラットフォームとは駅にある電車を待つ場所を指します。
電車は「事業」であるとお考えください。
「事業」が始まる前まではプラットフォームには誰もいません。
ここで、広域観光事業をしたい人が運転する電車(=事業)がプラットフォームに入ってきます。
すると、この事業に参加する企業や団体・組織、個人の皆さんがプラットフォームに集まってきます。
事業に携わる団体・企業・個人の方々は「事業列車」に乗り、「事業列車」は出発します。つまり、事業が開始されるのです。
そして、「事業列車」が出発した後には、プラットフォームには誰もいなくなります。次の「事業列車」が入ってくるまで、プラットフォームは空のままです。
観光プラットフォームの考え方は、「事業」が中心になります。プラットフォームの上で電車に乗る人、つまり「事業に携わる人々」が嶺北ふるさと創造観光協議会の会員となり、事業が終了した後に会員を外れます。
プラットフォームの利用料は無料です。
つまり、嶺北ふるさと創造観光協議会には会費もなければ負担金も存在しません。
ただし、プラットフォームには駅員さんがひとりくらいはいなければならないでしょう。
その役割を果たしたのが私でした。
国の事業では2本の「事業電車」が走ったことになります。
ひとつは、金沢駅PR事業という名の事業電車。
もうひとつは、モニターツアー事業という名の事業電車。
■嶺北ふるさと創造観光協議会には、なぜ会長がいないのか?
協議会を名乗る以上、会長を置くべきだと当初は考えていました。しかし、途中でとあることに気づいたのです。
「会長を置いて権限が集中した場合、利権を産む構造にならないだろうか?」
嶺北ふるさと創造観光協議会は、事業をやりたい人々が参加する場です。そこで
「嶺北ふるさと創造観光協議会を通さなければ事業に参加させない」
などと言い始めたら、それは利権です。
そのような構造を作るわけにはいかない。それで会長を置くことは止めました。
自由に参加できていつでも自由に退会できる。会費もなければ負担金もない。そのような組織には、ボランティアでやっている事務局だけがあれば良いのです。
ゆくゆくは、福井県観光連盟に事務局をお願いしようとも考えていましたが、もはやその必要もないでしょう。これだけ新聞紙上で嶺北ふるさと創造観光協議会が叩かれたのでは十分に機能できません。嶺北ふるさと創造観光協議会は志半ばにして、その役割を強制終了させられました。
残念です。
(注)
この観光プラットフォームの考え方は、JTBプロモーションが国に対して提出した報告書にも記載されています。
「嶺北ふるさと創造観光協議会の会長を言ってみろ!」
「嶺北ふるさと創造観光協議会の役員名簿を出せ!」
と主張していた一部の議員さんたちは、報告書を読んでおられないようです。
よしんば、報告書を読んでもわからないのであれば、私に聞けばすんだ話です。
「観光プラットフォームってなんじゃ?」
市政報告会では、10分もお話すれば観光プラットフォームの考え方は市民に理解されました。特に難しい話でもないのです。
■嶺北ふるさと創造観光協議会は、事業終了後も存続していたのか?
嶺北ふるさと創造観光協議会は、国の事業を終了した後も存続していました。今年の3月以降にも観光プラットフォームを用いた事業が始まる予定でしたが、残念ながらその事業を開始することはできなくなりそうです。
勝山市議会の不当な議論により、1700万円もかけて作り上げた金沢とのパイプが切られましたので。
■(疑惑3)議長の職権乱用について
議長名刺をばらまいた、議長公用車を乗り回した……これらの行為が「議長の職権乱用である」として問題視されています。
ちなみに、議長公用車を用いる際には、勝山市議会事務局を通して相手方にアポイントメントを取ります。
「あわら市と勝山市との広域観光について、あわら市長のご意見を伺いたいので、〇〇日の〇〇時にお会いできませんでしょうか」
用件を述べてアポを取り、その結果として公用車を用いることができます。
金沢駅PR事業にお土産物を持っていく等の用事のために公用車を用いることはできませんし、あってはならないことです。
「議長名刺をばらまいた」との批判は結構なのですが、「ならば、統一的なルールを示してほしい」というのが私の正直な気持ちです。
「確かに、議長の職にあるものが名刺をばらまくことは不謹慎だ」というご意見も市民の中にはあります。他方で、「議長名刺ばらまいてでも何でも良いから、市民のために仕事のひとつでも取ってこい」というご意見も市民の中にはあります。
どちらの意見が正しいかがわかれるようなモノは、本来倫理条例違反の議論をする対象にすべきではありません。そこには統一的なルールがないからです。
「議長名刺を持って回って良いのは、どこからどの範囲なのか」という統一的なルールすらないのに、ルール違反を問うこと自体がナンセンスなのです。
私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その3-
■私の関わった事業のどこが問題視されているのか
前回は、勝山市議会の議論とも呼べない議論の流れを見ていただきました。
今回は、われわれが行った事業のどこが問題視されているのか。その点を具体的に見ていきましょう。
4月19日以降に開いている私の市政報告会で説明している内容と重複するところが多々ありますが、それはご容赦ください。
■(疑惑1)松村は国からの予算をわたくししているのではないか?
最初にかけられた嫌疑は、「松村は国からの予算をポケットに入れているのではないか」ということでした。
結論から申し上げれば、それはありません。私はそういったことをしたことがありませんし、これからもするつもりがありません。
加えて、この事業はそれを許さない仕組みになっています。
まずは、この事業の流れをご覧いただきましょう。
2年前の2月。国(観光庁)から「官民協働した魅力ある観光地の再建・強化事業」と題して、全国的な公募がかかりました。
北海道から沖縄に至るまで、全国から613件の応募がありコンペが開かれ、最終的に我々の企画を含めて全国で78件が採択されます。私の記憶では、福井県からは県観光連盟やあわら市、越前市を含め5つの企画が手を上げたはずです。県内からの採択は1件のみでした。
(注)
余談ですが「議長名刺を持ってまわって、国から金を引っ張ってきた」と言う議員もいますが、国のコンペを議長名刺出したくらいで勝ち抜けるのであれば、私はあれほど頭を悩ませなかったでしょう。
加えて、「官民協働した……」との名前をとらえて、「お前のやった事業には自治体が入っていないではないか。国は『官民協働した』と言っているのにお前の事業のどこに『官』が入っているのだ」などと、訳のわからないことを主張する人までいます。そもそも国の趣旨と違うのであれば、コンペの段階で落とされて採択されていないでしょう。そして、「官民協同した……」の「官」とは国のことです。国と民間とでやりましょう!という意味ですので、念のため。
加えて、ここは重要な点ですが、この事業は補助事業ではありません。委託事業です。委託事業とは「本来この事業は国が直接やるべきだが、地域の実情を国もすべて把握しているわけではない。したがって、代わりに皆さんが国の代わりにやってください」という意味です。
後々、この委託事業の意味がきわめて重要になってきます。
なぜなら、勝山市は国を怒らせる羽目に陥ったから(詳細は後述します)。
同時に国(観光庁)は、もうひとつの公募を実施しました。採択された事業78地域のすべてを国が直接監督することは事実上不可能です。そこで、各々の地域の監督・資金管理をする団体・組織を公募したのです。
われわれの事業を監督するために公募に手をあげたのは、JTBプロモーションでした。
「以後、事業執行にあたってはJTBプロモーションの指示に従うように」と国からの指示を受け、いよいよ事業がスタートします。
(注)
あたかも、「松村がJTBプロモーションを引っ張ってきた」「JTBプロモーションと松村は癒着している」かのように騒いでいる市議がいますが、JTBプロモーションは、国に対して公募に手を上げて、国が認めた会社です。私が引っ張ってきたわけではありません。
さて、われわれとJTBプロモーションがタッグを組んで事業は遂行されます。この事業のスキームをまとめると下の図のようになります。
われわれは本事業の遂行にあたって、嶺北ふるさと創造観光協議会という任意団体を起ち上げました(この任意団体については後述します)。
私は、この嶺北ふるさと創造観光協議会の事務局長を担当していました。つまり、嶺北ふるさと創造観光協議会はわれわれであったと認識していただければ結構です。
さて、金沢駅PR事業やモニターツアー催行などの事業を行うにあたっては、さまざまな民間企業の方々が参加していただきました。印刷会社、コンサルタント業者、人材派遣会社等々、多くの民間企業の方々がいます。
①国
②嶺北ふるさと創造観光協議会
③JTBプロモーション
④事業に携わった民間企業の方々
これら4者の関わり方を押さえておきましょう。
まず、嶺北ふるさと創造観光協議会は事業そのものの設計図を描きました。企画という形で国に対して提案を行っています。
国はJTBプロモーションに対して
①事業の監督
②資金管理
③事業の最終的な報告書を国に提出する
ことを事業委託しました。
ここで重要なことは、JTBプロモーションと民間企業との関係です。福井の広告代理店、金沢の人材派遣会社、印刷会社等々、この事業に携わった多くの民間企業は、必ずJTBプロモーションと契約することになっていました。いかなる企業、団体、組織であれ、この事業に携わって金銭的支出を受ける者はJTBプロモーションと契約をして、支払いはJTBプロモーションからされること……これが国とJTBプロモーションとの間で結んだ委託事業契約です。
われわれは国に対して企画提案をしました。その中には事業予算書も当然に入っています。したがって、この事業のこの部分にどれくらいの支出がなされていのかは、およそ見当はつきます。ですが、具体的な契約金額等は一切知らされていませんし、われわれが知る必要性もありませんでした。
そして、ここが最も重要な点ですが、資金管理をする組織としてJTBプロモーションは国と委託事業契約を結んでいます。つまり、通帳はJTBプロモーションにあったということです。
われわれ嶺北ふるさと創造観光協議会は、具体的な要望を民間企業に出しました。
「ここのパンフレットの色は、もう少し青色を強めにしてください」
「販売スタッフの接客態度は、もっと柔らかめになりませんか」
といった具合にです。
このようなスキームで事業を行い、最終的な報告書はJTBプロモーションがまとめ国へ提出されました。そして精査された後、国の了解を得ています。
ちなみに、私は全くのボランティアです。
「事務局長をしていたのだから、事務局経費をもらっていたに違いない」
証拠もなしに「違いない!」という思い込みで糾弾されても、こちらも困るのですが、もらっていないものはもらっていないのだから仕方がありません。
(注)
この事務局の認識が、一部の議員先生方には理解できないようです。これは後述いたします。
(注)
「事務局長をしていたのだから、事務局経費をもらっていたに違いない」と騒ぐ議員の中には、「JTBプロモーションに、過去一年分の通帳のコピーを持ってこさせろ」とまで主張する人もいます。
正直、その常識のなさには驚きます。確たる証拠もなしに、民間企業に対して「お前の会社の過去1年分の通帳のコピーを出せ」とは。
国税庁や警察が、確たる証拠もなしにそのような無茶な要求をしますか?
勝山市議会とはそこまで偉い組織なのでしょうか。
もしも、それがまかり通るのであれば、勝山市議会が望むならば、市内の全ての民間企業は「過去一年分の通帳のコピー」を提出しなければならないという事態が発生します。
「そのような要求を民間企業にしたならば、勝山市議会に対して訴訟を起こされても仕方ないですよ」とは正直な感想です。
いずれにせよ、上記の事業スキームの中で嶺北ふるさと創造観光協議会が資金管理をすることはありませんでした。
唯一、この事業スキームの中で、私にお金がまわるとしたならば、
「民間企業者から松村がキックバックをもらう」ことしかありえません。
おそらく、何かあるに違いないと踏んだのでしょう。
「叩けばホコリの出ない議員なんてひとりもいない」
と豪語した議員がいました。要するに
「俺はやってるのだから、お前もやっているのだろう」
という意味なのでしょう。さすがに頭に来たので、
「叩けばいいだろ、叩いてみろよ。自分がやってるから他人もやってるはずだと思うなよ。叩いてもホコリの出ないヤツだっているんだ」
おそらく彼には理解できないのでしょう。
「他人を喜ばせるために仕事をするのだ」と考えている議員がいることを。
自分の給料は市民の血税で成り立っているのだから、議員の地位を利用して企業等からお金をもらうことは許されない」と本気で考えている議員がいることを。
この議論は、最初はこの疑惑から始まりました。
「1700万も国から引っ張ってきて、懐に入れていないはずはない」との迂闊な思い込みによるのでしょう。
ところが、叩いても叩いてもホコリが出てこない。
出てくるはずがありません。
もらっていないんだから。
そして、疑惑は次の段階へと進みました。
余談ですが、「松村はキックバックをもらったに違いない」という思い込みは、勝山市に大きな実損を与えることになります。(詳細は後述)
私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その2-
私が関わった事業の概略は、前回説明したとおりです。
「事業の何が問題視されているのか」について説明する前に、勝山市議会において行われた議論(とも呼べない代物ですが)の異常さについて説明いたしましょう。
ここを理解していただかないと、「事業の何が問題視されているのか」を理解されることが困難になるからです。
■禁断の論法を用いた勝山市議会議員たち
おおよそ、民主主義国家において「許すべからざる議論の方法」とされる論法が存在します。使ってはならないとされる禁断の論法です。
そのひとつに「悪魔の証明」があります。今回の騒動の中で、一部の勝山市議会議員が使った論法がこれでした。
通常、警察が被疑者を逮捕する場合には、次のような論法を用います。
警察は証拠を集めます。集めた証拠に基づいて、被疑者を逮捕します。
そこで、警察がこんなことを言い始めたらどうなるでしょう?
確たる証拠も揃えず、疑いだけで逮捕してしまう。そして、「お前が無実を主張するのならば、自分の無実は自分で証明せよ」と言う。立証責任を相手に負わせてしまう論法です。
これを「悪魔の証明」と言います。
中世において、魔女狩りでこの論法は使われました。
「お前は魔女だろう」
「ちがいます」
「いいや、魔女に違いない」
「魔女ではありません」
「いや、魔女のはずだ。お前が魔女ではないと言うのならば、お前自身で魔女ではないことを証明せよ」
自分が魔女ではないことを証明できる人間などいません。そして「証明できないのならば、お前は魔女だ」と多くの人々が火あぶりにされました。この苦い経験を基にして、悪魔の証明はタブーとされたのです。
今回の一連の騒動の中で、勝山市議会議員の一部議員たちはこの論法を用いました。
実際に、市議会調査委員会は4月17日に立ち上がりました。
この委員会を起ち上げるためには、2つ以上の確たる証拠が必要なはずです。それはそうでしょう。議員を糾弾し、調査委員会まで起ち上げるのですから。
しかし、確たる証拠はひとつもありません。証拠もなしで委員会は起ち上げられました。笑止なことに、証拠はこれから探すそうです。本会議を傍聴に来られた、とある区長さんは
「馬鹿じゃないのか?今から証拠を探すってか?」
「証拠が出てこなかったら、どうするんだ?」
「市民の血税使って、何やってるんだ?」
とボヤいておられたそうです。
翌日の新聞報道で、私のコメントが掲載されていました。
「確たる証拠を提示してほしい」
このコメントはそういった意味なのです。
■恐怖の合わせ技
「悪魔の証明」は立証責任を相手側に追いやるものでした。
そして一部の市議会議員たちは声高に主張しました。
「議員たるもの、疑惑をかけられるだけで失格だ」
確かに、おっしゃる通り。
そこで私が説明しようとします。
すると、恐怖の合わせ技がやってきました。
その名も「全く聞く気がない」
「自分の無実は自分で証明しろ」と立証責任を相手方に渡した後に、私が何を説明しても
「納得いかない」
「理解できない」
これを続けていけば、私は悪者にされてしまいます。なぜなら、彼らが納得しない限り、私は説明責任を果たしたことにならないからです。
①悪魔の証明で、説明責任を私に転嫁する。
②私の説明には、「納得できない」と言い続ける。
③私は説明責任を果たしていないことになる。
④ゆえに、私は断罪される。
こういうロジックです。
3月30日に、私は市議会議員各位をお呼びして説明会を行いました。詳細な説明をするために、事業に携わった民間人2名にも説明補助員としてご参加をお願いいたしました。ひとりは金沢で一緒に事業に携わった会社の社長。もうひとりは、事業立ち上げから深く企画に携わった勝山の人です。
2時間にわたって罵声と怒号が飛び交う密室での会議に参加した彼らは、会議終了後に私に言いました。
「だめだよ、松村さん。説明するだけムダだ。あいつらは、そもそも聞く気がない。何を言っても『納得できない』って言うだけだ」
そして、
「くやしいなあ。なんで、汗かいて一生懸命に観光事業やった議員さんが、汗もかいてない議員どもに、こんなに罵声浴びせられなきゃいけないんだろう」
何も難しい話ではありません。
彼らが黙って私の話を30分聞いてくれれば、それで良かったのです。
実際に、私が行った市政報告会での説明を聞いていただいた市民の皆さんは、
「これのどこに不正があるの?」
と納得していただいています。
話をし始めると声高に話の腰を折る。
「そんなこと聞いてるんじゃねえ!」
「金もらったんやろ?」
との罵声が飛ぶ。これでは議論をするどころか、説明をする機会すら与えてもらえないことと同じです。
ちなみに、お知り合いの議員さんに尋ねてみてください。
「松村のやった事業の内容や効果をご存知ですか?」
「知らない」と答えるでしょう。なぜなら、そのような質問は一度もされたことがないからです。通常ならば、私に事業の全体像の説明をさせるでしょう。事業の目的や趣旨、どのように行われたのか。金の流れはどうだったのか。そして、最も重要な、事業の成果はどこに表れているか。それを聞いたのちに「質問を受けます」と私は質問を受けたことでしょう。
30分で良いから、私に自由に説明できる時間を与えてくれればそれで良かったのです。
そして、その説明をする時間さえ与えてくれたならば、勝山市に実損が出る現在の状態は招かなかったことでしょう。
初めてこの問題が予算委員会で取り上げられたとき、私は一抹のきな臭さを感じました。そこで帰宅した後、すぐに顧問弁護士に相談をしました。
彼は私にこんなアドバイスをくれました。
「とりあえず、これからの全ての議事と休憩中の会話、何でもよいから録音しておけ。法廷での証拠能力云々は問題ではない。お前は政治家だ。録音したデータを市民に公開するなり、マスコミに渡すなり、使い道はあるはずだ。きな臭いと思うのなら、すべての会話を録音しておけ」
そのアドバイスにしたがい、私はすべてのことを録音してあります。
もちろん、3月30日の会議も。
飛び交う怒号と罵声も。
いつか皆様に聞いていただくときが来るかもしれません。
市議会の名誉のために申し上げておきますが、すべての議員がそうであったわけではありません。
一部の議員……5名程度の議員が声高に罵声を浴びせるのであって、その他の議員はダンマリを決め込む状態でした。
もちろん、何とか調整を図ろうとした議員もいました。私を守ろうと必死で頑張ってくれた議員もいました。夜中にこっそり電話をかけてきて、私を激励してくれた議員もいました。
ただ、最後は声の大きな一部の議員にひきずられるようにして、調査委員会は設置されたのです。
私は正直、恐怖を感じています。
疑いだけで議員を縛り首にできる。そんな先例を彼らは作ってしまった。
議員を縛り首にするなどは簡単にできるではありませんか。
「不正の疑いあり」と新聞に書かせれば良いのです。
新聞に書かせるためには、委員会設立の事実があればそれで足ります。
新聞に出てしまえば、多くの市民の皆さんは
「新聞に出るくらいなのだから、松村は何か悪いことをしたのだろう」
と思うことでしょう。市民がそう感じた時こそ、議員を縛り首にした瞬間です。
声の大きな一部の議員が騒ぎ立てれば、どうとでもなる。多数派が揃えば、気に入らない議員をどうにでもできる。
それは、議会制民主主義の死を意味します。
勝山市議会は、そこまで来てしまいました。
私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その1-
■ はじめに
新聞報道でもご存じのとおり、私は不当な嫌疑をかけられ、現在、市議会調査特別委員会に置いて倫理条例違反の存否の調査対象となっております。
おそらく、ほとんど全てといってよい勝山市民の皆さんは何が起きているのか、全く分からないという現状のことと思われます。訳のわからぬ噂ばかりが飛び交う。そのような状態の中で真実を探すことは困難です。
私は、身の潔白と市議会の異常な状態を説明するために、4月19日から市政報告会を開始しました。加えて、ネット上でも広く事態を公開して市民の皆さんに事実を知っていただきたく存じます。
■市民の皆様が疑問に思うこと
多くの市民の皆様が疑問に感じていることを集約すると、次の3点になることでしょう。
①そもそも松村が行った事業とは何か。
②その事業の何が問題視されているのか。
③議会で何が起きているのか。
それでは、その3点について説明いたします。
■松村が行った事業について
本年3月14日に北陸新幹線が金沢駅に開業しました。金沢はいま多くの観光客で賑わっています。
2年前、私は考えました。
「北陸新幹線が金沢駅に到達してからアクションを起こしても遅い。今から、金沢とのパイプを造っておかなければならない。しかも、民間レベルでのパイプを」
行政同士のパイプは行政が作れば良いでしょう。しかし、民間レベルのパイプを造るためには民間企業が「一緒に仕事をする」必要があります。
そこで、私は、国が全国に対し公募をかけたコンペに参加し(詳細は後述)、これを勝ち抜き、予算を獲得しました。
事業は2つから成り立っています。
ひとつは、金沢駅PR事業。もうひとつは、モニターツアーでした。
地域で愛され頑張っているお菓子屋さんやお土産物屋さん、新製品を作ってみたけれど市場の反応がわからないお店等々、地域には頑張っているお店がたくさんあります。
勝山市、永平寺町、坂井市、あわら市の、そういったお店の品を金沢駅へ持っていきたい……そういった想いもありました。これまで、「勝山フェア」のような単独自治体が行う物産店はありましたが、広域で行った事例はありません。
永平寺商工会、坂井商工会、あわら商工会のご協力を得て、各商工会の会員にお集まりいただき事業説明を行い、興味のある企業に個別に相談をし、物産を金沢駅まで運び……7月、8月と二か月間にわたる、われわれのPRがJR金沢駅構内にて始まりました。
私の目的のひとつは、「金沢の人々が福井をどう見ているのか」を知ることでもありました。金沢とのパイプを造るうえで、金沢が福井をどう見ているのか、石川の人々が勝山をどのように捉えているのか。それを実地に知ることは政策形成の上で欠かすことはできません。
何事も現場に出ないとわからないものです。私は毎日のように金沢駅まで手弁当で行き、人々と語り合い、観光のヒントを数多く得ました。
正直言えば、毎日のように金沢まで車を運転していくことでの疲労はありました……が、それ以上に、毎日、新しい知見やヒントを得る楽しみもあったのです。
2か月間にわたるPR事業を、金沢の企業の皆さんと行うことにより、勝山と金沢との民間レベルでのパイプはできました。
本年3月に新幹線開業を記念して金沢で行われた「金沢食べマルシェ」という大きなイベントに勝山の団体を送り込むなど、様々な形で、このパイプをこれからも活用できる………はずでした。過去形で語らねばならないことが残念でなりません。
(詳細は後述)
もうひとつは、モニターツアー。
「九頭竜川を上流から下流までを味わい尽くす」をテーマに、親子参加型のツアーを作成しました。
実は、このツアー。評価が物凄く高く、私と同じように国のコンペを通った企画を集めてのネット投票では全国二位の評価をいただいております。
評価は高く、実際に問い合わせも多かったにもかかわらず……いざ、募集するとお客さんが集まらずに、ツアー実施を断念せざるを得ませんでした。
「なにゆえ?」
後の検証の結果、重要な事実が判明します。このツアーの最大の欠点は「親子参加型」であったことでした。関西・京阪神の保護者は「子供だけで参加できる自然体験型プログラム」を欲していたのであり、われわれは顧客のニーズを見誤ったのです。
おそらく、そこを修正したならば、このツアーは前評判通りの結果になったことでしょう。返す返すも残念です。
国と協議をして、新たなツアーを二本催行しました。
ひとつは、親子参加型の日帰り体験プログラム。これは恐竜をテーマに行ったものでした。もうひとつは、九頭竜川の恵みを味わう日帰り体験プログラム。酒蔵を巡り、鮎の塩焼きや山の幸を味わうというプログラムでした。
これが、国の予算をいただいて行った事業の概要です。