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月下独酌Ⅴ

前勝山市議会議員 松村治門のブログです。 ご意見は、harukado.0501@gmail.com まで。お待ちしております。

「勝山市は、その小ささを武器にして発展する」ことの、経済思想的意味 vol.1

勝山市は、その小ささを武器にして発展する」

まずもって、この度の勝山市議会議員選挙におきましては、2位当選という過分の得票をいただいたことに御礼申し上げます。皆様のご期待にそぐわぬよう、邁進する所存ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて、私は今回の選挙期間で街頭演説を打ってまいりました。7日間の選挙期間中、1日ひとつのテーマをやったので、都合7つのテーマについて街頭で演説を打ちました。
  初日       中心市街地活性化の理念と手法について
  二日目   教育問題について
  三日目   観光に関する諸課題について
  四日目   人口減少問題について
  五日目   あるべき議会の姿と求められる市議会議員像について
  六日目   私の政治信条について
  最終日   勝山市の夢

これらのテーマについて語り続けたわけですが、その根底をなすのは「勝山市は、その小ささを武器にして発展するのだ」という理念です。

……勝山市は人口2万5千人の小さな市だが、その小ささを武器にすることによって、われわれは激動の地方自治体間競争に打ち勝つのだ。
恐竜はその大きさによって滅びたが、恐竜に怯えながら生きていた哺乳類は、その小ささゆえに変化に対応できた。
大きなものが生き延びるのでもなければ、強いものが生き延びるのでもない。変化に対応できた者だけが生き残る。そして、われわれはその小ささを武器にして生き延びようではないか……

という主張ですが、「勝山市は、その小ささを武器にして発展する」という主張には、思想的・戦略的・戦術的に多様な意味が含まれています。


なぜ、思想的な背景までが求められるのか。

よその自治体と同じことをしていたのでは、ダメなことは皆様も重々感じていらっしゃることでしょう。私はよく舞の海を例えに出します。


【技のデパート】 舞の海 好取組集 【 相撲 】 - YouTube


舞の海は、私よりも20cm近く身長が低く体重も私よりも軽かったのですが、その体で250kgを超える小錦に勝つわけです。しかし、舞の海小錦に力勝負を挑みませんでした。なぜなら、相手の得意な土俵で勝負したのでは勝つことがかなわないからです。

舞の海は、その小ささを武器にしてスピード勝負、技の勝負へと持ち込むのですが、動画を見ると、その持ち込み方が惚れ惚れとするくらい「理にかなっている」ことがわかります。

小さいものは、その小ささを活かす。しかしながら、なんでもすれば良い。他の自治体がしないことならば何でも良いというものではありません。「理にかなっている」ことをしない限り、われわれに勝つ機会はありません。

理を求めていくと、そこには必ず思想的背景が見えてきます。

思想的背景が戦略を生み、その戦略が戦術となって具現化する。思想的背景が必要とされる所以です。




シュンペーターの予言「資本主義は自滅する」

ウィーン生まれにしてアメリカ経済学会長まで勤めた、二十世紀を代表する経済学者のひとり、シュンペーターは1936年6月1日に米国農務省で歴史的な講演をします。

Can capitalism surevive?
Ladies and gentleman, the answer is No.
(資本主義は生き延びることができるか。みなさん、答えはノーです)

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シュンペーターは、資本主義の発展を「イノベーション(革新)」に求めました。既存のモノ・サービスが固定化してしまい、凍結されたならば人々の欲望はそこで止まる。しかし、われわれが想像だにしなかったようなモノ・サービスは必ず生みだされ、そこに新しい需要が発生する。そうやって、資本主義は拡大を続けてきたのだ……と。

だが、それゆえに資本主義は生き延びることができないとシュンペーターは主張しました。

イノベーションを担う人々を彼は「企業家(アントレプレナー)」と呼びましたが、この「企業家」の特質は、あえてリスクを引き受けてまったく新しい事業や技術に挑戦するという冒険精神にあります。しかし、この精神は豊かな社会においては衰退するでしょう。なぜなら、豊かな社会において合理的な精神の持ち主であれば、わざわざリスクを背負う必要はないからです。サラリーマンとして安定を求める方が、よほど合理的であることは言うを待ちません。

資本主義を成長させてきたエネルギー自体が、豊かな社会になれば枯渇せざるを得ない。ゆえに、資本主義はその歩みを止める。これがシュンペーターの予言でした。




「豊かな社会」は冒険的精神を枯渇させる…とのシュンペーターの予言は、概括的なものです。われわれには、加えて「地方のパイそのものが縮む」という切実な問題が現前にあります。

経済成長率は、単純に考えるならば、労働人口の増加率と労働生産性によって決まります。地域経済圏をモデル化すれば、人口減少により労働人口が減少傾向にあるわけですから、地域経済圏を成長させるためには労働生産性を上げるよりほかにありません。
そして、その労働生産性に決定的な役割を果たすものこそが技術革新です。
若者たちがサラリーマン化していき、冒険精神が枯渇していくならば、地域経済圏は縮小せざるを得ない。これがわれわれが直面している現実です。




人々の欲望は無限なのか?

1890年代からの4半世紀、当時の大英帝国が低成長期に入っていました。言うなれば、我が国の「失われた10年」と同じような状態になっていたのです。
ここで、盛んに言われたのは「需要の飽和」でした。需要が飽和するとは、とどの詰まり「欲しいものがなくなってしまった」状態です。欲しいものがなければ、人は消費をしない。消費をしなければ、生産者は生産を手控える。したがって、経済成長率は低くなる……という理屈です。
    (この土壌から、ケインズ公共投資政策が出てくることになります)

しかし、実際に需要が飽和するようなことがあるのでしょうか。人々の欲望には限りがあるのでしょうか。

むしろ、人々の欲望は膨らみすぎたように思うのです。
人々が新奇な商品に関心を向けなくなるということはありません。実際に、新機能を備えたスマホやPC、家電、車など、消費対象は続々と商品化されています。むしろ、人々は過剰なまでに新しいものを求めているのではないかとすら思われます。

その結果、二つのことが言えるでしょう。

ひとつめは、マーケットの飽和の速さです。新しいものが出れば人々はそれを求め、すぐにマーケットは飽和してしまいます。人々は、次の新しいもの、さらに次の新しいものと新しいものを見出すことになるでしょう。

その結果として、人々は新奇さそのものに鈍化します。常に新しいものを探す行為は、真の意味での新奇なものへの驚愕・興味を失わせるのです。

そして、人々は退屈し始めます。

我々の周囲を見回してください。実際に、あなたは消費することに退屈していませんか?









 

 

 

 

調査委員会の杜撰な調査について

議長公用車の不正使用疑惑

勝山市議会内に設置された政治倫理調査特別委員会は、私に関する調査を実施していますが、本日付の新聞報道でも明らかなように、昨日の勝山市議会本会議において「議長公用車の不適切な使用があった」との報告がされました。

 

 

はてさて、これは公用ではないのか?

問題視されているのは、2年前の6月5日の公用車使用です。この日は確かに金沢まで公用車を使用しました。目的は、白山市の観光プロデューサーと面談するためです。

なぜ白山市の観光プロデューサーと金沢市で面談するのか?

答えは簡単で、白山市の観光プロデューサーは民間人だからです。北陸を代表する広告代理店の社員である彼は、金沢市白山市を行き来する多忙な人です。面談の日時を設定する上で「この日のこの時間ならば金沢でお会いできます」とのお答えをいただいたので、金沢まで出向きました。


なぜ白山市の観光プロデューサーと面談するのか?

当時、勝山市も観光プロデューサーを雇用して観光地づくりを目指していましたが、なかなかうまく行かない状態でした。民間人を受け入れたのは良いが、色々なところで軋轢を生んでいた現状を、私は深く憂いていました。かたや、身ひとつで白山市に乗り込み、白山市観光ビジョンまで作り上げ、見事に白山市を観光地へと導いた白山市観光プロデューサー。彼の手腕と経過を本人から伺いたかったという点がひとつ。そして、勝山市白山市はつながっている近隣自治体です。これから勝山市白山市の観光連携を模索する方法はないものか。その見解を伺いたかったというのがひとつ。

都合2点が白山市観光プロデューサーと面談する目的でした。



これは公用なのでしょうか。私用なのでしょうか。


 
ついでにもうひとつ申し上げておきましょう。
議長公用車というものは、議長が「あ、おれ今日金沢行きたいから公用車出して!」と言えば使えるようなものではありません。

議会事務局に対して、
白山市の観光プロデューサーと、勝山市白山市の広域観光について話をしたいのでアポを取って」
「アポ取れました」
「それなら、公用車出して」
「わかりました」
といったような流れを踏んで初めて出せるものです。

 

 

これにどのように答えろと?

さて、ある日のこと勝山市議会からひとつの文書が届きました。

 倫理調査特別委員会の質問状です。

本当ならば、このようなものを公開するのはいかがなものかとも思いますが、調査委員会の委員さんの中には、調査中の秘密を勝手に暴露して市政報告に載せてしまう方もいらっしゃるのですから、よろしいのでしょう。

文書を読む前に、ひとつ予備知識を。
当然ですが議長公用車には「公用車使用記録」というものが残されています。
おそらく、この質問状はそれを踏まえてのものなのでしょう。

 

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2年前の6月4日に何していたか?……と言われても、正直記憶にありません。
私は手帳を使用せずにGoogleカレンダーをもっぱら用いているのですが、残念なことにGoogleカレンダーの2年前の記録がすっぽりと消えているのです(あれはなぜなのでしょう)。

とりあえず、6月5日の白山市観光プロデューサーと面談したことだけは覚えていますから、「面談し、協議に参加している」とだけ答えておきました。


その結果が………議長公用車の不正使用という本会議での報告になるわけです(笑)。


何の目的で、白山市の観光プロデューサーと面談したのか。その内容はどうだったのか。その成果はどのように活かされているのか。そんなことはお構いなしです。
「会ったのか、会わなかったのか」
「会ったのならば、議長公用車の不正使用だ」
そんな暴論はありません。

 公用であるか否かは、その内容によって判断されるべきです。


 

杜撰な調査

  あの事業に加わっていただいた金沢の事業主さんの中には、いきなりFaxを送り付けられて「〇〇日までに回答せよ」と迫られ、なんと失礼な話だと憤慨された方もいます。なぜ質問状を送るのか、その理由も明らかにせずにいきなり「回答せよ」と言われたのでは、そりゃ、怒ります。

 
 市議会内の政治倫理調査特別委員会が調査をするのは構いません。ただ、私が被告であるとするならば、彼らは原告であると同時に警察であり検察であり裁判官であるという強大な権限を持っています。
 どんな調査をするのも自由。調査結果をどのように解釈するのも彼らの自由。それをどのような報告書にまとめるのかも彼らの自由。そのような権限を持っているのならば、謙抑的にならざるを得ないのですが、どうもそうではないようです。

 願わくば、勝山市の民間事業者と金沢のパイプを切らないでいただきたい。杜撰な調査が災いして、既に「勝山の業者とのお付き合いはやめさせて欲しい」という企業が数社出てきています。新幹線開業を2年後に控えて、勝山と金沢のパイプを今のうちからつないでおかないと……との想いで始めた事業を、汗もかいていない連中にズタズタにされるのは業腹です。

 

私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その5-


さて、最後に今回の騒動で勝山市が受けるであろう実損についてまとめてみましょう。


この事業で作り上げた金沢とのパイプが切られてしまった

国の委託事業をする際の目的のひとつは、
「金沢新幹線開業を控えて、民間レベルでのパイプを作りあげること」
でした。これは説明いたしたとおりです。


もう一度、国の委託事業のスキームをご覧ください。

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既に説明した通り、このスキームの中で私が金をポケットに入れるためには、業者からキックバックをもらうより他にありません。
(もちろん、私はそのようなことをしてはおりません)


3月30日の説明会のときに、民間事業者の方にも説明補助員として参加をいただきました。その中には、あの事業を一緒にやった金沢の企業の社長もいました。
よりにもよって、その金沢の社長の前で「松村、お前はいくら抜いた!」とやり始めたのです。

彼は、この事業スキームを知り抜いている人です。そして、彼は
「要するに、私の目の前にいる議員さんたちは、私を疑っているのだな」
と理解しました。松村と金沢との企業との癒着を疑っているのですから、彼の不信感は当然のことでしょう。

キックバックとはそもそも何でしょう。
「仕事をやるから、見返りをよこせ」
という行為です。
逆です。まるっきりの逆だったのです。私たちは金沢の民間事業者に懇願しました。「どうか勝山とのお付き合いをして欲しい」
「どうかJTBプロモーションが行う入札に参加してほしい」
金沢の企業家たちにしてみれば、別に勝山とおつきあいをする必要性などありません。そういった大きな企業ばかりでした。

何しろ、天下のJR駅で事業をしようというのです。JRと深いお付き合いをしている企業家をつかまえない限り、私たちに事業をすることはかないませんでした。
そうやって仕事を一緒にしてパイプをひとつひとつ作っていったのです。

ビジネスとは詰まるところ、人と人との関係です。
そうやってつくりあげたネットワークを活用して、本年3月には「金沢食べマルシェ」という大きなイベントに勝山の団体を送り込むこともできました。

「このネットワークを活用して、更に事業化できないか」
「勝山の産品や、左義長まつりの金沢PRなど、様々なことに活用できるぞ」
われわれはそれを期待し、事実、事業化に向けて動いていたところでした。

そのパイプは今回の騒動で切られてしまいました。
「まさか、勝山市議会に呼ばれてあんな屈辱を味わうとは思わなかった」
と吐き捨てるように言った金沢の企業の社長に対して、私は返す言葉がありませんでした。




国と勝山市との関係を危うくしていませんか?

「自分もしていることは、他人もしているはずだ」と思ったのでしょうか、「1700万円も委託事業費をもらったからには、少しくらいは抜いているはずだ」とでも思ったのでしょうか。私に対する嫌疑はかけられました。

ところが、叩いても叩いてもホコリが出てこない。

私をどうしても貶めたい人々は、国にまでアタックをかけはじめています。
先だって、国からこのような言葉をいただきました。

「いったい勝山市さんは何を考えているのですか」
「市の〇〇部長という人からも問い合わせがありました」
  (※〇〇は、もちろん実名です)
「国としては、とても迷惑です」
勝山市に対して強い不信感を抱かざるをえません」

国が国策として行った全国公募の委託事業、2年前に完了した事業に対して、一部市議会議員をはじめとする連中は文句をつけているようなものです。そりゃ、国も強い不信感を抱くことでしょう。

一体全体、彼らは何がしたいのだろう。
地方創生、地方創生と言いながら、何とかして国から予算を引っ張ろうと他自治体は血眼になっているというのに。
ここで国を怒らせて、勝山に何のメリットがあるのでしょうか。






市民の血税を使ってやることか?

私の調査委員会設置を決議した17日の本会議では、補正予算も可決されています。
何の予算ですか?……もちろん、私を調査するための予算です。

確たる証拠もなしに作られた委員会は、皆さんの血税を使って運営されています。調査に係る旅費や様々な支出は、すべて皆さんの血税です。
これで何も出なかったらどうなるのでしょう。
「調査は終了しました。特に問題ありませんでした」
で済ませるのでしょうか。実に気になるところです。

「住民監査請求をすべきだ」
「ていうか、もうこんな議会いらなくねえか?議会解散って、できねえのか?」
とお怒りの声が私のところに届いていますが、それは私ではなく別な議員さんに届けてください。




結びに当たり

3月30日の会議に参加した勝山市民の方の漏らした言葉が、私の気持ちの全てを代弁しています。
「くやしいなあ。汗をかいて一生懸命に頑張った議員が、汗もかかずに仕事もしない議員どもになぜここまで罵声を浴びせられるんだろう。本当にくやしい。」


新聞に出て以来、色々な人々から励ましのお言葉をいただきました。

ひとりで市議会相手に闘うような状態ですが、それでも理解してくれる人は理解していただけるはずです。

これから、私は身の潔白を明らかにするため、様々な機会を通じて発信していきます。色々な地区でのミニ集会も行う予定です。

これからも頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします。

 

私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その4-

前回に引き続き、問題視されている事柄を説明いたします。

(疑惑2)嶺北ふるさと創造観光協議会は架空の幽霊団体ではないのか?

結論から申し上げるならば、
 ①嶺北ふるさと創造観光協議会は、架空の団体ではありません。
 ②ただし、現在は事務局長しかいない任意団体です。
 ③なぜなら、必要性がないからです。

これを理解していただくためには、現在の広域観光の問題点について押さえておかなければなりません。ここを押さえない限り、われわれがなぜこんな組織を作ったのかは理解困難です。


現在の広域観光の問題点

これまで行政同士の広域観光協議会は様々に作られてきました。例えば、勝山市と大野氏は広域行政事務組合という形で、広域観光を進めています。

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この枠組みには、2つの問題点があります。

ひとつは、毎年負担金・会費が発生する点。要するに、協議会なり事務組合なりを作ってしまったからには、予算をつけないといけなくなるのです。いかにもお役所的な発想です。
そして、予算をつけたからには、それを消化しなければならない。これもお役所的発想です。毎年、毎年、観光パンフレットが印刷されているのは、この予算消化のためでもあります。

もうひとつは、自由度がなくなる点です。
勝山市大野市が事務組合を作って運営しています。ならば、勝山市永平寺町とで組みたい場合はどうすれば良いのでしょうか?

新しい事務組合なり観光協議会なりを起ち上げなければなりません。そして、また負担金を支払って、予算消化の事業を延々と行う羽目に陥ります。

ならば、いっそのこと県内一円の自治体が全部入る観光事務組合なり、広域観光協議会なりを作り、その中で「今回は勝山市小浜市で共同で事業を行おうか」「今回は、福井市鯖江市と坂井市事業を行おうか」という仕組みはできるのでしょうか?……無理です。なぜなら、負担金を支払っている関係上、勝山市の負担金を使って、福井市鯖江市と坂井市事業を行うことはできません。

行政にはないスピード感あふれる観光協議会は、できないものか。
自治体の枠を超えた観光協議会は、できないものか。
民間事業者や観光協会や商工会や、いや、いっそのこと観光に興味のある個人でも良い。そういった人々が自由に出入りできる観光協議会はできないものか。

そういった想いを持ち続けていた私が辿り着いたのが、嶺北ふるさと創造観光協議会の形でした。



観光プラットフォームという概念

嶺北ふるさと創造観光協議会という任意団体は、従来の発想と真逆の方向性で作られました。
 ①会費・負担金はなし。
 ②観光プラットフォームとしての役割を果たす。

ここで重要なものは観光プラットフォームという考え方です。

従来の発想は、
 ①組織をしっかりと作る。
 ②会費を集めて予算化する。
 ③予算にあわせて事業をする。
というものでした。

観光プラットフォームは、この発想を逆転します。
 ①目的の下に事業を計画する。
 ②事業に参加する人々と、事業を組み立てる。
 ③組織を使う

この「組織を使う」というところがミソです。要するに嶺北ふるさと創造観光協議会とは、事業の受け皿としてのみ存在するのです。

建設業等の方々ならばおわかりでしょうが、JV(企業共同体)というものが存在します。ひとつの麹を施工する際に複数の企業が共同で工事を受注し、施工するための組織体です。勝山市の総合体育館は5社によるJVで工事がなされています。そして、このJVには代表となる企業が存在します。

そういったJVを組むという仕組みが広域観光ではありません。例えば、福井市観光協会永平寺観光物産協会、あわら商工会、そして多くの民間企業がひとつの事業をしようと企画した場合、JV(企業共同体)のような仕組みがないのです。

事業の受け皿となる組織体が欲しい。
この組織体が嶺北ふるさと創造観光協議会でした。



嶺北ふるさと創造観光協議会が、なぜ観光プラットフォームと呼ばれるのか。

元々、プラットフォームとは駅にある電車を待つ場所を指します。

電車は「事業」であるとお考えください。
事業」が始まる前まではプラットフォームには誰もいません。

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ここで、広域観光事業をしたい人が運転する電車(=事業)がプラットフォームに入ってきます。


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すると、この事業に参加する企業や団体・組織、個人の皆さんがプラットフォームに集まってきます。

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事業に携わる団体・企業・個人の方々は「事業列車」に乗り、「事業列車」は出発します。つまり、事業が開始されるのです。


そして、「事業列車」が出発した後には、プラットフォームには誰もいなくなります。次の「事業列車」が入ってくるまで、プラットフォームは空のままです。

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観光プラットフォームの考え方は、「事業」が中心になります。プラットフォームの上で電車に乗る人、つまり「事業に携わる人々」が嶺北ふるさと創造観光協議会の会員となり、事業が終了した後に会員を外れます。

プラットフォームの利用料は無料です。
つまり、嶺北ふるさと創造観光協議会には会費もなければ負担金も存在しません。
ただし、プラットフォームには駅員さんがひとりくらいはいなければならないでしょう。
その役割を果たしたのが私でした。

国の事業では2本の「事業電車」が走ったことになります。
ひとつは、金沢駅PR事業という名の事業電車。
もうひとつは、モニターツアー事業という名の事業電車。

嶺北ふるさと創造観光協議会には、なぜ会長がいないのか?

協議会を名乗る以上、会長を置くべきだと当初は考えていました。しかし、途中でとあることに気づいたのです。
「会長を置いて権限が集中した場合、利権を産む構造にならないだろうか?」

嶺北ふるさと創造観光協議会は、事業をやりたい人々が参加する場です。そこで
嶺北ふるさと創造観光協議会を通さなければ事業に参加させない」
などと言い始めたら、それは利権です。
そのような構造を作るわけにはいかない。それで会長を置くことは止めました。

自由に参加できていつでも自由に退会できる。会費もなければ負担金もない。そのような組織には、ボランティアでやっている事務局だけがあれば良いのです。

ゆくゆくは、福井県観光連盟に事務局をお願いしようとも考えていましたが、もはやその必要もないでしょう。これだけ新聞紙上で嶺北ふるさと創造観光協議会が叩かれたのでは十分に機能できません。嶺北ふるさと創造観光協議会は志半ばにして、その役割を強制終了させられました。
残念です。

(注)
この観光プラットフォームの考え方は、JTBプロモーションが国に対して提出した報告書にも記載されています。

嶺北ふるさと創造観光協議会の会長を言ってみろ!」
嶺北ふるさと創造観光協議会の役員名簿を出せ!」
と主張していた一部の議員さんたちは、報告書を読んでおられないようです。

よしんば、報告書を読んでもわからないのであれば、私に聞けばすんだ話です。
「観光プラットフォームってなんじゃ?」
市政報告会では、10分もお話すれば観光プラットフォームの考え方は市民に理解されました。特に難しい話でもないのです。







嶺北ふるさと創造観光協議会は、事業終了後も存続していたのか?

嶺北ふるさと創造観光協議会は、国の事業を終了した後も存続していました。今年の3月以降にも観光プラットフォームを用いた事業が始まる予定でしたが、残念ながらその事業を開始することはできなくなりそうです。

勝山市議会の不当な議論により、1700万円もかけて作り上げた金沢とのパイプが切られましたので。







(疑惑3)議長の職権乱用について

議長名刺をばらまいた、議長公用車を乗り回した……これらの行為が「議長の職権乱用である」として問題視されています。

ちなみに、議長公用車を用いる際には、勝山市議会事務局を通して相手方にアポイントメントを取ります。
あわら市勝山市との広域観光について、あわら市長のご意見を伺いたいので、〇〇日の〇〇時にお会いできませんでしょうか」
用件を述べてアポを取り、その結果として公用車を用いることができます。

金沢駅PR事業にお土産物を持っていく等の用事のために公用車を用いることはできませんし、あってはならないことです。


「議長名刺をばらまいた」との批判は結構なのですが、「ならば、統一的なルールを示してほしい」というのが私の正直な気持ちです。

「確かに、議長の職にあるものが名刺をばらまくことは不謹慎だ」というご意見も市民の中にはあります。他方で、「議長名刺ばらまいてでも何でも良いから、市民のために仕事のひとつでも取ってこい」というご意見も市民の中にはあります。

どちらの意見が正しいかがわかれるようなモノは、本来倫理条例違反の議論をする対象にすべきではありません。そこには統一的なルールがないからです。

「議長名刺を持って回って良いのは、どこからどの範囲なのか」という統一的なルールすらないのに、ルール違反を問うこと自体がナンセンスなのです。




 

私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その3-

私の関わった事業のどこが問題視されているのか

前回は、勝山市議会の議論とも呼べない議論の流れを見ていただきました。

今回は、われわれが行った事業のどこが問題視されているのか。その点を具体的に見ていきましょう。

4月19日以降に開いている私の市政報告会で説明している内容と重複するところが多々ありますが、それはご容赦ください。




(疑惑1)松村は国からの予算をわたくししているのではないか?

最初にかけられた嫌疑は、「松村は国からの予算をポケットに入れているのではないか」ということでした。

結論から申し上げれば、それはありません。私はそういったことをしたことがありませんし、これからもするつもりがありません。

加えて、この事業はそれを許さない仕組みになっています。




まずは、この事業の流れをご覧いただきましょう。

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2年前の2月。国(観光庁)から「官民協働した魅力ある観光地の再建・強化事業」と題して、全国的な公募がかかりました。

北海道から沖縄に至るまで、全国から613件の応募がありコンペが開かれ、最終的に我々の企画を含めて全国で78件が採択されます。私の記憶では、福井県からは県観光連盟やあわら市越前市を含め5つの企画が手を上げたはずです。県内からの採択は1件のみでした。

(注)
余談ですが「議長名刺を持ってまわって、国から金を引っ張ってきた」と言う議員もいますが、国のコンペを議長名刺出したくらいで勝ち抜けるのであれば、私はあれほど頭を悩ませなかったでしょう。


加えて、「官民協働した……」との名前をとらえて、「お前のやった事業には自治体が入っていないではないか。国は『官民協働した』と言っているのにお前の事業のどこに『官』が入っているのだ」などと、訳のわからないことを主張する人までいます。そもそも国の趣旨と違うのであれば、コンペの段階で落とされて採択されていないでしょう。そして、「官民協同した……」の「官」とは国のことです。国と民間とでやりましょう!という意味ですので、念のため。


加えて、ここは重要な点ですが、この事業補助事業ではありません。委託事業です。委託事業とは「本来この事業は国が直接やるべきだが、地域の実情を国もすべて把握しているわけではない。したがって、代わりに皆さんが国の代わりにやってください」という意味です。

後々、この委託事業の意味がきわめて重要になってきます。
なぜなら、勝山市は国を怒らせる羽目に陥ったから(詳細は後述します)。






同時に国(観光庁)は、もうひとつの公募を実施しました。採択された事業78地域のすべてを国が直接監督することは事実上不可能です。そこで、各々の地域の監督・資金管理をする団体・組織を公募したのです。

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われわれの事業を監督するために公募に手をあげたのは、JTBプロモーションでした。
「以後、事業執行にあたってはJTBプロモーションの指示に従うように」と国からの指示を受け、いよいよ事業がスタートします。

(注)
あたかも、「松村がJTBプロモーションを引っ張ってきた」「JTBプロモーションと松村は癒着している」かのように騒いでいる市議がいますが、JTBプロモーションは、国に対して公募に手を上げて、国が認めた会社です。私が引っ張ってきたわけではありません。



さて、われわれとJTBプロモーションがタッグを組んで事業は遂行されます。この事業のスキームをまとめると下の図のようになります。

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われわれは本事業の遂行にあたって、嶺北ふるさと創造観光協議会という任意団体を起ち上げました(この任意団体については後述します)。

私は、この嶺北ふるさと創造観光協議会の事務局長を担当していました。つまり、嶺北ふるさと創造観光協議会はわれわれであったと認識していただければ結構です。

さて、金沢駅PR事業やモニターツアー催行などの事業を行うにあたっては、さまざまな民間企業の方々が参加していただきました。印刷会社、コンサルタント業者、人材派遣会社等々、多くの民間企業の方々がいます。

 ①国
 ②嶺北ふるさと創造観光協議会
 ③JTBプロモーション
 ④事業に携わった民間企業の方々
これら4者の関わり方を押さえておきましょう。

まず、嶺北ふるさと創造観光協議会は事業そのものの設計図を描きました。企画という形で国に対して提案を行っています。

国はJTBプロモーションに対して
 事業の監督
 ②資金管理
 ③事業の最終的な報告書を国に提出する
ことを事業委託しました。

ここで重要なことは、JTBプロモーションと民間企業との関係です。福井の広告代理店、金沢の人材派遣会社、印刷会社等々、この事業に携わった多くの民間企業は、必ずJTBプロモーションと契約することになっていました。いかなる企業、団体、組織であれ、この事業に携わって金銭的支出を受ける者はJTBプロモーションと契約をして、支払いはJTBプロモーションからされること……これが国とJTBプロモーションとの間で結んだ委託事業契約です。
われわれは国に対して企画提案をしました。その中には事業予算書も当然に入っています。したがって、この事業のこの部分にどれくらいの支出がなされていのかは、およそ見当はつきます。ですが、具体的な契約金額等は一切知らされていませんし、われわれが知る必要性もありませんでした。

そして、ここが最も重要な点ですが、資金管理をする組織としてJTBプロモーションは国と委託事業契約を結んでいます。つまり、通帳はJTBプロモーションにあったということです。


われわれ嶺北ふるさと創造観光協議会は、具体的な要望を民間企業に出しました。
「ここのパンフレットの色は、もう少し青色を強めにしてください」
「販売スタッフの接客態度は、もっと柔らかめになりませんか」
といった具合にです。

このようなスキームで事業を行い、最終的な報告書はJTBプロモーションがまとめ国へ提出されました。そして精査された後、国の了解を得ています。

ちなみに、私は全くのボランティアです。
「事務局長をしていたのだから、事務局経費をもらっていたに違いない」
証拠もなしに「違いない!」という思い込みで糾弾されても、こちらも困るのですが、もらっていないものはもらっていないのだから仕方がありません。


(注)
この事務局の認識が、一部の議員先生方には理解できないようです。これは後述いたします。


(注)
「事務局長をしていたのだから、事務局経費をもらっていたに違いない」と騒ぐ議員の中には、「JTBプロモーションに、過去一年分の通帳のコピーを持ってこさせろ」とまで主張する人もいます。
正直、その常識のなさには驚きます。確たる証拠もなしに、民間企業に対して「お前の会社の過去1年分の通帳のコピーを出せ」とは。

国税庁や警察が、確たる証拠もなしにそのような無茶な要求をしますか?
勝山市議会とはそこまで偉い組織なのでしょうか。
もしも、それがまかり通るのであれば、勝山市議会が望むならば、市内の全ての民間企業は「過去一年分の通帳のコピー」を提出しなければならないという事態が発生します。

「そのような要求を民間企業にしたならば、勝山市議会に対して訴訟を起こされても仕方ないですよ」とは正直な感想です。


いずれにせよ、上記の事業スキームの中で嶺北ふるさと創造観光協議会が資金管理をすることはありませんでした。

唯一、この事業スキームの中で、私にお金がまわるとしたならば、
「民間企業者から松村がキックバックをもらう」ことしかありえません。


おそらく、何かあるに違いないと踏んだのでしょう。
「叩けばホコリの出ない議員なんてひとりもいない」
と豪語した議員がいました。要するに
「俺はやってるのだから、お前もやっているのだろう」
という意味なのでしょう。さすがに頭に来たので、
「叩けばいいだろ、叩いてみろよ。自分がやってるから他人もやってるはずだと思うなよ。叩いてもホコリの出ないヤツだっているんだ」

おそらく彼には理解できないのでしょう。
「他人を喜ばせるために仕事をするのだ」と考えている議員がいることを。
自分の給料は市民の血税で成り立っているのだから、議員の地位を利用して企業等からお金をもらうことは許されない」と本気で考えている議員がいることを。

この議論は、最初はこの疑惑から始まりました。
「1700万も国から引っ張ってきて、懐に入れていないはずはない」との迂闊な思い込みによるのでしょう。
ところが、叩いても叩いてもホコリが出てこない。

出てくるはずがありません。
もらっていないんだから。

そして、疑惑は次の段階へと進みました。



余談ですが、「松村はキックバックをもらったに違いない」という思い込みは、勝山市に大きな実損を与えることになります。(詳細は後述)


私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その2-

私が関わった事業の概略は、前回説明したとおりです。

事業の何が問題視されているのか」について説明する前に、勝山市議会において行われた議論(とも呼べない代物ですが)の異常さについて説明いたしましょう。

ここを理解していただかないと、「事業の何が問題視されているのか」を理解されることが困難になるからです。


禁断の論法を用いた勝山市議会議員たち

おおよそ、民主主義国家において「許すべからざる議論の方法」とされる論法が存在します。使ってはならないとされる禁断の論法です。

そのひとつに「悪魔の証明」があります。今回の騒動の中で、一部の勝山市議会議員が使った論法がこれでした。


通常、警察が被疑者を逮捕する場合には、次のような論法を用います。

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警察は証拠を集めます。集めた証拠に基づいて、被疑者を逮捕します。

そこで、警察がこんなことを言い始めたらどうなるでしょう?

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確たる証拠も揃えず、疑いだけで逮捕してしまう。そして、「お前が無実を主張するのならば、自分の無実は自分で証明せよ」と言う。立証責任を相手に負わせてしまう論法です。

これを「悪魔の証明」と言います。


中世において、魔女狩りでこの論法は使われました。

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「お前は魔女だろう」
「ちがいます」
「いいや、魔女に違いない」
「魔女ではありません」
「いや、魔女のはずだ。お前が魔女ではないと言うのならば、お前自身で魔女ではないことを証明せよ」

 

自分が魔女ではないことを証明できる人間などいません。そして「証明できないのならば、お前は魔女だ」と多くの人々が火あぶりにされました。この苦い経験を基にして、悪魔の証明はタブーとされたのです。


今回の一連の騒動の中で、勝山市議会議員の一部議員たちはこの論法を用いました。

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実際に、市議会調査委員会は4月17日に立ち上がりました。
この委員会を起ち上げるためには、2つ以上の確たる証拠が必要なはずです。それはそうでしょう。議員を糾弾し、調査委員会まで起ち上げるのですから。


しかし、確たる証拠はひとつもありません。証拠もなしで委員会は起ち上げられました。笑止なことに、証拠はこれから探すそうです。本会議を傍聴に来られた、とある区長さんは
「馬鹿じゃないのか?今から証拠を探すってか?」
「証拠が出てこなかったら、どうするんだ?」
「市民の血税使って、何やってるんだ?」

とボヤいておられたそうです。


翌日の新聞報道で、私のコメントが掲載されていました。
「確たる証拠を提示してほしい」
このコメントはそういった意味なのです。


恐怖の合わせ技

悪魔の証明」は立証責任を相手側に追いやるものでした。

そして一部の市議会議員たちは声高に主張しました。
「議員たるもの、疑惑をかけられるだけで失格だ」


確かに、おっしゃる通り。
そこで私が説明しようとします。
すると、恐怖の合わせ技がやってきました。
その名も「全く聞く気がない」



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「自分の無実は自分で証明しろ」と立証責任を相手方に渡した後に、私が何を説明しても
「納得いかない」
「理解できない」
これを続けていけば、私は悪者にされてしまいます。なぜなら、彼らが納得しない限り、私は説明責任を果たしたことにならないからです。

悪魔の証明で、説明責任を私に転嫁する。
②私の説明には、「納得できない」と言い続ける。
③私は説明責任を果たしていないことになる。
④ゆえに、私は断罪される。 

こういうロジックです。



3月30日に、私は市議会議員各位をお呼びして説明会を行いました。詳細な説明をするために、事業に携わった民間人2名にも説明補助員としてご参加をお願いいたしました。ひとりは金沢で一緒に事業に携わった会社の社長。もうひとりは、事業立ち上げから深く企画に携わった勝山の人です。

2時間にわたって罵声と怒号が飛び交う密室での会議に参加した彼らは、会議終了後に私に言いました。
「だめだよ、松村さん。説明するだけムダだ。あいつらは、そもそも聞く気がない。何を言っても『納得できない』って言うだけだ」

そして、
「くやしいなあ。なんで、汗かいて一生懸命に観光事業やった議員さんが、汗もかいてない議員どもに、こんなに罵声浴びせられなきゃいけないんだろう」

何も難しい話ではありません。
彼らが黙って私の話を30分聞いてくれれば、それで良かったのです。
実際に、私が行った市政報告会での説明を聞いていただいた市民の皆さんは、
「これのどこに不正があるの?」
と納得していただいています。

話をし始めると声高に話の腰を折る。
「そんなこと聞いてるんじゃねえ!」
「金もらったんやろ?」

との罵声が飛ぶ。これでは議論をするどころか、説明をする機会すら与えてもらえないことと同じです。


ちなみに、お知り合いの議員さんに尋ねてみてください。
「松村のやった事業の内容や効果をご存知ですか?」

「知らない」と答えるでしょう。なぜなら、そのような質問は一度もされたことがないからです。通常ならば、私に事業の全体像の説明をさせるでしょう。事業の目的や趣旨、どのように行われたのか。金の流れはどうだったのか。そして、最も重要な、事業の成果はどこに表れているか。それを聞いたのちに「質問を受けます」と私は質問を受けたことでしょう。

30分で良いから、私に自由に説明できる時間を与えてくれればそれで良かったのです。

そして、その説明をする時間さえ与えてくれたならば、勝山市に実損が出る現在の状態は招かなかったことでしょう。



初めてこの問題が予算委員会で取り上げられたとき、私は一抹のきな臭さを感じました。そこで帰宅した後、すぐに顧問弁護士に相談をしました。

彼は私にこんなアドバイスをくれました。
「とりあえず、これからの全ての議事と休憩中の会話、何でもよいから録音しておけ。法廷での証拠能力云々は問題ではない。お前は政治家だ。録音したデータを市民に公開するなり、マスコミに渡すなり、使い道はあるはずだ。きな臭いと思うのなら、すべての会話を録音しておけ」

そのアドバイスにしたがい、私はすべてのことを録音してあります。
もちろん、3月30日の会議も。
飛び交う怒号と罵声も。
いつか皆様に聞いていただくときが来るかもしれません。



市議会の名誉のために申し上げておきますが、すべての議員がそうであったわけではありません。
一部の議員……5名程度の議員が声高に罵声を浴びせるのであって、その他の議員はダンマリを決め込む状態でした。
もちろん、何とか調整を図ろうとした議員もいました。私を守ろうと必死で頑張ってくれた議員もいました。夜中にこっそり電話をかけてきて、私を激励してくれた議員もいました。

ただ、最後は声の大きな一部の議員にひきずられるようにして、調査委員会は設置されたのです。





私は正直、恐怖を感じています。

疑いだけで議員を縛り首にできる。そんな先例を彼らは作ってしまった。

議員を縛り首にするなどは簡単にできるではありませんか。
「不正の疑いあり」と新聞に書かせれば良いのです。
新聞に書かせるためには、委員会設立の事実があればそれで足ります。
新聞に出てしまえば、多くの市民の皆さんは
「新聞に出るくらいなのだから、松村は何か悪いことをしたのだろう」
と思うことでしょう。市民がそう感じた時こそ、議員を縛り首にした瞬間です。

声の大きな一部の議員が騒ぎ立てれば、どうとでもなる。多数派が揃えば、気に入らない議員をどうにでもできる。
それは、議会制民主主義の死を意味します。


勝山市議会は、そこまで来てしまいました。


私にかけられた不当な嫌疑と、勝山市議会における異常事態について -その1-

はじめに

新聞報道でもご存じのとおり、私は不当な嫌疑をかけられ、現在、市議会調査特別委員会に置いて倫理条例違反の存否の調査対象となっております。

おそらく、ほとんど全てといってよい勝山市民の皆さんは何が起きているのか、全く分からないという現状のことと思われます。訳のわからぬ噂ばかりが飛び交う。そのような状態の中で真実を探すことは困難です。

私は、身の潔白と市議会の異常な状態を説明するために、4月19日から市政報告会を開始しました。加えて、ネット上でも広く事態を公開して市民の皆さんに事実を知っていただきたく存じます。


市民の皆様が疑問に思うこと

多くの市民の皆様が疑問に感じていることを集約すると、次の3点になることでしょう。

①そもそも松村が行った事業とは何か。
②その事業の何が問題視されているのか。
③議会で何が起きているのか。

それでは、その3点について説明いたします。




松村が行った事業について

本年3月14日に北陸新幹線金沢駅に開業しました。金沢はいま多くの観光客で賑わっています。
2年前、私は考えました。
北陸新幹線金沢駅に到達してからアクションを起こしても遅い。今から、金沢とのパイプを造っておかなければならない。しかも、民間レベルでのパイプを」

行政同士のパイプは行政が作れば良いでしょう。しかし、民間レベルのパイプを造るためには民間企業が「一緒に仕事をする」必要があります。

そこで、私は、国が全国に対し公募をかけたコンペに参加し(詳細は後述)、これを勝ち抜き、予算を獲得しました。


事業は2つから成り立っています。
ひとつは、金沢駅PR事業。もうひとつは、モニターツアーでした。


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地域で愛され頑張っているお菓子屋さんやお土産物屋さん、新製品を作ってみたけれど市場の反応がわからないお店等々、地域には頑張っているお店がたくさんあります。

勝山市永平寺町坂井市あわら市の、そういったお店の品を金沢駅へ持っていきたい……そういった想いもありました。これまで、「勝山フェア」のような単独自治体が行う物産店はありましたが、広域で行った事例はありません。

永平寺商工会、坂井商工会、あわら商工会のご協力を得て、各商工会の会員にお集まりいただき事業説明を行い、興味のある企業に個別に相談をし、物産を金沢駅まで運び……7月、8月と二か月間にわたる、われわれのPRがJR金沢駅構内にて始まりました。


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私の目的のひとつは、「金沢の人々が福井をどう見ているのか」を知ることでもありました。金沢とのパイプを造るうえで、金沢が福井をどう見ているのか、石川の人々が勝山をどのように捉えているのか。それを実地に知ることは政策形成の上で欠かすことはできません。

何事も現場に出ないとわからないものです。私は毎日のように金沢駅まで手弁当で行き、人々と語り合い、観光のヒントを数多く得ました。
正直言えば、毎日のように金沢まで車を運転していくことでの疲労はありました……が、それ以上に、毎日、新しい知見やヒントを得る楽しみもあったのです。


2か月間にわたるPR事業を、金沢の企業の皆さんと行うことにより、勝山と金沢との民間レベルでのパイプはできました。
本年3月に新幹線開業を記念して金沢で行われた「金沢食べマルシェ」という大きなイベントに勝山の団体を送り込むなど、様々な形で、このパイプをこれからも活用できる………はずでした。過去形で語らねばならないことが残念でなりません。
(詳細は後述)



もうひとつは、モニターツアー。

九頭竜川を上流から下流までを味わい尽くす」をテーマに、親子参加型のツアーを作成しました。

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実は、このツアー。評価が物凄く高く、私と同じように国のコンペを通った企画を集めてのネット投票では全国二位の評価をいただいております。


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評価は高く、実際に問い合わせも多かったにもかかわらず……いざ、募集するとお客さんが集まらずに、ツアー実施を断念せざるを得ませんでした。
「なにゆえ?」

後の検証の結果、重要な事実が判明します。このツアーの最大の欠点は「親子参加型」であったことでした。関西・京阪神の保護者は「子供だけで参加できる自然体験型プログラム」を欲していたのであり、われわれは顧客のニーズを見誤ったのです。

おそらく、そこを修正したならば、このツアーは前評判通りの結果になったことでしょう。返す返すも残念です。


国と協議をして、新たなツアーを二本催行しました。
ひとつは、親子参加型の日帰り体験プログラム。これは恐竜をテーマに行ったものでした。もうひとつは、九頭竜川の恵みを味わう日帰り体験プログラム。酒蔵を巡り、鮎の塩焼きや山の幸を味わうというプログラムでした。


これが、国の予算をいただいて行った事業の概要です。

高校再編問題をバネにして勝山の教育を考える

 

現状

昨日、本年の県立高校の入学試験に関する志願状況が発表された。これによると、勝山高校の倍率は0.94倍(定員129人、出願121人)。大野高校の倍率は0.99倍(定員151人、出願149人)。共に定員割れであり、この現状は数年続いている。

福井県が策定した「県立高等学校再編整備計画」は、大野高校は5クラス編成、勝山高校が5クラス編成を基本構想としていた。現在の勝山高校は4クラス編成であり、構想基準を下回っている。

現在、福井県は前述の再編整備計画に基づき、第2次実施計画を完了した。これは、坂井地区、若狭地区の職業系専門学校を中心とした再編である。

今回の一連の県立高校再編のサイクルは、主に職業系専門学校を中心とした再編であり、この再編が県内で終了した段階で、次は普通科の再編が行われることが想定される。

再編への時間的サイクル

現在行われている高校再編は、前述の再編整備計画に基づく。この再編整備計画の策定は、
 ①平成19年12月 福井県高等学校教育問題協議会に対して諮問
 ②平成20年10月 答申を県教委が受ける。
 ③平成20年10月 「新しい県立高校の在り方検討会」を設置
 ④平成21年3月 再編整備計画発表
 ⑤平成23年4月 奥越明成高校開校
とのスケジュールで行われた。

こういった「表に出てくるスケジュール」の前には、数年間の地元説明、関係者への根回し等の期間が必要となる。これらの準備期間を3年程度と見積もると、再編問題が浮上してから7~10年間で再編が完結すると見るのが妥当だろう。


論点

この奥越地域の普通科の再編問題について
「奥越で普通科の再編?そんなの先の話でしょ?」
と構えることもできる。

しかし、将来に訪れる可能性が高い再編問題をバネにして、勝山の教育そのものを根本から見直す機会にしたい。「ピンチをチャンスに変えよ!」ということだ。

勝山高校が再編の対象になったときに、あたふたと慌てふためくのではなく、「勝山高校は、勝山高校の独自性ゆえに他の高校と再編することができません。なぜなら、それは勝山高校の教育を殺すことになるからです」……との論理でこの問題を克服したい。

ならば、その独自性をどのように発揮するのか。それを今のうちから考えていかなければならない。

一番まずい手法は、ピンチをピンチのまま放置して政治的解決を図ろうとすることだ。


普通科の差別化

これをご覧の方に質問。
「高等学校の普通科とは何ですか?」

案外と答えにくい質問だ。商業科ならば商業系の勉強を、工業科ならば工業系の勉強を中心に据えて勉強する高校です……と定義することができる。

ならば、高等学校普通科をは何を勉強するところなのだろうか。
これは高等学校設置基準の第5条に次のように定めてある。
 

第5条 高等学校の学科は次のとおりとする。
      一 普通教育を主とする学科
      二 専門教育を主とする学科
      三 普通教育及び専門教育を選択履修を
        旨として総合的に施す学科

ここでは、普通教育を主とする学科が普通科だと定義されている。それじゃ「普通教育って何ですか?」という疑問が出てくるのだが、結論から言えば、学習指導要領で決められた単位を学ぶ学校が「普通教育を行う普通科」と定められている。

普通科の高校を卒業された方は、「現代文4単位、古典4単位、数学基礎2単位……」という高等学校の通知表を思い出して欲しい。通知表に書かれてあった教科が「普通教育における各教科」である。そして「普通教育における各教科」を学ぶものが「普通教育」の内容だと、高等学校学習指導要領で定められている。なんとなくわかったようなわからないような説明で申し訳ないのだが、そう言うしかないのでご了承いただきたい。


つまり、普通科で教育内容の差はない。差がない以上、どのようにして普通科同士の差別化を図るのか。そこが重要となってくる。

この差別化の難しさは、私立高校が県立高校との差別化をどのように図るのかにも同様に表れる。「甲子園を狙う(スポーツによる差別化)」「東大進学率を上げる(学力による差別化)」「就職率を高める(就職による差別化)」等により、私立高校は県立高校との差別化を図る。

ならば、勝山高校は私立高校が行うような差別化をすべきなのだろうか。それもひとつの手法なのかもしれないが、私は別の途を模索したい。


地域高校だからダメなのか?

その地域の子供たちが、そっくりと高校へ進む……という高校がある。これを「地域高校」と呼ぼう。勝山高校はこの地域高校の典型例だ。

この地域高校にはいくつかの弊害があることは間違いない。そのひとつは、競争のなさである。小中学校が義務教育で、高校も持ち上がりのように入学してしまう。競争がないために、学力自体も徐々に低下していく。これが地域高校の弊害と(一般的に)言われるものだ。
確かに、この弊害だけを見れば、勝山高校と他の高校普通科との差別化は難しいだろう。勝山高校は、勝山の地域高校であり「勝山の子供だけを受け入れる高校」としか認識されない。

そこで、視点を逆転させてみたいのだ。
そもそもの過ちは、勝山高校を他の高校と差別化しようとした点にある。つまり、勝山高校の再編問題を勝山高校単体で見ることが議論の枠を狭めている。

勝山市の教育そのものを、他市の教育と差別化したらどうなるだろう」
勝山市の小中学校では、他市では実践されていない教育が行われており、勝山の子供たちは、小ー中ー勝山高校と他市とは異なる教育が受けられる」
もしも、こんな状態が出現したらどうなるだろうか。

地域高校だからダメなのではなく、むしろ「地域高校とは、ある意味、小中高一貫校である」との視点に立つならば、我々は勝山の子供たちのためにオリジナリティあふれる教育を提供できるのではないだろうか。


私案

例えば、「勝山のまちづくり」という視点から教育を眺めてみよう。

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現在行われているESD教育などは「勝山を愛する心を育む」に含まれることだろう。エコミュージアムが発展したジオパーク関連もここに位置する。勝山の歴史や文化、風土を教えて勝山に対する愛情を育む。ここがすべての基本となる。

勝山の魅力を発信する……どうせ発信するなら「世界に広く発信する」くらいの気構えで臨むのであれば、語学教育も必要となる。ならば、小学生の頃から英語教育を更に充実すべきだ。
勝山市の小中学校は、独自の英語カリキュラムを作成し、例えば「小学校卒業までに英検3級合格を目指しましょう」「中学校卒業までに英検準2級合格を目指しましょう」といった、目に見える目標を与えても良いと考える。

試験勉強を加熱することが目的ではない。人は誰でも目標がないと熱が入らない。学校での語学カリキュラムを小学校から充実させて、その理解度のチェックに英検を用いるだけのことである。
(英検はその性質上、学習指導要領とリンクされているので、学校教育内容の理解度のチェックとして用いることに適している)

英検の公式発表によれば、2013年の英検の「小学生の合格率」は次のようになっている。カッコ内は合格者数。
・5級 85%(94428名)
・4級 62%(40804名)
・3級 53%(13769名)
・準2級 46%(4555名)
・2級 41%(2418名)
・準1級 16%(351名)
・1級 11%(28名)
英検1級に合格する小学生がいるとは驚きだが、大阪や兵庫のインターナショナルスクール(幼稚園)では、卒園までに英検3級合格が当然のようになっている。


問題解決学習とは、「自主的に問題を発見して、自分の力で解決する」もので、そもそも従来の学習指導要領から重要視されてきた。知識偏重に偏りすぎたとの反省に基づくものである。

しかし、本来の問題解決学習は極めて困難なものだ。試しに、お子様に「何か疑問に思っていることある?」と尋ねてみられると良いだろう。「特にないけど?」と反応するのが普通だ。大人だってそうだろう。不思議や疑問に思うことはあっても、それを解決しようと思うことは、そうそうあるものではない。

だが、この問題解決学習はとても重要なものだ。この組織の問題点はなんだろう。このチームの人間関係はどのように修復していけば良いのだろう……社会では様々な問題があり、それを解決していかなければならない。その能力を子供の頃から培っていくためには、これまでの学習指導要領的な問題解決学習ではなく、「大人たちが使っている問題解決学習」を導入することまで視野に入れるべきだ。
(もちろん、子供に大人用のテキストを渡しても理解できるはずはないが)



「勝山を愛する心を育み」
「勝山の魅力を世界に発信できる語学力とコミュニケーション力を備え」
「勝山の抱える問題点を身の回りから解決できる能力を持つ」
そんな子供になって欲しいと思う。

 

これは「言うは易し 行うは難し」の典型例であり、膨大な時間と多額の予算を必要とする。まず、現行の小中学校の業務の棚卸をしなければならない。授業時間は限られている。オリジナルの教育を施したばかりに、他の教科が手薄になりました……ではお話にならない。英語教育のカリキュラムを刷新した後には、専任の教員を配置しなければならない。その予算も必要となろう。問題解決学習を子供向けに組みなおすプロフェッショナルは、現在の学校教育界には存在しない。その配置もしなければならない。


しかし、敢えて私はこういった方法を提案する。
「勝山高校を残すか残さないか」という矮小化された考え方ではなく、「勝山の子供たちのために、どのような教育が望ましいのか」をこそ我々は、大人の責務として、語るべきではないのか。そう思うからだ。
そして、他に素晴らしいプランは必ずや存在するはずだ。それを持ち合って議論したい。その先に必ずや勝山の教育の未来はあると確信している。


孟母三遷の教え

古より「孟母三遷の教え」との言葉もあるように、親、特に母親にとって、我が子の将来とそのための教育は重要視される。

孟母三遷の教え》
孟子の母は、はじめ墓場のそばに住んでいた。孟子が葬式の真似ばかりするので、市場の近くに引っ越した。すると、今度は孟子が商人の駆け引きを真似はじめた。そこで学校のそばに転居したところ、礼儀作法を真似るようになった。これこそ教育に最適の場所だとしてここに定住した。

勝山市は小中学校の間から、子供たちにオリジナリティ溢れる教育をする。勝山の子供はこの教育を受けることができる。

孟母は勝山を離れるだろうか。
市外に住む孟母たちは、どう思うだろうか。
その子供たちが上がってくる勝山高校はどうなるだろうか。

誤解していただくと困るのだが、人口を増やすために、勝山高校を残すために……ではなく、「子供たちにどのような教育を提供するのか」という、いわば『王道』を進むことにより、我々の未来は開けると思うのだ。

フランス諷刺週刊誌に、彼らの傲慢さを見る

 

神がそれを望んでおられる

1095年11月。フランスでクレルモン公会議が開かれた。法王ウルバヌス2世は、聴衆に向かって聖地奪回を力強く訴えかけ、その熱弁の最後は次の言葉で閉められる。
神がそれを望んでおられる

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聴衆は一人残らず感動に包まれ、群衆の間からは「神がそれを望んでおられる(Deus lo vult)」の声が沸き起こった。十字軍の始まりである。

ペンは剣より強し

フランス紙フィガロは「イスラム原理主義の残虐行為で犠牲となった17人に哀悼の意をささげ、連帯を示し、民主主義と自由を守るために結集した。この国中が団結した光景に感動しないでいられようか」と述べ、「(デモが行われた)2015年1月11日は歴史的な日になるだろう」と書いた。

そして、この社説の冒頭は「フランスは立ち上がった」との威勢の良い言葉で始まっている。


民主主義と自由を守るために結集した群衆たちは、何かを勘違いしてはいないか。この事件の発端にあるのは、「表現の自由」の名の下に大切な存在をレイプされたイスラムの怒りなのだ。無論、テロを正当化するつもりはないが、同時に、言論の自由の名を借りれば何を言っても許されるわけもない。

言論の自由を守れ」とフランスの言論人たちは言う。ならば問いたい。あなた方は一度でも「ホロコーストに縛られた言論界」を風刺したことがあったか?ナチスを一言隻句でも擁護することは西欧言論界のタブーである。そのタブーを皮肉ったことはあったか?

猫のイラスト集で一躍名を馳せたフランス人のイラストレーター、モーリス・シネ氏は、今回のテロの対象となったシャルリー・エプド社を解雇にされている。2008年のことだ。その解雇理由は「発言が反ユダヤ的である」とのものだった。そのときフランスの言論人たちは抗議の声を上げなかったのか?そのダブルスタンダードさには辟易する。

「ペンは剣より強し」と主張するのであれば、あなた方は剣よりも強いペンの使い方にこそ配慮すべきではないのか。剣よりも強いペンの力で、イスラム教徒の大切にしているものを踏みにじる権利はない。東日本大震災後の日本を風刺し「手が4本になっている奇形の相撲取り」を登場させて被災者の感情を逆なでする権利もないはずだ。

さらに辟易するのは、二言目には「民主主義への挑戦」と言い立てるマスコミだ。


イスラム民主化

イスラム民主化」という表現を耳にされた方も多いことだろう。過去10年近くにわたってアメリカを中心とする西欧諸国は、イラクアフガニスタン民主化させようとしてきた。その試みはうまくいっているとは到底言い難い。
そして、今や熱い視線を注がれているのはアジアの民主化である。

ミャンマーの軍政は2010年以降に「上からの民主化」に乗り出した。インドネシアでは、昨年4月に行われた総選挙で民主化後初となる庶民出身の大統領ウィドド氏が選出された。

なぜ、アジアの民主化が注目されるのか。そこには
「多民族・多宗教・多文化国家でも民主化は定着する」
「自由・民主主義は西洋文明に限定されるものではない。人類普遍の価値観である。したがって、非西洋文明でも育つのだ」
というファンタジーが崩れては困るという理由がある。このファンタジーがあったからこそ、アメリカを中心とする西欧諸国は、「イスラムと民主主義は両立する」としてイラクアフガニスタンに手を突っ込んだ。当地で華々しい成果を得られなかったアメリカとしても、民主化を進める理由そのものを失うわけにはいかない。イスラムでは道半ばではあるが、アジアでは成功しているのだと強弁したいのだろう。

そこに見え隠れするのは、
民主化が進まない国や地域は遅れた後進国である」
「非民主国家は野蛮な国である」
との思いだ。

それは、あたかも「神が望んでおられる」として十字軍を結成した思想にも似ている。
民主化が進まぬ国の人々を解放し、彼らに民主主義の恩恵を与えることこそ我々の使命であるとの傲慢さは、現代の十字軍を結成するのだろう。

民主政に必要なものこそ、フランスに欠けているものだ

民主政体が最高の政体であるという主張は、政治思想史の中では近代以降の話に過ぎない。むしろ、プラトンに代表されるように、古来より民主政に対する不信感は強かった。なぜなら、民主政体においては多数派が暴走するからである。民意の名の下に多数派が暴走した場合、もはや止めるものは何もない。

民主主義に基づく政治体制をひけば、すべてが良くなるわけではない。世の中がHappyになるわけでもない。民主政体は国民が作り上げていく政体であるからこそ、その運営が困難な政治体制なのだ。

民主主義は二つのものから成り立つと私は考えている。ひとつは制度、もうひとつはモラルだ。三権分立といったものは制度と考えてもらえば良いだろう。もうひとつのモラルについては少々説明を要する。

モラルの根底にあるのは「人間は不完全な生き物である」との強固な確信だ。性善説性悪説かという単純な問題ではない。人の性が善であろうとも、人は過ちを犯す。人の性が悪であろうとも、人は善行をする。
ただ、間違いなくいえることは、人は完全ではないゆえに過ちを犯す。だから、権力を分散しておかねばならない。人は耳の痛いことを嫌う。だから言論の自由を保障しなければならない。人は不完全であるがゆえに、どのような聖人君子を就けても権力は腐る。だから定期的に入れ替えをしなければならない。

こういったモラルの中には、ひとつの黄金律がある。
ひとつの価値観には、同じだけの質と量を持った真逆の価値観が存在する

この世に絶対的真理など存在しない。ひとつの主張には必ず同じ正当性をもった真逆の主張が存在するのだ。だから、英語でも"Look at the both sides of the shield.(盾の両面を見よ)”との諺があるではないか。

自分たちの信じるものがあるならば、必ず相手にも同じように信じる者があるはずだ。そのモラルがあれば、イスラム教徒の教祖を裸にしレイプするような風刺画(とも呼べぬ代物だが)を描くことはためらうはずだ。

民主政に必要なものこそが、フランスに欠けていたものだ。


3つの課題をクリアできるか?そこに「地方創生」の未来がある

地方創生はありがたいのだけれど…

安倍内閣が目玉政策のひとつとして挙げている「地方創生」。その具体的な方針については、首相官邸HPに詳細が掲示されている。

地方に住む我々としては、これはこれでありがたい。だが、本当に「地方創生」メニューは地方を活性化させるのだろうか。そのためには3つの課題をクリアしなければならないと考える。


第一の課題「国は補助金縛りの体質から抜け出せるのか?」


安倍首相が掲げるアベノミクスは、成長戦略の一環として公共投資を拡充する。これは経済政策として正しい。一方で、アベノミクスが地方の成長戦略として正しいかと言われると、これは違う。

先の衆議院選挙では「アベノミクスの効果を地方の隅々にまで」との標語が踊った。アベノミクスはデフレにあえぐ経済に対するカンフル剤であって、地方が経済的に「一息つける」効果をもたらすものの、「一息つける」効果しかないゆえに、その効果は時間軸で限定的にならざるを得ない。地方が一息つけることと、地方が経済的に自立し活性化していくこととは別次元の問題なのだ。

したがって、アベノミクスと地方創生は別物と考えなければならない。

さて、地方創生は地方の自立を目標とする。だが、地方の自立が叫ばれたのは最近のことではない。

高度経済成長以降、地方は常に「均衡ある国土の発展」の対象だった。このテーマを具体的な計画に落とし込んだものが全国総合開発計画(全総)だ。
この全総の歴史は古く、第1次全総が策定されたのは昭和37年、所得倍増をうたった池田内閣の時代である。その第1次全総の基本的課題に「都市の過大化の防止と地域格差の是正」が盛り込まれていることは興味深い。つまり、我が国は半世紀にわたって延々と地域格差の問題に取り組んでいたことになる。

半世紀にわたって地域格差を無くすために何が行われてきたのだろうか。新幹線を引き、高速交通網をめぐらせ、情報インフラを整備するといった手法、すなわち、国が方針を定めて地方の格差を是正するといった手法がこれまでのやり方だった。

これに対して「地方創生」は地方の自主性を重んじている。
ただ、意地の悪い見方をすれば、地方の自主性を重んじるとは「地方でやりたいことを考えてくれ」と丸投げされたようなものだ。どうせ丸投げするなら、完全に丸投げして欲しい。「補助金」であるからには「この補助金は〇〇には使えません」「この補助金の目的に沿わないので認められません」との縛りがかけられているからだ。


国をひとつの人体と考えるならば、地方自治体はいわば個々の細胞である。主要な臓器だけが活発に動きながら、末端の細胞は衰弱し中には壊死しかかっている、これが日本の現状である。どのような栄養素を取り込んで活性化していくのか、それは末端の個々の細胞に任せておいた方が良い。いちいち頭脳が指示できるものではない。

これまで、国は補助金にヒモをつけ縛りをかけることで、末端の自治体にまでその影響力を行使し続けた。その誘惑を断ち切ることができるのだろうか。国も「一括交付金」の制度も視野に入れているようなので、期待はできそうである。

そうなると次なる問題は、各自治体内で生じてくる。「我々が本当に欲しいものは何か?」という問題だ。


第二の課題「自治体は、本当に欲しいものから目をそらせていないか?」

我々地方に住む者は、何が欲しいのだろう。

我々は「金」が欲しいのではない。金が欲しいのであれば、国からの補助金に依存する体制に安穏した方が良い。国からの補助金で箱物を作り、道路を整備し、民間事業者にお金が回る。駅前商店街活性化で補助金をもらい道路を整備し街並みを直して、民間事業者にお金が回る。

ただし、そのお金は一度切りだ。しかも特定の民間事業者の収益という形でそれは自治体内部に入る。つまり、補助金は影響力の及ぶ範囲でも限定されているだけでなく、時間的にも限定的なのだ。

我々地方に住む者が本当に欲しいもの。それは「利益を産むサイクル」である。
林業でも製造業でもサービス業でも良い。利益が地域経済内を循環して更なる利益を産むというサイクルこそが、我々の欲するものだ。


ならば、補助金が「利益を産むサイクル」を育てない理由はどこにあるのか。いくつもの原因がそこにはあるのだが、最も大きな原因の一つは「行政がそもそも利益を考慮していない」点にある。

地方自治体の視線の中で、利益を出すものとは民間事業者を指す。行政は利益を追求すべきでないと考えられている以上、それは致し方のないことなのだろう。しかし、「行政が利益を追求すべきではない」ことと「行政は利益を考慮していない」ことは全く別物である。


政策を打ち立てる行政が利益を考慮していないと、どのようなことが起きるのか。往々にしてあるパターンとしては、政策を立てる際に、民間の意見を聴くとして審議会を持つ。メンバーは商工会議所やJA、観光協会などお馴染みのメンバーばかりである。その会議では「商店街活性化」「農業の活性化」「商店街への誘客」など勇ましい文句が踊るが、肝心の「利益を産むサイクル」の話は一向に出てこない。

市議会議長であった時分に、多くの他市の議長と話し合う機会を得た。少なくとも私が知己を得た全て……文字通り全ての……議長が同じ思いを抱いていた。我々は利益を産むサイクルが欲しいのだ。地方はいつまでも「お恵み」をもらっていてはいけないのだ。だが、政策を立案する行政が、相も変わらず「それは民間事業者が考えることですから」と腰がひけている…と。

国は「地方が考えるべきだ」と投げる。
地方の自治体は「それは民間事業者が考えることですから」と投げる。
しかし、民間事業者に投げているのであれば自治体は「民間事業者からの抜本的なアイデアを募集します」とは言えば良いのに、それは言わずに審議会を開いて民間のアイデアを聞いているふりをする。そして、なぜか政策はいつの間にか出てきて国に提示し補助金が降りてくる。
補助金が降りてきて、自治体は民間事業者に仕事をまわす。
ひどいものになると審議会すら開かずに国・県から予算を引っ張ってきた後で、プロポーザルという美名の下に「予算があるから何か考えて!」と言い始める。

これまで延々と繰り返されてきたこのサイクルをどこかで断ち切らないと、真の「地方創生」は実現されない。

 

 

第三の課題「自治体、民間事業者、そして市民も、本当にすべきことから目をそらせてはいないか?」


ここに勇気ある自治体が現れて、民間事業者に対してこんな提案をしたとしよう。
「地方の活性化は地方経済の活性化を抜きにして考えることはできません。しかし、行政主導で経済活性化を行うことは困難です。民間事業者の皆さんのドラスティックなビジネスモデルをお待ちしています」
「我々は本気です。そのビジネスモデルが優れたものであるならば、行政は全面的なバックアップをお約束します。必要ならば行政内部の機構そのものを変えてもかまいません」
……ここまで主張する自治体が現れたならば、賞賛に値する。しかし、残念ながら地方でそのような自治体が出現したとしても、手を挙げる民間事業者は少ないことだろう。

ここにこそ、「地方の疲弊」の根本があるように思う。

新たにビジネスを立ち上げ制度の仕組みそのものまで変えて「利益を産む構造」を創りだす。それは、まさにイノベーションに他ならない。その人材が都市部へ流出したこと、それが地方の疲弊の根本である。人材がいないのではない。人材を育ててこなかったツケが回ってきただけのことだ。例えるならば、JAに依存してきた農家に「明日から自立せよ」と迫るようなものである。農家に人材がいないわけではない。ただ、自立したくともノウハウもなければOJTもない。

本当に必要なことはイノベーションを起こし得るだけの人材を地域で育て、彼らに機会を与え、結果が出るまで粘り強く待ち続ける。これが、自治体レベルで地方創生を実現するためにやらねばならないことだろう。


地方創生が真に効果を発揮するためには、
 ①国が補助金体質を改めることができるか。
 ②自治体が、自治体主導体質を改めることができるか。
 ③地方に人材が育つまで我慢することができるか。
この3つの課題をクリアしなければならない。各項目は、これまでの「均衡ある発展」における補助金依存体質からの脱却を意味する。自治体、民間事業者、そして市民は意識を変えて取り組まねばならない。たとえ時間がかかろうとも。